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Invisible scars~傷だらけの棋士と四人の少女~  作者: 罠崖
第一部 傷だらけの棋士と四人の少女
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22歳22_傷だらけの棋士と四人の少女

 散歩に行っている間に結葉が来ていた。先に瑞香さんとレッスン場で練習しているという。

 三人は直接レッスン場に行ったので、睨みつけながら木蓮さんの隣に座る。

 木蓮さんは視線を意に介さずに尋ねてきた。

「どうだった?」

「うん。凌乃はもう大丈夫。それより面白いもの撮れたんだけど、見る?」

「見る見る」

 動画を見せる。本当に他愛のない身内の小競り合いだ。凌乃が笑っている姿と、糸遊の様子を見て木蓮さんは優しく笑った。

「あの糸遊ちゃんが、こういうしょうもない逆鱗持ちだとはね」

「外じゃあんまり見せないからね」

「しかし本当に中三? いいケツしてるわ」

「触っちゃ駄目よ」

「じゃあ代わりに連理ちゃんのを」

 うへへと伸びてきた手を払いのけた。こういう反応は采女で慣れっこになっていた。

「反応速すぎ!」

「変なこと言うからでしょ」

 レッスン場にいるのは四人一組のユニット。

 つまり、今までのようにレッスンの間を私たちが埋めに行く必要はない。

 これで当分、四人はデビューライブに専念できることだろう。


 お茶を淹れてなんとなしに話し始める。

「木蓮さんはストレス発散は何かしてる?」

「ドライブ、というか運転全般」

「そういえばそうだったね」

「送り迎えばっかだけどね。楽しいんだこれが」

「遠出はしてる?」

「たまーに睡蓮と運転を交代して行ってるよ」

 そういえば睡蓮も免許を取っていたんだ。酔いつぶれた私を送ってくれた時、運転してくれたのは彼女だった。

「深入りしていいかわかんないんだけど、睡蓮さんと桜蓮さんの仲は?」

「まあ、活動上はライバル的な存在だけど、家では普通かな。どうして?」

「ドライブに一緒に行かないのかなって」

「そりゃ桜蓮は高校生だからね。授業サボらせてまで行かないよ。どっかの誰かさんとは違うからね」

 痛いところを突かれる。結葉の退院直後、気がおもむくがままに三人を連れて遊び呆けた思い出だ。

「あれはあれで成果あったから」

「亜嵐さんがあそこまで謝罪に忙しくなったの、後にも先にもあれっきりだよ」

「じゃあやって大正解だ。亜嵐さんにはもっと迷惑かけないと」

「違いない」

 木蓮さんもニヤリと笑ってくれる。

 今回大ポカをやらかした亜嵐さんには、また迷惑をかけてやる。

「連理ちゃんは? 最近乗ってる?」

「それが全然」

「瓦先生も気にしてたよ。車の紹介してやったのに全然連絡がないって」

「うわぁー、そうだ。ご無沙汰だった」

 今更挨拶だけの連絡なんて気まずい。何か理由をつけて接点を設けなければ、恩知らずの印象がついてしまう。

「今も剣戟のお仕事やってるのかな」

「そりゃもうガチだよあの人。最近新人も増えたって言ってたし」

「順調なんだね」

「今度会いに行きなよ」

「仕事で無理だよ」

「大したことしてないじゃん」

 それは確かにそうだった。かと言ってみんなのレッスン日に、一人だけ出かけるのも忍びない。

「忙しい時は休みなしだし、ここと同じような業界だからコネ作りに行けば?」

「土日もやっているのなら、顔を出しに行くのもありかなぁ」

「うんうん、そうしなよ。それに言っちゃなんだけどね、睡蓮と連理ちゃんのやった演劇。あれすら子供だましに見えるくらい、本物は凄いんだよ」

「それはそうでしょ」

「何にせよ連絡することだね」

「はーい」

 今日は夜、やりたいことがあるので、明日にでも連絡しよう。


 帰宅後、それぞれお風呂に入って思い思いのことをしている時間、結葉を呼んで動画を見せた。

「これでいなかったんだ」

「そう。面白いでしょ」

「うん」

 二人でクスクスと笑い合う。改めて大きくため息を吐いた。

「あーよかった。凌乃が元気になって」

「連理ちゃんはいつも頑張ってて偉いね」

「そんなこと言ってくれるの結葉だけだよ」

 木蓮さんも瑞香さんも、褒めてくれるよりも先にからかってくる。

 もう少し大事に扱ってほしいものだ。

「みんな、連理ちゃんに期待してるから」

「これ以上何をさせたいのやら」

 近くを通った采女が私たちの手元を見た。嫌そうな顔になり、私たちを睨みながら言った。

「それもう消してよー」

 嫌だね。これは私の宝物だ。


 髪を乾かし終えた糸遊といつもの通り将棋盤を挟む。

