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23歳17_Invisible scars

 夜のレッスンが開始され、休憩時間にそれとなく一人になった子から声をかけた。

 飲みものを求めて、一人離れた采女に近付いて問いかける。

 采女はカラオケの予定があるのでパス。結葉は練習の遅れを取り戻し、勉強にも時間を使いたいと言う。

 糸遊にも声をかけると、当然のように行くと返答をもらった。

 つまり四人から五人だ。この人数なら迷惑はかからないだろう。

 瓦先生に人数報告は求められていないので、浮草にだけ同行者をそれとなく伝えておいた。


 ライブ当日、チケットを五人に手渡して入場する。屋外のステージということで風が強かった。

 指定席に到着すると、既にお隣さんが来ていた。他のお客さんとは違い、緊張感を持った雰囲気の少女、桜蓮さんだった。

「あら、お久しぶりです」

「連理さん、待ってました」

 待っていた? 席を知っていたということだ。睡蓮からの直接購入だったので、連番の席になったのだろう。

「浮草も久しぶり。順調そうだね」

「久しぶり桜蓮ちゃん。私、飲み物買ってくるね」

 浮草にも緊張感があった。少し意外に感じる。浮草がLotusの加入を断ったという話、もしかして尾を引いているのだろうか。

「デビューの予定もないのに、ずいぶんとレッスンを重ねてるそうですね」

 どこか挑発的な態度だ。あまり張り合っても得はしないし、せっかくのライブ前に張りつめた空気にしたくなかった。

「木蓮さんから聞いたの?」

「それもありますが、色々と噂になってますよ」

 噂になっている? 誰も得をしない噂だ。木蓮さんや睡蓮でなければ、浮草あたりが口を滑らせたのだろうか。さっきの浮草の態度の正体に目星をつける。

「睡蓮姉さんを越えるのはLotusです。変に刺激したり、邪魔しないでくださいね」

「いきなり何を言うのかと思えば、そんなことね」

「連理さんにとってはそんなことでも、私たちLotusには重要な問題なんです」

 この子はずっとこんな感じなのだろうか。誰かに柔らかく接するところを想像できない。

 私の反応が曖昧なせいだろうか、桜蓮さんはターゲットを変えて挑発してくる。

「Wildflowersでしたっけ。可愛らしいですね」

 馬鹿にした言い方だった。それを聞き流すようにふざけて答える。

「そう。可愛い子たちでしょ。私の自慢よ」

「気楽そうでいいですね」

 なるほどなるほど、どうやら私を怒らせたいらしい。怒らせたいというか、気を引こうとしている印象を受けた。

 そう思うと怒る気がなくなるし、相手をするだけ無駄な気がしてきた。

 まだ何か言いそうにする桜蓮さんの前に、糸遊がやってきて見下ろすように睨みつけた。

「千振糸遊さんね。何か? 私、喋ってるんだけど」

「糸遊たちはライブ観に来てるの。嫌なこと言わないで」

「ライブはまだでしょ? その前のお喋りじゃない」

「ライブの前の時間もライブはライブ! わくわくする時間なの!」

 糸遊はぎゅっと手を握っている。そうだよ、感情的になっちゃいけない。挑発に乗らないでくれと祈りながら糸遊を見守った。

「一人でわくわくしてなよ。私は連理さんに話があるんだから」

「約束したの?」

「約束?」

「連理ちゃんと話すって約束したの?」

「してるわけがないじゃない。だからここで待ってたんだよ」

「連理ちゃんは、糸遊たちと一緒にライブに行くって約束したの。だから邪魔しないで」

「はいはい。すぐ終わるからいいでしょ」

「よくない」

「しつこいなぁ」

 桜蓮さんの方がイライラし始めた。私への挑発行為が糸遊に邪魔され、ペースが狂いはじめたらしい。

 対照的に、糸遊が代わりに怒ってくれたおかげで、私の溜飲は下がっていた。

 並び席の逆側、他の三人も心配そうに様子を見ている。凌乃が立ち上がるのを、結葉が落ちつかせていた。

「糸遊ありがとう。大丈夫よ」

「うん」

 大人しく私の横にストンと座る。何かに気づいた様子でニヤついている。なるほど、やってくれたな。

 将棋の練習対局でも、必要以上に挑発する人はいる。糸遊はそういう相手とも練習していた。

