23歳18_Invisible scars
日曜日の朝、糸遊と凌乃を連れて自宅を出た。
瑞香さんと浮草を拾う約束をしていたので、車でまずは事務所へ向かう。糸遊は助手席に座り、のんびりと詰将棋の本を開いていた。マイペースなことは結構だけれど、車内で読んでいて酔わないのだろうか。
浮草が隣の席だと凌乃が嫌な顔をするだろうか。そう思って少し様子を伺ったが、そもそも乗馬ロケを共にした仲だ。木蓮さんの前でもいさかいはなかったようだし、気軽に応じていたのを覚えている。
「助手席は瑞香さんが座るかな?」
「んー、あとで調整するからいいよ。凌乃は、浮草の隣で大丈夫?」
「あたしはいいよ」
浮草の方は、隣が凌乃だと暑苦しいとか言いそうだ。そして、今日はゲストが一人いる。
とりあえず予定通りの五人が集合した。
「おはよー。冷えるねぇ」
「おはよーございまーす」
ごそごそと車に乗り込む二人に、思い思いに挨拶を返す。
新たに乗ってきた二人が真ん中の列に並んで座り、浮草に押しのけられるように凌乃が一番後ろに移動した。
「どこかでコンビニ寄ってね」
飲みものを買いたいという糸遊に、後ろの三人も同意する。
「そうだね。その前に寄るところあるんだ」
「お買い物?」
「まだ内緒」
助手席の糸遊の疑問をはぐらかす。興味を失った糸遊は再び詰将棋に夢中になった。後ろは後ろで盛り上がっている。
目的の高級住宅街に到着する。もうすぐ爆弾投下の時間だ。浮草が気づいて周囲を見回した
「あれ?」
蘇芳家の前だった。木蓮さんか睡蓮が来るとでも思ったのか、浮草は少し楽しそうに外を見て、瑞香さんと凌乃に睡蓮の家だと教えていた。
家の前で駐車し、スマホでメッセージを送信する。車が止まったことで、「ここどこ?」と糸遊が聞いてきた。
「木蓮さん達のお家だよ。大きいよね」
「凄い大きい! やっぱりお金持ちなんだねー」
「本当にね」
答えながらスマホを見ると、メッセージに既読がついた。すぐに家のドアが開いた音が聞こえ、正面の門が開いた。
「お待たせしました」
「ええ、桜蓮ちゃん?」
「おはよう浮草。みなさんもおはようございます」
瑞香さんは呑気に「おはよー」と答えている。面識はあるようだ。糸遊と凌乃は軽く顔をしかめた。
「ほらほら、後ろ詰めてあげて。凌乃の横空いてるでしょ」
「ほーい」
「すぐ出るよー」
問答無用で急かすと、桜蓮は文句を言わずに着座した。
妙な雰囲気になる。糸遊ですら言葉を発しない。昨日の今日で、桜蓮の乗車は劇薬だったらしい。
それもコンビニまでだ。あとで桜蓮さんには助手席に来てもらう。私に用件があるというので、話す約束をしていた。
凌乃が平然と会話を始める。初対面で浮草に馴れ馴れしかったように、桜蓮に対しても思ったことを口にする。
「桜蓮さんだっけ。Lotusの人だよね」
「ええ」
「Lotusって何人いるの?」
「サイトに載ってるのに」
「ほら、ライブに出ない人とか、いつの間にか離脱してる人がいるじゃん」
「それはそうだけど。今、メインで動いてるのは八人」
「ほえー、前は十人で出てたりしたよね」
どちらかが敵対心を剥き出しにするかと思ったら、意外なことに桜蓮も素直に応じている。ルームミラー越しに見える表情は、少し硬いようだけれど。
ところどころトゲのある返答でも、凌乃は意に介さない。采女の自由な振る舞いを止める役目が定着したからだろうか、そういう生意気な態度に慣れてしまったのだろう。
コンビニに入る頃には、凌乃の語りかけがきっかけとなって、元々の友人である浮草も会話に参加していた。この三人は同い年だ。
全員の選んだ商品をまとめてレジに持って行く。糸遊や凌乃は慣れっ子だが、当たり前のように浮草も商品を入れていた。いや、いいんだけどね。
戸惑っていたのが桜蓮だった。それだけでいいのと尋ねると、自分で出すと言って聞かなかった。
時間がもったいないので奪い取り、そのまままとめて支払いを済ませる。
「……ありがとうございます」
「いいよいいよ。結構、甘党?」
