23歳2_Invisible scars
あれこれ考えて、自信満々でこれしかないと考えて、よしやるぞ。
そういうことがあの子たちとの関係で三回はあった。
全部はずれ。最後はいつも運がよかっただけ。
これは私の能力が低いからだろうか。必要なものが見えていないのだろうか。
木蓮さんに尋ねたことがある。
「私って、頭悪いのかな?」
「悪くないよ。馬鹿なところはあるけど」
木蓮さんは表情を崩さず、こちらを見るわけでもなく、さらりと答える。
普段からそう思われている証拠だ。悔しくて軽く睨んだが、これも見られなかった。
最初は三人しかいなかった事務机群は、今では八人の大所帯になっていた。個別のお仕事の収益もそうだが、一番の成果は浮草の活躍にあった。
二回目のライブをソロで大成功させ、睡蓮の後継者現るなんて声も聞こえてきた。
それでも浮草は、睡蓮以上になんてなれないといつも言っている。謙虚さからではなく、彼女自身も睡蓮の大ファンだからだ。
安易に睡蓮を貶めるような発言は、浮草自身のファンだろうと許さない。かなり獰猛な性格だとわかった。
猫かぶりは最初の最初だけ。つっかかられたら言い返す、気に入らないことがあれば遠慮なく口に出す。
神秘的な雰囲気の子だと思ったのに、中身はとんでもない狂犬だった。
第一印象は結葉に近いと感じたのになぁ。
浮草とは、四人の中では結葉が最も仲がいい。
被服科の結葉に衣装の相談をしていることがある。その時は柔らかな印象の少女が二人、楽しそうにしている光景になる。
凌乃が関わると豹変する。凌乃も負けん気が強い。いつもの言い合いになる。二人とも本当に楽しそうに喧嘩する。
采女が一番気を遣っていることがわかった。結葉の胸や糸遊のお尻をいじり、凌乃のことをヤンキーと呼び、浮草のことをエセお嬢様とからかってはしゃぐ。
そして四人から猛反撃を食らう。それでも采女はやめない。誰も傷つけずに場が盛り上がるからだ。
これも風物詩になった。采女は休憩時間に飛び回っては捕まり、柔らかな肉体で難なく抜けだす。
糸遊はどこか超然としていた。Wildflowersのメンバーはもちろん、浮草も一目置いている。分析能力が段違いに高い。
プロの瑞香さんとは違う視点で語れる、事務所の貴重な存在になっていた。
ただ、糸遊は一つだけ問題を抱えていた。背丈の成長が一番急だったからか、身体が想定通りに動かないことがあった。
しかし、それすら計算に含める。自分の短所を構成の要素に変換する。適応力の鬼。観察の天才。そんな印象を受けた。
凌乃が相棒なら、結葉は愚痴を聞いてくれる優しい妹、采女は悪戯好きな可愛い妹、糸遊は愛弟子だ。
最初は親気取りだったのに、気がつけばただの家族になっていた。
金井さんにお子さんができたと連絡をもらい、会いに行った。
旦那さんは優しそうな人だった。私を大事にしてくれた人を、それ以上に大事にしてくれている。
「連理ちゃん、これ」
今度の睡蓮の高額チケットだ。
「行きたいのはやまやまなんだけど、お腹の子に響くから」
「うん、ありがとう」
私がもらったチケットと並びの席の招待チケットだ。睡蓮の大ファンな金井さんに、睡蓮が自ら送ったものだ。
睡蓮を支えたバックダンサーの特権なのか。金井さんが特別だったのか。睡蓮の意図はわからないが、きっと後者だと思う。
これで誰でも使えるチケットが二枚になった。Wildflowersの四人は自分たちのライブがすぐにある。一人だけ誘うこともできない。
欲しがっていた浮草にでもあげようか。一人で行くよりいいだろう。
チケットをもらったお礼に恥を見せてあげた。師匠から転送された、恥ずかしくもあり、誇りでもある糸遊への譲渡式の動画だ。
「私の愛弟子への譲渡式。泣きそうになったけれど、泣かなかったよ」
「頑張ったんだね」
「自己満足だけどね」
金井さんに甘えて泣いたのが最後だ。それから誰かに泣きついたことはない。
睡蓮と会った日から早朝に起きるのをやめた。もう大丈夫だ。みんな覚悟が決まった。
朝はそれぞれが連携し、淡々とルーティンをこなすように動く。甘えず、無機質でもない。適切な距離感と気遣いがある。ぬるま湯の生活ではなくなった。
糸遊とは他のみんなより早く起き、譲渡した盤駒で毎朝一局だけ将棋を指すようになった。
お互いにゆっくりと、ゆったりと、丁寧に、深呼吸しながら考えて指す。
練習前提の指しまわしでは、週に一回は負けるようになった。
「負けました」
「ありがとうございました」
その日も負けた。私が弱くなったのではない。糸遊の成長が著しい。
仕事前の純喫茶で浮草とおしゃべりするのが日課になっていた。
ちょっとしたサプライズで、金井さんからもらった睡蓮のライブチケットを手渡した。
「な、な、なんじゃーこりゃ」
「静かに働け」
すぐに店主からお叱りが飛ぶ。それもどこ吹く風で、浮草はもらっちゃったーとはしゃぎながら店主にチケットを見せびらかす。
「私の親友からのもらいものだから、ありがたく思うように」
「ははぁー」
チケットを掲げて頭を下げている。純喫茶に似合わない店員だ。
仕事が忙しくなった。担当のライブがあるのだから当然だ。睡蓮のライブに行く日以外、ほぼ休みを取れなくなった。
一緒にデビューした浮草が先にいるおかげで、Wildflowersの四人は慢心せずに済んでいる。日々レッスンと収録、それぞれの課題をクリアするために努力する四人に付き合い、毎日遅くまで働いた。
懸念が一つだけあった。今回はWildflowers単独ライブであること。四人のパフォーマンスに対してではなく、マネージャーとしての準備に不安が残った。
念入りに木蓮さんに相談し、確認した。数字的にこれは正しいか。グッズは? 誰の人気が一番?