 自分が怒る必要はない。基本は無視が一番だ。目に余るようならば周囲の人間が注意する。それが大人や友だちの仕事だ。

 約束という、簡単な言葉で境界線を引いてくれた。そんな約束はしていないけれど、便乗して距離を置こうと思った。

 糸遊が離れたことをきっかけに、再び桜蓮さんが話しはじめた。

「それで……」

「うん、ごめんね。約束してない人と、今話すことはないかな」

「そんなの、どうせ嘘でしょ」

「嘘かどうかなんて証明できないでしょ? とにかく、私はあなたと話す気はないよ」

 私の言葉を受けた桜蓮さんは、ふんと鼻を鳴らし、納得いかない様子で足を組んだ。

 挑発的な態度の割に、どこか寂しそうな印象を受ける。小さく何かを呟く様子は、後悔しているようにも見えた。


 浮草が戻ってきて、元の席に座る糸遊に声をかけた。

「あら、糸遊ちゃんそこに座るの?」

「あ、ごめん」

 糸遊が一つ席をずらして離れ、浮草が腰かけた。

 浮草と話すこともありそうなので、今日は隣に座ってもらっている。

「話は終わったの?」

「する価値ないから黙ってもらった」

 小声の浮草に堂々と答えると、浮草は面白そうに私と桜蓮さんを見比べた。

 浮草も攻撃的だったり、悪ふざけが過ぎる部分はある。しかし、ちゃんと話はできるし協調性もあった。

 浮草の友人という桜蓮さんは、常に苛立って緊張感をまき散らしていた。少し心配になる。ただし、自分から会話を遮った手前、声をかける気はしなかった。

 桜蓮の隣に若い子たちが座り、やんわりと声をかけている。友人と来ていたみたいで少し安心する。この子がこのまま、一人で隣にいるのは息苦しい。

「ごめん、席代わって」

 友人の一人と桜蓮さんが入れ替わる。隣になった見知らぬ子が、チラリとこちらを見て、私の頭越しに浮草に声をかけた。

「あれ? 浮草だ」

「ナズ、おひさ」

「おひさー、来てたんだ」

「うん、この連理さんに連れてきてもらった」

 ツンツンと私の肩を突きながら、浮草が私を示して名前を出した。

「そうなんだー。どうもー」

「あ、どうも」

「ライブ楽しもうねー」

 私の年齢を知らないからか、それとも小さい子に見えたのか、緩く話しかけてくれた。

 浮草と桜蓮さんの共通の知り合いなら、Lotusのメンバーなのだろうか。どこかで見た気がしないでもない。

 Lotusは人数が多い。私はメンバー全員を把握しているわけではなかった。


 隣のお客が緩い子に変わり、少し気が楽になった頃ライブが始まった。いつもの睡蓮のトークが始まる。

 今日も寒いねー。さむーいと応えるオーディエンス。あったまりたいかー。あったまりたーい。じゃあ帰って寝てろー。ひどーい。

 基本馬鹿にしてくる。ファンはマゾヒストな気質の人が多いせいか、言われていつも喜んでいる。それでも皆笑顔だった。睡蓮の妙な魅力がそうさせてしまう。

 屋外のスポーツ施設だけあって風が強い。最初は寒かったけれど、時間が経つにつれて人の多さによる熱気で平気になっていた。

 睡蓮も汗をかいているようだ。たまに動作に合わせ、指先で目元の汗をピッと拭っている。

 ちらりと桜蓮さんの様子を見た。頭を揺らしながらリズムに乗っている。他のお客さんのような大袈裟な動きはしないけれど、ライブにどんどん引き込まれているのだろう。

 私も睡蓮に集中しなおした。元気な声を聞いて温かい気持ちになった。誰彼構わず自慢したくなる。私は二人で食事に行く仲なんだぞと。

 楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。最後の一曲が終わり、アンコールの声が響いた。Wildflowersの四人も浮草も叫んでいた。


 今日は会場設定の都合で握手会がなかった。前回ライブからたった二か月しか経っていないせいか、今回のライブは利率度外視のようだ。本当に、睡蓮の自己満足のためのライブだった。

 凄いなぁ。自分の意思一つで、こんなことを実行するバイタリティと人気がある。これまでの成功実績があってのことだ。

 これだと感じることがあった。こういう自由な活動形態が、他のアイドルからも尊敬と羨望の感情を集めてしまう。だから、彼女に挑戦しようとするアイドルは少ない。勝ちたいと思うのではなく、ああなりたいという思いが積み重なる。