桜蓮の品を手渡しながら尋ねる。
「甘いの好きです」
いつも辛口な桜蓮とは思えない返事に笑ってしまった。
「そんなにおかしいですか?」
「いやごめん。ブラックコーヒーとかキメてるイメージあったから」
「ブラック飲めないんですよ」
可愛いところもあるじゃないか。瑞香さんもブラックは無理派。背丈は糸遊と同じか少し高いくらい。
「糸遊は後ろに座ってくれる?」
「いいよー」
瑞香さんも並んで後部座席に座る。瑞香さんの身長で後ろの席だと、頭をぶつけないか心配だ。
真ん中の座席に凌乃と浮草が座る。言い合いの発生しそうな二人が並んでしまった。暴れたら最後尾の二人が止めてくれることを祈りたい。
そして助手席に桜蓮を乗せ、自分の買った物を取り出して袋を後ろに回した。
ナビを確認して車を出す。桜蓮のシートベルトを確認し、周囲を確認して車を動かした。
桜蓮の不満そうな小声が聞こえる。
「こんなにいるなんて聞いてませんよ」
「そりゃ言ってないもの。そんなに人前では言い辛い話?」
観客席で話そうとしていたくらいだ、聞かれてまずい内容でもあるまい。
凌乃と浮草がお菓子を開けていた。
「凌乃、一個ちょうだい」
「はいはい、あーん」
一つグミをもらう。中がトロっとしていた。美味しいやつだ。
「ほら桜蓮さんもあーん」
「自分で食べるよ。ありがとう」
手で受け取る桜蓮に少し感心した。案外素直だ。場の空気がアウェイなのもあるかもしれない。さっきから凌乃のペースに巻き込まれてがちで、警戒心を強めている。
「それ、私が選んだやつなのに」
「美味しいねこれ」
「そっちのちょうだいよ」
諍いが生まれるどころか、仲のいい友だち同士の風情だった。この二人はもう、心配いらないみたいだ。
「で、何だっけ?」
「私が話したかったことです」
「うん、話してよ」
「結論から言います。Lotusに来てください」
赤信号でよかった。さすがにびくりとしてしまった。何を言い出すんだこの子は。
「浮草には何度も声をかけました。もう諦めます。代わりに、浮草から連理さんのことを聞きました。是非ともうちに来ていただきたいんです」
「それはないかな」
「何故ですか? 聞いてますよ。睡蓮姉さんを負かす目的で、今マネージャーをやってるって」
「それがどうして、私をLotusに入れる話になるの?」
「同じ目的なら、より高め合えるかです。Lotusは実力制だし、浮草からも連理さんの実力は聞いています」
「最近は派閥化してるって話だよね」
後ろから浮草が口を挟む。振り返る桜蓮の声が大きくなった。
「それはそうだけど! そんなの、一部のメンバーが勝手にやってることだもの」
熱くなる桜蓮を、落ちつかせるように問いかける。
「今、リーダーなんだよね?」
「はい」
「そういう派閥争いを、リーダーとして認めてるの?」
「仲よしこよしのユニットじゃないですから。個人活動もありますし、結果を出せるなら仕方のないことだと思います」
そういう形態もあるのだろう。ただ、この歳で派閥争いなんてのは相当きつそうだ。華やかに見えて、Lotusは案外厳しい環境にあるのかもしれない。
この子がいつも張りつめている理由、少しだけわかった気がする。
「木蓮さんや睡蓮もそうだったの?」
「いえ、姉さんたちはもっと仲よくやれって方針でした。派閥化したのは二人が抜けてからです」
「そうなんだね。ただ、そういう殺伐としたところは嫌だなぁ」
「うちならトレーニング内容も環境も、最高峰のものを用意できます。浮草もそうだけど、そんな環境で燻ぶらせておきたくありません」
双方の事情を知る浮草に尋ねた。
「うちも割といい環境だよね?」
「そこそこってレベルだね」
「あ、そうなの?」
「うん。Lotusはいくつも練習場使うし」
いくつも……資本力が違う。
「コーチもプロしかいませんよ。瑞香さんが凄いのは知ってますけど、他の子と同時に教えられているんでしょう?」
「褒められちゃったー」
後ろから呑気な声が飛んできた。話を聞いていたのならば、もう少し協力してほしかった。