考えても考えても答えは出ない。それでも四人と過ごし、資料を見ることで何とか目星をつけた。
「今回のライブが成功すれば、練習生を引き入れる予定だ」
亜嵐さんに会議の場で言われて驚いた。
「スカウトは続ける。しかし、今までのように軽く動けない。経験者と希望者も欲しい」
そのためにも、傍から見ると歪にすら見える、私たちの共同生活は区切りをつける必要がある。
亜嵐さんが私を見て言った。
「次のライブが終わり次第、本人たちにも伝えるつもりだ。もう覚悟はできているな」
「はい」
そのあとで共同生活は終わり。そして、私のマネージャーの担当も変わることになる。
浮草一人をサポートするなら木蓮さんが適任だった。
今後浮草にはメンバーを四人つけて、ユニット活動も並行させる見通しだそうだ。
そのためのスカウトと練習生の募集を亜嵐さんが主導して行う。
浮草を主体とするユニットのマネージャーには私が担当しろと、そういう指示だった。
「Wildflowersの担当は木蓮さんになるんですか?」
「いや、新たにマネージャーを雇う」
「私は統括みたいなことさせてもらうよ」
慌ただしくなりそうな話だった。時間を使い、ゆっくりと伝える必要があると感じた。
睡蓮のライブの日。浮草を乗せてバイクで会場に向かった。
バイクの背中から浮草が叫ぶように言う。
「そろそろこのバイク買い替えたら?」
「小回り効くし、こういう時にはちょうどいいんだよね」
「答えになってないって!」
風切り音に負けないよう、浮草の声が大きくなった。
利便性重視で買っただけのバイクだが、もう七年になる。
不思議と愛着が湧いていた。睡蓮と初めて会ったのも、このバイクでの旅行先だった。
それ以上の愛着があった盤駒は糸遊に託した。しかし、この古いバイクは託す相手がいない。託された方も迷惑だろう。
予定の二時間前に到着し、浮草と景色を見ながら歩き回った。
「浮草さんは免許取らないの?」
「バイクの?」
「まあ、将来的な車も含めて」
「そんなにお金ないもんなぁ」
「あのバイク欲しい?」
「あんまり」
「あげるって言ったら?」
「売る」
駄目だこの子には託せない。
予想通りの答えでほっとする。
「バイクとか車とかさ」
「うん」
「必要になったら考えればよくない? 連理さんはなんで買ったの?」
「必要だったから」
「絶対に?」
「絶対ではないけど」
「お金はあった?」
「当時は一人で質素な生活してたしね」
ふーんと興味なさそうに言いながら、浮草がじっと見つめてくる。
「思ったんだけど」
「なに?」
「なんで睡蓮さんにこだわるの?」
「縁があっただけだよ。私が初めて睡蓮と会った時、車に乗っていたでしょ?」
「誰かいるなーとしか思わなかったけど。あ、あそこ座ろうよ。」
広場のベンチが割と空いていた。促されるままに浮草と並んで座る。
話が途切れてしまった。何を話せばいいかわからなくなる。
同じように広場を見つめていた浮草が口を開いた。
「ねぇ、睡蓮さんとのこと教えて」
「出会った時からの話でいいなら……」
どこから話そう。最初からでいいか。
どうせ時間はたっぷりあるのだ。思いだしながらのんびりと、ぽつぽつと話した。
会ったのはさっきの神社でだね。
大きめの神社なのに車一台停まってるだけで、あんまり人と会わなくていいって思って立ち寄った。
その時は人と会うのが面倒に思ってたなぁ。
あ、私の感想いらない?
……ううん、全部聞かせて。
わかった。
睡蓮さんのことは、その時知らなかったんだよね。アイドルのことも何もかも。
ただ、物凄く綺麗な子が神社にいて、別世界にでも迷いこんだのかと思ったよ。
後ろには綺麗な大人の人もいて、こっちは現実的な容姿だった。姉妹かなって思ったら木蓮さんだった。
木蓮さんともその時が初対面だったけど話はしなかったな。
それで、睡蓮さんに全身をじろじろ見られたんだよね。手の傷も見られた。
今以上にボコボコで、赤くなってたり絆創膏や湿布まみれだったんだ。睡蓮さんはそれを気にしてなかった。
こういう細かいのもいる?
