23歳84_Invisible scars
燈火さんを送り届け、続いて桜蓮を送り届けると睡蓮が大袈裟に出迎えに出てきた。
「大丈夫? あのチビッコになにかされてない?」
「めんどくさ。連理さん、みんなまたね」
笑顔で桜蓮はこちらに手を振りつつ、抱きつこうとする睡蓮を片手で押しのけている。
「睡蓮ってあんなキャラだっけ?」
「来月旅行でいなくなるから、今のうちに甘えたいんじゃない?」
「姉馬鹿だねー」
「あれはあれで桜蓮ちゃんも喜んでるんだよ」
浮草と笑いながら車を再発進させた。
後ろの席では采女と凌乃が寝息を立てている。この二人も姉妹みたいに見えた。采女がやらかす時は凌乃が一番のストッパーになるし、凌乃がやらかす時は采女がからかってブレーキをかける。
「浮草は一人っ子?」
「そうだよ。連理さんも?」
「うん。燈火さんは弟がいるって言ってたから、案外一人っ子は少ないのかもね」
「ふーん。兄弟姉妹とかいても面倒くさそー」
浮草らしい口ぶりだ。そのくせ、桜蓮とはよく絡んで家族にも受け入れられているようなので、本音はそういう関係も悪くないと思っていることだろう。
「この辺でいいかな」
「うん、ありがと。今日もごちそうさま」
「半分は燈火さん持ちだけれどね。また月曜にね」
浮草を降ろして車を動かす。後ろの二人は相変わらず眠っているので、しばらく時間を潰してもよさそうだ。
休日の事務所の駐車場に車を停車し、スマホを開いて木蓮さんと結葉からの連絡がないか確認する。まだ打ち合わせは終わっていないようで、何も連絡はなかった。
今日は木蓮さんが車を出してくれている。帰りは送ってくれる手はずになっていた。他にやることがあったっけと考える。
スマホを再度確認する。朝から誰からも連絡は届いていない。平和な一日だ。
二人の寝息を聞きながらぼんやりと考えていると、一つ思いだした。注文した下着がもう出来上がっている頃だ。どうせ二人がいつ起きるかわからないし、今のうちに受け取りに行ってしまおう。
お店の駐車場に車を停め、こっそりと車から降りようとすると凌乃が起きた。嫌なタイミングで起きられたものだ。
「品物の受け取りだけだからすぐ戻るけれど、少し待っててくれる?」
「いいよー。エアコンつけといてね」
「じゃあ鍵は預けとくから」
そそくさと駐車場から離れ、空調の効いた店内に入った。
財布にしまっていたレシートと受け取り用のカードを示し、レジで品物を待つ。支払いは注文時点で済ませていた。
やましい買い物をしているわけではないのに、人を待たせているとなると妙にそわそわする。他のお客さんも同じような目的だろうに、ただ待たされる時間が長く感じた。
車に戻ると采女も目を覚ましており、二人が話している輪に入りながら荷物を助手席に置く。何の遠慮もなく采女がその荷物を取り上げた。
「あ、こら」
「どれどれー。なんだ、ただの下着か」
「最近サイズが変わったから注文していたのよ。返しなさい」
「はーい」
采女が意外と素直に荷物を戻す。まだ眠気が残っているようで本調子ではなかった。対して、凌乃はニヤついた表情で荷物をジロジロと見ている。
「なによ?」
「いやー。やっぱり連理さんも女の子なんだなって」
「子って歳でもないけれどね」
来月には二十四になるのだ。十代ならともかく、もうすぐ二十代も折り返し地点だ。采女を最初に預かった頃から、自分では見た目の変化を感じていなかった。他の人からはどう思われているのかな、なんて考えてしまう。
そしてこの歳でこの身長、この先の伸び代は絶望的だろう。最後に測ったのはいつだったかな。
帰ってすぐにパソコンを開いた。
今度桜蓮にチェスの相手をしてもらう前に、もう少し自分なりに研鑽を積んでおきたい。糸遊が帰ってきたら将棋の話になるはずだ。それまでは久々にチェス一本でやってみよう。
普段は将棋とチェスを二台のパソコンで同時に練習しているので、こうやってチェスのみでやるのは久々だった。
おかげでフィッシャールールの感覚も身に付いてきた気がする。これを将棋に流用できるのはいつになるかわからないけれど、最近は将棋とチェスで思考を分離するコツが掴めていた。
リビングのテレビで音楽が流れ、采女と凌乃が歌っている。将棋盤を糸遊と挟んでいる時は静かにしてもらうようにしていたが、今は私の勝手なチェスの遊び時間だ。二人の楽しみを邪魔する気はなかった。
それどころか二人の歌い声が心地よくて、リズムよくチェスの画面を操作できた。そういえば、糸遊もネット将棋を指している時はタップダンスの音楽でリズムを取っていたっけ。
お互いに持ち時間十分のチェスで、外国の相手と三連戦して三連勝した。同じレート帯の人が相手だと、かなり余裕を持って勝利できるようになった。自然と上のレーティングの人とマッチされるようになる。
