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23歳6_Invisible scars

 糸遊と将棋盤を挟んで座り、駒を並べながら問いかけた。

「さっき何か知ってそうだったよね」

「うん、まあ」

 珍しく歯切れが悪い。

 周囲をキョロキョロと、誰もいないことを確認して糸遊はこっそり口を開いた。

「連理ちゃん、お金あるもんね」

「知っていたのね」

「わかるよ。糸遊も将棋の将来のこと調べたら、お金の話あったし」

 対局料や賞金の話は、いずれ否が応にも知ることになる内容だった。

「連理ちゃんの経歴と比較して、ざっと計算もしたよ」

「計算は合わなかったでしょ?」

「寄付のことはわかんなかったよ。でも、それを差し引いても当分余裕だろうなって思った」

 タイトル戦に絡んだことで、それなりに報酬は貰っていた。仮想通貨の話がなくても、まだまだ数年は大丈夫な計算は可能だろう。

「それなのに、昔から無駄遣いしなかったんだね」

「物欲がなかったからね」

「糸遊たちの生活で、一番お金かかったんだよね?」

「まあそうね」

「ありがとうね。しゃちょーにお金貰ってると思ってた」

「未回収なだけだよ。糸遊たちが売れたら回収するからね」

「うん!」

 糸遊もこういう話ができるようになった。成長を嬉しく感じた。

「でも三人には内緒ね」

「特に二人には?」

「そうね、特にあの二人には」

 あの二人ねと笑い合う。

 采女と凌乃だ。何かと欲しがるのは、ただ構ってほしいだけなのはわかっていた。それでもたまに、あわよくばという表情が見え隠れする。

 結葉は節制上手だったので心配はいらない。物欲がないわけではない。やりくりして安く手に入れる手段を探り、自分で作れるものは作ろうと努力していた。被服科の強みがあった。最低限の道具は学校で揃うから、足りない物は材料がほとんどだ。

 客間にしていた部屋は、気がつけば結葉の材料とサンプル置き場になっていた。何かほしいものはないかと尋ねても、部屋を自由に使わせてもらっているのが一番の贅沢だと言ってくれた。


 二番目に広かった部屋は采女と凌乃が使っている。最低限のAV機器も置いていた。

 二人はアイドルの研究に余念がない。私と糸遊がリビングで将棋を指す間、二人の部屋ではDVDがよく流れている。二人の出費の主な原因は、他のアイドルを研究するためのDVDの購入費用だった。