「でも、私は木蓮さんにも教えてもらってるよ。プロレベルどころか、元Lotusのメンバーだよ?」
「木蓮姉さんは甘いですから」
「甘い?」
あの地獄のボイトレで甘いの? あれより厳しいプロのコーチだったら、拳で腹筋を貫通させてきたりするのかな。
「睡蓮姉さんが自由勝手にやってたのも木蓮姉さんのせいです」
「ああ、そういう甘さね」
「他に何があるんですか? そもそも、今バイトなんですよね?」
「うん」
「ちゃんとお金も出ますよ。プロとして実力を示せば」
「興味ないかなぁ」
「そうですか……」
そもそも、ライブの利益率はLotusもそう大きい方ではない。各メンバーがタレント活動をして、事務所へ還元しているイメージだ。その上でライブのパフォーマンスが高いのは見事なものだけれど、そこに私が入ったとして……ああ、そういうことか。
「話題性のために、元プロ棋士の肩書も使うってことね」
「正解です」
確かに話題性はあるだろう。最後の対局の生放送でやらかしたせいか、変に噂になっているらしい。
でも、辞めた人間の話題性がそんなに続くだろうか。地道な将棋の普及活動をして、実はアイドルもやっていますという形ならば……確かに人気に直結する可能性も否定できない。
これは将来使える発想かもしれない。頭の片隅に置いておこう。
「それも踏まえた回答だけど、やっぱり無理かな」
「そうですか」
ふぅーと大きくため息。失望させただろうか。
「睡蓮姉さんを相手にするなら、大きな基盤を利用した方がいいと思いますよ」
「そういう大袈裟な話じゃないんだよね。相手の睡蓮が大物なだけで、負かしたいってのは個人的な目標でしかないから」
「その相手のライブの翌日に、よく遊びに行く気になりますね」
「遊びって失礼な言い方するね。あなたが参加したがっていた役の、先生のところだよ」
「知ってますよ」
「それに、今後の経験を積むための相談でもあるからね。単なる遊びじゃないって、瓦先生が教えてくれるよ」
「わかりました。でしたら改めて、今日一日よろしくお願いします」
「うん」
小一時間のドライブはまだ続く。一旦は冷静に話を終えることができた。
凌乃はさっきの話でLotusの事情や、亜嵐コーポレーションが貧乏だとか、そういう方向に興味が向いたらしい。
見当違いなことを言っては浮草に馬鹿にされ、お菓子の奪い合いで笑って終わる。本当に仲がよくなったものだ。
しかし、あの木蓮さんが甘いとはね。甘いというより、緩い印象は確かにある。緩さの中に厳しさのある人だと思っていたが、桜蓮目線では違う映り方をしていたようだ。
睡蓮が聞いたらどう思うだろうか。私がLotusに入って睡蓮を倒すなんて言いだしたら、止めてくれるか馬鹿にされるか。反応が想像もつかない。
しかし、意外なところからスカウトが飛んできて驚いた。Lotusのメンバーって、みんな私より年下だったはずだ。最年長の新人だなんて、話題性の獲得よりも晒し者になりそうで嫌だった。
移動中の車内は、アイドル事情や練習内容の意見交換、剣戟への期待などで盛り上がった。
私はほとんど聞いているだけ。私の目的は単純な剣戟の練習見学ではない。
過去に誘われたことのある剣戟への参加を、こちらの都合で今更掘り返すことになるのだ。もしかすると、今更なんだと一喝されて終わる可能性だってある。
目的地が近付き、少し緊張してきた。瑞香さんとは、その場で話すしかないと仮の結論は出していた。今から焦っても仕方ない。
山道に入る。薄っすらと雪の見える景色で、観光にもよさそうな土地だ。
雪がかき分けられている駐車場に到着した。先着の車が何台もある。
「はい、これ渡すんだよね」
「お、ありがとね糸遊」
昨日、イタリアンレストランで買ったラスクのセット。私が指示する前に、糸遊が気を利かせて持ってきてくれた。
建物に近づくと、奥の訓練場から声が響いてきた。訓練が盛り上がっているようだ。
この寒さでは、外にいる人はさすがにいない。訓練場のドアを開くと、髭面の瓦先生が立っていた。
