23歳16_Invisible scars
出勤時間の一時間前、浮草の勤める純喫茶で瑞香さんと待ち合わせた。
レッスンの時間は動きの話に集中したかったのと、たまにはいいコーヒーでも奢って感謝を示したかった。
瑞香さんがやってくる。一緒にブレンドを注文した。瑞香さんはミルク入りだ。
「どうしたの?」
「うん、瓦先生にアポが取れて日程相談したくて。それと、たまにはこういうお店のコーヒーでご機嫌取りね」
「アルバイトなんだから無理しなくていいのに」
「貯金はたんまりあるからね」
浮草がピクリと反応した。金に反応したようだ。
「それで、土曜日が睡蓮のライブでしょ。翌日の日曜日に来ないかって瓦先生が言ってくれたんだけれど、瑞香さんの予定はどう?」
「いいよ。私はライブ行かないし、ついていくって約束したしね」
また俳優さんたちと会えるかなーと呟いて、瑞香さんは楽しそうだ。
猛スピードで浮草がにじり寄ってきた。
「瓦先生って剣戟の人ですか!?」
「浮草ちゃん? どこから湧いて出たの?」
「私のバイト先ですよここ!」
そうだったんだと、瑞香さんがすっとぼけている。店主から働けという声が飛んできた。
本当に、ここのやりとりは聞いてて楽しいなぁ。瑞香さんからバトンタッチして答える。
「簡単に説明するね。以前、私が剣戟の先生に誘われたことがあって、剣戟の訓練を受けるのも練習になりそうだから、改めて相談を持ち掛けるところ」
「ずるい! 私も行きたい!」
瑞香さんが驚いて反応する。
「なによその熱意。凄く意外なんだけど」
「睡蓮さんの演劇みて私も興味持ったんですよ。ああいうのいいなぁ、剣で他のアイドルぶっ叩いてやりたいなって」
叩くという表現なだけマシなのだろうか。とんだ危険思想だ。
「そういう考えなら連れていけない。本気の人たちだからね、そういうこと言うと怒られるよ」
「冗談に決まってるでしょ。興味があるのは本当。お願い、連れてって!」
浮草は「お願い!」と両手を合わせて、前かがみになる。可愛いポーズだ。
瑞香さんに問いかける。
「どう思う?」
「私はいいと思うよ。私が行くのもお勉強を兼ねてのことだからね。糸遊ちゃんや凌乃ちゃんも行きたがるんじゃない?」
大人数で押し掛けるのはどうかなぁと思う。それに、ライブの翌日だから余韻に浸りたいとか、そういう気持ちにならないのだろうか。
正直なところ、私は瑞香さんを理由に後回しにしたかった。最近は土日もあっちこっちに行っている。少しゆっくりしてもいい気分だ。
ただ、浮草を含めて数人連れて行くとしても、細かい話は私と瑞香さんが瓦先生に相談するだけだ。その間、見学は別に動かせてもらう。それならあまり迷惑はかからないだろうか?
瑞香さんに考えを伝え、反応を待った。
「んー、改めて考えたら見学自体できるかわからないでしょ? 人を増やすなら、ちゃんとしたアポを取った方がいいと思うな」
香り高いミルク入りコーヒーを、瑞香さんは美味しそうに啜る。のほほんと見えて本当に頼りになる人だ。
「それに、このお願いポーズ解かせないとお店に迷惑でしょ」
鍛えられた体幹を活かし、浮草はずっと同じポーズだ。
いい鑑賞物と思ったので、もう少し置いておきたかった。カウンターの中から店主も無言でじっと見つめている。
浮草の足がぷるぷるしてきた。限界が近いようだ。
「じゃ、相談してみるね。人数増やすなら別日がいいか、そもそも見学を受け付けているのかどうかも」
「なにとぞぉー! なにとぞお願いします! 連理お姉さん!」
お姉さん?