 一番小さい部屋を糸遊が使っていた。物が少なくてすっきりとしている。立て掛けられた、素振り用の竹刀がいつも目を引く。

 糸遊は今も素振りを続けている。剣道を再開するつもりはあるのだろうか。

 将棋の師匠としては聞きづらかった。


 練習対局中、余計な考えごとは隙を生んだ。言い訳のしようのない凡手を指してしまい、負けると思った。

 糸遊が意表を突かれた顔になる。その表情を見て盤を見なおした。勝ち筋があるように見えた。

 私はミスと思った。しかし、糸遊は虚を突かれたと感じている。

 糸遊が前のめりになっている。盤面に、より集中しようとしていた。これはよくない、過集中になる。

 見たいところばかり見てしまう状態だ。将棋においてはデメリットが大きい。

 注意した方がいいかな、対局後の方がいいかななんて悩んでいると、糸遊がうんと声を出した。

 すっと姿勢を正し、いつもの状態に戻る。何があったのだろうか。


 見事な切り返しを受け、負けてしまった。

 やんわりと笑いながら糸遊が話しかけてくる。

「ただのミス手だったんだね」

「そうでもないって、後から思ったんだけれど。指した瞬間はミスだって思ったよ。それよりさっき、急に切り替えなかった? メンタルというか何というか」

「めんたいこ?」

「精神面のこと」

「ああ、うん。決めごとをしてるんだよ」

「決めごと?」

「三十秒見て駄目だったら、背筋を伸ばして考えなおすだけ。ずっと見ててもわかんなくなっちゃうから」

「いつも秒数を見ているの?」

「ううん。頭の中でずっと数えてる」

「そうなんだ」

 考えたこともなかった。盤面を見ている時は、盤面のことだけ考えるのが当たり前だと思っていた。

 糸遊は将棋の内容を考えながら、秒数をカウントしているという。時計を一々見なくても、大体の秒数がわかるようだ。

 いつか勝てなくなる瞬間が脳裏をよぎる。私の知らないアプローチだった。

「それって剣道で覚えたの?」

「うん? 剣道といえば剣道だけど、糸遊が考えたことで、んーと」

 言語化の難しい部分なのだろう。可愛らしく首を捻りながら、重要なことを考えているギャップが面白かった。

「何ていうのかなぁ? 相手の人を見ていると、この人は何秒くらいは待ちそうっていうのかな。観察されてるのがわかるんだよね」

「その時間を数えてたんだ」

「うん。その間こっちが動かなかったら、相手も動かないから」

 じっとして、相手がそろそろ動きそうというタイミングを探る。動き出しの直前を狙って、糸遊から仕掛けるのだそうだ。

「ちゃんとできてる時は勝てる。数え間違えたら負ける。そんな感じだったよ」

「それを誰かに言ったことはあるの?」

「んー。先生に言ったら、余計なこと考えなくていいって言われた。でも癖になっちゃってて抜けなかったなぁ」

 それを将棋で、自己制御に応用しているのか。

 これは敵わないな。私とは別の、長い長い積み重ねが大きな武器になっている。

「それをもっとできるようになると、糸遊は負けなくなるかもね」

「無理だよー。作戦負けしちゃうもん」

「それはこれから」

 人とは違う経験や癖を、オリジナルの武器にできているのは凄いことだ。

 聞いたことはないけれど、こういうことをやってる棋士はいるのだろうか。

 気になって仕方ない。片付けを糸遊に任せ、こういう時の師匠頼みで電話をかけた。

 十時を過ぎているが、三十代半ばのおじさんなのだ。まだ寝てはいないだろう。

『夜分に申し訳あります』

「なんでいつも先に話し始めるんですか」

『久しぶりだね』

「そうですね」

『どうかしたのかい』

「気になることがありまして、質問させてください」

 どうやらお酒が入っているらしい。いつもより気の抜けた口調だった。

 糸遊のカウントの話を伝える。剣道少女だったことも、さらっと付け加えた。

『具体的なカウントは知らないけど、似てることはある』

「どんなことですか?」

『扇子だよ。連理は使わなかったけど、あれが手元にあると落ちつくんだ』

 パチパチやっているとリズムが掴める。無意識だけれど、あれをやっていると落ちつくというわけだ。

『あんまりやりすぎて、対戦相手に怒られた人もいたけどね。カウントって程じゃないけど、リズムを取ってることがあるんだよ』

「それで秒数を把握してると」

『いや、僕はそこまでじゃないからね。単に落ち着くだけなんだけど、その話を聞くと似たようなものじゃないかと思ってね』

「今、珍しく師匠を尊敬しています」

『僕は軽蔑しかけてるよ』

「わかりました。参考になりました」

『うん、おやすみ』

「おやすみなさい、ありが……」

 電話が切れてしまった。軽蔑だとか言っていたけれど、どうせいつもの冗談だろう。

 扇子かぁ。私が持っているのは一本だけだ。引退記念に貰った一本は糸遊に預けていた。

「ねぇ糸遊、預けた扇子を持ってきてくれる?」

「わかった」


 寄付のお礼としてではなく、引退の労いとして頂いた扇子だ。改めて箱から取り出した。

 私は対局時に扇子を使っていなかった。引退してから貰っても、使い道が見当たらなかった。

 取り出した扇子を、丁寧に少しだけ開いた。木と紙でできていて、紙がパリッとしている。木の骨組みも触り心地がいい。

「いいなぁ」

「格好いい?」

「うん。お上品に見えるよ」

 口元を隠すように持ち、ふふっと微笑む。そのまま両手で広げて光にかざす。

「躍進、か」

 いい言葉だ。こんなこと書いてくれていたんだ。きっと将棋界を出ても、成功するように祈ってくれていたのだろう。

 ぱたりと扇子を閉じ、片手で開こうとする。端の骨組みが少しずれただけで上手く開けない。

 なんだこれ、簡単そうに開く人がいるけれど難しいぞ。指か、指の短さのせいなのか。

 しばらく片手で奮闘しても、上手く開けることはなかった。じっと見ていた糸遊が、興味津々で触りたそうにしている。

「連理ちゃん、それやってみたい」

「じゃあ、片手でやってみて」

「どう持つの?」

 扇子を持っていた何人かの先生の開き方を思いだし、こんな感じでやってみてと伝えた。

「紙に指が刺さりそう」

「ちょっと、大事なものだからね」

「あ、わかった。こうだ」

 なるほど、上の方を親指で滑らせ、下の方を中指薬指小指と順に使って動かすんだ。

 糸遊が何度か試す。力を入れるところを触って伝えた。

「こう?」

「そうそう! もう一回やらせて」

 糸遊から扇子を受け取って試してみた。正規の開き方かどうかわからないが、手の大きくない私にはこれで合っている気がした。

 いや、そもそも片手で全部開く必要はない。パチパチやるのは端だけだ。

 なんとなくわかった気がする。もっと試したいという糸遊に渡し、他にいい方法がないか考えた。

 糸遊が手首のスナップでぱっと開く。これも格好いいけれど、扇子にダメージが残りそうなので止めた。せっかくのパリッとした紙の感触が失われそうだ。

「いいなあ扇子。予備とかないの?」

「元々使ってなかったのよ。引退記念にいただいたこれだけしかないし」

 糸遊のためになるのなら、扇子を渡すのもありだろうか。いや、これは私が個人として受け取ったものだ。簡単に渡していいとは思えなかった。

「これはさすがにあげられないけど、今度糸遊のを買いに行こうか」

「いいの?」

「ええ。じゃあ、お風呂済ませてくるから、それ片付けておいてくれる?」

「うん!」

 片付けるまで使ってていいよと言って、扇子を手渡した。

 何で扇子を開いたんだっけ? お風呂でぼーっと考えながら思いだす。

 そうそう。糸遊のカウントの話を参考に、師匠に教えてもらったアドバイスだ。

 あの扇子は大事にしたいから、糸遊に買う時に自分のものも一本買おう。

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