……全部全部。
わかった。
えーと、そうそう。身体つきがいいねとか褒められて、何のこっちゃと思った。
バックダンサーの募集があるから、来てみないって言われた。
そこまで真剣な勧誘とは思わなかったけれど、じっと目を見られてとても印象に残った。凄く綺麗で忘れない顔だからね。
……その時点で惚れてない?
そういうのじゃないよ。こんな人もいるんだって新鮮に感じただけ。
ただ、インパクトがあったから、何日か経ってもふとした拍子に思いだして、気がつけばオーディションにエントリーしていたんだ。
オーディションは、淡々と進んだ気がする。
亜嵐さんが面接官で、将棋棋士の肩書を使ってもいいかって。
バックダンサーにそういうのがいると、いい宣伝材料になるって意味だとその時は思った。
オーディションってくらいだから、参加者を鼓舞するために本人登場もあるかなって期待したけどなかった。
帰りに亜嵐さんに呼び止められて、肩書の話をぶり返されたっけ。
その時はやけに挑発的な言い方をされて、言いなりになるもんかと思って使用不可って言っちゃったんだ。
それが亜嵐さんとの確執の始まりだと思う。そして言質を取られた瞬間でもあった。
時間大丈夫だよね。
……うん。
金井さんって言ってね、知らないと思うけど。あ、知ってるんだ。その人と別の人と私の三人がオーディションに合格した。
別の人は来なくなったから、私と二つ歳上の金井さんだけが新人で同期として残った形だね。今回の浮草さんのチケットも、その金井さんが妊娠して来れなくなったから貰ったものだよ。
で、えーと、私がこんな背でしょ。バックダンサーの人たちは凄く可愛がってくれた。
体力自慢だったし、運動もできる自覚があった。でも、ダンスなんてぜんぜん知らなかったからいっぱい教えてもらった。
それで四曲中三曲に出るってことになって、四曲目は舞台脇で見学になった。
バックダンサーだけの練習が多かったんだけれど、ライブが近くなってから睡蓮さんは来る頻度が増えてね。
睡蓮さんが来るたびに色んな話をして、いい子なんだなって思った。
ほら、バックダンサーって「睡蓮ちゃん大好き」って人ばっかじゃない?
……気持ち悪いのもいるよね。
酷い言い方するね。そういう憧れを持った大人の人がいっぱいいる環境で、私が睡蓮と年齢的に一番近くて二十歳だったから、仲よくしてもらってもやっかみなんかは受けなかったな。
体力的にきついってほどでもなかったんだけど、技術的に下っ端だったからね、参加した日は毎日疲れていたっけ。
大学もあったし、対局日もあって忙殺って感じ。その分充実感はあった。
それで本番の日。さっき言った通り、四曲目の舞台脇待機。
三曲やりきったって実感のある私が休んでるのに、睡蓮はすぐに四曲目が始まるところ。
正直見ていて大丈夫かなってハラハラしてたよ。
睡蓮さんがその四曲目もやりきって、舞台脇にきてすぐ壁にもたれかかっていたんだ。限界近くまで疲れているのに、アンコールが鳴りやまなかった。
私は勝手なこと言うなって思って、勝手に怒ってた。
睡蓮さんは仕方ないなぁなんて言いながら苦笑して出ていって、マイクパフォーマンスもしてもう一曲やりきった。
睡蓮さんが握手会に向かう時に目が合って、「どうだ、参ったか」って顔された。
悔しくなったね。
私、その時まで人前で笑った記憶もないくらい、無愛想な奴だったのに。なんかこう、昂るものがあって、悔しくて久々に笑っちゃった。
金井さんに笑ってることを指摘されて、自分で驚いちゃったくらい。
そのあとで、下っ端の私と金井さんが最後まで片付けてて着替えてたら、握手会が終わった睡蓮さんが来たんだよ。
新人二人への労いだったんだろうね。その時まだ十七歳の女の子がだよ?
その時はそういう気遣いなんだとわからないくらい、私はおかしくなっていた。感動して情緒がおかしくなっていたと思う。
金井さんと一緒に、終わったばかりのステージの上からの景色を見せてもらった。
私がアンコールを恨みかけたって言ったら、睡蓮さんは「いつかぶっ倒れちゃうかも」なんて言って笑っていたよ。
そして、あーそうだ。恥ずかしいところだけど。
睡蓮さんがライブやめたくない、他に面白いことを知らないって言って。
そんな人の前で、私はここで何してるのかなって考えたら、号泣しちゃってた。
……泣いたんだ。
うん、もうぐちゃぐちゃ。金井さんが抱きしめてくれた。
睡蓮さんに「時間差できちゃったんだねー」って笑われた。
金井さんに抱きしめられながら、泣かされた、完敗だって本気で悔しく思った。
ちょっと飲み物買いに行かない?
……いいよ。
恥ずかしい場面を思いだし、ついごまかして浮草を促す。
普段ならからかってくるだろうに、その時の浮草は素直についてきてくれた。