お姉さんと呼んでくれるのならば仕方ない。快く交渉はしてあげよう。
ただ、なにとぞに合わせ、こっそりポーズを変えたのは見逃さない。足を上手いこと動かして転倒を回避したようだ。
話はまとまった。一つ伸びをした瑞香さんがショーケースを眺め、こちらに向き直った。
「ね、特選プリン頼んでいい?」
「この間もケーキ食べたのに?」
「それはそれ、これはこれ。店員さん、プリンお願いね」
「はーい、プリンいっちょー」
「あ、私もお願いね」
思わず便乗して注文してしまった。
「追加でもういっちょー」
「うちを居酒屋にしたいの?」
鋭い店主の声に、浮草は一切ひるまない。凌乃よりもこの子の方が、礼儀を知るべきなのではないだろうか。
お寺修行のことも考えながら、しっかりとプリンを堪能する。硬めの仕上がりでとても美味しい。愉快な店員もいるし、いいお店だ。
カウンターからは、店主と浮草のコントのような会話も聞こえてくる。
「よくわかったよ。君はパントマイムの才能があったんだね」
「そうですかぁ? じゃあ昇給しませんか?」
「いや、時給五十円くらいで外に立つのはどうだろう」
「死んじゃいますよぉー」
「動かなければ、生きてても死んでても同じだろう」
「人でなしじゃないですか!」
本当に面白い。五十円という単語で、瑞香さんがむせてしまった。
しかし、この浮草の調子は私が来た時だけなのだろうか。だとしたら、店主に私が迷惑客と思われていないだろうか。
帰り際、申し訳なくなって店主に尋ねた。浮草はいつもああなのかと。
「あなたが来る時以外もああだから、気にしないでいいよ」
よかった。本当によかった。浮草のせいで美味しいコーヒーを飲めなくなるところだった。
「よかった、また来ますね」
ああ、行ってらっしゃい。と見送ってくれる。瑞香さんもいいお店だと喜んでくれた。
事務所に歩いていると、瑞香さんからも相談を持ち掛けられた。
「あのね、その、連理ちゃんのお師匠さんなんだけど」
「どうかした? 説教する?」
スマホをすちゃっと取り出す。準備万端だ。あの人への苦情ならいつでも言える。
「連理ちゃんはどうせ言い負けちゃうでしょ。そうじゃなくて、ずっとお名前聞けてないんだよね」
取り出したスマホを落としかけた。一体、何か月経つと思っているのだ。
「え、ていうかメッセージやり取りしてるよね。連盟のサイトは見てないの?」
「直接話せるのにサイトは見てないよ。メッセージはやり取りしてるけど、アカウントのアイコンも師匠って書いてあるから質問しづらくて」
「それが本名だよ」
「はい?」
「師匠と書いて『もろ、たくみ』」
「何で教えてくれなかったの?」
「いや、読める範囲の名前でしょ。大体、名前のアイコンで師匠だったら本名だって思わない?」
「思わないよ。連理ちゃんがずっと師匠師匠言うから、そういうあだ名にもなってると思っちゃったじゃない!」
私に言われてもなぁ。師匠も「お師匠さんは」なんて言われて楽しんでそうだし、別にいいと思っていた。
もろ師匠なんて呼ぶと「師師匠」になって誤字っぽいし、下の名前で呼ぶのは気持ち悪い。
そして浮かれる瑞香さんも気持ち悪い。「あぁー、師さん。いえ匠さん、素敵」じゃないよ。勝手に思い込んでいただけじゃないか。
「師匠のこともいいけれど、レッスンとアポ取った時の相談もちゃんと頼むよ」
まるで聞いちゃいない。名前一つでこんなに喜ぶなんて、瑞香さんも案外単純なものだ。
年末で二十九歳、年が明けたら数えで三十歳になるくせに。
「この間、練習生を呼ぶって言ってたけど、それって何か聞いてる?」
レッスン場で一緒に準備運動をしながら、それとなく話しかける。ふとした疑問だった。
「そんなことも言ってたねー。私も知らなーい」
瑞香さんは身体が柔らかいんだよなぁ。私も割と柔らかい方だけれど、瑞香さんはそれ以上に柔軟だ。
