22歳23_傷だらけの棋士と四人の少女
土曜日の昼前、地方から用事で師匠が来ることになっていた。
スーツ姿、朴訥とした顔、瑞香さんより少し背が低い。そして、少し白髪がある。
皮肉屋だったり根暗っぽかったり、正直変な人だと思う。子供の頃からなにを言われるかわからず、ずいぶんとからかわれてきたものだ。
「ご無沙汰しております」
深く頭を下げる。場所が駐車場というのが締まらないが仕方ない。
「久しぶりだね」
「まず、二人を紹介しますね」
「うん」
「こちら、檀瑞香さん。仕事でいつもお世話になっています」
「電話の時の方ですね。連理がお世話になっております」
「こちらこそお世話になっております」
瑞香さんは緊張していた。本当に紹介していいんだろうか。
「そしてこっちが」
「千振糸遊です! よろしくお願いします!」
「うん、よろしく。元気だね」
「はい!」
糸遊も緊張しているようだった。
「どうせなら中で話そうか」
師匠が将棋会館の建物を示した。
もう来ることはないと思っていた建物、カフェスペースに入る。ほとんど空席だった。
席に着くとすぐに師匠が話を切りだした。
「それで、要件は?」
「まずご挨拶をしたく。長らく、本当にありがとうございました」
「それはいいよ」
軽い。私も深掘りしたい話題ではない。電話で散々話したことだ、そういう態度ならもう本題に入ってしまおう。
「では、二つご報告があります」
「うん」
「勝手ながらいただいた盤駒を、この糸遊に譲渡しました」
「あげてないよ」
「えぇ……」
「貸すって言わなかったっけ?」
「くださると仰ってました」
「じゃあいいよ。千振さん大事にしてください」
「はい!」
糸遊も緊張しているのだろう。いつもより声が大きくなり、小さくねと瑞香さんが嗜める。
「そしてこちらの糸遊を弟子に取りたいと思います」
「駄目だ」
「えぇ……」
「引退したくせに弟子は取るんだ」
「糸遊になら託せると思いました」
「じゃあいいよ」
いつもこうだ。真面目に話していると混ぜっ返してくる。
「以上かな?」
淡々としている。この人の不思議なところだ。電話の時は執拗におちょくってくるのに。
瑞香さんがおずおずと手を挙げる。
「一つよろしいでしょうか」
「はい、どうぞ」
「お見せしたいものがありまして」
瑞香さんがスマホを取り出して悪い笑みを浮かべている。「あっ」と思った。これはまずい。
「瑞香さん帰ろうか、ね?」
「連理、座ってなさい」
「はい……」
本当に頭が上がらない。
盤駒譲渡の動画が再生される。音はある程度絞られているが、私と糸遊のはっきりした口調はしっかりと聞こえてきた。
改めて聞くと私の声少し震えてるかもしれない。新たな発見がより恥ずかしさを増す。
「面白いことをしてるね」
師匠はくくくと楽しそうに笑う。
「いや、あのー、まさか撮られてるとは思わず」
「このデータいただけますか?」
「駄目!」
「連理、静かにしなさい」
「はい……」
くそ、まずい。この調子だと大師匠にも伝わる。
恐らくこれが本来の目的だったのだろう。瑞香さんが師匠に申し出た。
「よろしかったら、連絡先の交換をお願いしても……」
「そうですね。私も連理の状況を逐一知りたいので」
私をダシに連絡先を交換したがってたのは知っていたが、こんな動画まで譲渡されるとは思わなかった。
瑞香さんは男の連絡先を、師匠は密告者を手に入れたことになる。
嫌な包囲網ができあがってしまった。
「連理」
「はい」
「いい仲間を持ったね」
「はい。それはもう」
一つ頷いて師匠が立ち上がった。
「では、そろそろ」
「ありがとうございました」
「また」
すっと立ち上がると、師匠は頭を軽く下げて去っていった。
放心状態になる。
