23歳1_Invisible scars
意識的に四人とすれ違う生活にし、一人で出かける時間が増えた。
職場、レッスン、マネージャー業。最低限の接触以外、彼女たちを避けるように淡々と過ごす日々。
彼女たちにはタレント的な仕事もあった。マネージャーとしての仕事はあったが、一人で行けるものは一人で行くよう指示をした。
もうすぐ始まる夏休みを、私のことを忘れてそれぞれのために使ってほしかった。
普段の出勤時間の六時間も前、毎朝五時には部屋を出るようになった。
事務所の営業時間は、学業後のレッスンがメインとなる学生のスケジュールに合わせている。
夜八時の時点で基本は終了となる。そのあとで居残りする子や小一時間話しこむ子もいた。
いつも五人で動き、帰ってもずっと一緒にいる日々に終わりが来る。その予行演習のつもりで彼女たちと行動時間をずらした。
毎朝あちらこちらの神社の境内や、河川敷、人の目が少なく静かなところを選んで、ひたすらに型をやって過ごした。
何時間も何時間もゆっくりと、ゆったりと、丁寧に、深呼吸をしながら動く。
道場主から研究のために借りた本の中の動き。その本質を少しずつ理解する。
武術家になりたいわけではない。
ただ、毎日決まったことを何時間も繰り返して、人としてのブレをなくしたかった。
最初の一週間は苦痛だった。本を書いた人を想像する。この程度では生ぬるいと言われるだろうか。
二週間が経過した。朝の移動先もパターン化し、たまに境内の管理者の方と顔を合わせることもあった。
使っていいよと手で示され、頭を下げる。そしてひたすら型をやり続けた。
三週間目の朝、中学生の糸遊は今日から夏休みに入る。
いつものように五時前にバイクに跨ると、誰かに後ろから抱きつかれた。
痴漢? こんな時間にマンションの駐輪場で?
振り返ると、糸遊だった。
「なにしてるの?」
「将棋」
「今度ね」
「今!」
糸遊は眠そうな顔で、マグネット将棋を突き出してくる。片手はずっと私の服を掴んだままだ。
数分間、お互いに無言で見つめ合った。糸遊に引く気はないらしい。一つため息を吐いて糸遊を促した。
「乗って」
スペアのメットを被せ、将棋盤をバイクの中にしまう。
眠られたら事故になる。しっかりと起きてる事を確認し、しっかりと捕まらせた。遠出する気になれず、近場の神社に向かった。
バイクを停め、型を始める。
段差を利用して糸遊が駒を並べた。じっとこちらを見てくるので、口頭で指し手を示す。その手を糸遊が示す。糸遊が駒の動きを宣言して指した。脳内将棋対本将棋が始まった。
型をやりながらで局面がわからなくなり、盤面を見に行く。負けそうだった。現局面を覚えなおし、型と将棋の続きを進める。
二時間かけてようやく一局終わった。水を飲んで糸遊にもボトルを渡した。糸遊はウトウトしていた。
本当は尋ねたい局面があったのだろう。メモ帳にびっしりと書かれている中身を理解した。
羽織っていた物をかけてあげる。もうすぐ暑くなる時期だ、これくらいで風邪はひかないだろう。
みんなには宣言していた。睡蓮のライブから帰ってすぐ、共同生活の終わりの準備をしましょうと。
反対された。もっと一緒に色々やりたい、遊びたい、教えてほしい。私にはもったいない言葉だった。
一人一人の主張を聞いて、一度は納得する。しかし、その上で口を開いた。
「私の人生は? 誰か責任を取れるの?」
中学生や高校生に答えられるものではなかった。一番きつい返しだったと思う。
みんなが黙りこくってしまう。その日は先にシャワーを浴びて早々に寝室にこもった。
そして、朝早くから部屋を出る生活を始めた。
翌日の出勤時、瑞香さんに説明したら凄く怒られた。事前に相談してと言われたがもう遅い。
