22歳6_傷だらけの棋士と四人の少女
瑞香さんに直接聞きたかった。あの時のアイドルはあなたですかと。
睡蓮と別れ一人電車に揺られる。
ぼんやりと考える。確認してどうしたいんだろう? お礼を言う?
電車が駅に着いた。考えているような、考えていないようなふんわりした気分で駅を出る。
駅から歩いていると雪が降りはじめた。あらら、みんな初詣に行きたがっていたけれど、これは難しいかな。
スマホが鳴る。睡蓮からのメッセージだった。
『今日はありがとう。凄くいい話聞けて楽しかった』
さっきと同じことを言っている。苦笑して私も同じように「こちらこそ」と返した。
睡蓮のメッセージは人が変わったように簡素な物が多くなった。スマホ紛失事件からだ。
お互いに飾り気のない文章のやり取り。元々私はそうだったけれど、妙な信頼感を感じた。どうせ都合のいい思い込みだ。
マンションに着く。オートロックを開け、エレベーターに乗り込む。部屋の鍵を開ける。頭がふんわりしていて、一つ一つの動きが妙に意識されていた。
「ただいま」
五人からおかえりのラッシュ。ちょっと出かけていただけなのに、ずいぶんと盛大な歓迎だ。
玄関にお出迎えにきた采女が両手を突きだしてくる。
「お土産は?」
「ちょっと遊んでただけだよ。そんなものないよ」
「生意気ー!」
「あんたがね」
采女を軽く締め上げる。最近はちょっとやそっとじゃ効かないし、すぐに抜けられる。
今回も逃げ出された。すばしっこくなったものだ。
手を洗って暖かい部屋に入る。ほっと落ち着いた。
「何か飲む?」
じっと瑞香さんを見てしまう。
そうかこの人だったのか。
「連理ちゃん?」
「あ、ごめん、お白湯がほしいな。あと、雪降ってきたよ」
「本当? 初詣行けるかしらね」
「難しそう」
聞いていた三人、糸遊以外が残念そうにぼやく。行きたかったねーと。
結葉は編み物をしていた。ずいぶんと女の子らしい趣味だ。それとも被服科の課題かな?
采女と凌乃はネイルアート動画なんてのを見ていた。残念ながら興味が湧かない。爪の辺りまで私の手は傷だらけだ。
「はい。ちょっと冷ましてるからね」
「ありがとう」
瑞香さんからお白湯を受け取り、定位置になった将棋盤の前に座った。先客の糸遊にただいまと声をかける。
ブツブツ呟きながら盤面を見ていた糸遊が顔を上げ、素っ気なくうんと頷いた。
この子、最初はそんなに筋がいいと思えなかったのに、最近は持ち前の集中力と体力でめきめきと棋力を上げていた。
目の前の駒をスッスッスッと動かしている。持ち上げるのではなく練習用の効率的な動かし方だ。
凄い集中力。邪魔しちゃ悪いというより、邪魔しても無駄な状態だろう。満足するまで白湯を啜って待った。
はぁー、温まる。コーヒーを熱いうちに飲めなかったので、身体の芯がようやく温まった気分だ。
窓の外を見る。雪が増えてきた。これは積もりそうだ。
「あー駄目だ。どうせ負けてる」
糸遊は後ろにコテンと寝転がった。
「ねーねー、連理ちゃんはどうやって強くなったの?」
「いっぱい覚えたよ」
「覚えただけ?」
「そうねー」
手招きして横に座らせる。
「この局面は勝ちでしょ」
「うん」
「これは」
「わからない」
「そうね。で、これは負けと。似てるのに全然違うでしょ?」
「そんなの当たり前じゃん」
「そう言えるのは強くなったからよ」
偉い偉いと撫でてやる。それじゃ満足できないらしい。
「覚えたってどうしたの?」
「うーん、覚え方は人それぞれだからね。私はたくさん盤面を見たよ」
棋譜並べをしてねと付け加える。ただ、これは人に勧められる方法ではない。
「いっぱい見た?」
「そう。糸遊はまず、詰将棋で盤面の一部を覚えることから始めるとよさそうかな」
