23歳8_Invisible scars
こんなに面白いなんて思わなかった。
基礎の二段階目、とにかく踊った。
自己流は禁止。まずはお手本通り。全身伸ばして動く。手、手注意。
瑞香さんから何度も何度も細かい指摘を繰り返され、苦手なところが浮き彫りになった。
精神攻撃はなしになった。あれはもう大丈夫と言われ一安心すると同時に、元々いらなかったよねと思った。
その分瑞香さんに対する反骨精神で、指摘された箇所はすぐにでも直してやろうって気分になる。
教えてもらいながら必死にやる。これが本当に面白い。上達を感じた。もやもやしていたものが、今この瞬間発散されていると感じた。
道場主に言われた場所、ここでよかったんだ。遠回りしてしまった。その分得る物はあったけれど。
「ここにいたか。やっとるなー」
レッスン場に入ってきた亜嵐さんが、私たちを呼びつけた。
「口頭だけで伝える。まだ正式決定じゃないからな。Wildflowersの前回のライブは成功と認めよう。来年末、十二月に大きな舞台でやる。それまでに二回か三回経験を積むライブをやってもらうつもりだ」
そのあとは各自の一人立ちだ。翌年三月で、共同生活の終了とすると付け加えられた。
「頭に入れておいてくれ。準備は進めてるそうだな」
「はい。正直、もっと早く共同生活が終わると思っていました。覚悟はできています」
「あの頃大変だったんだからね。みんな暗い顔してたし」
「ごめんごめん。そういう距離感が必要と思ったんだよ」
「でだ、九」
最近はもう、苗字で呼ぶのは亜嵐さんくらいだ。しかも普段は「お前」呼び。
事務の方とも慣れ親しんで、みんな連理で呼んでくれるようになっていた。
「やってきたもの、ちょっと見せてみろ」
亜嵐さんの前で、基本的な曲二曲連続で歌って踊ってみせた。
歌も頭に入っている。練習の上では踊りながらはまだだと、瑞香さんに止められていた。
歌いながら踊るのは初めてだった。意識の上では指は伸びていたし、声も出ていたと思う。人の目を意識してのパフォーマンスは初めてだったので、意識通りに動けているか不安になった。
二曲終えて二人を見る。瑞香さんも頷いてくれている。成功したと思い、亜嵐さんの反応を待った。
「パフォーマンスの高さは認める」
折り畳みの椅子を片付けながら、感情が読み取れない様子で亜嵐さんは続けた。
「だが、どこを見て踊ってるんだ」
私がWildflowersに対して思っていたことと同じだった。お客さんを見ていない。視界に入れているだけで、意識は私を向いていた。
それと同じ、またはそれ以下ということだ。見てくれている人を見ていない。踊り切ることに必死になってた。
亜嵐さんが退室し、ドアが閉まる。見届けて一息吐いた。緊張してしまった。
「まだ、言わなくてもいいと思ったんだけどね。先に言われちゃったか」
ポリポリと首筋をかきながら、瑞香さんがホワイトボードの前に立った。課題という一覧が書きだされた。
歌の練習。歌と踊りの同時パフォーマンス。二列分「??」が並んで、最後にお客さんへの意識とある。
「この『??』の二つはまた今度ね。歌は下手じゃないし、声も出てるけどプロレベルじゃない」
「自覚してるよ」
「まずは最初の二つをしっかりできるようにする。最後にお客さんへの意識を高めるつもりだった。これ、自然とできている人もいるんだけどね」
「睡蓮さんとか?」
「浮草ちゃんもそうだね。あの二人は経験豊富だから、それが当然なんだろうけど」
「この隠れた二つ、まだ知らない方がいいの?」
「意識すると混乱する子がいるんだよね。少し矛盾してる話だから」
「それでも知っておきたいな。どうせ、いつかやらなきゃいけないことでしょ」
「連理ちゃんはむしろ、ずっといらないままかもしれないけど」
瑞香さんは二つの「??」を消すと、「連携」と「特徴」と書き直した。
「連携は誰とって話になるよね。だから今の連理ちゃんにはいらない話」
「まあ、どこかに所属しない限りは。で、特徴ってのは?」
「連携が調和なら、個人技は特徴的なものでしょ? ユニット内で一時的に自分だけが目立つ瞬間を作る、そういう特徴だね」
それも含めての連携なのでは? 矛盾はないように思った。首を捻って考える。分離するから難しくなっている気がした。
「あえて輪を乱す瞬間っていうのかな。私は矛盾してる気がしてるから、そう説明してるんだよ」
「『調和』と『輪から外れる』という状況の比較?」
「そうそう。ユニットの考え方次第でもあるから、これは本当に難しいところなのよねぇ」
連携を重視する結葉、特徴的に動くのが采女。そう考えるとしっくりきた。ただ、それを含めて全体的な連携という気もして、確かに考えすぎると混乱しそうになった。
「それらが全部できて初めて、お客さんに見られる段階に入るのよ」
よくわかった。大きく頷く。ソロで意識しなくてもよさそうな部分だった。だから亜嵐さんは、そこを省いて最後の段階を指摘してくれたのだろう。
「ということでそろそろお時間だね。今日もカエルになってもらおうかな」
「あれ、まだやるの?」
「みんな楽しんで覚えてくれるんだし、カエル冥利に尽きるでしょ?」
「采女と浮草さんがうるさくなければなー」
あの二人の囃し立てを聞き続けると、たまにイライラして気疲れすることがある。
「じゃ、明日からは本格的に歌の方だね。ボイトレのコーチは別にいるから」
「おぉー、ついにプロっぽくなるんだ」
「こっちもスパルタだよー」
望むところだ。どんどんできることが増えている。
きっとあの人だ。Wildflowersや浮草のコーチで、声出し指導の専門家。マネージャーの時に何度も話しているので、どんな人かは知っているつもりだった。スパルタチックなところはあるけれど、ちゃんと考えて教えてくれる厳しくも優れた人だった。
曲の作成もできる人で、サンプルの歌声の主でもある。私が指導を受けているって聞いたら、どんな反応をしてくれるのか楽しみになった。
翌日、一人で上に行くよう瑞香さんに言われ、レッスン場で準備運動をして待っていた。
ボイトレなんて初めてで、少し緊張する。録音や音楽に合わせて練習する時は別のブースなのに、今日はレッスン場でやるのかな。
そんなことを考えていると、レッスン場のドアがゆっくりと開いた。
「どーもー、ボイトレコーチの木蓮さんでーす」
違う人が来た。自認コーチの人だろうか?
