22歳24_傷だらけの棋士と四人の少女
瓦先生の訓練所は新鮮でいい刺激になった。しかし、道場主の言う発散できる場所とは違う気がする。
凌乃と浮草、二人の対応を考えた時を思い出す。とんでもなく疲れた。将棋で頭が沸騰しそうになった時以上だった。
必死になれたのがよかったんだと思う。必死になれる場所が要る。多分誰かのためにじゃなく、自分のためにだ。
常に誰かが困らないと力を出せる場所がないなんて、死神のようじゃないか。
走っても走っても満足できない。道場でサンドバッグに拳をぶつけても違う気がしてきた。
もやもやが募ると深呼吸した。ゆっくり吐いた。考える時間が減ると楽になった。
Wildflowersと浮草のライブ当日。同じ事務所の二組が同日に行う形式だ。
妙な発表形式で対バンのような交互の構造になった。
そんなに大きな舞台ではない。それでも数百人の人が集まった。
最寄り駅周辺から近隣のお店でチラシを配らせてもらっていた。
Wildflowersと暮香浮草、両方の顔と名前がスラッシュで区切られたチラシだ。Wildflowersが白と赤を基調にしたコントラスト、浮草はクリーム色のテイストになっている。業者さんの力は凄かった。
チケットの完売発表まで日々電話対応に追われた。二人雇われた事務員さんが慌ただしく応じ、細かい質問には私や木蓮さんが駆り出された。
わからないことばかりだった。楽しいとかそういう感覚じゃない。忙殺というのはこういうことを言うのだろう。運動や研究で得られるような成長感のない時間の過ぎ方だった。
メンバーも必死にチラシ配りをした結果、想定より早いペースでチケットが売れてしまったので、亜嵐さんは稼ぎ損ねたと頭を抱えていた。
八百人程の中規模ホールが会場だった。既存のアイドルとは違い、グッズも種類と数が少なかった。売り損ねたという現実に商売の難しさを思い知らされる。
今回のライブで一番失敗したのは私だと思う。数、値段、準備期間など、想定よりもずっと数が必要だと気づかされた。
木蓮さんという、浮草担当のマネージャーがいなければ、事務所全体の収益はトントンどころか赤字だったかもしれない。
同日デビューアイドルで同じ事務所ということで、今回細かい数字の比較はされずに済んだ。
しかし、結果はWildflowersが認めざるを得ない程、浮草の人気が高かった。
パフォーマンスは負けていなかったと思う。浮草の営業戦略が、よりファンを多く集めていた。
ライブ数日後の打ち上げの場、浮草に凌乃が突っかかっていた。
「次は絶対勝つ!」
「何言ってるの? 同じ事務所なんだから次なんてないのに」
「いーや、あたしはあんたをライバルと認める」
「そんなの頼んでない!」
強気な発言で浮草も言い返す。事務所の中では浮草の勝ち気な姿は露呈しきっていた。
事務員さんたちを含め、二人の言い合いに対し見学会が始まる。
今では亜嵐コーポレーションの風物詩になっていた。
浮草の方が常に一歩リードしつつ、Wildflowersの面々も淡々と練習に励む日々が続いた。
一区切りついた。忙殺による疲労感からもしばらく解放される。
その間に学ばなければならないことが見つかった。数字状況の把握だ。
各会場の規模、費用、相応のチケット代、観客数にグッズの種類と数。人件費も内と外で別の計算が必要になる。
リスト化して頑張っていると、木蓮さんからそれらがまとまっている資料を渡された。
「あるなら先に言ってよー、もう」
「こういうのは経験だよ。一回失敗しないと資料ばかり見て考えなくなるからね」
確かにそうだ。素直にお礼を言って受け取る。将棋で痛いほど学んだことだった。
自宅での糸遊との対局練習が癒しの時間になっていた。
真剣味をぶつけられるのが心地よい。でも、まだまだ足りない。
来年には糸遊も高校生だ。もう三年が経つ。それは、共同生活の終わりが近づいていることを意味していた。
六月に睡蓮のライブが開催された。
一人で行き、握手券も取った。ただのファンの気分で会場に向かう。
一般客として入ると人の多さに驚かされた。今まで恵まれた立場でアイドルに関わっていたことを思い知らされる。
お客さんはみんな、こんな苦労をしながら応援しに来ているのだ。それだけ楽しみにしてくれているということを、事務所に所属する立場として理解しなければならない。
