23歳14_Invisible scars
ロケの予定が翌日に迫っていた。
私が担当する結葉と糸遊は、前日の緊張感もなく落ちついた様子だ。
行先で作られている木工作品は、日用品から観賞用のオブジェなどが中心で、大きいものだと箪笥もあった。
レッスンの休憩時間に体験教室のパンフレットを見ながら、結葉が珍しく興奮気味に目を輝かせている。
「こういう箪笥、憧れるなぁ」
「結葉はそういうの好きだもんね」
「うん、好きー」
結葉がにへらと笑う。朗らかな笑顔につられて、私まで笑いそうになる。糸遊は将棋の関連品がないか探していた。
「新幹線移動だから、あんまり荷物を持って帰れないよね」
「そうだね。何か買おうと思ってた?」
「ううん、いいものがあったらってだけだよ」
「そういうのは郵送してもらいなさい。工房ならそういうのもやってくれるから」
「そうだよねぇ。でも、買ったらすぐ使いたくなっちゃうんだよねぇ」
気持ちはわかる。例えばこのレッスン場にあるような……、あんまりないや。私が普段使ってるかんざしも、そう高いものではないがもらってすぐに使いたくなったものだ。
これはべっ甲で作られているけれど、木製のものがあっても味わいがあると思う。素材そのものの模様、例えば木の年輪とか。それをコーティングして光沢を持たせたりとか、色々加工方法もあるみたいだ。
最近髪を伸ばしている結葉は、ふわふわの髪をゆるい三つ編みにまとめていた。動くたびに髪もよく動く。
昔は天パで悩んでいたのに、今では色んな髪型に挑戦している。美容師さんと相談しているから失敗もない。髪飾りや髪留めを大量にコレクションしているし、中には手作りのものもあって、たまに見せてもらっていた。
可愛らしい趣味を持っている。色々な構想を形にするのに苦労することもあるけれど、楽しんで考えているのが微笑ましかった。
問題はあちらのロケ組だった。
時間の流れを楽しむようなこちらの三人に対し、レッスンの時間に逆らってでも主張をしたがる三人。いや、木蓮さんも混ざって四人であれこれ言っている。
乗馬体験後に馬刺しを食えるかどうかとか、情緒も減ったくれもなさそうな会話だ。聞いていて頭が痛くなる。
レッスン場の主である瑞香さんは、その会話を聞いて呆れて頭を抱えている。あまりのしょうもなさに、レッスン再開の声がかけづらいようだった。
いいんだよ、容赦なく言っちゃって。私への精神攻撃以上にきつく言っちゃえ。そう思いながら観察していると、瑞香さんに動きがあった。
「空気が怪しくなってきた。こっちは真面目なふりしてやり過ごそう」
小声で結葉と糸遊を促した。二人もあちらをチラリと見て、察して頷いてくれた。
立ち上がる二人を見比べた。最初は結葉の方が高かったのに、今では糸遊が抜いたみたいだ。
真面目な様子を演じる。伸びをしながら聞き耳を立てていると、ついに瑞香さんの我慢が限界を迎えた。
「いい加減レッスン再開するよー! おーい、ジャリ共聞けや!」
思わず二人に聞いてしまう。
「あの人元ヤンだったっけ?」
「糸遊は元アイドルって聞いてるよ」
「余計なこと言わないの。目をつけられちゃうよ」
結葉の制止で踏みとどまる。この小声の会話も怒りの対象にされかねない。
私が見たアイドル姿の瑞香さんは二十を過ぎていたし、過去に彼氏がどうこうとも言っていた。
実は凄くヤバい人なのかもしれない。元カレが不良だとか、暴走族だとか。だから、あんなに精神攻撃の言葉がぽんぽん出てきたんだろうか。
わーわーと逃げ回る三人と、それを見て大笑いの木蓮さん。瑞香さんはその木蓮さんの頭を扇子で叩き、「あなたもよ」と説教を始めた。
こちらの真面目ちゃん作戦は大成功だった。
浮草は完全に四人と打ち解けていた。凌乃ともよく話をしている。
ダンスは勿論、歌のための肺活量なんかで競い合っている。どっちの方が長く声が出ていたとか、大きかったとか些細な言い合いをする関係だ。
そして裁定者に采女が選ばれる。公平なジャッジに定評があった。
さっきも、大きな動きと雑さの境目で言い合っていた。体力は凌乃が上、技術は浮草が上。いいライバル関係だと思う。
そんな二人が采女の歌と踊りに一目置いている、というのがまたいい関係だ。体力は少し足りないけれど、私に次いで小柄な身体なのに伸びやかに動く姿は綺麗だった。
「ああいう動きができれば綺麗に見えるよ」
私も瑞香さんにそういう指摘をよくされていた。
今日は結葉の誕生日。ロケ前日で慌ただしいけれど、事務員さんの協力でオフィスにケーキが用意してあった。
レッスンを早めに切り上げて事務所に戻る。主役の結葉はニコニコ顔だ。