「なにしてんの?」
「だからコーチしてあげるって」
どうやら本気らしい。確かに、アイドルとして先輩で、人気ユニットでも歌っていた。
ただ、普段の姿から、コーチってイメージは湧かなかった。
「事情が事情なんだから仕方ないでしょ。元マネージャーが練習してるなんて、外部に広げたくない話だし」
「それはわかった。ただ、本格的な指導を期待しちゃったのが、悔しいというかなんというか」
「これでも、教えられることはいっぱいあるんだよ。それ以上に、会社として連理ちゃんのためにそんなにお金は使えないからね」
「ごもっともです」
「じゃ、始めるよ」
みんなが全面協力してくれている、凄く恵まれた環境だった。
ただ、やっぱり専門家の指導を受けてみたかったな。
専門のボイトレコーチがWildflowersと浮草を見てくれる時は、私は練習に参加できない。その時は事務作業をやるよう指示をうけた。
昼の木蓮さんによるコーチングと入れ替わりに、私は事務所でデスクに向かっていた。
お腹が、捩れたみたいだ。
あれはスパルタじゃない。ただのいじめだ。やっぱり本職の人がいい。
ほぼずっと、お腹をぐりぐりされていた。その上で声を出せと言い、木蓮さんは私を見ながらずっと笑っていた。
「あはは、ずっと連理ちゃんのおっぱい腕に乗ってる。あったけー」
下着もずれた。事務所に下りてくる前に、更衣室で直しておいた。
特定の発声以外禁止され、セクハラにも反論できなかった。
声を大きくして気持ちだけでも反撃する。「いいねーもっと出してこー」と更に大きな声を要求された。
瑞香さんがこちらを見て笑っている。こうなることまで含めて、全部知っていたようだ。
指示された仕事に手がつかない。お腹がずっと、ぐるぐると動いているような違和感があった。空腹感も凄かった。
大きくお腹の音がなる。恥ずかしさ以上に気疲れを感じ、机に突っ伏した。
隣の席の事務員さんが、笑いながら声をかけてきた。
「連理さん、お昼ご飯食べてなかったんですか?」
「食べました、でも今凄く空いてます」
事務員さんたちは、もうすぐ帰る時間だ。お昼前からの勤務で、夕方のレッスン中にはみんな帰宅する。
もう少し、もう少しあとだったら、こんな音聞かれずに済んだのに。
あまりの空腹感で頭がおかしくなりそうだ。肉だ。肉を食いたい。
明日も仕事とレッスンがある。週末まで我慢できるものか、帰りに焼肉に行ってやる。
そう決意して必死に仕事を進めた。時折お腹が鳴り、帰り際の事務員さんに笑われた。
今日は、結葉の居残り練習がなくて助かった。
ボイトレのコーチが事務所に顔を出したので挨拶する。私を見る際、哀れむような目だった。降格したバイトちゃんと思われている。
今日に限っては気にしていられなかった。あまりの空腹感に、軽いめまいを覚えた。木蓮さんはボイトレと称して、変なツボでも突いたのではないだろうか。
ボイトレのコーチが去り、着替え終わった四人に向かって声をかけた。
「Wildflowersの諸君」
お腹が小さく、ぐうと鳴る。
「君たちを労って、本日は焼肉に行こうと思う」
「自分が食べたいだけでしょ」
格好付けて言ったのに、凌乃の突っ込みで台無しだった。素直にうんと頷いた。
一緒に浮草もいた。いいなーなんて言っている。結葉が気にかけて声をかけた。
「浮草ちゃんも行こうよ」
「うん、行く! 連理さんの奢りだよね?」
悪戯っぽく、試すようにこちらを見ている。大人としての度量を試されていると感じた。よかろう。快く応じた。
正直変なことに頭を使っていられなかった。早くお肉を食べたい、その一心で頷いただけだ。
「お酒は駄目だからねー」
瑞香さんに釘を刺される。仕方ない、今日は酒抜きでもいい。
「あんまり食べると吐いちゃうからね。ちゃんと考えて食べるんだよ」
木蓮さんに注意された。私だけにではなく、全員のマネージャーとしての指示だった。
目星をつけていた焼肉店の予約を入れ、六人で事務所から出た。
焼肉店は近場を選んでいたので、六人揃って徒歩移動だ。歩きながら肌寒さを感じた。
日中は暖かいのに、この時間になると風が冷たくなる。気がつけば、もうすぐ十一月だ。
結葉の誕生月だった。そろそろプレゼントも考えたい。
糸遊と扇子を買いに行く約束があるので、今度出かけてプレゼント探しに付き合ってもらおう。