同時に会場がどのようなことに使われているのか調べた。睡蓮達のような女性アイドルだけではない。歌手や男性、海外シンガーの来日など、色々あることを知った。
ぼんやりと考えながら睡蓮の握手会の列に並ぶ。今回は特別扱いはされていないので、睡蓮の前に立った時に驚かれた。
「来てたんだ」
「うん」
ちょっと気まずい。何を話せばいいかわからなかった。
「私さ、一人になった方がいいのかな」
「人生相談?」
「あ、そっか、握手会か。ごめん」
あまり話せなかった。またねと手を振ってそそくさと退却した。
勝手に友人気分になっていた。ここは睡蓮の仕事の場だ。私の勝手な都合で邪魔をしてはいけなかった。
会場を出てすぐ、不意に大人の話を聞きたくなり、亜嵐さんに電話をかけた。
『どうした』
「私はいつまであの子たちを預かるんですか?」
『急に……いや、嫌になったか?』
そうではない。もっと別の不安がある。感情のままに亜嵐さんに気持ちを吐露した。
「違うんです。ずっと離れたくないって思っちゃったんです」
『まだ一年近くある』
ああ、やっぱり。死刑宣告だと感じた。亜嵐さんは区切りを考えている。私はそれに逆らえない。
あと一年前後で離れ離れになる。考えるだけで苦しくなった。
『押し付けてすまなかった』
亜嵐さんは察してくれたのだろう。それでも、謝罪の言葉に返事ができなかった。
まだ二年、二年なのに。
預かった四人のいない生活が恐い。無機質に学生生活と将棋を繰り返した頃に戻りたくない。
いや、もうそれにすら戻れないのだ。今はもうどちらの立場でもない。
学生生活は選択肢があった。棋士である時は常に将棋が頭にあった。
今はお金があるだけだ。質素な生活をするなら一人で数十年は暮らせるくらいの余裕があった。そのせいか、仕事に必死になれる気がしなかった。
私以上に稼いでいるアイドルは沢山いるだろう。そんなアイドルのモチベーションって何だろう?
きっと、言葉で説明されても理解できない。その立場に立って初めて理解できるものだろう。
木蓮さんに聞いてみたかったけれど、聞いたところで納得には至らない気がした。
マネージャーは? 他の仕事は?
生きるためにアイドルを搾取してるだけ?
他の一般的な女性はどうだろうか。恋愛や結婚? 想像もつかない。
本気で意識した瞬間、四人との別れを意味する気がした。
そもそも四人と別れてすぐ、そんな相手が見つかるだろうか?
そんなに都合よくいくほど、私は恵まれた容姿と性格ではない。
必死になれる対象、感情移入できる相手、それがないと生活が無機質になる。
一度充実感を覚えてしまった以上、昔よりも無機質な生活になることが恐くて仕方なかった。
私は仕事にそれを、やり甲斐を求めている。しかし、そんなに都合のいい仕事なんてめったにない。
最初は預かること、預かってどうするかだけ考えていた。最初から終わりのことなんて考えていなかった。
こんなに深く、密接した関係になるなんて思いもしなかった。そのおかげで日々楽しく過ごせている。
そうか。今までがよすぎたんだ。運がよかっただけなんだ。
報酬がなくても、自腹でやらなければならなくても、今の生活は楽しくて快適だ。
それって、私があの子たちに寄生してるだけではないだろうか?
ふと浮かんだ疑問に気持ちが沈む。そうだ、私は立場を利用して自分が楽しんでいるだけなんだ。
「私はお金も体力も経歴もあるのよ、一緒にいたいでしょ、養ってあげるよ」
そう言っているような気がした。最低だ。
私が一緒の生活を続けたいと思っても、彼女たちが自立したいと言ったらどうなるのだろう。
自分を殺してでも彼女を送り出せるだろうか。それとも、彼女たちに自分を殺すことを求めるのだろうか。
タイミング次第だと思う。いなくなって清々すると思う時と、自立したいと思う時。どちらが先に来るかわからない。
このままではいけないと思った。生活を変えた方がいい。みんなに変わってもらうのではなく、私自身が変わる必要がある。
でなければ今の環境の、共依存のような関係の終止符は、きっと地獄になるだろう。
彼女たちに自立を促すために、私が自立しなければならない。
少しすっきりした。思考はまとまった。
しかしこれは、終わりを迎え入れるための、諦めのための決意だった。




