23歳9_Invisible scars
最近、本格的に寒くなってきた。空模様の怪しい日が続く。
十一月末に睡蓮のライブが予定されていた。前回の規模の半分くらいで、チケットは残り少ない。
次回の会場がスポーツ施設なのは、前回ドームの余韻が消えない睡蓮たっての希望だという。
将棋道場も行きたい、そのあとで買い物したいという糸遊のお願いに応じた。
将棋道場に行くのは、糸遊を通わせる時に挨拶した時以来だ。
久々に顔を出すのもいいだろう。急に行って迷惑がかかるような話題性は、今の私にはないはずだ。
糸遊が練習している間、他の子どもと指して刺激をもらうのもいいかもしれない。そんな気持ちで気軽に訪れた。
「こんにちはー」
元気よく、しかし程々に声を抑えて糸遊が席主さんに挨拶する。続けて私も、ご無沙汰しておりますと挨拶する。
「おお! あんた久しぶりだな」
「すみません、なかなか顔を出せなくて。今日は時間があるのでお邪魔させていただきました」
「いやー、助かるよ。みんな喜ぶから相手してやってくれ」
ぱっと見では、いつも不機嫌そうに見えるこの席主さん、実はアマ強豪でもある。
席主さん。将棋道場の主の方を呼ぶ言葉。プロがやる道場もあるが、ここはこの方だ。
糸遊は友だちと話している。競い合う間柄とは言え、同年代で共通の目的を持つ仲間でもある。
糸遊がこちらを向いた。お友だちも一緒に見てくる。私はコートを脱いで、ハンガーにかけている最中だった。
私を見る男の子の視線が上下に動いた。仕方ないよね、こんな身体だもの。
……いや、どっちの意味だろうか。すらっと身長が伸びている糸遊に比べて小さいという意味なのか、身体の起伏の方で意識されたのか。
土曜日ということで賑わっていた。お昼時を過ぎて、元気な子どもがたくさんいる。朝から来ている子もいるという。
高校生や大学生もいる。社会人くらいの人もいる。年齢も性別も様々で面白い。
席主さんから簡単に紹介してもらった。三時間くらい、指導対局をすると伝えてあった。引退した女棋士と指してみたいという希望者は沢山いた。
最初は子どもの相手のつもりだったけれど、そういう人とも指してみたい気持ちが強くなる。ゲームと同じような早指しでよければと応じると、五人程相手にすることになった。
その日いる中でも実力の高い、普段なら教える側に立つような人と指した。
最近のトレンドとなる手を見せてもらう。昔の研究の範囲内だった。これなら対応は難しくない。
開始前、あまり長く時間が取れないので宣言していた。
「ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私は急戦型ばかり指します。その旨ご了承ください」
じっくり囲う時間はないよ。次が待ってるからね。そういう宣言のつもりだった。
レベルの高さに驚かされた。糸遊が強くなっているのは知っていたけれど、それ以上の人がたくさんいる。当然だ、糸遊も教わるような相手が何人もいるのだ。
席主さんが私の後ろに立って見ている。予定の半分の対局が終わった。
不器用な私に手加減は難しい。糸遊とは長く指してるから手の抜きどころも作れるが、相手がそれ以上となると手加減は不要だろう。
引退したとは言え、最後の最高峰の戦いからまだ一年も経っていない。ほぼ毎日、糸遊とも指している。
ここまで全勝だ。連戦で少し、興奮気味になってしまった。色々な人と指す将棋は楽しい。
それぞれ、どこが悪かったか聞かれ、気になったところを簡単に伝える。向上心のある人ばかりだ。私との対局を楽しんでもらえた。それが嬉しい。
それぞれの対局で、糸遊に棋譜を取らせていた。相手に渡すと、とても喜んでもらえた。
少しだけ休憩をもらい、フロアの隅で水分を補充した。気持ちが昂っているせいか、全身が熱く感じていた。髪を降ろしたままだったのでかんざしを取り出す。
端の方でくるくるっと髪をまとめていると、どよめきの声が聞こえた。
首筋が涼しくなってすっきりした。声に向き直ると、たくさんの人がこちらを見ていた。
どうしたんだろう。変なことしたかな。
少し不安になりながら座席に戻ると、次の女性対局者が言う。
「その髪型、テレビで見てました」
大学生くらいだろうか、はきはきとした人だった。
「ああ、それであんなに見られたんですね」
「それもありますけど、色気が……」
色気? 私に?
