23歳5_Invisible scars
瑞香さんの時間は限られている。
そもそも振付師として入社しているのだから、私の相手に時間を使うなんて本末転倒だ。
指導を受けるには立場を変えなければフェアではない。他の子に対しても、会社に対しても。
亜嵐さんに、練習生として瑞香さんの指導を受けられるよう降格を申し出た。
「理由次第だ」
「彼女たちと同じレッスンを受けて、アイドルと同じ立場に立つためです」
「Wildflowersのためか?」
「それもあります。アイドルがやっているような経験が必要だと感じました」
「その上で同じ仕事をすると?」
「やってみせます」
「お前なぁ」
呆れた表情の亜嵐さんに、それでも食らいついた。
退職はできなかった。そもそも、あの子たちと関わりがなくなったら意味がない。
「何とかなりませんか」
「お前がそこまで言うのも珍しいな。バイトにマネージャーは任せられん。取引先との信用に関わるからな」
そうだった。マネージャーは、社員の立場でアイドルをサポートしている。少なくともこの会社ではそうだ。
一般的にも、バイト扱いのマネージャーがついているアイドルに、興味を持ってもらえるだろうか。私だったら会社の方針に疑問を持つ。
小さな会社ならマネージャー兼社長なんてこともある。
そもそもの社会的通念が欠けていた。改めて考えると、こんな知識でよくもまあ正社員にしてもらえたものだ。
「こういう形なら可能だ。よく聞け。まずマネージャーを降りろ。後任をつける。その上で、バイトとして事務手伝いをするんだ。マネージャー業で同行してもいい」
亜嵐さんの説明に頷いた。まだ続きがあるようなので黙って聞く。
「基本的に、初見の相手はメインの担当者に同行してもらう。主な業務はスケジュール管理と言えばいい。檀とのトレーニングは、振付の補助業務として行う。檀の発想の幅が広がれば、会社としては助かる形になる」
そこで亜嵐さんは区切り、社長室のドアの向こうを示して言った。
「まずは、マネージャーを降りることをWildflowersの四人に納得させろ。後任は木蓮でいい」
「木蓮さんは浮草さんのマネージャーでしょう」
「複数の担当なんてざらにある話だ。そもそも浮草は手間がかかってない」
「木蓮さんには私からお願いした方がいいでしょうか?」
「いらん。すぐに呼び出す」
亜嵐さんが内線で呼び出すと、木蓮さんがすぐにやってきた。
「はいはーい。どうしました」
「Wildflowersのマネージャーもやってくれ。こいつは降りる」
「どうして?」
「降格だ。バイトとして見習いからやらせる。マネージャー補助兼、振付師補助だ」
「私はいいけど、連理ちゃんはいいの?」
「私からお願いしたんだよ」
「どういうこと?」
二人がかりでかいつまんで説明する。
「降格と言ったら私の判断にできたのに、馬鹿正直に言いやがって」
「すみません、気づきませんでした」
「そりゃ降格でも仕方ないね」
木蓮さんはニヤニヤと笑っている。いつも余裕がある人だ。
「本格的な引継ぎは、こいつが四人に了承を得てからだ。こっちは一人でできるな」
「はい」
わかってもらえた。給料を上げろという話ではないし、いい落しどころだったのだろう。
「現実問題、金の方はどうなんだ? 社員でも大した給料は出せないが、バイトなら半減はするぞ」
「将棋連盟に投資した時、多めに現金化しておいたので大丈夫です」
「いくらだ」
「それ、業務として聞いてます?」
亜嵐さんが黙った。開き直ったように改めて口を開く。
「お前、なんかずるいよな」
「なにがですか?」
「金もある、信頼もある、動ける、顔もいい、チビでエロい身体」
「セクハラでしょ!」
「まあまあ、ほめ言葉だって」
木蓮さんの制止で、掴みかかるのはやめておいた。ちょっとしたアピールだ。
「マネージャを降りる話は、ライブのあとがいいですよね」
「そうだな、ショックでパフォーマンスは落ちるだろうからな」
私主体で依頼している外注もあった。取引先にいきなり、バイトになりましたなんて言ったら大笑いされるだろう。
バイトでの雇用書類は、後日改めて準備してもらうことになった。
木蓮さんと社長室を出て、ほっと一息ついた。
これは瑞香さんにも話しておくべきだろう。ちらりと瑞香さんの様子を伺う。何やらイラストを描いていた。動きのモデル図だった。
補助の立場になったら、ああいうのも描くのだろうか。絵は苦手だ。
「私から伝えといてあげる」
「助かるよ」
木蓮さんにはお酒でも奢ろう。
それなりに残務もある。外部との関係があるものは、漏れなく引き継げるようにしなければならない。