 実際、今の私がそうだった。それでもやらなければならない。気を引き締めて退場する睡蓮を見つめた。

 視界の端に桜蓮さんを捉えた。悔しそうな顔なのに、口元には笑みが浮かんでいた。「さすが」と、呟いているように見えた。

 私の視線を感じたのか、キッとこちらを睨んできた。すぐに目を逸らされたが、口元は笑っているようだった。

 きっと、桜蓮さんも睡蓮のことが大好きなのだ。そして、睡蓮に挑みたいと思う私と、同種の少数派らしい。

 アイドル同士で決着をつけられることと言えば、人気で競い合うことくらいだろうか。睡蓮に勝ちたい、負けたくないという思いをぶつける機会があればいいのに。

 ふと考えがよぎる。人気で競う……か。フェスのような形式で、それぞれが順番に出るのはどうだろう? 複数のアイドルが同じ日に同じ舞台に上がり、順位を競い合う形だ。

 コラボとは違い、順位を決めるコンクールのような形を想定する。定期的に継続開催すれば、前回優勝者のような称号も得られることだろう。

 面白いと思う。睡蓮も一緒に何かやりたいと言っていた。仲よく歌って踊るだけでは物足りない。堂々と決着を付けるイベントで、期間内の集大成を競い合う。

 商業的な側面も考えなければならない。そういう発想は私にはまだ難しい。亜嵐さんに相談し、睡蓮を巻き込み、色んな事務所と協力するイベントを企画しよう。

 きっと、どこかでそういうイベントがあったはずだ。しかし、明確な順位付けをすると、対立を煽ることになってしまう。きちんと考えて企画しなければ、参加者もファンも傷つけるイベントになりかねない。


 思考に耽っていると、糸遊に肩を揺らされた。

「連理ちゃん、連理ちゃん」

「うん?」

「帰らないの?」

「あ、ごめん。考えごとしてた」

 浮草すら心配そうに見ている。感極まって動けなくなったとでも思われたかな。

 既に隣のグループはいなくなっていた。てっきり、桜蓮さんに話しかけられると思ったのに。

 さっきの考えを誰かに話したい。これまでのアイドルの歴史を知る人に教えてほしい。亜嵐さんしかいないだろう。

 いい歳のおばさんだし、瑞香さんの扇子を持ってくねくねと踊っていた。過去のイベント事情にも詳しそうだ。

「連理ちゃーん、帰ろーよー」

「ごめんごめん。行こうか」

「さっきからそう言ってるよー」

 糸遊に引っ張られて立ち上がり、ライブ中は切っていたスマホの電源を入れた。

 メッセージアプリに着信履歴が並んでいた。この数分で十件以上、全部睡蓮だ。

 鬼電話が過ぎる。やばい彼女じゃあるまいし……。呆れつつも、電話を折り返してみた。

『連理ちゃんに嫌われた連理ちゃんに嫌われた連理ちゃんに嫌われた連理ちゃんに嫌われた』

「こわいよ。電源切ってただけなのに」

『嫌われてない?』

 甘えた声で質問してくる。その声はずるい。思わず立ち止まってしまう。

「ごめん、周りがうるさくて聞こえなかった」

『もういいよ。控室まで来て』

 それだけ言うと、睡蓮は一方的に通話を切った。

 控室? ここの控室ってどこなんだろう?