「結構やってるのになぁ」
「その先の応用の話もしておく?」
「うん。聞きたい」
さっきの盤面を負けの形にする。
「この負けが一番下にあるとするでしょ」
目の前に盤面があるようなジェスチャーで示した。
「その上にわからない盤面があるとする」
「うん? うん、ん?」
「最後に一番上の勝ちの局面を置く」
マンションの一階が負け、二階がわからない状況、三階が勝ちねと言うと納得したようだった。
「そんなの聞いたことないよ」
「私は最初、それしかできなかったからね」
将棋を覚えたての頃からプロ二年目までだ。それからはスタイルを変えたけれど、今もその時の考え方は応用している。
「じゃあ、一階にならないようにして、三階になるように誘導しなきゃいけないの?」
「そうね。二階を中心に相手と上か下か引っ張り合うみたいにね」
「それならわかるけど、盤面忘れちゃうよ」
「だから訓練するのよ」
「しんどーい」
きっと王道ではないのだろう。我流の立体的な考え方だ。
状況分析の第一歩。盤面の有利不利の理解の一つ。それを立体的に、画像的に思いついてこういう考え方をするようになった。
糸遊に向いているかどうかわからない。ただ、私が基礎を身につけたあと、長い間活用した方法だった。
強くなった方法とは違うかもしれないけれど、向いていれば私以上に使いこなせるだろう。
「だから詰将棋を解くのよ。色んなパターンを覚えちゃうの」
「はーい」
さらさらとした糸遊の髪を撫でながら一息つく。
落ち着くなぁ。
糸遊は詰将棋の本を手に、私の膝に頭を預けてきた。
ゆっくりゆっくり。焦ることはない、糸遊には丁寧に生きてほしい。
少し走りに行きたくなったが、雪が強くなってきたので断念する。
「ねぇ、瑞香さん」
「はーい」
「今日のお蕎麦、私が茹でていい?」
「いいよいいよ、やっちゃって」
まだ夕方だが、ちょっと早いくらいでもいいだろう。
エプロンをかけ、一番大きなお鍋に水を注ぐ。同時に天麩羅の準備も進める。
キッチンに立つのは本当に久々だ。
朝は瑞香さんの作り置きや、簡単な物で済ませることが多い。
それ以外の時間は誰かに作ってもらってばかりだ。凌乃や結葉も料理上手になっている。
将棋盤の方を見た。糸遊が上下にコクコクと首を動かして、ブツブツ言っている。素直だがちょっと大袈裟だ。最初はそんなものだろう。
目の前でテーブル席に瑞香さんが座っていた。珍しい光景だ。私がキッチンで瑞香さんがテーブルにいる。
身長のせいで他の三人はあまり見えなかった。
一人減った? キッチンの入口を見ると、采女がエプロンをかけていた。
「私にも料理教えて」
「じゃあ、ピーマンを縦に切っておいて」
「ピーマンいらない」
「食べなさい」
別に嫌いなわけでもないだろうに、すぐに天邪鬼なことを言い出す。
それが可愛いところでもある。
「今日さ」
「うん?」
「睡蓮ちゃんと何してたの?」
「ウィンドウショッピングして、コーヒー飲んでた」
「それだけ?」
「それだけ」
「そりゃお土産もないわけだ」
「当たり前でしょ。ちょっと出かけただけなんだから」
采女と雑談しながら料理を仕上げる。揚げるだけ、茹でるだけ。慣れていれば楽なものだ。
天麩羅を先に揚げておいて、最後にお蕎麦を茹でた。
「あーあ」
「どうしたの?」
「私さ、糸遊ちゃんに身長抜かされちゃった」
「そうなんだ」
「嫌じゃないよ」
「じゃあいいでしょ」
「だって、私が一番連理ちゃんに近いってことでしょ」
身長が、目線がということか。
「そうね」
「えへへ」
この子が感傷に浸るようなことを言うのは珍しい。だからと言って、料理中に頭を撫でるのはやめてほしかった。
六人で食事を終え、順番にお風呂に入った。
