23歳7_Invisible scars
マネージャーを降りる説明を四人にした翌日、出勤早々木蓮さんと共に亜嵐さんから呼び出された。
「説得はできたか?」
「はい、大丈夫でした」
「では、これに目を通しておけ」
契約変更の書類を渡され、署名欄と印鑑を埋めてすぐに提出する。
「これでお前はバイトというわけだ。せいぜい時間で稼ぐことだな」
「言われなくてもそのつもりですよ。とはいえ、あんまりやることはなさそうですけれど」
「当分はレッスンの材料になってやれ。しばらくは檀も暇になるだろうからな」
正式に上司になった木蓮さんと退室し、準備していた書類を渡して引継ぎ作業に取りかかる。
「うん、わかった。一応おつかれさま」
「それだけ?」
「他に言うことある?」
「まあ、ないかな」
たった三分で引継ぎが完了した。なんとも呆気ないものだ。
浮草はすぐに気がつくだろう。私がアイドルを目指す準備を始めたことを。
睡蓮と浮草に言われて始めることだけれど、実際は私がアイドルになることだけが目的ではなかった。
私が捨て駒、Wildflowersが本命という形で成功するのならば、それに越したことはない。
そもそも、Wildflowersだってレベルの低いユニットではない。今の私がどこまでやれるかわからない以上、捨て駒にすらなれるかわからなかった。
睡蓮と浮草の予想が全てではないし、完全に言いなりになる気もなかった。
瑞香さんの指導効率の上昇に私が役立てば、Wildflowersが単独で睡蓮を越えてくれる未来だってあるだろう。
それはそれで私の完全勝利だ。睡蓮を泣かしてやる、木蓮さんに目にものを見せてやるという当初の目標が達成されるのだから。
万が一、道半ばでWildflowersが倒れるようなことがあれば、その時は私が表舞台に出ることになる。
瑞香さんに、基礎中の基礎から指導してもらった。
優しい指導はいらないので、とにかく厳しく教えてほしい。そう伝えたら、レッスン場に鬼が誕生した。
ほんの少しのミスをしつこく指摘される。自分が言いだしたことなのに、時には心が折れるのではないかと思うくらいの厳しさだった。それくらい私の身体と能力は、アイドルとしての活動に適していなかったということだ。
こんなに厳しい世界だったのか。これまで外からレッスンを見ていた限りでは、自分でもある程度はできると思っていた。四人と浮草のレッスンを見ながら、指摘できるところを探す時に真似していたのに。
気持ちよく踊っている時とはまるで違う環境だった。指先まで神経を張り巡らせないと、瑞香さんはすべてに駄目出しした。
「こんなんで私の補助ができると思ったの? 基礎もできてないのによく言えたね。反省したふりして走りにでも行く? 体力馬鹿に走り込みはご褒美だもんね」
「背が低い、手も足も短い、指先まで伸ばして長さを稼いで。はい倒れない。倒れても身長は伸びないよー。小さいんだから全身使わないと見てももらえないよ。視界にも入らないかもね。お客さんが探してくれるの待つつもり?」
「はいはい筋肉馬鹿の馬鹿丸出し。無理矢理足の力で止まろうとしてるでしょ。勢い付け過ぎ。止まるのわかってるはずだよね? なんでそこで勢いつけてるの? 疲れてるから? じゃあ辞めちゃう? いいよ、私もっとやりたいことあるし」
「動きが小さーい。身体も小さいのにそんなんでどうすんの? かくれんぼしたいんだ。小さい子はかくれんぼ大好きだもんね。どうせなら、そのぶら下げてる無駄にでかいものもぎとっちゃいなよ。もっと小さくコンパクトになれるよ」
とんでもない精神攻撃だった。人格も体格も批判材料に使ってくる。
マンツーマン指導の一週間目、こんな調子で暴言に耐えながら基礎ばかりやらされた。
気持ちのいい疲れ方ではない。全てにおいて悔しさが込み上げてくる。そういう方針なのはわかってたが、とにかく辛かった。
それ以上によくもまあ、あんなに言葉がポンポン出てくるものだ。実は私のことが嫌いだったんじゃないかと疑いかけた。
事務所で話すときは以前のように朗らかなのに、レッスン場ではこれだった。事務所での会話ですら、批判材料を探すための罠なんじゃないかと疑うようになった。
それでも耐えた。反論せずに、地獄の一週間を耐え抜いた。
「はい、今日は新しいことやろうか。一週間どうだった? メンタルぶっ壊れてくれた?」
「なにくそって気持ちだよ」
「あはは、頑張ったね。動きに関してあんまり怒るところがなかったから、絞り出すのが大変だったよ」