必要最低限電話はしていたが、面と向かってじっくりと話すのは四年ぶりだった。
緊張した。その上格好付けた動画までバレた。きつい。今後どんないじりが飛んでくるのか、不安で仕方がない。
程なくして師匠からメッセージが届く。
先程瑞香さんから受けとった動画が転送されてきた。
あの野郎、とんでもなく悪質な嫌がらせだ。恐らくどこかでくくくと笑っているのだろう。
私の気分をよそに、糸遊は将棋会館内の物販品に興味を示していた。
「連理ちゃん」
「ん?」
「あっち見てもいい?」
グッズショップだ。来客者向けなので棋士の時はほぼ使わなかった。お店だ。
「うん、行こうか」
スマホを嬉しそうに見ていた瑞香さんも一緒に立ち上がる。
人を恥ずかしめておいて、自分は目的を達成して嬉しそうにしている。酷い人だ。
「そういえば、連理ちゃんはもう糸遊ちゃんの師匠になったの?」
「うん、特に手続きとかないし。私と糸遊の間の口約束で成立だよ」
何かのイベントとか申請ごとがある時に、師匠の名前が必要になることはある。ただ、糸遊が本格的に女流棋士やプロ棋士になろうとする時にようやく必要になるものだ。
その糸遊を見ると、特に実用性のない置物用の大きな駒の前にじっと立っていた。
「欲しいの?」
「高いよ」
八千円とある。
糸遊以外は誰も喜ばないかもしれないが、お土産に悪くない。
他に欲しいものはないか尋ねると、糸遊はこれだけでいいと言う。
もっと色々な小物を欲しがると思っていたのになぁ。扇子とかマグカップとか。
そんなことを考えながらレジで包んでもらい、糸遊に袋を預けた。
将棋会館を出てコインパーキングに向かう。駐車場代を払いながらスマホを見ると、また師匠からメッセージが届いていた。
「身長はお互い様だったね」
男性にしては少し小柄な師匠だ。
ふふっと笑ってしまう。たまの師匠の自虐は面白い。返事は必要ないだろう。
今日はもう一軒用事があった。人にも付き合ってもらう約束だ。
「ご無沙汰してます」
「おう、きゅーさん。それと、別嬪さんが二人も」
瑞香さんがどうもと頭を下げる。
「こんにちは!」
「おう、こんちは。じっくり見てけ」
道場主から言われた発散の場の候補、木蓮さんから提案されて瓦先生に連絡していた。
久々の連絡でご迷惑かなと思い、電話口でおずおずとお願いしたら、「来い」の一言だった。
そして今日、こうして撮影に使う動きの練習を見学させてもらえることになった。
「こういうことされてたんですね」
「あれとあんま変わらんだろ」
確かにやっていることは似ていると思う。ただ、明らかにレベルが違う。
しかしミスしたら怪我するかもしれないような素早さで、役者さんたちは私たちが使ったようなものより危なそうな物を振っていた。
「レベルが違います」
「そうかね」
おー、おぉーと言いながら、糸遊は興奮気味に見学している。
瑞香さんもダンサーの経験ゆえか、それとも振付師としての欲求からか興味津々の様子だった。
役者さんたちを改めて見る。まだ涼しい時期なのに、みんな大量の汗をかいている。
「お、そうだ。将棋見たぜ」
「あら、興味をお持ちでしたか?」
「下手の横好きでちょっとな」
ほらあそこと示された場所には、折り畳みの盤と駒があった。
休憩中に数人で楽しむんだと、瓦先生は笑いながら教えてくれた。
「いいですね、こういう外で指せるの」
「練習時間以外は自由だからな」
自由か。
周囲の景色を見渡す。木々でいっぱいだ。確かに自由だ。
練習の参加者なのだろう、女性も数人いる。ジャージにTシャツ姿でほぼすっぴん。汗をかいて楽しそうにしていた。
こういう世界もあるんだ。やりたいことで一生懸命になり思いきり汗を流す。それが本当に楽しそうで羨ましくなった。
「あれ?」
「どうかしたか?」
