22歳13_傷だらけの棋士と四人の少女
凌乃を別居させるという話が出た。
器用な彼女は、身の回りのことを一人でできるようになっている。
高校生活と並行してのソロアイドル活動も、恐らく問題なくできるだろうという話だ。
通いでいつもいてくれた瑞香さんが来なくなり、凌乃までいなくなったら。
一番懐いている采女がどうなるだろうか。
活動が違ってもシェアハウス的にいることはできるんじゃないだろうか。
四月に入り、新生活が始まった。
晴れの日はバイク、雨の日は車で僅か三分の職場に行く。
まだ外と関わる仕事が少ない分、レッスンのない時間は暇になる。
毎日のように来てもらっていた時のように、瑞香さんと、そして木蓮さんと話す時間が増えた。
木蓮さんは三月付けで前事務所を退職。四月からこちらに就職した。
ビルの中で働いてはいると、まだまだ工事の音が響いて聞こえた。
事務所の正式稼働は五月から。
そこから三人と凌乃には、アイドルの卵として営業活動に同行させるプランが組まれていた。
基本的な生活スペースが自宅から事務所に変わると、自然と時間を持て余すようになった。
やらなければならないことはまだ少ない。かと言って時間が出来たからと、勝手に運動にも行けない。将棋もできない。
アイドルの研究と称して色んな動画チェックをすることはあるが、とても単調な作業に感じた。
二人はこういう時間どう過ごすのだろう。様子を窺ってみた。
木蓮さんはオフィスレディという感じでマウスをカチカチしている。何か資料でも作っているのだろう。
瑞香さんはあーでもない、こーでもないと紙に描いたり消したりしてイメージを固めてる。振り付けの案をまとめているのだろうか。
飲み物を取りに行く体で二人の手元を見る。
木蓮さんはゲームをしていた。瑞香さんはパズルを解いていた。
「二人とも何やってるんですか!」
「ゲーム」
「パズル」
「仕事の時間ですよね、今」
「そういうの、部内の輪を乱すからやめといたほうがいいよ」
どこかで聞いたようなセリフだ。
「ていうより、こういうのも実際必要なのよ」
瑞香さんから言い訳がましい雰囲気はない。
「私たちが常に気を張っててもレッスンを受ける子は質問しづらいでしょ? こういう時間であの子たちの世代の流行り物とか経験しとくと、話題が作りやすいんだから」
「そういうものなんだ」
「そうそう。連理ちゃんはまだ硬いね」
そういうシビアな世界が当然だと思っていたのだ。仕方ないだろう。
「じゃあ、練習を見てあげられるように体力作りのランニングとかは」
「仕事舐めてるの?」
そう来るか。
「連理ちゃんはとりあえず、ゆるーく考えることから始めないとね。今焦っても何もないんだからさ」
「わかりました」
「あと、私に敬語もういいよ。面倒でしょ」
ははっと笑う木蓮さんに同意する。「おあいこ」の仲だ。
私たちの立場はオープニングスタッフのようなものだ。
新規事業のために事前にできることはやり、開始してすぐにやらなければならないことをリストアップする。
そしてそのリストの中身がすっからかんだった。
身体を休ませ、心を落ち着かせるための時間は大事だ。
そのためには身体を動かし、頭を使って適度なストレスを得る必要がある。
これまで常に二足や三足の草鞋を履いて生きてきたから、急に一足にされるとどうも調子が出ない。
一月に糸遊に宣言してから将棋人生最後の相手の研究に全力を使った。
規則正しい生活と運動量を維持しつつ、暇さえあれば棋譜を見る。そんな生活だった。
対局の前は充実感があった。
三人娘から四人娘になり、一緒に動いて鍛え上げた。
そこら中の同年代の子では張り合えない体力だと思う。
体育の授業のことをそれぞれに聞いたことがある。
「うーん、走ってたら終わってたよ。糸遊が一番だった」
「私がタメの奴らに負けるわけないでしょ」
「体育って、他の授業の気晴らしみたいだよね。楽しいよ」