 私は少し気を張っていた。その様子を察した糸遊が、不思議そうに問いかけてきた。

「連理ちゃんどうしたの?」

 今日は練習対局のために座っているのではない。ずっとずっと考えていた糸遊への継承式のつもりだった。

 糸遊を前にして、大きく深呼吸する。

 ゆっくりと、ゆったりと、長く深く。

 よし、覚悟を決めた。

 師匠から貰った数少ない宝物。もう引退した身だし、いいよね。一人頷いて糸遊を見る。

 気を引き締めているが、笑顔を見せてあげたかった。私は笑えているだろうか。

 いつか渡そうと思っていた。師匠には言っていないけれど、今度会う時に事後承諾を取ればいい話だ。

 何度も何度も何度も何度も、糸遊には助けられてきた。だからこれは、糸遊に受け取ってもらいたい。


 勝手に引退した癖に、何で寂しくなるのかな。

 引退した理由の一つに糸遊がある。引き継いでくれる子がいる。おかげで凄く安心させてもらった。

 思わず感極まる。何でこんな程度で……。

 自分でも睨むような目になったことがわかった。こんなことで泣いていては、糸遊の師匠は務まらない。

 その視線を受けて糸遊が顔を覗きこんでくる。ごめんね、今だけはしゃんとさせてね。

「連理ちゃん?」

「千振糸遊」

 声を張る。糸遊も背筋をより伸ばした。急にフルネームで呼ばれ、緊張感が伝わったのだろう。

「はい!」

「この盤駒をあなたに授けます。私の師匠からいただいたものです」

 決別ではない。道具はちゃんと使うべき者が所有するべきだろう。だから糸遊に授けたいと思った。

「何で?」

 糸遊の目に涙が滲む。感受性が豊かな子だ。察してすぐに泣きそうになっている。

「どうしても糸遊に受け取って欲し……」

 言葉が止まる。あー……と息をして続ける。

「どうしても糸遊に受け取って欲しかった。私の半生よ」

「もらえないよ……。もらったら、本当に将棋やめちゃうんでしょ」

「やめない。ただ、持ち主を変えるだけだよ」

 糸遊が考えている。ちゃんと理解しようとしている。糸遊は涙をこらえて頷いた。

「わかった。じゃあ受け取る」

「それとこれを」

 いただいた扇子を箱ごと差し出した。何度か開いたが、扇いだことすらない。これも大事なものだった。

「引退の時にいただいた扇子。これは預かっていてほしい」

 いつかまた私が本気の場に立つ時、その時に返してもらいたい。だから今は預かっていてほしかった。

「わかった!」

「今度の土曜、師匠に会いに行くからついてきなさい。あなたを弟子に取ります」

「はい!」

 いつかやりたかった儀式だった。引退を決める前から、いつかこうしたいと思っていた。

 少しはこの子への恩返しになればいいと思う。それ以上に、この先のプレッシャーを与えてしまったという自覚もあった。

 ただ、今は泣かずに言えた。やりきったぞ。その思いでいっぱいだった。

 泣き始めた糸遊が抱きついてきた。遠慮なく抱きしめる。私が涙を流さないように、泣いてくれる糸遊を抱きしめて心を落ち着かせた。

 ありがとう。私が泣きそうになったのを見て、代わりに泣いてくれたんだね。

 頭を撫でながら、何度も何度も小さくありがとうと言った。


「という動画が三者から送られてきておりまして」

 翌日、瑞香さんのスマホに、横から撮影された私と糸遊の姿が映っていた。

 木蓮さんがパソコンにつなぎ、大きな画面で三方向からの動画が比較されている。まるで撮影完了後の試写会のようだった。

 格好付けて、糸遊をフルネームで呼ぶ私がいる。

 言葉を言いきれず、息を整えて言い直そうとする私がいる。

 横からの撮影で、私が涙目になっているのがありありとわかった。

 あー、これは恥ずかしい。格好つけて真剣な自分の姿ほど、あとで見せられて恥ずかしいものはない。

 そして今日は、よりにもよって亜嵐さんに浮草までいる。

「あのー、ここから先はみなさまで」

「逃げるのか」

「勘弁してください」

 自分の声が他人の端末から聞こえてきた。凄く嫌な気分だ。

 逃げたら音量が大きくなった。とんでもない羞恥プレイだ。

 何度もループされ、頭がおかしくなりそうだった。

 恥ずかしくて椅子に座り、耳を塞いでいると照明が遮られた。浮草が横に立っていた。

「面白い家族なんですね」

「いやまあ、お恥ずかしいシーンを」

「一緒のライブが楽しみになりました」

 それだけ言って離れた。どういう意味なんだろう?

 一人レッスン場に向かう浮草を見ながら思う。

 多分悪い子じゃない。環境が悪影響を……いや、もう私がどうこう考える必要はない。

 あの子たちがライブでわからせばいい。それだけだ。

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