残り湯はいつも私だ。あまり熱いのが好きではないのでちょうどいい。
結局雪が止むことはなく、出かけるとしても明日ということで意見はまとまった。
六人で並んで横になる。大柄な瑞香さんがいるとはいえ、女六人でもくっつけば合体ベッドは充分な広さだった。
数時間眠ってお手洗いに目が覚めた。
音を出さないようにそっとスライドドアを閉じる。リビングは冷えていた。
用を足し、最近覚えた熱燗を作る。一人で深夜に晩酌というのも乙なものだろう。
できあがるまでの間、外の様子を眺めた。ずいぶんと雪の勢いが強い。できあがった熱燗をお盆に載せ、こぼさないように慎重に窓際に運んだ。
毛布に包まった。二人くらいなら包まれる大きなものだ。窓の前に陣取り、毛布の中で熱燗を堪能する。
四人の前ではほとんど飲まない私。今なら見られてもいい。ちょっと大人な姿を見せつけてやる。
雪を見ながら熱燗を堪能していると、背後から声が聞こえた。
「いいもの飲んでるね」
「ひゃ」
情けない声が出た。
慌てて口をつぐむ、みんなが起きてしまう。
瑞香さんが隣に座った。毛布を分ける。
「どうしたの?」
「連理ちゃんがなかなか戻ってこないから、どうしたのかなって」
「ご心配おかけしました」
お詫びに一献。お猪口は一つしかないので、回し飲みする。
「美味しいね」
「うん」
ぼーっと外を見る。雪の勢いが弱くなったのか、暗くてわかりづらくなった。
「そうだ、瑞香さん」
「ん?」
「七年前、アイドルしてたの?」
「うん」
「ありがとうってやつ?」
「何で知ってるの?」
お猪口を受け取り、くいっと流し込む。
「睡蓮に聞いた」
「聞いたって、そんなのどうしたらわかるのよ」
「七年前にそんな活動してたの、瑞香さんしかいないってさ」
ありゃと、気まずそうにする瑞香さんが続ける。
「特殊なマネージャーだったからね」
「体育会系?」
「男の人のね」
「うわぁ」
クスクスと笑い合う。確認が取れた。やっぱりこの人だった。
「だから、ありがとう」
「からかうのはよしてよ」
「ちゃんとした意味でありがとうだよ」
あの一回の挨拶で救われた。ちゃんと話そう。瑞香さんには聞いてもらいたい。
睡蓮に話したことを丁寧に話す。プロに入って通用しなくなったあと、心の底から絶望して歩いていた時に聞こえた瑞香さんの声。
記憶と照らし合わせても、今の瑞香さんの声と断定はできない。それでも睡蓮のおかげで確認できた。
「だから、瑞香さんのお陰で救われた。救われてた。だからありがとう」
ぎゅっと抱き着く。多分泣いちゃっている。恥ずかしくて顔を上げられない。
しばらく、そのままでいさせてもらった。
普段は軽口を叩き合う仲なのに、いつも私の方が甘えているのに、過去には私を救うきっかけだった人。
瑞香さんからはもらってばかりだ。一方的に救われている。迷惑もかけた。ごめんなさい。でも、それ以上にありがとうという思いでいっぱいになる。
落ち着いたので離れると、瑞香さんも泣きそうになってた。
「私こそ、私で救われてくれてありがとうね」
今度は私が胸を貸す番だ。救われてくれてありがとう、か。そうだね、アイドルだもんね。誰かにそうなってほしくて頑張ったんだよね。
うんうんと頷く。さっきしてもらったように、頭をゆっくりと撫で返す。
多分、泣いちゃうのは、お酒のせいだ。
もっとくっつく。瑞香さんは声をあげるのを我慢している。
瑞香さんがどんなアイドル生活を送っていたのか、私は知らない。睡蓮の楽屋の話以外、本人が語らないことはずっと知らないままだろう。
アイドルをやっていた瑞香さんがこの業界にいる。きっと辛い思いをしてでも続けたいことがあったのだろう。
だから泣いている。私で泣いてくれているんだ。




