21歳9_傷だらけの棋士と四人の少女
瓦先生から折り返しがあったのは十時前だった。
『あーこちら折り返し、瓦です』
「ご無沙汰しています。九です」
『いちじく、ああきゅーさんか。どうした? うちに来る気になったか?』
「いえそれは全く」
『なんだ、切るぞ』
「待ってください」
要件を伝える。六人乗りの車がほしいことだけ単刀直入に。
『うちはディーラーはやってねーんだよなぁ』
「ですよね」
『ま、詳しい奴はいるっちゃいるがな。今週うち休みだから来週になんねーと来ねーんだわ』
「紹介していただけますか?」
『いいぞ』
すぐには動けなかったが、伝手は得られた。
『ほんじゃまたな』
「ありがとうございました」
いやー助かった。素人がいきなり中古車メーカーに行っても即決できる自信はない。
歯みがきを終えた糸遊がやってきた。
「電話終わったー?」
「終わったよ」
「連理ちゃん今日どうするの?」
どうしようかなぁと宙を見る。
もうすぐ対局もあるし、大学もあるし、少し研究しておきたい。
「今日はちょっと勉強したいかな」
「わかった。糸遊もする」
暇になったんだろう。朝から元気いっぱいの糸遊と将棋盤を挟んで座る。
私が将棋の勉強をしている時、糸遊はこんな風に盤面をよく見ていた。
将棋を知りたいのか、駒や将棋盤に興味があるのか。采女と一緒にルールを教えてからはこんなことが多い。
采女は采女で結葉と話している。凌乃はみんなのことを知ろうとしているのか、二人の話を興味深そうに聞いていた。
私たちの朝食後にやってきた檀さんもいる。凌乃のことを気にかけてくれていた。
「連理ちゃん、買い物行ってくるね」
「はーい、行ってらっしゃい。何ならそこの三人連れてってもらってもいいよ」
「そうしようかな。車借りるね」
「はーい」
檀さんに、買い物行く人ーと声をかけられて三人が手を上げる。
糸遊は将棋盤に夢中だし、このままでいいか。
買い物集団が出ていくのを見計らったタイミングで糸遊が口を開いた。
「連理ちゃん」
「なあに?」
「凌乃ちゃんのこと助けてあげてね」
急にどうしたのだろう。
「どうかした?」
「うーん」
糸遊なりに、感じるものがあったのだろう。
急かさず続きを待つ。
「凌乃ちゃんのこと知ってるの。前の学校にいた時に見たことある」
驚きの事実だ。そういえば糸遊のご両親の住所、凌乃の学校の近く。同県だ。
「凌乃ちゃんがお友だちと楽しそうに歩いてるの見たことあるんだ。その時にね、糸遊が鞄ぶつけちゃったの」
「うん」
「怒られると思ったんだけど、凌乃ちゃんは糸遊が転んでないか先に見てくれたんだ」
少し情景を想像する。鞄をぶつけた。言葉足らずだが剣道の道具だろうか。
「凌乃ちゃんは覚えてないと思う。『気をつけなねー』って言いながら絆創膏くれたの」
取ってくると言って駆けていく糸遊。すぐに自室からポーチを持ってきた。
ピンク色のファンシーなキャラ絵のついた絆創膏だ。可愛いものを持っている。
もう一つポーチに入っていたのはカラフルなペンセット。采女と結葉から送られたものだ。
「どっちも宝物なんだね」
「うん!」
ちょっとした凌乃のエピソードを知れた。
「凌乃ちゃんには言わないの?」
「多分覚えてないよ」
「言えば思い出してくれるんじゃない?」
「そうかなぁ?」
「帰ってきたら言ってみたら?」
「うん、言ってみる」
多分それを相談したくて近くにいたのだろう。いじらしい子だ。
一局指そうと声をかけ、駒を元の位置に戻した。
「糸遊ちゃんはさ、もう少し自分からお話していいのよ。いつもみんなの話聞いてるでしょ?」
「人の話は聞けって教わったよ」
「それはそうだけど、『こんなことがあったんだよ』って、お友だちに話したりする?」
「あんまりしないかも」
「やってみたら?」
「何言えばいいかわかんないよ」
「私もわからないよ」
「何それ?」
「大人になるとさ、要件がないと話さない人がいっぱいいるのよ」
「しゃちょーとか?」
亜嵐さんのこと。糸遊はそう呼ぶよう刷り込まれている。
「まあ、そんな感じ」
思い出したことを話し続けた。
「今朝初めて木蓮さんに電話したんだ」
「車のお話?」
「そうそう、詳しい人知らないかって」
一口お茶を啜る。
「それで?」
「難しいな。詳しい人探してるって話しただけなんだけど、何かこう」
「楽しかった?」
「そう、楽しかったのよね。木蓮さん恐いイメージあったから」
「今度言っちゃおー」
「やめてね」
ふと糸遊を見る。
背筋を伸ばした糸遊が、私より高い位置から盤面を覗き込んでいる。
「これ負け?」
「わかった?」
「あーもう勝てないよー」
おほほと笑って見せる。そりゃプロ相手に平手で挑んでくるのだ、最短で決めてやるのが私の礼儀だ。
「その前に、その駒の持ち方そろそろやめようね」
ちょっと手ほどきをしてやる。
一度いい音を立てたが、近くの駒がぶつかってすっ飛んでいった。
駒を拾いに立ち上がる糸遊を見上げる。たいぶ背が伸びたんじゃないか。
「糸遊ちゃん、今何センチあるの?」
「この間測った時は百五十一?」
「ちょっとちょうだいよ」
「何言ってるの」
苦笑しながら糸遊が座り直す。
何度も駒を持っては置き、持っては置き。うんうん、様になってきた。
「糸遊プロになれる?」
「今のままじゃ難しいね」
「どうすればなれるの?」
まだ将棋を覚えて四か月、正直まだわからない。そんなに筋がいいようにも見えなかった。
ただ、私の防衛戦の糧になったのはこの子の手だった。
大喜びして抱き着いてしまうくらい、新しい発想を教えてくれた。
「いくつかルートはあるけれど、大事なのはプロの弟子になることね」
「連理ちゃんの弟子にしてよ」
「そんなに甘くないの」
身内を簡単に弟子にして、結果に結びつかなかったら苦労するのは弟子の方だ。
「けちー」
「大体あなたアイドルになりたいんでしょ?」
「どっちもなる!」
「だったら努力しなさい。とりあえず、そうね」
糸遊の肩を支えに立ち上がる。重いと一言文句を言われた。
自室に行きクローゼットにしまっていた何冊かの将棋本を引っ張り出す。最初は、これかな。
「まずは詰将棋ね。私が使ってない時は将棋盤使っていいから」
「わかった」
「あと学校の勉強もちゃんとすること」
「……」
「じゃ、だめね」
「やる、やるって!」
正直嬉しかった。
弟子に取る気は全然なかったけれど、この子ならばと少し期待してしまった。