「ちょろいってよりちょろすぎ」
鍛えすぎたかな。
「瑞香さん」
「なにー?」
「あの四人って、ダンスレッスンで息切れすることあった?」
「ある程度やると疲れはしてたけどね。連理ちゃんと凌乃ちゃんが行ってる道場のあとみたいなことはなかったよ」
「体力ついてるのかな」
「まあ、人並みの倍くらいには」
倍かー。倍? 人並みがどの程度? 基準がわからない。
「それって私と比較できる?」
「連理ちゃんは十倍くらいあるんじゃないの?」
「そんな化け物みたいに言わなくても」
「化け物だよ」
そう言われてもちょっとなぁ。たぶん大袈裟に言っているだけだろう。
「木蓮さん」
「はーい」
「アイドルのマネージャーって、この瞬間めちゃくちゃ忙しいみたいなことある?」
「疲れるようなこと?」
「そうそう。頭も身体もクタクタになって、とてもじゃないけど動けないような」
「うーん、私の場合身内の為だったからね。それを踏まえて言うと」
睡蓮を見てきた木蓮さんの言葉だ。どんな重要なことを言われるのか身構える。
「毎日超がんばってて超えらい。超可愛いって思ってた」
「答えになってないよ」
「イレギュラーが起きなきゃ体力使うこともないんだよ、連理ちゃんクラスじゃなくても前線にいた人は」
「そうそう」
そういうものなのか。
「じゃあ体力維持はどうしてるの?」
「ダンスしたりランニングしたりはするけど、あくまで健康維持程度かな」
睡蓮がバックダンサーに戻ってこいと誘った理由は、恐らくこれもあるのだろう。
マネージャー業に専念すれば、パフォーマーとしての質が落ちる。心技体全てにおいてだ。
だからこそ、瑞香さんや木蓮さんのように、一線を退く決断をした人が重宝される。
私から体力を奪ったらどうなる? これが半分以下になったら何ができる?
四人娘たちの体育の話を思いだしてわかったことがある。恐らくあの子たちは、集中せずともある程度できるスペックになっているのだろう。
全力を出さなきゃ終わらないとか一番になれないとか、そういう環境にいなければ最大値は下がり続ける。
学生の間はいい。スケジュールに忙殺され、効率を求めて頭を使う。
私のように学生生活と真剣勝負の環境を同時に卒業してしまったら、それこそ抜け殻になってしまう。
現状を暇だと諦めるのではなく、没頭できるものがあればいい。
意味もなくオフィスの中をうろうろした。
あの子たちの誰かがここにいれば、何か話して見つかるかもしれないのに。
瑞香さんや木蓮さんはいい。少しずつ周囲の物を吸収して、経験してきた仕事と組み合わせられるからだ。
私は違う。経験してきたことが全く仕事と関係ないのだ。棋士生活も学生生活の延長みたいに感じていたのかもしれない。
亜嵐さんはどうしているのだろう?
バイタリティ溢れるあの人が何もしていないわけがない。
彼女についていけば、ためになる仕事を学べるのではないか。
「亜嵐さんに電話してもいいかな」
いいよーとどちらともなく緩い返事が聞こえた。
決断して電話をかけた。少し待たされて亜嵐さんが電話に出る。
「おつかれさまです九です」
『何だ急に』
「亜嵐さんの仕事って何してるんですか? 参考までに知りたくって」
『どうせ退屈して時間と体力持て余してんだろ』
「なんでそれを」
『そういう奴を沢山見てきたからだ』
「どうすればいいですか?」
『今私がやってる仕事はお前とは関係のないことだ、だから見せてやることもできん』
「はい」
『社員の契約を下げといたのもな、お前がそうなった時にある程度自由にやれるようにする目的があったんだぞ』
「そうなんですか」
『といってもどうしてやることもできん。営業活動するにしても、最初は本人達がいないとな』
「それが困ってるところなんですよ」
『まあ、しばらくは考えてみろ』
「はい」
考えるしかない。本当に考えることができたときに、考える時間を多く作るために。




