23歳13_Invisible scars
そのあとも、たくさん話をした。
瑞香さんとの過去の確認、そしてお互いに感謝し合っていること。深夜の晩酌で泣き合ったこと。覗き見した三人へのお仕置き。
私が感情を入れて話す度に、睡蓮はクスクスと笑う。楽しんでくれている。私も楽しい。
引退を決意した時の話になった。引退の時の師匠との会話、どんなことを話したのか聞かれて記憶をなぞった。
「どんなことって、まあ最後のつもりではあったしね。さすがに少し優しかったよ」
「何て言われたの?」
「おつかれさまって。あとは、『引退しても君はずっと僕の弟子だ』って言ってくれた」
泣かされたことを思いだす。今も思いだすと泣きそうになる。あんなことを言われたのは初めてだった。ずっと見ていてくれてたんだと思った。
「嬉しかったんだね」
「うん、死ぬほど嬉しかった。その時だけは、この人の弟子でよかったと思った」
涙をおしぼりで拭う。「この時だけは」ってところで睡蓮は苦笑している。
「そういう関係もあるんだって。引退したからさよならじゃないって、頭ではわかっていたけれど、心にしみて初めて理解できた」
うん、と睡蓮も頷いてくれる。
「だから、改めて宣言しようと思う」
掘り炬燵から足を抜き、正座になって睡蓮を見つめた。
「これから先、色んな人を使ってあなたに挑戦する。私も準備する。勝手にライバルと思うよ」
「受けて立ちましょう」
悠然と笑みを浮かべて答える睡蓮は、王者の風格だった。手に持った扇子が、それをより高めているように見える。
「それと同時に、ずっと睡蓮のファンだからね」
「あーもー、それずるい」
不意打ちをかませた。睡蓮は顔を手で覆った。ぐっとこらえているのがわかる。
少しだけ静かになった。私も煽るようなことは言わない。睡蓮を泣かすと決意したのは、こういう不意打ちを想定してのことではない。
きっと、涙は隠し通してくれるはずだ。
「なんてね」
少しして、口元に笑みを浮かべながら睡蓮は顔を上げた。
目元を拭う仕草を見せても、涙はない。それでこそ挑戦しがいがある。
「私、今、超幸せだ」
「それなら何よりだよ」
コース料理が全て配膳され、最後に和菓子のデザートをいただいた。ごちそうさま。
いっぱい動く私と睡蓮にとっては、まだ入るくらいの量だった。腹八分目だ。
ただ、このくらいの方が気持ちよくいられる。
「あー、美味しかった」
「本当にお金よかったの?」
「大丈夫、臨時収入が入ったから」
「バイトなのに?」
「バイトだからだよ」
「悪いことしたんだー」
「いいことをした結果だよ」
笑って答え、車に乗る前に簡単にネタ晴らしした。預かっていた時の出費、あの子たちのお小遣い。基本的に全部立て替えていたことを伝える。
バイトに借りは作れんと亜嵐さんに言われて、それが最近返ってきた話をした。
「あの人、律儀というか何というか。本当、相変わらずだなぁ」
「そうなんだよね。ただ、隙あらば私の財産のこと調べようとしてくる」
「絶対出資させる気だ」
「たかりだね、たかり」
自分の雇い主を悪く言う。とても気分がいい。
車に乗る。睡蓮のベルトを確認し、ゆっくりと車を動かした。
ラジオで流れていた音楽を聴いた。睡蓮が音に合わせて口ずさむ。綺麗な声だ。
ライブの時の力強さとは違う、流れるような歌い方だ。
「いつかさ」
「うん?」
「連理ちゃんとイベントしたいな」
「できるかな」
「できるよ。そこで思いきり自慢する。こんなに凄い友だちがいるんだって」
「そういうのはいらないかなぁ」
人前で褒められるのは恥ずかしい。
「けちー」
「裏方ならいいんだけどね」
「手伝ってくれた親友の連理ちゃんでーす、って言って引っ張り出せばいいのか!」
「今言ったらだめでしょ、それ」
親友に格上げされた。ちょっと嬉しくてニヤついてしまう。
「あーあ。またやっちゃった。思い付いたこと、すぐ口に出しちゃうんだよね」
「それが、あんなに色々なことに繋がってるんだね」
「うん。スタッフさんとの企画会議でね」
あれをやりたい、これもやりたいという、睡蓮の思いつきが会議の場を混乱させる。容易に想像できた。
スタッフさんが目を白黒させる。意外と練られたプランで安易に否定できない。睡蓮のずるいところだ。
「今度、連理ちゃんも企画会議においでよ。社会勉強とか言ってさ」
「普通、社外秘の話ばかりでしょ? 行けるわけないよ」
「じゃあ、業務提携的なものだったら? 堂々と混ざれるよ」