 キョロキョロと周囲を見て、手近な案内板を見つけた。

 スマホにメッセージが届く。施設の地図の画像に赤い丸がついていた。案内板で現在地を確認し、どこを通ればいいのか目星がついた

 五人にはどこかで待っていてもらおう。近くにいた凌乃に声をかけた。

「ちょっと睡蓮のところに行ってくるからさ、適当なお店見つけてみんなで食べててよ」

「らじゃー。睡蓮さんによろしくね」

 改めて、スマホで控室の場所を確認する。こう広いと迷子になりそうだ。


 地図通りに行くと、部屋の前でマネージャーさんと木蓮さんが話していた。

「お、来たね」

「うちの我儘娘がすみません」

 敏腕と噂の女性マネージャーだ。Lotusにいた頃の木蓮さんもお世話になっていたらしい。

 こりゃどうもと頭を下げると、すんなり控室に入れてもらった。

 Tシャツに着替えた睡蓮が目元にタオルを置き、仰向けで椅子にぐったりしてる。

 凄いバランスだ。両足がつっかえ棒になっている。これがアイドルの究極の休憩体勢か。

 馬鹿なことを考えながら、音がしないようにそっとドアを閉める。よしよし、まだ気づかれていない。

 さっきの仕返しに、そっと睡蓮の耳元で囁いた。

「睡蓮のこと、嫌ってないよ」

「わおわあああああー」

 睡蓮が転びかけたので、慌てて抱きかかえた。上半身だけのお姫様抱っこ状態だ。

「びっくりしたぁ」

「おつかれさま。今日は元気そうだね」

「もー、脅かさないでよねー」

 改めて睡蓮が椅子に座り直した。

「さっきはあんなに甘えた声出したくせに」

「本当は『連理ちゃんに嫌われた連理ちゃんに嫌われた』って呟きながら待ってるつもりだったんだよ。あーあ、計画失敗」

 嫌なネタ晴らしだ。先手を打てて本当によかった。

 ちょっとふざけた会話でもしようと思ったその矢先、コンコンとノックする音が聞こえた。

 急用だろうか。外が少し慌ただしい。睡蓮の返事を待たずにドアが開いた。

「お疲れ、睡蓮姉さん」

「桜蓮? ちょっとー、今連理ちゃんと話してるのに」

「ああ、連理さんもいたんですか。ライブはもう終わりましたよ」

「終わったからここにいるんだよ」

 皮肉な言葉に、つい言い返してしまった。

「何か用事?」

 睡蓮の問いかけにすぐには答えず、桜蓮さんは私と睡蓮を見比べた。

「ちょっと顔見にきただけ。ライブよかったよ」

「そりゃどうも。ノックしたんなら返事待ちなさいよね」

「はいはい。じゃ、連理さんもまた」

「あ、はい」

 すぐに出て行ってしまった。

「いつもああなの?」

「最近そうなんだよねぇ。反抗期かな」

「観客席でもさ、近くだったから声かけられたんだよね」

「身内用に連番で取っちゃったからね。ごめんね、何か言われた?」

「糸遊に助けられて、黙らせてあげたよ」

「さすがだねぇ、糸遊ちゃんは」

 糸遊への睡蓮の評価が高いことに嬉しくなってしまう。ごまかすように質問で返した。

「そういえば用件は何だったの?」

「んー。この後何もないから、労いの言葉をいただきたいなって思っただけ」

「それで呼びつけたんだ」

「だから、さっきネタ晴らししたじゃん。あれやりたかったの」

 本当にしょうもない。

「はいはい、嫌ってないよー好きだよー」

「あー、もっと言って。肯定感凄い。もっとちょうだい」

「我儘娘、ライブジャンキー」

「そういうのじゃない」

 調子に乗る睡蓮を小突き、睡蓮の頭に手を置いて本音を伝えた。

「元気そうでよかったよ。二か月でよく頑張ったね」

「うん。ありがと。料亭のご飯が効いたね」

 さっき考えたイベントのことを話したくなったけれど、ライブ終わりの睡蓮を疲れさせたくなかった。また今度、亜嵐さんに相談してから伝えたらいいだろう。

「次のライブは?」

「一応、二月予定かなー」

「その前に、Wildflowersも一回はライブできるかなぁ」

「もうマネージャーじゃないんでしょ?」

「そうだよ。それでも職員ではあるからね」

「バイトなのに熱心なことだ」

 ついついライブのペースで張り合わせたくなるが、あの子たちはまだまだ新人だ。経験は多く積んだ方がいい。

 今頃あの子たちも、睡蓮に触発されていることだろう。自分たちのライブを考えている頃かもしれない。

「そのWildflowersの子たちはもう帰ったの?」

「遅くなりそうだから外食して帰ることにしてるの。そのお店探しを任せて先に行ってもらったよ」

「ご飯の話聞いたらお腹空いたー」

「一緒に来るわけにはいかないよね」

「残念ながらね。会場近くで食べてるのがバレたら大ごとだし。何かあったかな」

 冷蔵庫に向かう睡蓮は、緩い服装のせいで深夜に食べ物を漁るOLのようだ。

「うわー、ゼリーしかない」

「運動の後だしちょうどいいでしょ」

「まあそうだけどさ、やっぱり足りないよ」

 それでも美味しいと言いながら平らげた。今度は私のお腹が空いてきた。

 スマホがポケットの中で振動する。凌乃からのメッセージを開いた。店が決まったらしい。

「じゃ、そろそろ行くね。明日も予定あるから、遅くなれないし」

「はー、連理ちゃんも忙しいんだね」

「睡蓮は今日一日ぐっすりかな?」

「気が昂って眠れないかも。わざわざ来てくれてありがとうね」

「うん。じゃあ、またね」

 退室してドアを閉める。部屋の前にいた二人にもお礼を言い、来た道を小走りで戻った。


 控室から出て一つ曲がった角、そこでスマホを確認する。イタリアンレストランに入れたみたいで、頭に料理が浮かんできた。

「ずいぶん話し込んでましたね」

「おおー? 桜蓮さん?」

 本日三度目の邂逅だ。強引な様子は相変わらずだが、少し申し訳なさそうな態度に見える。情緒不安定なのだろうか。

「今はお時間大丈夫ですか?」

「ごめん、お店取っちゃってるんで行かないと」

「いつになったら話せるんですか」

 この様子だと長くなりそうだ。他に都合をつけないと、解放してもらえそうにない雰囲気だ。

「うーん、じゃあ……」

 約束を取りつけて、連絡先を交換する。やけに嬉しそうな様子が意外だった。

 ついでに呼び捨てでいいと言われ、少しだけ距離感が縮んだ気になった。

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