レッスンがあまり進まなかったことに瑞香さんは不満そうだったが、お祝いになると切り替えてくれた。
毎日のように通ってくれていた頃、一緒に料理したり、お洒落の話をしたり、いっぱい親密な関係のあった結葉と瑞香さんだ。
仲のいい二人が並んでいる。見比べて、時間の残酷さを思い知る。丁度一回り違いの年齢差だった。
瑞香さんと目が合った。どうかしたと言わんばかりに、無表情で小首を傾げてきた。何でもないよと口パクで返した。まるで考えを読まれているような恐怖感を覚える。
木蓮さんが先導してケーキを八等分する。人数は八人でピッタリだ。そう思ったら、違った。
社長室から亜嵐さんが出てくる。ケーキを見て、「いいな」と笑っている。亜嵐さんの分はなかった。
「そ、そうだな。ああ、わかってる。若い奴で楽しんでくれ」
亜嵐さんはしょんぼりとしながら事務所から出ていった。ボーナス抜きとか、物騒なことを呟いていた気がする。バイトの私には無縁な話なので、軽く聞き流しておいた。
ただの冗談だろう。亜嵐さんなりの気遣いだ。瑞香さんと木蓮さんは、そんな事を言って気にしていない風を装っていたが、そのあとの会話がぎこちなくなった。
アイドルにとって体型維持も仕事の一つだ。食前のケーキはあまりよろしくないというのに、みんなぺろりと平らげてしまった。
いつもなら楽しくおしゃべりする週末の夜。しかし、明日はロケが控えている。年長者の瑞香さんから解散が伝えられた。
追い出されるように事務所から出て、Wildflowersの四人と歩いて帰宅する。
のんびりと四人の姿を眺めながら歩いていると、凌乃が歩調を落として横に並んだ。
「連理さーん」
「はいはい」
「明日道場行けないからさ、明後日行っていいよね」
「ちゃんと連絡しておけば大丈夫でしょ」
「はーい。今電話しておこっと」
すぐにスマホを取り出すと、凌乃は周囲を気にするでもなくいきなり話しはじめた。
「あ、もっしー凌霄花でーす。ノー前科? 前科ないわ。明日なんですけどー」
この子はいつもこんな感じで話してるのだろうか。ノー前科は初めて聞いた。
「オッケーだった」
「凌乃は少し礼儀を学ぶべきだね。教えてもらう立場なんだから」
「う、気をつけます」
一生懸命なのはいいことだ。しかし、礼儀を失しては本人のためにならない。
このままではいつか、痛い目を見るかもしれない。どこかのお寺さんにでも修行に行ってもらおうかな。
私や糸遊とはタイプが違う。基本は真っ向勝負で性格も明るい。カリスマ性もあるのだろう、常に話題の中心にいる子だ。
いつも軽い感じなのは、周囲が厳しく言わないからだろうか。私がもう少し言うべきだったことかもしれない。
「何考えてんの?」
「凌乃のことよ」
「あたし? そんなにさっきの悪かった?」
不安になっている様子だった。萎縮させる目的ではないので、話を聞きだしてやんわりと伝える。
「凌乃は友だち多いでしょ?」
「うん、まあ結構いるね」
「いつもあんな感じ? 凌乃も周りも」
「そうだね。肩肘張らない関係と思う」
「それはいいことだね。でもね、今後大人と関わる時、失礼な奴って思われたら損するよ」
大人かぁと呟く。
「ファンの人とか?」
「そこは切り替え。ファンはそのキャラが好き。それ以外の大人は、礼儀正しい凌乃を見た時どう思うかな?」
「ギャップにメロメロになる?」
「まあ、そういう考えもあるね。そういうの目指してみたら?」
「わかった。明日からやってみる」
元々気遣いのできる子なのだ。見た目の綺麗さの割にフランクなキャラというのもいいが、それに加えて礼儀正しさを手に入れたら評判はうなぎ上りだろう。
「連理さんもそういうことあった?」
「私はいつも礼儀正しかったよ」
「怪しい」
「子供の頃は慇懃無礼って言われたけどね」
「いん、なに無礼?」
「いんぎんぶれい。表向きは礼儀正しいのに、内心見下してるように思われること」
「あーうん、冷たい感じの人ね」
大雑把に言えばそうだろう。頷いて昔を思い返した。
「あたしとは真逆だ」
「そうね。凌乃は基本そのままでいいんだよ。礼儀正しさを覚えて、武器にしちゃえばいい」
「そう簡単にできるかな」
「お寺修行にでも行ってみる?」
さっきの思いつきだった。道場主なら、もしかするといい宛てがあるかもしれない。
「滝に打たれたりするあれ? この時期にやったら死んじゃいそうだよ」
「座禅体験コースなんかもあると思うよ」
「んー、連理さんも行くなら行く」
「考えておきましょう」
「うわ、行かないやつだ。ずるーい」
礼儀を正すためにお寺修行。古典的な考えかもしれない。ただ、やってみなければよさも悪さもわからない。
「じゃ、行く時は采ちゃんも拉致しないとね」
