20歳8_傷だらけの棋士と四人の少女
病院を出て足がなくて困っていると、タクシーを待たせた亜嵐さんに捕まった。
「ヒヤヒヤしたぞ、本当に」
一旦私を送っていってくれるというのでお言葉に甘えた。
「最初は亜嵐さんが直接育てたらいいのにって思ってました」
「ガラじゃないんだよ」
「わかります」
ケッと舌打ちされた。この人もどこか子供っぽいところがある。
しかし、私はこの人の本気に気圧され三人を引き受けた。
不甲斐なさと申し訳なさを覚える。そして覚悟を決めた。
「よからぬことを考えてるだろう」
「何のことですか?」
「大学か棋士のどちらか、あるいは両方辞めてあの子たちのために時間を作るつもりだな」
うぐ、全部見抜かれていた。
「馬鹿かお前、そうなるとあいつらが責任を感じるんだ」
「でも大学は別に」
「その大学で学んだことであいつらを指導してるんだろう」
それはそうだ。食事は少々味気なくても栄養には気を遣っているし、運動量もきちんと計算している。
「だからといって棋士なら辞めていいわけじゃない。今ある環境でどうすればいいか考えろ」
物理的に無理だと思った。目を向けてやれる時間が少ないのが原因なのだから。
少しして私たちの住むマンションに到着する。
「いいか、安易な選択はするな」
「考えてみます」
「そうしろ」
発車したタクシーを見送り、部屋に戻る。
采女と糸遊は私のベッドで寝ていた。帰ったらすぐにでも話したかったのだろう。
私のベッドは三人のものより大きかった。部屋に置くものがそんなにない分、前の自宅で買っていたものを持ち運んだ。
それが今や、日替わりで誰かが潜り込み、一緒に寝ようとしてくる共同ベッドになっていた。
頭が疲れていた。もうしばらくすると二人の登校時間だ。
結葉が食べられない分、二人に美味しい朝ごはんを用意しよう。そして、元気になってもらおう。
その前に少しだけ、二人の髪を撫でて元気をもらう。
こんな私についてきてくれてありがとう。言うことを聞いてくれてありがとう。
もう少し時間はある。ご飯の前にシャワーを浴びよう。そして今日はいっぱい考えるんだ。
いっぱい考えても答えは見つからないかもしれない。その時は誰かに相談しよう。
二人を見送った後ぐっすりと眠った。
お昼過ぎに目を覚ますと、中学校から連絡が来ていた。
結葉のことは伝えてある。確認の電話だろうか。
折り返して反応を待つ。教職員さんが受け、教頭先生につながれた。
『そちらで預かっておられている水引さんと千振さんですがね』
想定外の名前に驚いた。続きを促す。
『いえね、学年も違いますし大したことではないのですが』
次から次になんだというのだ。
話の限りでは学年の違う二人が大喧嘩をしたそうで、采女の方が糸遊に掴みかかったらしい。
そこで糸遊は何もしなかったそうだ。
「糸遊は強い。お前なんか恐くないぞ」
堂々と胸を張り、采女に叩かれても倒されても無抵抗を貫いたんだという。
ただ、痛みで少し目に涙は浮かんだらしい。
『いえね、学校の喧嘩を家に持ち込むなとも言いますが、その逆も然りであってほしいなと』
なんとなく情景は思い浮かぶ。二人とも頑固者。そして幼い思考と思い込みが強い。少しの諍いが、周囲からは信じられないような大喧嘩になる。
「大変失礼いたしました。すぐに伺います」
結葉が倒れた瞬間これだ。一体何があったんだ。これまでそんな話を聞いたことはなかった。
寝起きで髪も乱れている、元から化粧はあまりしていない。
目に入ったスーツに大急ぎで袖を通し、車の鍵を持って外に出た。
今日はこのまま二人を連れて帰ることになるだろう。もうお昼過ぎだ。
中学校の来客駐車場に車を停め、二人がいるという保健室に向かう。
ドアを鳴らして中に声をかける、のんびりとした口調で保健医の方が迎え入れてくれた。
「水引と千振を預かっているものです。ここにいると伺いました」
「あー、はいはい。あの子たちね」
喧嘩疲れで眠ってしまったのか。同じベッドで眠りこけている。
ギャーギャー騒がれなくてよかった。このまま連れて帰ろう。
二人分の鞄と二人を抱えて退室する。こんなことのためにつけた体力ではないのに。
「誰か呼びましょうか?」
私の格好に呆れた様子の保健医が声をかけてきた。
「いえ、鍛えてますから」
この二人の体重ならなんとかなる。そのまま両脇に抱えて廊下をどしどしと歩いた。
下駄箱の前で立ち止まる。この量の靴から二人のものを探す? 面倒になった。
仕方なく二人を叩き起こす。これでもかというくらいに二人を睨みつけた。
「連理ちゃん?」
「凄い格好してる」
あなた達を運んでいたからよと言いたくなるが、「靴」とだけ指示を出す。
髪はぼさぼさ、二人を抱えてスーツは皴だらけ。生徒や教員に見られたら誘拐犯に間違われそうだ。
靴を持ってきた二人の頭を鷲掴みにする。握力には自信があった。
「痛い、いたたた」
「いつつつつ」
「一回しか言わないからよく聞きなさい」
涙目になる二人に宣言する。
「喧嘩なら家でやりなさい!」
「「はい!」」
二人の声が重なった。
喧嘩の原因は本当にしょうもないことだった。
二年の教室の近くを通った糸遊に、近くの教室の采女が声をかける。
糸遊は気付かない。チャンスと思ったのか采女にマウントスイッチが入る。
聞こえた糸遊は采女に「気持ち悪い」と吐き捨てた。
その後は強いだの弱いだの口喧嘩になり、糸遊は自分の方が強いと言い切って挑発する。
采女もやけになって掴みかかる。無抵抗な糸遊を叩いてしまい、糸遊の目を見て怯えた采女が泣き出してしまう。
釣られて糸遊も泣き出してこの有様。普段そういうことがあった時は、結葉が飛んできてなだめていたらしい。
情けなさにため息が出る。
学校では結葉が全部やってくれていたんじゃないか。知らなかったことがまた増えた。
後部座席で気まずそうな二人。このまま病院へ向かった。
病院の駐車場、車内で二人に声をかける。
「あなた達が普段から、どれだけ結葉ちゃんに迷惑をかけているのかよくわかりました」
二人が怯えた表情になる。
「今から結葉ちゃんの病室に行きます。二人は謝らなければならないことがありますね」
「えと、え」
「わかんない」
真面目に考える糸遊と不貞腐れる采女。
「今回は時間がないから教えてあげます。『いつも迷惑をかけてごめんなさい』」
「「いつも迷惑をかけてごめんなさい!」」
「よし、じゃあ今度は二人、喧嘩したんでしょ。お互いに謝りなさい」
「でも」
「だって」
「ごめんなさいでしょ!」
「「ごめんなさい!」」
「よくわかりました。今後『でも』と『だって』は禁止します。二人は言い訳が多すぎる」
まったく、今までが甘すぎたんだ。
何とか上手くやろうとご機嫌取りみたいなことをしてしまっていた。この子たちはもう中学生だ。
一つ一つ教えるんじゃない。
何が駄目で何がいいのかちゃんと判断させよう。
上手くいけば褒めてあげる。失敗したら教えてあげる。繰り返したら叱ってあげる。
簡単なことじゃないか。今まで気を遣ってたのが馬鹿みたいだ。
朝、結葉と言葉を交わしてから、思ったことを口に出せるようになった。
考え過ぎていたんだ、私は。もっと言いたいことを言えばよかった。