思ったよりやることがありそうだ。本格的に指導してもらえるのは、どうせWildflowersのライブの後だ。今は焦らなくていい。
それまでは実務優先だ。ちゃんと切り替え、今は今の仕事をしよう。
十月、Wildflowersのライブは収益面では成功と言える結果だった。それでも大成功とは言えない。
私の力不足が大きかった。それ以上に、パフォーマンスがそこまでよくなかった。悪くはないし、いい方ではある。ギリギリ合格点以上といった感じだ。
これは尾を引くことになりそうだ。何か手を打ちたいが、経験の少ない仕事ですぐに案は出なかった。
帰り道をとぼとぼと歩く四人を見る。ショックを受けたのかな。声をかけた方がいいのかな。自分の無力さを痛感した。
凌乃が立ち止まり、宙を見上げながら私が追いつくのを待った。
「連理さん」
「なあに?」
「ライブの映像ってすぐ手に入る?」
「うん。明日か明後日には、動画データをもらえるはずだよ」
「わかった。ちょっと確認したいことあるんだよね」
凌乃の表情は明るかった。落ち込んでいるのかなと思ったのに、淡々とした様子が不思議だった。
翌日、スタッフの撮影した定点カメラのデータが手に入った。
ぼんやりと動画を見ながら思いだす。昨晩は驚かされた。
四人がそれぞれ、改善点を考えながら歩いていた。そのせいで足取りが重かったらしい。
帰ってからも反省会が盛り上がっていた。リビングで動きを再確認している。今日はここでぶつかりかけた、そこからずれた。
凌乃が発案し結葉が図示する。さすがの年長組だった。
采女が真ん中に立ち、全員分の動きを再現する。誰がズレているかわかりやすくなった。
糸遊が記憶を呼び起こし、曲のどのタイミングでズレが生じていたか的確に説明した。
笑顔はなかった。しかし、真剣で楽しそうだった。プロフェッショナルの世界に見えた。
何も口を出せなかった。成長を喜んであげたかったけれど、それ以上に悔しかった。口に出して言えることがない。
やっぱり自分でも同じ練習が必要だと感じた。
ライブの翌日だというのに四人とも集合していた。浮草もいて、四人が意見を聞いている。
動画を見て、具体的な原因が見つかったようだ。私も混ざりたかったけれど、力不足を感じて何も言えなかった。
こんなことで、私がアイドルになんてなれるのだろうか。
睡蓮と浮草の言いなりになるのは癪だった。それなのに、私はやる気になってしまっている。
本音はWildflowersに勝ってもらいたい。
ただ、懸念は拭えなかった。私のために頑張ってくれている四人は、恩返しを意識している。ファンより私を見ていた。睡蓮が指摘した通りだった。
マネージャーを降りるのは、いいきっかけになるかもしれない。メインのマネージャーが木蓮さんになれば、私のためという意識は薄れてくれるかもしれない。ちょっとしたショック療法だ。
その日は、疲れを残さないために早く帰った。晩ご飯もみんな揃って自宅で食べた。
「ちょっと聞いてくれる?」
さっくりと宣言した。四人の視線が集まり、言い方に気をつけた。
「えー、明日から私はWildflowersのマネージャーではなくなります」
凌乃と采女が立ち上がる。いきなり結論から言って、動揺を誘ってしまった。
「まあまあ、落ちついて。基本は今までと変わらないから。マネージャーは木蓮さんが引き継いでくれるよ。木蓮さんは浮草の担当との兼業になるけれど、あっちはあんまり手がかかってないから。私はマネージャー補助としてお手伝いすることになったのよ」
「お金は大丈夫なの?」
「大丈夫よ」
そんなことを考えるようになった采女に感心する。シビアな話になると、采女が一番敏感だった。
「拍子抜けするかもしれないけど、バイトになることで皆のレッスンにはほぼ同席することになる。瑞香さんに、レッスン内容もレッスンのやり方も教えてもらうから」
凌乃が頭の後ろで手を組んだ。
「じゃあ、あんまり変わんないじゃん」
「お給料が減って、事務仕事が減るだけだね」
「ご飯が減っちゃうね。節約生活の始まりだ」
「あたし達で出してあげようよ。バイトの連理さんを支えてあげなきゃ」
「仕方ないよね。昔から、化粧もろくにしてないし。連理ちゃんには社会人なんて荷が重かったんだよ」
「やめなよ」
采女と凌乃のいじりを結葉が止めてくれる。小芝居自体は面白かったが、妙に生々しいことを言い出したので止めてくれて助かった。
糸遊は参加しなかった。こういう時、いつも一歩引いて見ている。
糸遊を見ると、何かを知っているかのようにこちらを見ていた。