「内々のこともだけど、そろそろ外との交流も考えたいって言ってたし」
「外?」
「ああ、別のアイドルのことね。Wildflowersの子と勉強で色々とDVD見てたでしょ? ああいう規模のライブができるアイドルと、いつか関わって勉強しようって話」
「へぇ。業界の先輩のいびりを味わえるんだ」
「案外素朴な子が多いんだよ。性格の悪さを上手く隠せる子なんて、本当に一部だけだし。話すと共感できる子がほとんどだから」
身近で参考になるのは、浮草くらいか。Wildflowersの四人には、家族としてのバイアスがかかってしまう。
「浮草と比較したら?」
「あの子はあの子で素直でしょ。最初、猫被ってただけで」
「あれは素直って言うのかねぇ。欲望に忠実って気がするんだけれど」
「あはは、確かに。そっちの方がしっくりくる」
準備運動が終わった。よし、やるか。気合を入れて瑞香さんに向き合った。
「じゃあ体幹からねー。その辺にクッション置いといて、倒れるまでね」
「それは?」
「アイマスク。暗闇で片足立ちしてもらうよ」
ふーん、別に関係ないでしょ。そう思っていたことを、すぐに後悔することになる。
転ぶことへの恐怖もさながら、体勢を維持できているのかという不安も増幅される。
何秒経過ーという声がなければ、瑞香さんが近くにいるのかどうかもわからない。
声に安心すると同時に、驚きも生じる。そのせいで、体勢を崩しかける。
上手くいっても一分半。それぞれの足で棒立ち状態だったり、これまでの体幹トレーニング用のポーズだったり、沢山のパターンで試された。
「やっぱり連理ちゃんは凄いよ。今後の体幹トレーニングは、全部アイマスクありでやるからね」
「これ、凄く恐いね」
「これだけできれば上出来だよ。本当、どんなトレーニングして生きてきたの?」
「木と岩と鉄をぶっ叩いて蹴った。あとは走りまくった」
「なんかぐろい」
「その結果が、この手足だけどね」
改めて見ても、我ながら傷だらけだ。引っ越した時に鉄板と防音室を処分してからは、赤い生傷はつかなくなった。
「前は将棋で辛い世界って言っちゃったけど、それ以上に辛いことでもあったの?」
「気づいたら習慣化してたんだよね。訓練のつもりだったから」
本当は別に理由があるけれど、今は話す気になれなかった。いずれ瑞香さんだけでなく、糸遊たちにも話す機会が来るだろう。
夜の部になる前の空き時間に、レッスン場で瓦先生に電話をかけた。
「先日のアポ通り伺いたいのですが、何人か見学に連れていってもいいですか?」
『きゅーさんのことだから、将来有望な女の子ばかりなんだろ』
「はい、それはもう」
『いいぞ。昼過ぎには始まるからな。見学させてる間、でかい姉ちゃんと相談ってのも問題ない』
「ちなみに訓練場は何人くらい出入りされてます?」
『土日は特に多くて、多分二十人くらいだな。撮影の日ならもっといるけどな』
「そうなんですね、わかりました。ありがとうございます」
瓦先生に頼みごとをすると、大抵の場合はNGなしで応じてくれる。ついつい自分の要望が通って当然だと思いそうになるから、甘えないように気をつけなければならない。
学生は十二月に試験もある。ライブ翌日となると、おちおち出かけられない子もいるだろう。
今回は仕事じゃないよ、興味があったらおいでって伝えよう。でなければ、集団心理で行かなきゃいけないと思うだろう子もいそうだ。
浮草は確定枠として、個別に休憩時間に聞いてみよう。同調圧力を与えないようにしたい。
私の場合、将棋の研究会やお食事のお誘いも同調圧力を疑って、反発するように全て断っていた。
将棋道場に行って思いだしたことだ。もっと人と関わればよかったと、今になって後悔している。私の人生の失敗談だ。




