22歳18_傷だらけの棋士と四人の少女
まだ誰も事務所に来ていない時間に、結葉から電話があった。
「どうしたの? 急ぐならすぐ帰るけど」
「亜嵐さんが来ててね。今日は長くいられないから、できれば顔合わせできる時間に来てほしいなって」
「そういうことなんだね。うん、今日はすぐ行くね」
「焦らなくていいよ。気をつけてね」
「そんなに心配しなくて大丈夫だよ」
自分のせいで焦らせたくなかった。けれど、いらぬ心配だった。
時計を見上げる。まだ夕方の四時前。十分間に合うはずだ。
昨日のように糸遊が最初にやってきた。
「お、しゃちょー。おはようございます」
「おう」
「連理ちゃんもただいま」
「おかえり。おはようってなに?」
「業界用語だよ」
「そんなもの仕込んでたんですか」
「そんな大袈裟なものじゃない。まあ、便利な挨拶ってところだな」
細かい時間を気にして挨拶を変えなくていいし、同じ業界の人だという安心感も生まれる。
些細なことだが、悪くないと思った。
四時半には全員揃った。呼びたてる形になった結葉も落ち着いた様子だった。
一旦事務所は施錠して、全員でレッスン場に上がった。
準備運動から始め、いつもの基礎メニューに入る。
この時点で四人には一体感が生まれていた。普段通りの雰囲気だった。
亜嵐さんには「仕込みはなし」と念を押されていたので、四人には何のために亜嵐さんが見ているのか伝えていない。
瑞香さんが三人と凌乃の構図にした。違和感を覚えた。一人の凌乃はこんなに心細く見えるものだっただろうか。
三人のパフォーマンス、続けて凌乃単独のパフォーマンスが披露された。
そして最後に、四人まとめてのパフォーマンスになる。
四人の合わせを見て、亜嵐さんから最終判断が下された。
「わかった。四人でやりたいんだな」
四人が亜嵐さんを見ている。恐らく言われずとも、状況から察していたのだろう。
「その上で一つ、凌乃。お前もう一度一人でやってみせろ」
亜嵐さんの強い語気に、凌乃はうひゃっと肩をすくめた。
いたずらがバレた。そんな感じで笑みを浮かべている。なるほどね、四人でやりたくてソロでは手を抜いていたらしい。
改めて凌乃のソロ用の曲が流れる。
とても優雅に見えた。それ以上に、見ていて期待が高まる高揚感があった。
少し雑に見えるところもあるが、この子がソロ候補だったというのも頷けた。
倒れる心配がない。誰も押し倒せないような力強さがあった。
「それだけのことができて、それでもソロを選ばないんだな」
「社長さんわかってないね」
三人に飛びつき腕を回す。
「あたしがこの子らを使って、この子らがあたしを使うんだよ」
そーじょーこーかって奴ね。あえて馬鹿っぽく凌乃は言う。
「よくわかった。プランを練り直す。お前等は四人でWildflowersだ」
「その名前だけは変えてほしいんだけど」
「駄目だ」
采女と凌乃で雑草だーと大騒ぎが始まった。
亜嵐さんが時計を見た。まだまだ時間は残っている。
亜嵐さんが木蓮さんに声をかけた。
「木蓮頼んだぞ」
「はいよ」
そうだ。凌乃が入って四人になるのなら、木蓮さんがマネージャーをやるべきだ。
ならば私は必要ないな。事務所の中で他の仕事を割り当ててもらおう。
その上で学ばせてもらおう。木蓮さんについていこう。
一人退室する木蓮さんに続き、レッスン場のドアに手をかけた。亜嵐さんに首元を掴まれる。
「おいこら、どこへ行く」
「え?」
そりゃ業務引継ぎとか、大してやることはないけれど。思わず亜嵐さんを見上げた。
「お前の仕事はこっちだ。木蓮には他の仕事を頼んである」
「あれ? 私は解任なのでは?」
「お前以外に誰がこいつらの面倒見れるんだよ」
四人が自信満々にこちらを見ている。
えらく恥ずかしい勘違いをしてしまった。そうか、私がこの四人を支えるんだ。
「今日は解散でいいぞ。結成祝いでもやるんだな。こいつの奢りで」
言われなくても、この子たちの為ならいくらでも払ってやるさ。気分を改めて四人に声をかけようとする。何を言えばいいんだろうか。
そして瑞香さんに先を越された。
「よーし、焼肉でも行こう!」
「瑞香さんも来るの?」
「えー! 駄目なのぉ?」
「瑞香さんは自腹だよ」
「いじわる言わないでよー」
わちゃわちゃと戯れる五人に混ざり、連れ立って事務所に戻った。
四人が一緒にいられる。やっと落ち着いた気がした。
事務所でお店を探していると、木蓮さんの車で亜嵐さんも出かけてしまった。
今日は営業終了でいいと言われ、お店探しに集中する。
今日はお祝いだ。私も瑞香さんも飲む気満々だ。
根回ししてくれた木蓮さんがいないのは寂しかった。けれど、彼女のお酒のペースに飲み込まれたら一大事だ。
やっぱり今日は来なくてもいい。
焼肉は美味しかった。
凌乃は一人「緊張したー」と本音を吐き出している。