「そうね、連れてっちゃって」
「呼んだー?」
前を歩く采女が振り返るが、何でもないよと言ってごまかした。
翌日、ロケ出発前。車移動の二人は事務所へ向かい、私たち三人は直接駅へ向かった。
出発報告のメッセージを木蓮さんに送る。あちらも合流完了という返事が届き、これで安心して出発できる。
事前に発券予約をしていたので、新幹線には簡単に乗れた。便利な世の中になったものだ。
高速で移り変わる景色に、結葉も糸遊もじっと見入っていた。
私より背の高い二人がそんな様子だから、通路際の私が窓から見えるのは空だけだった。
代わりに天井の棚をぼーっと見あげる。あっちの四人は、今頃車の移動でわちゃわちゃとしていることだろう。
昨日のうちに凌乃と話せてよかった。具体的にどういう改善をすればいいか、そこまでは伝えられていない。それでも礼儀を意識できれば、同行する三人も出先の相手も一目置いてくれるかもしれない。
ただ、そう簡単にはいかないだろうなぁ。ちょっとやそっとで礼儀は身につかない。私も躾をされて、意識を改めて、失敗を繰り返して身についたものだ。今だって完璧かと問われると、未熟な部分があると答えてしまう。
せっかくの小旅行なのに、小難しいことばかり考えてしまった。気分を改め、久々に詰将棋の本を開いた。
移動中の暇つぶしになるものはないかと、部屋を漁って見つけた一冊だ。
昔はよく解いたものだ。ページを捲り、記憶として焼き付いている答えを黙読する。それでも読んでいて楽しかった。
車内に音声アナウンスが流れた。隣の二人はそれぞれ、スマホで将棋を指したり、本を読んだりしている。ロケ前だというのに、リラックスしている二人に頼もしさを感じた。
私も詰将棋に意識を戻した。言葉が少なくても、心地よい移動の時間になった。
駅からは番組関係の車で移動になった。
糸遊の声がいつもより大きい。緊張している時の昔からの癖だ。ただ、普段の様子を知らなければ元気のいい子の範囲内だろう。今もそんなに極端な大声ではなかった。
結葉は礼儀正しく、ゆったりと挨拶している。それだけにもう片方のロケ組の三人が心配になった。
いや、浮草は心配いらないかな。面の皮の厚い女だし。
現地に到着すると、工房主の息子さんが出迎えてくれた。
実質二代目ということで、今は工房主を名乗っているらしい。
私は面識があった。奨励会時代に対戦し、思いきり負かした相手だ。パンフレットの名前を見て気づいていた。
どういう顔をされるかなと思った。もし私を見ても、覚えていなければそれでよし。私を見て態度が悪くなったら最悪だ。当時の私は慇懃無礼の嫌味なチビだった。
「九さんって、あの?」
「覚えていらっしゃいますか」
「そりゃもう。いやぁ、お久しぶりですね」
ずいぶんと嬉しそうに話してくれる。よかった、嫌われてはいなかったようだ。
「最後の対局も見てましたよ。まさか、こんな形でお会いできるなんて光栄だなぁ」
「あの放送は、その、あまり思いだしたくないのですが」
「ははは、色々やってましたもんね」
予想以上の好対応に話が弾む。おっと、お仕事に来たんだった。小さく咳払いして場を改めた。
「すみません、この子たちの紹介を」
「いかんいかん、憧れの人の前で舞い上がってしまいました」
私を立ててくれる、いい人だ。結葉と糸遊の挨拶に、朗らかに対応してくれた。
番組スタッフからも名刺の受け渡しがあり、私も持ってきた名刺を渡した。今はバイトだけれど、社員の頃のものを流用していた。
ただの連絡先の交換用だ。渡す際に、「今はアルバイトですが」と言うと変な顔をされた。
撮影前に工房内の紹介が始まり、色々と見せてもらった。マネージャー冥利だ。以前も何度か、正規のマネージャーとしていくつかの現場に行ったことがある。いつも感心させられるものがあった。こういう経験は貴重だと思う。
すぐに撮影が開始された。簡単な工房主とアイドル二人の挨拶から始まり、本格的に撮影開始だ。
工房主の説明に、クラフト好きな結葉は素直に感動している。そして、暴走してあちこち一人で回りはじめた。仕事を忘れているが、いい方向のズレ方だった。最初はそう思ったのに、スタッフの指示も耳に入らないくらい熱中してしまっている。
色々と会話を求められるが、結葉は自分の世界に入りこんでしまっていた。駄目だこれは。
撮影スタッフが眉をひそめ、次の指示で糸遊に話が振られた。糸遊が頷いて滑らかに話しはじめる。
「わたくしも木工製品には日々触れておりますので、とても興味深い体験です。はい、この細工の中身もとても気になりますね、どういう仕組みなのですか?」
目を疑った。耳を疑った。糸遊が、わたくし? 語尾がなのですか?