近くで聞いていた木蓮さんには極端だと笑われた。でも、やっていいと言われた。何かを察してくれたのか、怒るのは瑞香さんだけでいいと思ったのか。真意はわからなかった。
亜嵐さんへの報告が最後になった。
「この生活を終える準備を始めます」
社長室で宣言すると、亜嵐さんは一度頷くだけだった。
急に生活上の接点がなくなるよりはマシだろう。
昔の無機質さを思いだす私が、みんなと一緒にいると悪影響が出ると思った。
それ以上に、これまで通りに接したがる四人といるのが辛くなった。
高校生たちも夏休みに入った。
遠くへ行くのを諦め、毎朝最寄りの神社の境内に歩いていくようになった。
私が毎朝抜け出すと、当然のように糸遊がついてきた。
気がつけば凌乃が私の隣で型を真似していた。その更に隣で采女まで真似していた。
会話を求めてくるが、静かにするよう注意する。元々は一人でやるためにこうして抜け出してきたのだ、合わせてやる気はなかった。
今までは、自分のことを中断してでも話を聞いていた。学校のこと、食事のこと、必要な買い物の相談。どんなことでも彼女たちを優先して対応していた。
私と糸遊の棋譜を示す以外の言葉がなくなった。
一時間ほど、型と口頭の将棋をしていると結葉がやってきた。おにぎりとお茶を持っていた。
自然と朝食を食べる流れになる。みんなが食べている前で、私だけ食べられないのは苦痛だった。
糸遊と将棋盤を挟んで無言の将棋に切り替え、片手でおにぎりを頬張った。早朝から外で食べるおにぎりは格別だ。
どこに行っても結局四人に囲まれてしまっている。何をやっているんだろうな、私は。
ふと、本音が漏れる。
「なんでこんなことしてるのかな」
四人が一斉に睨みつけてきた。あれこれと不満の声を浴びせられる。これまでの鬱憤を晴らすように、四人の詰問は止まらなかった。
「わかったわかった。ごめんなさい」
頭を下げて謝ると、みんな笑いだした。
気づいたら五人でご飯を食べている。これではただのピクニックだ。
場所が変わっただけだった。
毎朝型をやり、脳内将棋を並行する。揃ってご飯を食べ、また型をする。
毎日一局だけの将棋を糸遊と続けた。自然とその対局の感想戦もするようになる。
食事を終えると結葉はデッサンをするようになった。私たちが型をする姿を、糸遊が将棋盤を覗きこんでいる姿を毎日飽きずに描いていた。
土日もなく同じ朝を過ごした。雨の日はリビングで同じことをした。
結局戻ってきてしまった。格好つけて朝早く起きていたことが馬鹿らしくなる。
夜は明るく、朝は静かに過ごす日々。みんな夜十時には眠り、五時過ぎに起きる。中学生や高校生の夏休みにしては地味だったと思う。
二か月が経ち、夏休みの終わりが近づいた。私はもうすぐ二十三歳になる。
今の環境を改めて考えた。
いつでも終われるし、いつでも集まれる。だったら、何も悩む必要はなかった。
事務所でのみんなの顔が明るくなった。
たまにしかやって来ない亜嵐さんが、四人を見て驚いた顔をする。
「あいつらの様子が変わったな。洗脳でもしたのか?」
うーん、私がしたことと言えば……。少し考えて答えた。
「しばらく黙らせました」
「過激な奴だな。それがどうして、ああなるんだ?」
「さあ?」
頭を叩かれた。
瑞香さんと木蓮さんに笑われ、つられて私も笑ってしまった。
九月に入り四人の学校が始まった。もうすぐ私の二十三歳の誕生日だ。
思いつきで睡蓮に電話をかける。最初は六月のライブ後の握手会で、中途半端な態度を取ったことを謝るつもりだった。
『ずいぶんとご無沙汰だね。忘れられたのかと思ったよ』
思わずムッとする。謝る気がなくなり、勝手に要求を突きつけた。
「毎年誕生日のあとは睡蓮のライブで色々あるからね。思いだしついでに、誕生日を祝ってもらおうと思ったんだよ」
『私のお誕生日は祝われてないのに?』
