22歳16_傷だらけの棋士と四人の少女
凌乃は糸遊に影響された。
采女は凌乃に影響された。
結葉は采女を受け入れ、今では一緒に何かを作ろうと話している様子を見かける。
糸遊は結葉に「強い人」という印象を持っている。たまにそういう言い方をする。糸遊の癖だ。
面白い関係ができていると思う。誰かと誰かが二人で仲よくしていると、他の二人が仲よくしている。
その調和を生むのは凌乃だったり瑞香さんだったり、自慢になるが私だったりだ。
今日も亜嵐さんはいない。来客予定もない。
事務所に鍵をかけて「レッスン場にいます」という掛札をかけて全員でレッスン場に移動していた。
あれから結葉も少し遅れて到着し、三人組と凌乃のレッスンが始まった。
この時間から瑞香さんが忙しくなる。
三人組の相手をしている時は凌乃に木蓮さんが、逆の時は三人組に私が気づいたことを伝える。
音楽が流れる時は四人一緒だったり、お互いを参考にし、気づいたことを伝え合う。
今のところは上手く行っている。身体能力もパフォーマンスも、デビュー前にしてはできすぎているくらいだと思う。
ただ、やっぱり三人と凌乃の距離感が近い。一つのユニットと一人のソロというには、どうにも一体感が生まれすぎていた。
じっと観察して確認する。別でデビューするよりも、四人一組の方がしっくり来ると思う。
凌乃は気遣ってあえて一歩離れようとするが、年下の二人はよく凌乃を頼る。
結葉が悪いとか孤立しているわけではない。最終的なまとめ役は結葉になることが多いし、凌乃も最終判断を結葉に委ねている。
この四人の完成形を想像した。
中心は采女か凌乃、曲や舞台のスタイルによって入れ替わる可変式だ。
結葉が外を大きく動く。本人もそういう立ち位置を好んでいる。ただし、もう少し積極性があってもいいかもしれない。
糸遊はとにかく場に変化をつけてくれる。タイミングが正確な糸遊のスタートから止まった曲が再開し、采女と凌乃に上手く繋げる。
それぞれが個性を活かせる形だろう。素人判断ながらも自信はあった。
ただ、もし凌乃がいなかったらどうなんだろう?
中心は采女ばかりになる。それはいい。糸遊が動く、インパクトが弱く感じられそうだ。
結葉が動く範囲が、距離が減る。ダイナミックさが損なわれる。コンパクトにまとまりきってしまう。
凌乃がいる前提と比べると、どこか物足りなさを感じる形になる気がした。
並んで見ていた木蓮さんもそれを感じ取っていた。私を見て口を開いた。
「やっぱさ、四人でやらせた方がいいね」
「絶対そうだと思う」
「こればかりは亜嵐さんの戦略より、こっちの完成度を優先させてほしいな」
「よかった。木蓮さんもそう思ってたんだ」
「これを見てそう思わないのは間抜けだよ」
亜嵐さんが現場に来ていないのがネックだった。これを見たら、すぐにでも意見を変えてくれそうなのに。
しばらくレッスンを見て解散となった。
栄養管理を考え、オフィスに設置されたシステムキッチンでご飯を作る。少人数ならではの自由な使い方だった。
四人にはストレッチを優先させ、作るのは主に私と木蓮さんだ。
瑞香さんはその時々でキッチンに立つ。居残りのレッスンの対応や、その時々の指導方針に応じて仕事量が変わる立場にあった。
これまでは家庭的で面白いお姉さんと思っていたが、一緒の職場にいると優秀な人だとわかった。亜嵐さんがいない時の年長者としての責任感もあるのだろう。
事務所で食事を済ませると八時を過ぎていた。凌乃とバイクに乗り、道場を目指してアクセルを捻った。
事前に連絡を入れていたので臨時で凌乃も練習に参加させてもらえた。学校の課題が少ないので、凌乃は身体を動かす時間が作りやすい。
私は道場主のところへ行く。相談したいことがあると前もって伝えていた。
「いらっしゃい」
「お時間ありがとうございます」
「君ならいつでも歓迎だよ」
妙に評価されている。こそばゆい気持ちになった。
「それで、どんな相談かな」
職場についてからの数時間、作業が終わった後の虚無感など。かいつまんで話した。
