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19歳3_傷だらけの棋士と四人の少女

 バックダンサーのオーディション当日。世間の学生はまだ夏休みだった。日差しが突き刺さる中、駐輪場にバイクを止めた。

 時間の三十分前に到着した。早く着いて暇になったので、近隣を散歩して時間を潰した。

 高台への階段を見つけた。ウォーミングアップになりそう。小走りで駆け上がると、最寄り駅を少し高いところから眺められた。良い景色だ。

 さして目的も持たずに応募したオーディション。

 対局前と同じような感覚になる。

 何でこんなところにいるんだろう?

 この思考が浮かぶのは自分の基準をリセットできている証拠だ。経験上そう感じている。高揚感が高まる。


 よし。

 わくわくしてきた。


 オーディションにではない。きっと、もっと先の何かが待っている。そんな気がした。

 恐らく表情には出ていないだろう。笑うのがへたくそな私は、愛想笑いも挑発目的の笑みも意識的にできない。

 今から降りていけば十分前には着く。ちょうどいい時間なので会場入り口へ向かう。大きな建物のエントランスには、スポーティな服装の女性が数十人集まっていた。

 それなりにレベルの高いオーディションなのだろうか。予想以上の人数だ。

 列に並んで受付に必要書類を預ける。番号札が配られる。『C-7』が私の番号だった。

 特に掲示板らしきものもない。声をかけられるのだろう。

 エントランスにはいくつか来客用の椅子があった。既に結構な人数が座っているので壁際に向かう。

 こういうスポーティな仕事をしたい人達は、将棋を指したり観戦したりするのだろうか。

 ここにいる以上、オーディションのライバルになり得る人同士だ。あえて見知らぬ相手に声をかける人は少ないだろう。

 私の場合万一という可能性がある。誰かが将棋を、そして現状運よく現役のプロ棋士を務めている私の存在を知っている可能性があった。問題になるわけではないが、身バレは極力控えたい。


 そんな懸念は案の定無駄だった。係員が各アルファベットの若い番号を呼び始める。

「『C-1』から『C-10』の方、こちらにお願いします」

 オーディションをしてくれる先生なのだろうか。見るからに健康的な女性が手を挙げて呼びかけている。

 小走りで移動して番号札を見せる。胸元につけてねと指示される。バッジになっていた。

「はい」と応えてバッジを胸元にさし込む。周囲の人もほとんど気付いていなかった。慌ててバッジを刺している。

 暫定先生と目が合うと、にこりと笑みを向けてきた。よくできましたという所だろうか。もしかして小学生と思われている?

 周囲のスタイルの良い人達、平均して私より頭一つほど背が高い。

 場違いだと思われているのかもしれない。それでも気にしない。こんな背丈でも自立しているのだ、何を臆する必要がある。

 集団で奥へ進むと、受付に渡した書類を返された。面接室に持って行けということだろう。

 集団面接だったら嫌だなと思う。移動しながら他の集団を探す。先に呼ばれたグループがあったはずだ。

 どうやら違うようだ。部屋の入口の前に並んでいる列がある。まだ始まったばかりなので人数は減っていない。

 それぞれ一人ずつ呼ばれ入室する。一人の面接に二分とかからないようだった。部屋から直接出てくる人もいた。

 十分ほど待っていると番号を呼ばれた。入れ替わりで出てきた前の人は緊張していた。恐い人でもいるのだろうか。

 ドアを開けて一礼、音がしないように閉めて面接官らしき人に頭をさげる。

「よろしくお願いいたします」

 はっきりと発声すると予想外の行動と思われたのか、とても驚いた表情を向けられる。

「書類をこちらに、かけてください」

 指示通りにする。

 三十? いや四十を過ぎたくらいだろうか。重役感のある、どこか鋭い印象の女性面接官だ。

 じっと私の履歴書を見ていた面接官は「なぜ?」と声をかけてきた。

「あなたならこんな仕事、興味すら湧かないはずでは?」

「誘われた縁がありまして。体力にも自信がありますので」

 自己紹介すら不要らしい。

「ふーん、この肩書をここで使う気は?」

 予想していた質問だ。棋士の肩書は人を扱う事務所の餌にされる可能性がある。

「いえ、隠す必要はありませんが、使う気もありません」

「肩書だけで合格だとしても?」

 合格? 何の為の?