「お邪魔いたします」
「よう、きゅーさん」
いきなりの顔合わせで驚いてしまう。相変わらずいかつい風貌だ。
「本日はありがとうございます。見学も五人連れてきました」
「大所帯だな。まあいい、相談ってのから片付けちまおうや」
「その前にお土産です。みなさんでどうぞ」
「すまんな。おーい、土産もらったぞー」
瓦先生の大きな声に、お礼の言葉が飛んで来る。みなさんお元気そうだ。
「事務所はこっちだ。おい、田中これ預かっといてくれ、あと見学の子に案内してやってくれ」
「先生の愛人ですか?」
「余計なこと言うんじゃねぇ」
以前来た時も話した人、田中さんが軽くどつかれた。吹き飛ばされて悶えている。誰が愛人だ。
「すまんな、そっちの姉ちゃんも相談だろ?」
「はい、お久しぶりです」
「おう。上がろうや」
アイドル四人を置いて事務所に案内される。四人は訓練場に興味津々だ。ただ、今日はプロテクターをつけて、柔らかそうな棒を振り回していた。稽古の一種だろうか。
事務所に上がりながら瓦先生に尋ねると、楽しくて仕方ないという顔で答えてくれた。
「ああ、あれはスポーツチャンバラだ。一応世界大会もあるんだぞ」
「知ってます」
瑞香さんが反射的に答え、私の様子を見て口をつぐんだ。何かを隠すかのような雰囲気だけれど、詳しいのかな。
「うちは練習に取り入れてるだけで、大会とかって話でもないけどな。たまにコーチも呼んでんだ」
「コーチに行ったり呼んだりで、お忙しいですね」
「まったくだ。ほんで、今日の要件は?」
順序立てて話したかったのに、先手を取られてしまった。仕方ないので単刀直入に質問する。
「今の私に、剣戟の公演に出るチャンスはありますか?」
「ない」
ないんだ。あれだけ期待してもらったのに、ブランクがあることを見抜かれたのだろうか。
「今のきゅーさんを知らないからな。綺麗にはなったが、ギラつきがなくなった」
「ギラつきですか」
よくわからない。こういう抽象的な表現は相変わらずなようだ。睡蓮はそういう瓦先生の表現に、すぐに理解を示していた。
「つーか、単純にそういう話が今はない。きゅーさんにってわけじゃなく、事務所に仕事が来てない空白期間ってところだな」
「仮にあったとして、私にチャンスはありますか?」
「あるぞ。剣を持たずに逃げ惑うエキストラクラスならな」
「そうですか」
キャーキャー言いながら逃げ回る役柄を想像する。あまりいい経験にはならない気がした。
「きゅーさんにはそういう表現無理だろ?」
「無理です、多分」
「だよなぁ。特徴的な動きでもできれば、役を見繕うこともできるんだろうが」
瑞香さんが口を挟む。
「連理ちゃんは今も厳しいトレーニングを積んでますよ。いい動きができると思います」
「そりゃダンスレベルの話だろ? ああ、すまん。馬鹿にするつもりじゃねーんだよ」
そうだなーと言いながら顎に手を当て、瓦先生はじっとこちらを見つめてきた。
「ポテンシャルが高いのは知ってんだよなぁ」
ボヤきみたいになっている。考えてくれるのは嬉しいけれど、私もすぐに示せるものはない。相談は失敗に終わりそうだ。
何か証明できることがあればいいのに……。瑞香さんを見ると、私と同じく困った様子だった。不意に目が合い、急に何かを閃いた顔になった。
「連理ちゃん、あの型。あれやって見せれば?」
あんなものをここでやって、果たして意味があるのだろうか。
「あんまり意味はないかもしれませんが、武術的な型を少し学んでいて、ずっと続けてるんです。参考になりますかね?」
「見てみなきゃわからんな。ものは試しだ、やってみてくれ」
そう言われても、この事務所でやるのは手狭だ。全身の動きを見てもらう必要があるので、場所を移したいと申し出る。
さっきの大きな訓練場とは別に、小さなプレハブの小屋があるそうだ。そこに行こうと提案される。
一度外に出て、薄っすらと積もった雪の上を歩いた。寒さのせいか、状況のせいか、妙に緊張してしまった。