約三時間の滞在が終わった。
五人と平手で指して、子ども数人と多面指しを一回した。棋力差と駒落ちはあまりわからなかったので、大体のハンデを席主さんに調整してもらった。
子ども相手には勝ったり負けたりだった。みんな笑顔で終えてくれた。楽しんでくれたのならそれでいい。
席主さんに頭を下げてお礼を言うと、更にお礼を言われる。お互いに頭を下げ合う、日本人的な構図になった。
面白かった。もっと、昔からやってればよかったなぁ。こういうファン対応のようなことから、私はずっと距離を置いていた。
将来、糸遊の敵になる人を育てたかもしれない。それでもよかった。凌乃の言う、「そーじょーこーか」って奴だ。
外に出て歩いていると、糸遊が思いだしたようにクスクス笑いだす。
「どうしたの?」
「だって連理ちゃんえっちだったもん」
「えっちぃ? どこがよ」
服装はラフではあるが、そこまでおかしくないはずだ。特に露出もしていない。
化粧もごくごく薄く、本当に最低限にしている程度だ。買い物のついでのような格好でしかない。
まだ笑い続ける糸遊を見上げた。少し靴で底上げしても、並んで歩くと目線が上にある。十五センチは差が開いただろうか。
「最近の連理ちゃん、どんどん綺麗になってるもん。洗練されてきた感じ」
糸遊も綺麗だと思う。幼さは残るが、背筋が伸びてすらりとしている。
「糸遊のお尻の方がえっちでしょ」
「お尻のこと言わないでよー」
肩を掴まれて、前後にぐらぐら揺らされた。
将棋道場の近くにある、小さな商店街に入った。普段の買い物はスーパーなので、あまり通ったことがない道だった。こういう風景も見ていて楽しい。テレビ番組で芸能人がロケをしているような景色だった。
陶器類だったり高価買取の看板だったり、色々あった。目移りして後ろ髪をひかれてしまう中、目的の和雑貨屋に入った。
京都のお店のチェーン店だ。こういうところなら、目的の扇子も置いてあるだろう。
店員さんが周回しているような店ではなかったので、じっくりと時間をかけて選ばせてもらった。
自分用に一本選ぶ。いただいたものの高級さを実感する。うーん、私にはこちらの方がしっくりくるようだ。あまり高級なものだと落ちつかない。
糸遊は色合いの違う一本を手にしていた。私が選んだものの色違いで、骨組みが黒かった。そういうタイプもあるのかと、他の扇子を手に取って見比べた。
ひらひらのついている、玩具のような扇子もあった。よし、これは二本あの二人に買ってみよう。一本千円ちょっと、遊びのお土産にはちょうどいい。
糸遊には、結葉へのプレゼントを探してもらった。歳も近いし、欲しがっているものを知っているはずだ。
私は再び扇子のコーナーを見て周り、サンプルで開かれている扇子を見上げた。白い紙に日本の日の丸、金箔のような装飾がついている。しかも香り付きだった。手に取って嗅がせてもらった。とても優しい香りで、引きつけられる気がした。
自分で買うものより数段高い値段だった。専用のケース込みとはいえ、結構な値段だ。
しかし、この色合いは睡蓮を連想させる。彼女の髪のカラーだった。
少し迷い、手に取った。普段改まって感謝を伝えるような機会がない分、たまのプレゼントにいいと思った。それに睡蓮によく似合う気がした。
近くにもう一本、よさそうなものを見つける。男性向けの色合いで、値段もお手頃。道場主へのお礼にいいだろう。
となると、帰りに凌乃も欲しがるだろうし、采女も買ってあげないとゴネそうだ。全員分買っちゃえと思い、いくつかの色合いのパターンを吟味する。
この寒い時期に、涼をとるための扇子のプレゼント。ちぐはぐだとは思う。しかし、最近は暖房が効きすぎているところもある。
選んだ扇子に満足していると、糸遊がプレゼント候補の巾着袋を持ってきた。
大中のセットになっていた。試しに持たせてもらうと、触り心地のよさに自分でも欲しくなった。
「いいね、これにしよう」
「うん」
返事をしながら糸遊は、私の手元をチラリと見た。
「そんなに買うの?」
「色んな人にお礼もかねてね」
扇子は睡蓮に贈るものを除くと、私と糸遊のものが一番高い。きっと、細かい値段は気にしないことだろう。
「いいね。連理ちゃん優しいね」
「ありがとうね。お会計しようか」
合計で三万円近くした。予想外の出費になってしまったけれど、たまにはこういうのも悪くない。
今日、凌乃は道場に行っている。迎えに行きがてら、道場主に挨拶しようと思った。
凌乃の練習時間が終わるまで、もう少しかかるだろう。糸遊とのんびり歩きながら、落ちついた気分で景色を楽しむ。ゆっくり、ゆったりだ。
「電話してもいい?」
「いいよ」
睡蓮に電話をかけた。前回のライブ以来会ってないので、声を聞くのも久々だった。
『はいはーい、こちら睡蓮さんです』
「連理さんです」
『久しぶりだね。どうしたの?』
「急なライブやるんだね」
『あはは、この間ので滾っちゃったみたい』
「チケットってまだ手に入るかな?」
『待ってねー、えっと何人?』
急ぎだしそんなにいっぱいは難しいだろう。
「まあ今回は私だけでいいかな。とりあえず一枚あれば嬉しいよ」
『そう? 並びで六枚取れるけど』
「六枚で」
『毎度ありぃー』
浮草がバイト中に使う言葉と同じ、商売人の共通用語なのだろうか。きっと、ただの偶然だろうけれど。
「どうしよう? どこかに取りに行けばいいのかな」
『そうだねぇ。どうせならまた会おうよ。ランチかディナーでも、二人で会いたいしさ』
「あら、光栄だね」
『ただ、あんまり時間ないんだよね。日程送っておくから、お店とか調べてもらっていいかな?』
「お安い御用だよ」
『よかった。楽しみにしてるね』
軽く挨拶をして電話を切った。思わぬデートの約束までできて、都合がよすぎて驚いてしまう。
「お待たせ」
「睡蓮ちゃんとご飯行くんだね」
「うん」
「いいなぁ。チケットはどうだったの?」
「準備してくれるってさ。糸遊の分もあるからね」
「やった!」
はしゃぐ糸遊を見て嬉しくなる。睡蓮のライブは、Wildflowersのみんなにとっても特別だ。
道場までもうすぐだ。ライブに行けると言えば、きっと凌乃も喜んでくれるだろう。