糸遊が声をあげ、瓦先生が応じる。
「あの人握りが変」
「おう、よく気づいたな」
嬉しそうに瓦先生が説明してくれた話に納得したようだ。糸遊はうんうんと頷き、わかったと答える。
「あの子剣道家か?」
「数年前まで剣道少女だったみたいです。今は素振りを続けている程度ですが」
「相当目がいいんだろうな」
「集中力も凄いんですよ」
「きゅーさんくらいか?」
「私はどうかわかりませんが」
「自覚なしか、参ったなこりゃ」
そっちのーお前、と出番待ちの人に瓦先生が声をかけた。
「ちょっとこの子たちの相手してくれや」
子たち……。まあ、瓦先生からすると私も子供みたいなものか。瑞香さんは置いといて。
呼ばれた数人の役者さんがやってくる。私の姿を見て口々に話しはじめた。
「お、その子ってあの舞台の子じゃ」
「すげー本物だ」
急に騒がしくなった。
「じゃあ一回休憩!」
中で指導していた監督さんが宣言した。さっきまであんなに集中していた人たちが、急に普通の人に切り替わった。
四十前後の男女と二十代後半の男性に囲まれ、質問責めにあった。
結構小さいんだなーとか、殺気出したって本当とか、答え辛い質問ばかりで困ってしまう。
「将棋のプロなんでしょ?」
「もう引退しましたが」
「なんで? つまんなかったの?」
「面白かったですよ。特に最後は」
面白いのに辞めたんだとか、もったいないとか、結構好き勝手言ってくれる。
ただ、嫌味がなくて話すのが楽しかった。
休憩宣言の直後、私たち三人は分断され、それぞれ囲まれて話題の種にされていた。
瑞香さんは素性を聞かれて振り付けのことを話し、糸遊は模造刀を握らせてもらっている。
糸遊は鞘に納める動作を教えてもらい、ずっと感動しっぱなしだ。
ここにある全てが新鮮だった。糸遊だけでなく、私も楽しくなっている。
休憩が終わるまで話し込んだ。声をかけてくれた役者さん達に頭を下げると、名残惜しそうにしてくれた。
監督さんと話していた瓦先生が戻ってきた。私たちの様子を見て口元に笑みを浮かべながら言う。
「おもしれーだろ」
「全部が新鮮で数日住みたいくらいです」
「お、言ったな」
わっはっはと笑う。豪快な人だ。近くにいた瑞香さんも一緒に軽く雑談をする。
「色々教えてもらっちゃった」
振付師として教える側に立つ瑞香さんも、プロの役者にアドバイスをもらっていた。
糸遊は借りっぱなしの模造刀で、抜刀と納刀とを繰り返し練習している。もう様になっていた。
「あの子センスいいなー。うちでアクション子役できるぞ」
「駄目ですよ。私の一番弟子なので」
「弟子?」
「将棋のです」
「将棋もつえーのか」
強いかどうかはまだ判断できないが、定跡は叩き込んであった。
瓦先生の都合のいい勘違いを否定せずに笑って応じた。
しばらく話していると、陽が落ちてきたことに気づいた。
ずいぶんと長話してしまったものだ。あまりにも楽しくて時間を忘れていた。
「そろそろ帰るか?」
「はい、また来たいです」
「そうか。連絡くれよ」
「はい」
車に乗ろうとすると、糸遊が袖を引っ張ってきた。
「ねーねー連理ちゃん。これさ、ここにあげない?」
さっき買ったばかりの駒のオブジェを指さしている。確かにここの雰囲気に合っている気がした。
窺いを立てるように瑞香さんを見ると、糸遊に同意してくれた。
「私もいいと思うよ。きっと喜んでくれるから」
「そう? じゃあ、糸遊渡してきて」
「うん」
おじさーんと声を上げながら糸遊が駆け寄り、瓦先生に箱ごと手渡した。
中を見て瓦先生が喜ぶ。それをこちらに掲げて嬉しそうに笑ってくれた。
笑顔の糸遊が車に乗り込む。
「喜んでくれたよ」
「うん。ありがとうね」
とてもいい一日になった。今日は気分のいいことだらけだ。