「そもそも誕生日知らないよ」
『一月二日! 忘れないように!』
何やかんや言い合って、事務所近くの純喫茶に呼びだすことに成功する。私も口が上手くなったものだ。
純喫茶は浮草の拠点だった。平日はそこで夕方までバイトしている。
私と睡蓮が連れだって来店すると驚いていた。面白い反応を示してくれるので睡蓮と笑ってからかった。
ブレンドコーヒーを二つ頼み、奥のボックス席に睡蓮と向き合って腰を下ろす。
前回のライブでのことを謝った。何も考えてなかった。会えば笑い合えると思っていた。
そして、この二か月のことを話した。あのライブの晩から、こういうことをしていたんだと。
聞きに徹していた睡蓮がふーむと頷く。
「連理ちゃんは守られたんだね」
何が言いたいのかわからない。黙って続きを待った。
「今までは連理ちゃんが守ってた。夏からはみんなが連理ちゃんを守ってくれていたんだよ」
「何から? 特に敵なんていなかったよ」
「ガオー!」
盗み聞きしていた浮草がライオンのようなジェスチャーをする。
あ、いた。浮草はある意味、私たちの敵みたいなものだ。
睡蓮は盗み聞きする店員を見て笑い、答えを教えてくれた。
「時間だね」
「時間かぁ」
「時間はいつも厳しいよ」
確かにそうだ。一人の時間は辛く、厳しかった。そんな時間を四人が一緒に過ごしてくれた。
「とくに! 私の時間はとても厳しいんだよ。もうすぐライブなのに呼びつけてくれちゃってさ」
「忙しいのはこっちもだよ」
「じゃあこれいらない?」
目の前でチケットをひらひらと揺らされた。思わず手が伸びるが、簡単に避けられる。
「けち」
「高いんだよこれ」
睡蓮のこれまでで一番大きなライブのチケットだ。欲しくて何度も手を伸ばしたが、リーチのせいで届かない。
「店内で暴れないでくださーい」
浮草はカウンター席に座って見ていた。完全に開き直って仕事をサボっている。
「働いてくださーい」
店主が浮草をチョップする。浮草は渋々カウンターの中に引っこんだ。
「はい、じゃあこれ。主催側の直接発券だから気をつけてね。これ持ってたら誰でも入れちゃうから」
「うん」
チケットを受け取って思わずにっこりする。睡蓮も笑ってくれた。
「お誕生日おめでとう連理ちゃん」
「ありがとう。それにしても、よく都合ついたね」
「渡す準備はしてたんだよ。電話がなかったらお姉ちゃん経由で渡そうかなって考えてたし」
「チケットもだけど、今日の時間だよ。こんなに大きなライブ前だと、スケジュールとかセキュリティとか難しかったんじゃない?」
「うん、逃げて来ちゃった」
恐る恐る睡蓮の顔を見た。笑顔が引きつっている。きっと、このあと怒られるんだろうな。
時計を見ると睡蓮は大慌てで出ていった。
チケットをもらえて上機嫌になり、二杯目のコーヒーを優雅に楽しんだ。
「出勤時間大丈夫なんですか?」
「今日は遅れるって連絡済みだよ」
得意満面で答えてやった。バイトの浮草の心配には及ばない。
ゆっくりとコーヒーを飲み干し、時計を見て立ち上がった。連絡済みとは言え、早く出勤できるならしてしまおう。
お会計を済ませながら浮草に声をかけた。
「じゃ、またあとでね」
「はいー、毎度ありぃー」
純喫茶らしからぬ見送りの言葉に、思わず笑いながら退店する。
「そういう教育してないよね」
浮草が注意されている声が聞こえた。やはりお店の方針ではないらしい。
もらったチケットを改めて見た。睡蓮のライブは来週、九月中旬にある。
Wildflowersのライブも近づいていた。こちらは十月の予定だ。
浮草は単独で八月にライブをやっていたので、これで三か月連続でライブに行くことになる。
ふざけていた浮草を思い返す。あんな風なのに、今や事務所の一番手アイドルだった。