でも謝らないからね、とにこにこしている。本性はとんでもないサディストなのかもしれない。だったら師匠とお似合いだ。
「ぶっちゃけちゃうと、連理ちゃんは基本はできてるんだよね。経験不足だからできていないだけのことを、全くできてないみたいな言い方させてもらった感じ。だからここからは応用だよ。大きな改善点は三つ」
瑞香さんはホワイトボードにペンを走らせ、改善点をリスト化する。
「はい、まずは手の使い方。力むと拳を握っちゃうのは、格闘だか拳法だかをやってたせいかな。疲れたりイライラするとすぐ出るくせだね。常に指先まで伸ばす。意識するだけじゃなくて最初から実行する。あとから気づいて、ごまかしてるのバレバレだよ」
「できてるつもりになってた」
「それが思い込みなんだよね。理屈でわかってても、できてない自分を客観的に見たことがないから。鏡の前でやって思い知ったでしょ」
「うん、よくわかった」
「じゃ、次。重心移動のあと、足の力が強すぎる。もう少し軽やかにいかないとね。三つ目は複数部位の同時動作。一個一個丁寧にやろうとして、どこかが遅れがちになる。いつもじゃないけどね」
瑞香さんは、簡単な棒人間の図を書いて示してくれた。
実際に動いて、指摘されたあとだからよくわかった。図示されるとしっくりくる。頭の中で、考えて覚えるだけでは身に付かない話だった。
四人のデビュー前、連日うちまで通って優しいお料理お姉さんをしていた時も、こんな指導の構想は練っていたらしい。
瑞香さんの新しい一面が見られた気がする。
「というわけで、今度は逆に教えてほしいのが、連理ちゃんは今何ができるのかってこと」
「何ができるかわからないから、こうして教わってるんだよ」
「そうじゃなくて、体操的なことでも武術っぽいことでも、これはできるって自信があることはないの?」
そういうことなら……。早朝からひたすら繰り返した型を思いだす。ダンスと関係あるのかわからないけれど、ゆっくりした動きで丁寧さを意識して披露した。
お腹により熱が籠るのを感じる。そうそう、この感覚だ。
「凄く綺麗な動きだね。そっか、あの古い本のポーズに似てるね」
「そうそう。古い本の中身をもっと追及して、全部繋げてこうなったんだよ」
「実は価値のある本だったんじゃない? 鏡で見ながらやったことはある?」
「じっくりと見ながらはないよ。神社の境内とか、自宅のリビングでのんびりやっていたことだし」
話しながらレッスン場の端に移動する。鏡が直角に二面貼られている場所なので、向きを合わせれば首の方向次第で横からの姿勢を確認できた。
型をもう一度やって確認する。私、こんなにゆっくり動いてたんだ。手が握りっぱなしになっていたので、ダンス用に開きっぱなしを意識する。
手以外は無意識に近かった。動きを意識するのではなく、言葉を意識した。ゆっくり、ゆったり、丁寧に。動きを説明するような言葉を頭の中で反芻する。
「もう一回やってもらっていい?」
「うん。スピードあげてみるね」
ゆらーって感じのイメージから、スーっともっと流れるようなイメージへ。止まるポイントは知っている。止まった時の力を利用して、次の動きのきっかけにする感覚だ。
凄くいい感じだ。動いていて気持ちいい。
「も、もう一回!」
楽しくなりすぎた。
今度はスーから、スッスッスッとキレをイメージする。今上半身が遅れてしまった。
できなかったところを繰り返し、瑞香さんに顔を向けて反応を窺った。
「凌乃ちゃんがそんなことやってたよ」
「凌乃が?」
「うん、休憩の時とか納得いかない時とか、止まっていたくない時にぱっぱっぱって感じで。雑な感じじゃなくて、効率的に動作を確認してるみたいだった。見てて感心したよ」
「早朝の神社で私がやっている時、ずっと真似してたからね。癖になっちゃったのかも」
「というより、連理ちゃんの動きについていくためだと思うよ。簡単そうに見えて、その型難しそうだから」
「もっとやることあるだろうにね」
「それだけ連理ちゃんを意識してるんだよ」
ホワイトボードの前に戻った。
「ということで、今後は実際に踊る曲を頭と身体に叩き込む。すっごく楽しいフェーズだよ」
楽しいの言い方が怪しかった。これは絶対に厳しい内容になるということだ。覚悟を決めた。
一度、瑞香さんがお手本を見せてくれた。横に並んでもう一回踊ってもらい、一曲通して真似をする。なんだこれ? 全然ついていけないじゃないか。
「現在地がわかったでしょ」
「バックダンサーの時とは全然違うんだね」
