22歳9_傷だらけの棋士と四人の少女
睡蓮のライブ。最初の一曲で少しミスがあった。
しかし、それが開き直りに繋がり、そのまま五曲を終え、アンコールに応えていた。
四人も大興奮だった。瑞香さんは泣いていた。
「連理ちゃんに泣かされてから、涙腺おかしくなったみたい」
「私は睡蓮さんのせいだったよ」
これでもかってくらいに泣かされた。完全敗北の瞬間だった。
「じゃ、いっか」
「うん」
なにが「いっか」なのはわからない。ただ、ちょっと通じ合った気がした。
そしてそんな状態で悪いと思いつつ、またしても四人を瑞香さんに任せ握手会の会場へ向かう。
私以外にも沢山の女性客がいた。睡蓮を大好きなバックダンサーがあれだけいるのだ、女性ファンの多さも当然だと思う。
しばらく列に並び、順番を待った。
わけのわからない興奮の言葉を伝える男性に、睡蓮は「ちゃんと練習してこい」なんて堂々と言い放つ。
そういう突き放したようなことでも笑顔を集めるのが睡蓮なのだ。
目の前の男性が涙ながらに感想を伝える。
「待たせてごめんね。これからまたいっぱいライブやるね」
男性ははい、はいと何度も頷いて去って行った。
「おつかれさま」
「来たなー」
なんて言えばいいんだろう。圧巻だった。泣きはしなかったが放心状態にされた。
「どうだった?」
「瑞香さんは泣いてた。でも私は泣かなかったよ」
「くっそぉ」
次は泣かしてやるぅと悶える睡蓮の手を取り握手。
「私もいつか睡蓮さんを泣かすから覚悟しててね」
「お、受けて立ちましょう」
他の人に比べると短い握手の時間だった。それで充分だった。
近くにいた木蓮さんと目が合う。この人自身もアイドル活動はやめてないはずなのに、完全に影に徹していた。
お互いに頭を下げる。今日は特に言うことはなかった。
瑞香さんからどこどこの出口で待ってるというメッセージを受け、余韻に浸りながら外に出た。
凄かったなぁ。
んーと伸びをする。
低迷とか停滞とか落ち目とか、睡蓮が影で散々言われていたことは木蓮さんから聞いていた。
本人が知ってるかどうかは定かではない。ただ、睡蓮なら知っていても跳ねのけたのだろう
ライブ中の興奮はどこへやら、四人は帰りに放心状態になっていた。
帰りは渋滞が凄かった。焦っても仕方がない。
一番後ろの席では結葉と糸遊が寝息を立てている。真ん中の席では凌乃と采女が同じく眠りこけていた。
そして助手席では瑞香さんが電話を終えた。
「何て?」
「事務所四月から使えるって」
「レッスン場も?」
「うん。別フロアにレンタルスタジオも用意してるから、そこで集金もするって」
「抜け目ないなぁ」
他のアイドルや候補生を観察したり、あわよくばスカウトしてやろうという魂胆が伺える。
セキュリティにも気を遣った構造で、詳しくはわからなかったがとにかく凄い事務所になるらしい。
「マネージャーの仮眠室とかないかな」
「絶対ない」
瑞香さんの切り捨てるような返事を残念に思う。暇な時間でもあれば気持ちよく眠れるだろうに。
それにしても車が進まない。ナビだと自宅まで三十分とあるのに、その数字を見てから二十分は経っている。
「瑞香さんはさ」
「なあに?」
「アイドルやってて楽しかった?」
「難しいこと聞くね」
瑞香さんがうむむと眉を寄せる。ミラー越しに表情が見えた。
「あの時は何割くらい楽しかった、別の時は何割、みたいな感じで一概には言えないかな」
「そっか」
「連理ちゃんは?」
「アイドルやったことないよ」
「違うよ、将棋界のアイドルみたいなものでしょ?」
「そんな見出しもあったなぁ」
まあまあ騒がれたことがある。しかし陰険さ丸出しって感じだったので、マスコミはすぐにフェードアウトしていった。
「割合じゃ言えないよね」
「でも面白いから続けてるんでしょ?」
「面白い時とそうでない時があるからなぁ」
うーん、ちょうどいいし言っちゃうか。
「もうすぐ辞めるしね」
「え?」
「棋士引退。もう決めてるよ」
「嘘?」
「ほんと」
「なんで? 糸遊ちゃんは連理ちゃんを追いかけてるのに」
「弟子になるって言ってたね」
「そうよ。今辞めちゃったらもう……」
「師匠にはなれるよ、引退しても。そういう仕組みだから」
「それでも……」
「うん、公式の場で対戦はできなくなるね」
糸遊がそこまで来れたとしたら、その時は残念だけれど。