「そんな合格に意味はないと思います」

「君にとってはな」

 呟くように言う。責める気はないようだ。

「高校時代に拳法。ふむ。その手は化粧?」

 手の怪我のことを言われた。変なアピールと思われたのだろうか、ちょっと嫌な気分になる。

「いえ、日課の結果です」

「よろしい」

 面接官はトントンと私の書類を整えると体力測定に行くよう指示した。どうやら書類は引き取らなくていいようだ。

「はい、ありがとうございました」

 一礼して示された方向へ向かう。すれ違った前の人は不合格だったのだろう。合格者には出入り口とは別の道が用意されていた。

 面接通過者用の通路、途中の更衣室に寄る指示看板があった。着替えて荷物をロッカーに預け、汎用口のようなゲートの下を通って外に出る。

 まだ午前中なのに陽が上がってきて暑い。この中で体力測定か。面白い。


「はい、これ持って十周ね」

 係員がテキパキと万歩計のような装置を付け、ドリンクのボトルを一本押し付けられた。

 熱中症対策ということなのだろう。見た感じ本格的なトラックというには狭い。大した距離ではなさそうだ。

 スタートラインらしきところで一度ボトルを置いて伸びをする。いい天気だ。一度空を見る。いやよすぎる。

 本当に何やってるのだろうなと思う。これで落選したら走り損だ。走るのは好きだが、こんな狭いコースをぐるぐるしても気は晴れない。

 さっきの万歩計のような物、恐らくタイマーかカウンターにでもなっているのだろう、さっさと終わらせたい。

 既に前を走っている人がバテかけている。『C』組の人ではなさそうだった。

 道幅は広いので追い抜いて軽く一周済ませる。小さいトラックだが整備されていて走りやすかった。

 これなら十周に十分とかからなそうだ。軽く目標設定してペース配分する。

 私の後にも何人かトラックに出てきた。全部で十人もいない。少なすぎる。そんなに高い倍率なのだろうか。

 十周終えて軽く息を整える。もらったドリンクを飲む。スポーツドリンクだった。

 最初の係の人の所に行くと、次に行く場所の指示をされた。

 横目でトラックを見る。あの様子ではあんまり合格者は出ないかもしれない。

 指示されたルートで体育館に行くと、身体測定をやっている人が二十人程いた。なるほど、そういうことか。

 彼女たちはこのあとであのトラックを走らされるわけだ。つまり少しでも涼しい時間に走れた私はお得だった。

 係員の指示に従って各測定をこなす。こういう場所だからだろう、古傷や手術痕がある人がいてもおかしくようだ。私の手足を見て反応する人はいなかった。

 一通り終え、胸に付けた番号札と測定器を外される。これだけで終わりなのだろうか。変に長引くよりはいいけれど、少し拍子抜けした。

「本日は以上になります。着替えてお帰りください」

 そんな感じで事務的に追い返される。

 まだ更衣室が混む前に帰れる。ありがたい。

 軽い運動もできたことだ、さっさと帰ってちゃんとした運動でもしよう。

 そう思って荷物を片手にエントランスに出ると、先程の面接官が待ち構えていた。

「少し良いか?」

「はい」

 何だろう? 質問漏れか、それとも棋士の肩書のことか。

 応接室に通される。飲み物は出ないようなので、先程もらったドリンクで喉を潤した。

「確認だが、肩書は使用不可なのか、極力控えたいのか伺いたい」

「可能な限り控えてほしいだけです」

「そんな返事なら使うぞ」

「では使用不可です」

 試されていると思った。大体使うにしても、「バックダンサーに現役棋士加入」とでも書くつもりだろうか。

 少し考えてみればわかる。元々アイドルを売り出す為のバックダンサーなのに、そんな黒子に徹して欲しい者に肩書を求めても意味はない。悪目立ちすればアイドルの反感を買う恐れもある。

 逆に、「お前の肩書はバレたら目立つから雇えない」と言われた方が納得がいくというものだった。

「そうか、安心した」

「そうですか」

 挑発的に取られないよう、落ち着いて答える。

「選考結果は合格だ」

 思わずポカンと口を空けてしまう。

「後日郵送でトレーニングスケジュールを送る。出席日数は最低八割。その後セレクションを行い、本番で使う者を選考する」

「わかりました」

 この程度のオーディションに受かっただけでは、舞台上の世界は確約できないということなのだろう。

 オーディションというより基礎能力の検査程度。まるで体育の授業だ。

「ところで九さん」

 我ながら珍しい苗字だが、間違わずに呼ばれる事は中々ない。彼女は履歴書を見ているから例外だけれども。

「睡蓮達と会ったそうだな」

「はい」

「彼女が結果を知りたがっていたんでな。君さえ良ければ伝えておいても良いかな?」

「はい。問題ありません」

 気にかけてくれていたのだろう。会話でもできようものなら願ったり叶ったりだ。

「少し待っててくれ」

「え、今ですか?」

 私の疑問を無視して面接官は電話をかける。すぐに出たらしくスピーカーフォンで声が聞こえてくる。

『こんにちはー。合格おめでとう!』

「ありがとうございます」

『ごめんねー今遠征中で今日立ち会えなかったんだ。お姉ちゃんも話す?』

『大丈夫』

『みたいだから。レッスンはきついかも知れないけど頑張ってね』

「はい、大丈夫です」

『頼もしいなぁ』

 笑う睡蓮さんの方が電話を切った。

「本当に頼もしいな」

「何がですか?」

「普通、頑張ってなんて言われたら頑張りますって答えるもんだろう。君は問題なくやれると言ったようなものだ」

「大丈夫だと思いますよ」

 軽く笑った面接官は名刺入れを取り出した。

「挨拶が最後になってしまったな。亜嵐という。これからよろしく頼む」

「すみません、名刺は持ち歩いていなくて」

「要らんよ。こっちの方が情報たっぷりだ」

 履歴書をパンパンと叩いて示される。確かにそうだ。

 応接室から見送ってもらい、人が増えて来たエントランスを抜ける。駐輪場へ向かった。

 身体が冷えてしまっている。運動をやり直す気がなくなった。時間も経ったことだし、帰る前に食事をしたい。

 バイクにキーをさして少し考えた。八割出席もできるのだろうかと。

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