「職場での暇を暇でなくしたいと」
「はい」
「その暇は必要がないのかな」
「必要は……あると思います」
「ただ耐えられないと」
「ギリギリで耐えてる気分です」
「これは持論なんだけどね」
そう切り出す道場主の話に聞き入った。
世の中には無駄が多い。無駄を削って効率化することはいい。
しかし、削り切ってしまうと余裕がなくなる。余裕がなくなると苦しくなる。
苦しくなると効率が落ちる。必要なのは無駄を残せるバランスだと思う。
理屈は納得できた。ただ、やっぱり気持ちが追いついていない。
「ずっと運動していると呼吸がきついだろう?」
「はい」
「運動していない時間は非効率かな?」
「回復の時間も必要です」
「では、どちらでもない時間は?」
「無駄……なんですかね」
「そうだね。私は必要な無駄だと思う。さっきの話、余裕を持たせるための無駄だと感じているよ」
理屈はわかる。必要なことだともわかる。頭の中では組み立てられているのに、ずっともやもやが晴れなかった。
「しかし、感情が追いつかないと思うんだね」
「そうだと思います」
「つまり、感情に余裕がないんだね」
感情の余裕か。そういう見方が必要だったんだ。すっと、腑に落ちた感覚になる。
そうだ。感情の余裕が必要なのだ。
「感情が落ち着くのはいつかな」
「楽しくしている時、凌乃たちがやってくるタイミングですね」
「安らぐわけだ」
「はい」
「君は頭がいい」
「恐縮です」
「頭がいい人は思考の効率がいい」
「はい」
「効率がいいと余裕ができる」
「はい」
「君はその余裕を無駄に感じている」
「そう……なんでしょうね」
「君はもう頭脳戦の世界にいない」
「はい」
「最大効率で頭を回す必要もない」
「はい」
「つまり、少しゆっくりと考えてみたらいいと思う」
「ゆっくり? ですか」
「ゆっくり、ゆったり考えるようにしてみたらどうかな」
「ゆったり考える。ですか」
「人にとっては、最大効率は最適じゃないかもしれない。私はそう思うよ」
「最大効率は、負荷がかかるから?」
「そう。だから最適を探そう」
「効率を捨てるんですか?」
「非効率でいいんだよ。見つかれば安心する」
「安心する……はい」
「うん。だから、暇だと思ったら深呼吸しなさい」
「それだけですか?」
「それだけだよ」
「わかりました」
言われてすぐ深呼吸をする。確かに落ち着いた。一時的な解消方法でも、少しは楽になりそうだった。
「今言ったことは忘れてもいい。気になったらまた来なさい。覚えて帰るのは深呼吸だけでいいよ」
深呼吸をすること。それだけ持ち帰る。うん、難しく考えなくていいんだ。
「はい。ありがとうございました」
「こちらこそありがとう」
とても穏やかな人だ。こちらから何もしていないのに、ありがとうと返してくれる。
そうか。焦らなくていいんだ。ゆっくりゆったり、そして深呼吸。
全部覚えてはいられないと思う。でも多分、頭でじゃ理解できている。忘れてもいいと言われたおかげだろうか、意識しなくても頭の中で理屈が組み立てられていた。
説明を求められたら順序立てて言えると思う。最後に深呼吸をもう一度した。
ああこれ、集中している時とそっくりだ。簡易的に、一時的に集中している時の感覚になれる。
これ、糸遊にも教えてあげたいな。
「あ、先生」
「なんだい」
「道場生じゃなくても、一人連れてきていいですか?」
「いいよ。今の話かな」
「はい」
「では、一度君から話してみなさい。上手く説明できなかったら連れておいで」
「わかりました」
改めて頭を下げて退室した。
深呼吸かぁ。それだけでいいんだ。
階段を降り、凌乃の練習風景を眺めた。
凌乃がこちらに気づいて駆け寄ってくる。
「もう帰るの?」
「うん、糸遊に伝えたいことができた」
「じゃあ、すぐに切り上げるから待ってて」
「ゆっくりでいいよ」
「そんなに待たせないよ」
ははっと笑って凌乃が着替えに行く。その時間すら、今は楽しく待てる気がした。
ゆっくり、ゆったり、深呼吸。凌乃を待ちながら繰り返す。とても落ち着いた気分になった。