「でも教えられる。糸遊もアイドルに絶対なるって言ってる、だから辞めても繋がれると思った」
「それって糸遊ちゃんには伝えたの?」
「言ってない。糸遊はまだ棋士の卵にもなれていない。厳しいけれど、これは甘やかして言える話じゃないから」
もう一つ追加情報だ。これも言っておかないといけない。
「そもそも私、棋士は十年しかやらないって師匠と約束していたんだよ」
「そうなんだ」
「今年で八年目。ちょっと前倒ししちゃった」
「だったらもう少し続けるべきじゃないの?」
「将棋好きって皆が皆プロになろうとするわけじゃないんだよ。ゲーム専門の強豪もいる」
「でも連理ちゃんはプロだよね」
「うん。プロじゃなくなっても、好きなものは好きだよ」
「やっぱり好きなんじゃない」
まるで尋問だ。苦笑しながら本音で答えた。
「好きなまま終わらせてよ」
「あ、そういうこと」
「残り三戦だけ。三月には全部終わるよ」
少し車が進んだ。合わせてゆるゆると車を動かす。
「糸遊ちゃんにはいつ言うの?」
「考えてなかったなぁ」
「一番重要なところでしょ」
「じゃあ、帰ったら言うよ」
「そんな急に?」
「大丈夫。多分わかってくれるよ」
糸遊は受け入れてくれる。
くれなかった。
「何で! 糸遊が弱いから? 糸遊がプロになれないから諦めるの?」
「違うって。話聞いて」
「じゃあ何で将棋教えたの? ずっと一緒にするって言ったのに!」
「それも説明する」
糸遊はフーフーと息が乱れてる。手を強く握りしめて。
「座ってくれる?」
いつもの背筋を伸ばした座り方じゃない。感情を押し込めて、背中を曲げて必死に耐えている座り方だ。
「一番大事な結論から言うね。私が現役で居続けても、絶対に糸遊は間に合わない」
「何で!」
「私は長くてもあと二年しかプロでいられないから」
急に心配そうな顔になった。本当に優しい子だ。だから全部伝えたい。
「どこか悪いの?」
「違うよ。約束なの」
「誰との?」
「師匠と。師匠になってもらって、プロ入りする時に十年で辞めるって言った」
「そんなの無視すればいいじゃん」
「私から言い出したことだから無理」
「何で? 何でよぉ! もっと将棋教えてよぉ!」
「教えるよ。ずっと教える。糸遊が私より強くなるまで」
「糸遊が強くなったら?」
「私より?」
「糸遊がプロになったら教えてもらえないでしょ」
「それは糸遊が私より強くなったらね」
「プロ辞めちゃったらもう強くなれないじゃん」
「そんなことないよ」
むしろ中途半端なままの方が弱くなる。肩書だけで強くいられる世界ではない。
「プロじゃなきゃ強くなれないなんてことはない」
「それはわかるよ」
「じゃあ、プロを辞めた私に糸遊は絶対勝てるようになるの?」
「それはわからないよ」
「それがわかった証拠でしょ」
ポカーンとした表情の後、盤面を見る時の目になる。
ブツブツブツブツ言って、要素と要素の絡みに気づいた。
「連理ちゃんはプロじゃなくなっても強くなる」
「うん」
「糸遊より強い間はずっと教えてくれる」
「うん」
「糸遊が強くなっても連理ちゃんはもっと強くなる」
「そう」
「そしたらもっと教えてくれる」
「偉い。よくできました」
「はぁー、それ先に言ってよ」
「言っても納得しないでしょ」
「そうだけど」
「それにね、私より強くなるなんて言ってるけど」
糸遊の肩を掴む。これだけは言っておく。
「永世タイトルホルダー舐めんじゃないよ」
糸遊が震えだした。強く言い過ぎたかな。
だとしたら誰か間に入ってくれているはずだ。少し待っても誰も何も言わない。
あれ?
様子を見ていた四人を見た。皆顔色が悪い。というより硬直しているようだった。
ガシリと糸遊が私の腕を掴み返してきた。
「舐めないけど、強くなる!」
「偉いね糸遊は」
「偉いだけじゃない、強いもん」
ふふっと笑ってしまう。出会った時もそんなこと言っていたね。
「私の現役はあと三戦だけ。全部勝つからね」
「うん」
「全部勝って、勝ち逃げして、伝説にしてあげるね」
「うん!」
四人を見る。応援してくれると言ってくれた。
顔色の悪さは気のせいだったかな。
ただ、できなかったらどうしよう。そういう不安もある。
だって残る相手の内二人は、私より格上の永世タイトルホルダーだから。