私たちが考えている以上に、四人でいることをアピールしたかったそうだ。
あわよくば、ユニット名を変えてほしかったらしい。
週末にまた凌乃と道場に通った。
今日は見学したいという糸遊を連れている。
いくつかの厳しめのメニューの後、凌乃が糸遊に自慢した。
「どうよ。糸ちゃんにはまだ早いかな?」
糸遊は不敵にほほ笑む。
「糸遊の方が全然強いよ」
糸遊に気圧されるものを感じた。凌乃も少し反応し、すぐにニカリと笑った。
「上等、今度見せつけてやるからね」
「期待しててあげるね」
無駄口を叩くなとトレーナーに注意された。ごめんなさいと三人で謝る。
そろそろ道場主との約束の時間だ。糸遊と凌乃も、一緒に話を聞きにいくことになっている。
面白い話でもあるのだろうか。
小さな個室に四人で座った。
「狭くてすまないね」
「お気になさらず」
「お気になさらず!」
「元気な子だね」
少し緊張しているのだろう、真似する糸遊の発声が強くなる。
凌乃は緊張感がなく、壁や棚に飾られているものを見て「おー」とか「すげー」と呟いていた。
「この間の話は?」
「伝えています」
道場主は頷いて、糸遊にゆったりと話しかけた。
「いい姿勢だね。何かの経験者かな?」
「剣道を六年やってました!」
「どちらで?」
糸遊が北の地名を告げる。凌乃との同郷の土地だ。
「あのあたりなら、なるほど……」
道場主は一人で納得している。有名なところなのだろうか。
「今も稽古はしているのかな?」
「毎日素振りしてます」
「手を見せてくれるかな」
糸遊が両手を開いて前に出した。
まじまじと見るのは私も初めてだ。一緒に手の平を観察した。
竹刀ダコというのは聞いたことがあるが、ブツブツしていない。
平面的に広がっている形だった。左手は小指から中指の付け根の辺りまで、右手は薬指と中指の付け根の辺りだ。
「触ってもいいかい」
「はい!」
道場主がタコの部分をぐっぐっと押す。硬そうだ。私も触らせてもらう。
ざらっとした感触の奥で弾力があった。
「凄いなこの子は」
「自慢の子です」
「なるほど。深呼吸の先の話を聞かせてもらえるかな」
えーと、どうしよう。私が話すのも違う気がする。
糸遊を見ると、コクンと頷いた。糸遊が話しはじめる。
少しぼーっとした表情で糸遊が道場主を見て話し続けた。淡々と、情報を伝えるための無駄のない話し方だ。
傍から見ると舐めた口をきく子供にも見えるだろう。しかし、道場主はうんうんと頷いていた。
「ありがとう」
「わかった?」
「よくわかったよ」
「よかった」
にっこりと糸遊が笑う。
つられて皆が笑った。糸遊の笑顔は人を巻き込む笑顔だ。
「どうでしょう? 私の解釈と合ってますか?」
「どうだろうね。私が正解と断定できないが考え方は近いと思うよ」
よし、これはいい手応えになる。
「お時間ありがとう。少し九さんとお話をさせてもらってもいいかな」
「うん、ありがとうございました」
「お邪魔しましたー」
糸遊と凌乃が退室した。
糸遊のいた席に座り、道場主と向き合う。
「君が教えているそうだね」
「将棋と体力作りを少々」
謙遜してみた。軽く流されてしまう。
「あの子たちを見て思ったことだが、気を悪くしないで聞いてほしい」
身構えて続きを待った。何を言われるのだろうか。
「君のことだ」
「私ですか?」
「今は彼女たちのような、現役の場にいないそうだね」
「そうですね」
事務所の出勤時間がある以上、手一杯というほどではないが、それなりに時間と場所は拘束されている。
頭を使う勝負事や、身体を動かして何かを披露するような、現役であるような時間はない。
「正直に言うと、引退は早急だったと思うよ」
「満足はしていました」
「それでもだ」
珍しく強めの語気にたじろぎそうになる。
「ここの練習以外、発散できる現場を探しなさい。君自身のためにね」
「考えてみます」
「うん。お時間ありがとう」
一礼して退室した。ドアを閉めて少し考える。
何かの現場といえば、今は睡蓮のバックダンサーの仕事しか思い浮かばなかった。
しかし、別事務所のユニットのマネージャーという立場上、参加することは難しい。
何よりあそこは以前よりレベルアップしている。技術云々より、今から参加しても調和が取れる気がしない。
帰ったらゆっくり考えよう。きっと何かあるはずだ。
もう少し身体を動かしたかった。
気持ちを切り替え、トレーナーさんに声をかける。サンドバッグの使用許可をもらった。
糸遊と凌乃が見ている。張り切りって見せたいが、気負っては駄目だ。
私は凌乃のようにラッシュを入れるタイプではない。
一つ一つサンドバッグに捻じ込むように、丁寧に丁寧に打ち込んだ。
今はこれしか発散できるものがない。ストップがかかるまで、無心でサンドバッグに向き合った。