「あっちはあっちの難しさがあるんだけどね。連理ちゃんはむしろ、こっちの方が合ってるよ」
「そう?」
「うん。もっと上手くやりたい、誰よりも上手くって気持ちがあるからね。あっちは抜きんでたら、睡蓮さんに迷惑かかるでしょ」
「そうだね」
上手い私を見てーなんて言いながら飛び出そうものなら、協調性不足ですぐに警告、下手したら叩きだされることだろう。
「もうすぐあの子たちが来る時間だし、色々聞いてみなよ。手の問題は凌乃ちゃんも苦労したからね。全体的な質問をするなら采女ちゃんがいいよ」
「采女は器用にやるよね」
「うん。上手く見せるのと同時に、疲れないような動きを意識してる感じ。他の三人ができる頃には、お手本になってることが多いしね。あの浮草ちゃんも認めてるんだよ。手際のいいダンスだから手際ダンスだって」
「あの采女に、意外な長所もあったもんだ」
浮草も認めてるというのが嬉しかった。糸遊以外のことは散々否定していたくせに。
「采女ちゃんは一番見られる立ち位置だからね。結葉ちゃんは遅れがちになることがあるのと、糸遊ちゃんは固さがほぐれないのが欠点かな」
「それは見ててわかった。結葉は残って練習して食らいついてるよね」
「うん。糸遊ちゃんも段々よくなってるよ。固さがある分、身体が流れることがない。姿勢がいいし、一個一個丁寧に身体と相談してる感じがする」
「そして凌乃は試行錯誤の量で弱点を克服してるわけだ」
「そうそう。自分でカメラ置いてさ、この時できてたーとか、これかーとか一番うるさい」
確かにと思いだして笑ってしまう。凌乃のいいところでもあり、悪いところでもあった。努力家な反面、周囲が見えなくなることがある。
「浮草はどうなの?」
「超高水準って感じだよ。際立って目立った上手さは見せないのに、教えたことはすぐに全部できるようになる」
浮草と一番確認し合っているのが采女なんだそうだ。できる者は皮肉屋同士だ。シンパシーでもあるのだろうか。
「みんなキャラが立ってきたね」
「我々の教育方針の賜物でしょう。まだまだ未完成だけど、ここまでは大成功だと思うよ」
瑞香さんの言葉に嬉しくなった。私も追いつき、追い越せるようにならなければならない。
時計を見ると、再開するには中途半端な時間だった。浮草とWildflowersの面々が来るのを待とう。一度片付けて夜の部に備える。
事務所には戻らず、レッスン場で休憩しながら時間を潰した。
休憩ばかりでは退屈になり、軽く動きを見直しているとバイト上がりの浮草がやってきた。「あ、SMコンビだ」と挨拶代わりの皮肉を飛ばしてくる。この子もいつか、本当に思い知らせてやりたい。
続いて糸遊が来て、少し遅れて凌乃と采女がセットでやって来る。いつものメンツだ。ライブのあとから、結葉は来るのが連日遅くなっていた。学校でしかできない課題が多く、一番遠いから仕方ない。
「じゃあそうだね。今日はこの小さいサンプル……こら逃げるな。これが使い物になってきたので、動きを分解してみようね」
采女がニヤニヤしている。
「連理ちゃん、ゲコゲコって言ってみてよ」
「カエルじゃないやい」
瑞香さんから指示を受け、ホワイトボードに描かれた通りのポーズを取る。ズレがあるらしく、ポーズをいじられて動けなくなった。
「ほら動くな」
「ずっとこれはきついって!」
「はい、足がプルプルしてきましたね。ここに力が入ってる証拠です」
プレゼン用の伸ばし棒で足をペチペチ叩いてくる。爪先の片足立ちで、足以外の他のどこに力を入れるというんだ。
危うく倒れかけたので両手で着地し、そのまま手を捻ってくるりと前後入れ替えをする。軽いバク転で着地してみせた。
片足で立っていた左足に力が入らず、少しブレる。しかし何とか直立でポーズを取った。
「すっごおー」
凌乃が大興奮している。みんなから拍手を浴びて困惑する。どうかした?
「体操選手みたいじゃん」
「そうなの? 転ばないために手をついて、そのまま流れで立ちあがるだけだよ」
「いやいや。あんなの、ここの誰も真似できないって」
へぇ、昔やったらすぐにできたので、みんな必要がないからやらないだけだと思っていた。
以前、睡蓮に見せた時もそんなに驚いていなかったし、大抵の人ができる認識だった。
悪そうな笑顔になった瑞香さんが、次の練習の指示を出す。
「勉強になったね。じゃあ、カエルさんの真似して今日は倒立の練習してみようか」
またカエル扱いされる。采女のせいで変なあだ名がついてしまった。