「事務所単位の、共同イベントなんかだったらなぁ。それなら合法だと思う」
決めるのは私ではない。亜嵐さん、もしくは統括してくれる木蓮さん次第だ。
「一緒にめちゃくちゃな提案してみようよ。みんな凄く困った顔するんだよ。それが本当に面白くて」
「困らせるのが楽しいの?」
だとしたら、とんだわがまま娘だ。
「違うよ。真剣に考えてくれるのがいいんだよ」
真剣か。確かに、真剣は気分がよくなる。些細な提案でも、いいと思えば真剣に考える大人たち。睡蓮はいい環境にいるようだ。
周囲が真っ暗な中、睡蓮の家の前で停車する。車を降りた睡蓮が、窓から話しかけてきた。
「今日はありがとうね。楽しかったよ」
「私も楽しかった。また、どこかに行こうね」
「そうだね。今度は明るい時間からドライブとかしたいな」
「私も忙しくなるし、何より、睡蓮にそんな時間ができればね」
「できるよ。お互いお金あるんだし。多少のわがままは通せるよ」
うししと悪そうな笑みを浮かべ合う。嫌な奴同士の会話だった。
「じゃ、おやすみ」
「うん、おやすみ。……あ、そうだ睡蓮」
歩き始めた睡蓮に、窓から声をかける。
「なーにー?」
「寂しいとか退屈だーって感じたら、深呼吸だよ」
「深呼吸ー?」
「そう、ゆっくりーゆったりーだよー」
「わかったー」
睡蓮ならそれだけで伝わるだろう。
門が閉まるのを見届け、車を出した。
帰宅はだいぶ遅くなってしまった。泣いたり笑ったりしたけれど、とても楽しかった。笑顔で玄関のドアを開ける。
「よーよー姉ちゃん夜遊びかい?」
「そうだよ」
風呂上がりの凌乃に絡まれた。
「すぐお風呂入れそう?」
「いんや。結ちゃんがまだだよ」
「そっか。じゃあ手だけ洗っちゃうね」
手洗いとうがいを済ませる。そして、リビングに行く前にコップにお水を注いだ。
コップを手に、将棋盤の前に座っている糸遊の向かいにどっこいしょと腰を下ろす。
「ただいま」
「おかえり、連理ちゃん」
「並べてたんだ?」
「うん。この間の、連理ちゃんが道場で指してたやつ」
棋譜を書かせていた対局だ。記憶だけを頼りに再現している。
こちらを見ずに、糸遊が口を開いた。
「すっきりした顔してる」
「わかる?」
糸遊なら不思議ではない。視野が広く、察しのいい子だ。
「楽しかったんだね」
「そりゃもう、大親友になったからね」
「それは嘘」
「はい、友だちです」
「うん、距離感は大事だよ」
本当に鋭い。風呂上がりの糸遊はいつものポニテじゃない分、目尻が下がって本来の柔らかさのある顔だった。
「糸遊はなんで、いつも髪結んでるの?」
「うーん、それが普通になってるだけかなぁ」
「他の髪型も試してみない?」
「切るの?」
「ううん、色々結んでみるだけ」
「似合わないと思うよ」
「えー、試してみたいのに」
「連理ちゃんこそ髪ずっと長いじゃん。色々やってみればいいのに」
「私はかんざしのオンオフで充分なの」
「私もポニテで充分だもん」
お互い、違う髪型にするのは抵抗がある。普段から髪型を変えない私たちにとって、そういう変化は勇気がいることだ。
凌乃や結葉は、頻繁に髪をいじっている。結ぶところを変えたり部分的に編んだり。お洒落好きな女の子の研究って感じで変化を恐れない。
采女はもうショートカット一本で自信満々だ。ああいうひねた性格な割に、案外ド直球な髪型が変わらない。そして凄く似合ってた。
「じゃあ今度、お互いの髪を凌乃と結葉にいじり倒してもらおうか」
「えー、連理ちゃんだけでいいよ」
「糸遊の違う髪型がもっと見たいの」
「やーだ」
「見たい見たい見たい」
「今日の連理ちゃんめんどくさい」
「糸遊のケチ!」
不貞腐れて横になる。あー、いい気分だ。楽しく過ごせて浮かれてしまった。あんまり浮かれていると、糸遊の邪魔になってしまう。
上半身を起こして水をゆっくり飲み、深く深呼吸する。ゆっくり、ゆったり、長く長く。
何度か繰り返して頭が切り替わった。浮かれるのはもう終わりだ。
「遅くなっちゃったけれど、一局指す?」
「うん!」
よしよし、やってやろう。糸遊も、私の切り替えを待っていたようだ。
大きく伸びをして気合を入れる。直前まで私の棋譜を再現していたのだ。遠慮はいらないだろう。
水を飲み干し、髪をまとめた。
「よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
お互いに深く一礼した。とても気持ちのいい挨拶だった。




