22歳11_傷だらけの棋士と四人の少女
楽しかった。
建物に向かって心の底からお礼申し上げた。
ありがとうございました。
連絡先が増えてしまった。今後の管理が大変になる。それもまた楽しみだった。
歩きながら誰に伝えようか考える。そうだな、やっぱり……まずは糸遊に電話しよう。
「終わったよ」
『おつかれさま』
上手い言葉が出ない。言葉を出せずにいると、糸遊から話してくれた。
『今度は糸遊だね』
「そうだね」
うん。糸遊が続いてくれる。何も心配いらないじゃないか。
寄付は匿名を希望した。
しかし、報道された私への風潮を払拭しないと連盟への不信感につながるということで、十年分の契約だけ名を出すことになった。
その後のことはまた考えることになる。十年は人任せでいられるんだ、それでいいかなと思って簡単に答えた。
報道は掌返しだった。恩知らずを恩返しの人と呼び始めた。ちゃんちゃらおかしい。
おかげで誹謗中傷も減ったようで、気にしていないふりをしながらも少し安心した。
瑞香さんに電話した。一番近くで一緒に四人を見てくれた人だ。そして私のことも見てくれていた。
『おつかれさま』
「ありがとう」
『皆とも話す?』
「糸遊とは話したよ」
『スピーカーにするね』
思い思いのことを言ってくれる。区切りがついたことを実感する。
いつか戻りたいと思う日も来るだろう。しかし制度上無理だった。
私には引退棋士の肩書しか許されていない。それでもいいと思って決断したのに、やっぱり人と話すと込み上げてくるものがあった。
仮想通貨の現金化に際し、自分の手元にもいくらか追加で残しておいた。
これで事務所からお金が出なくても十数年は満足のいく生活ができるだろう。
勿論、そんなことは許さない。亜嵐さんにはしっかりとツケを払ってもらうつもりだ。
師匠に電話した。
『おかねもち』
相変わらずふざけた言葉から始まる会話だ。今はそれすらありがたい。
「用立てが必要ですか?」
『いや、君からは受け取れない』
他の人からなら受け取るのだろうか。そんな皮肉を返したくなる。
「私もその気はありません」
『破門になりたいかい?』
「絶対に嫌です」
『わかった。だったら、君はずっと僕の弟子だ』
「はい。はい、ありがとうございます」
泣いてしまった。細道に入って涙を拭う。泣き声が師匠に聞こえているかもしれない。それでも涙が止まらなかった。
ずるいよ、本当にずるい人だ。もっと早く言ってほしかった。こんな時にしかほしい言葉をくれない人だ。最悪で最高な師匠だ。
どれだけ泣いていたのだろうか。泣き止んでスマホを見る。
電話はもう切れていた。気を遣ってくれたのだろう。
最後にもう一度、「ありがとうございます」と師匠に言葉を思った。
自宅へは寄らず、会館から事務所ビルの番地へ移動した。
もうできているように見えたが、まだまだ設備の搬入などがあるそうだ。
亜嵐さんが手を振っている。
「お疲れだったな」
「楽しかったです」
「ところで立替金については」
「ちゃんと請求しますよ」
「けち臭い奴だ」
「どっちがですか」
中はまだ見られなかった。
けち臭いついでに、専用駐車場は念押しした。
送り迎えの度にコインパーキングを使いたくない。
金井さんに電話した。
『報道見たよーおつかれさま』
「ありがとうございます」
『投資の才能もあったんだね』
「破れかぶれがあたっちゃいました」
『あはは、いいなぁ』
いいなぁ、か。それ以上に金井さんはおめでたい話がある。
「結婚するそうですね」
『うん。素敵な人だよ』
「あんなに抱きしめてくれたのに」
『連理ちゃんとなら浮気オッケーで言わせるよ』
「それは素敵な旦那さんです」
『自慢の旦那です、式には来てね』
「はい、是非とも」
師匠に泣かされたあとで金井さんに癒される。本当にいい友人を持てた。
ぶらぶらと歩いて帰る。
職場に駐車場は念押ししたが、実は事務所と自宅は徒歩十分ほどの距離だ。
それぞれの最寄り駅は一つ分しかない。
歩いて帰る時でもちょうどいい距離だった。
睡蓮に電話した。
『あ、カメラで笑ってた人だ』
「見てたんだ」
『見てた見てた。コメント大盛り上がりだったよ』
そうなんだ。ふーんと興味を示さないように心がける。
『あと、小さいくせにおっぱいでっけーとか』
「そんなこと書いたの?」
『大丈夫大丈夫。Hカップって書いといたよ』
「は?」
何で知ってるんだ? そして何で書くんだ?
そうか、服を送られた時、衣装採寸のデータを取られてたのか。
あの事務所、どういう情報管理をしているんだ?
『まあまあ、どうせ妄想コメ扱いで終わりだよ』
「ならいいや」
『ところでいちくじ君』
「いちじくね」
『我々のバックダンサーチームから優秀な子がいなくなったのだよ』
「金井さんね」
『帰ってくる気ない?』
「ない」
『少しは考えてよー』
「亜嵐さんの事務所のこと知ってるでしょ」
『そりゃそうだけどさ。大学も将棋も終わったんでしょ。時間できるんじゃない?』
「無理無理」
『そっかー』
あなたを泣かすためだ。そのためにこれ一本に絞るんだ。
そう決意して将棋の引退を前倒しした。
『じゃ、また今度ね』
「うん」
『ライブ、また六月から定期的にやるよ』
「全部行く」
『私のファンじゃん』
「敵情視察だよ」
『照れ屋さん』
話し続けるともっとからかわれそうだった。
適当に切り上げて電話を終え、自宅に到着する。
たった六人のおつかれさま会が始まった。