「ふふ、分解も簡単なのですね。ええ、触ってもいいのですか? はい、ありがとうございます」
いつものポニテを結葉の提案で降ろし、背中の辺りで緩く結んでるだけ。そのせいで柔らかい印象だった。スタッフの受けもいい。糸遊メインでどんどん撮影が進む。
今日は結葉に任せる部分が多くなる。そう思っていたのに、これは何だ。結葉はあっちこっち勝手に見回ってスタッフに止められている。その分、いや、それ以上に糸遊が上手く対応している。
前半の撮影が一通り終わり、外で休憩になった。休憩中も、結葉は一人で工房内を動き回っていた。完全に暴走していた。
置かれていた木製のベンチに、糸遊と並んで座って飲みものを取りだした。
「つかれたよぉー」
「しゃんとしなさい」
「今だけ、ちょっとだけ」
ぐてぇと体重を預けてくる。このまま膝枕でもしそうな勢いだ。
いつもと違う髪型を撫でてあげると、へへーと嬉しそうな声があがった。
「はい終わり」
「えー?」
人目がある。甘やかしている姿をあまり見せたくない。
飲みものを片手に、景色を眺めながら休憩した。自然の豊かな土地だった。
スタッフから休憩の終わりを告げられ、体験コーナーへ移動になる。ここでは結葉が輝いた。
機械を扱う時も彫刻刀を扱う時も、余計な力が入らずに楽しそうに手を動かしている。ミシンを扱うのと似ているらしい。
初心者向けの体験コーナーでは、糸遊が上手いことミスしてくれた。自然なミスで演技らしさもない。決まったことは正確にできる糸遊だが、こういう器用さを求められることは練習が必要なタイプだ。その光景がいい撮れ高になったようだ。
何とか形になった。予想以上にスムーズな撮影で、既定のスケジュールより早く終わった。おかげで工房主と話す時間ができた。
「いい子たちですね。アイドルとしてもう人気があるんじゃないですか?」
「いえ、まだまだ修行の身です」
「ご謙遜ですね。ちなみに将棋の方は今も?」
「引退した身ながら、細々とやらせてもらっていますよ。あっちの子、糸遊は弟子に取りました」
「ほぉー。九さんがお弟子さんを? ということは、筋のいい子なんでしょうね」
「最初はパッとしませんでしたよ。ただ、やっていくうちに強みが出てきたといいますか」
通わせている将棋道場でも、アマ中堅から強豪クラスの方には敵わない。とはいえ、まだまだ伸び盛りだ。
「私も大会には出ているんですよ。よろしければ、あの子と一局いいですか?」
工房主さんは私よりいくつか年上で、既に奨励会の年齢制限を過ぎている。とはいえ、そんなアマ強豪は沢山いる。
「是非にと言いたいのですが、撮影の方の車で来ているので」
「では、お時間をいただけましたら、そのあとで駅までお送りしますよ」
「お願いできますか? では、スタッフの方にお話してきます」
結葉はここに住むと言いかねないくらい、ここを気に入っている。もっと見学する時間が欲しいことだろう。
話し合っているスタッフに声をかけ、もう少し見学したいと伝えた。先に引き上げてもらっても構わないと伝えると、あっさりと了承された。
手間が省けて好都合だったのだろう。すんなりと話が進み、工房主を交えて最後の挨拶。糸遊には一度、結葉を引っ張ってきてもらった。放っておいたら挨拶も忘れそうな様子だ。
工房主さんと一緒に車を見送り、手を振る糸遊に声をかけた。
「こちらの方、アマ強豪なの知ってた?」
「そうなの?」
「九さんの弟子と聞いて、是非対局したくなってね。一局お願いできるかな?」
「はい! 強そう、ですね」
失礼な言い方に聞こえなかっただろうか。少しひやっとしたが、工房主さんは気にしていなかった。
将棋盤のある一角に誘導される。工房主さん自作の、大きな将棋盤と駒に糸遊は興味津々だ。
二人が対局前の挨拶を交わす。私も横で見ながら頭を下げた。糸遊をよろしくお願いします。まるで嫁入りに送りだすみたいだ。
気がつけば結葉の姿がなかった。キョロキョロと工房の方を見回すと、木工細工を見ながら一人で興奮していた。