結葉の声が聞こえた。一瞬だけ顔を合わせておかえりと声を交わす。糸遊が帰ってきた時も、同じようにさらっと挨拶してしまった。チェスに思考が沈みきっていた。
夕方に始めてからもう七戦目だ。現状五勝一敗、レーティングが千四百に乗るかどうかの一戦だった。
将棋のように過去に溜めこんだ画像記憶がない分、局面ごとの変化に合わせて都度思考する必要がある。将棋の時よりも、早い段階で追い詰められる感覚があった。
でも、わかる。フィッシャールールに比べると時間的に余裕があるので、考えるところではしっかり考えた。
誰かが横に座って覗きこんでいる。気にする余裕はなかった。
チェスでは相手が先に駒を捨てる動きをすることが少ない分、可能性として残すかどうかで思考の分岐が生まれる。将棋で言う捨て駒、サクリファイスという戦略だ。
私はその手がいいと思うと躊躇せずに進められるが、相手がその思考に至っても損得勘定で選ぶ可能性は低い。これまでのレーティングの相手は、有効手段として活用する人がいなかった。無謀や破れかぶれ、時間攻めのために使う人がいた程度だ。
この相手はどうだろうか、さっきから二分以上考えている。もしこのビショップを捨ててきても、私は相手をしないと決めていた。
やはり、駒の損得を優先した手を選ばれた。そっちの方が一般的なのだろう、その分読みやすくなる。
私が五分残して相手の時間が一分を切る。私の方が盤上の駒数は少ないがポーン一つの差。次の手で逆転できる。よし、思い通りだ。
勝ちが決まって頭を上げる。隣に座っていたのは糸遊だった。
「ごめん、集中しちゃってて」
「ううん。楽しそうでよかったよ」
いい匂いがする。気がつけばパソコンの周囲に晩ご飯が並んでいた。私は何時間チェスを楽しんでいたのだろうか。
私以外はもう食べはじめている。慌ててパソコンを閉じ、手を合わせて頭を下げた。
「いただきます」
お腹が空いていた。お昼にあれだけ食べたというのに。思わず自分で苦笑しそうになる。
夜になればもうこんなに空腹だなんて、もしかして人生最後の成長期でも来ているのではないだろうか。
采女が呆れて見ている。その視線を気にせずパクついた。ご飯もお代わりして大満足。食後のお茶を啜りながらほっと一息ついた。
「連理ちゃん、よく太らないね」
「うん? まあ、適量でしょこれくらい」
「お昼のステーキと合わせたら、多分普通の人の三倍くらい食べてるよ」
「それだけ頭使ったってこと」
先に食べ終えた糸遊はお風呂に行っている。戻ってきたら将棋の時間だ。これも楽しみでたまらない。
今は、身体よりも頭を使うことが楽しくてたまらない状態だった。
将棋盤の前に座ってのんびりと外を眺める。去年の今頃は四人に冷たい態度を取ってしまった。それすらも四人は受け入れて、迎え入れてくれた。
感傷に浸りながら糸遊を待つ時間、ふと思いついて将棋盤の横に置いていた扇子を手に取った。
リズムを取りながら指して調子が上がるのならば、扇子でできないか試してみよう。以前扇子を買って、すぐに試した時は続かなかったけれど、糸遊にも試してもらえば何かが掴めるかもしれない。
「お待たせー。連理ちゃん髪乾かしてー」
「はいはい」
ドライヤーを手にやってきた糸遊の後ろに回る。相変わらず、この瞬間の糸遊は幸せそうだ。
「糸遊ばかりこれしてもらうのって、ずるくない?」
「えー? じゃあ今日は連理ちゃんの髪乾かしてあげるよ」
「いつも先に寝ちゃうくせに」
「今日は頑張って起きてみる」
「うーん、夜更かしさせる程でもないからなぁ」
「じゃあ、凌乃ちゃんか結葉ちゃんにしてもらいなよ」
「わかった。起きてたら頼んでみようかな」
乾かし終わった糸遊の髪を撫でて立ち上がる。ドライヤーをテーブルに置いて、改めて将棋盤の前に座った。
「糸遊も扇子あるよね。今日はお互い、手に持って指してみない?」
「プロの人みたいに?」
「うん。音楽は流せないけど、リズムを取るのに案外いいんじゃないかと思ったんだよ」
「わかった。ちょうど暑かったし」
色違いで買った扇子を手に、糸遊も練習対局の準備が整った。たまに扇子を開いては、風を受けて涼しそうにしている。
最近、ずっと練習している振り飛車がさまになって来ている。久しぶりに時間制限を設けて、少し短めの対局を開始した。
これは参った。糸遊は扇子でリズムを取りながら指すことで、ペース配分が上手くできていた。
糸遊はもしかすると、これまで相手に邪魔にならないことを優先して、リズムを取るような仕草を控えていたのかもしれない。
そのことを問いかけると、糸遊はあっさりと頷いた。
「だってプロ同士で、扇子の音が相手の迷惑になったことがあったんでしょ?」
「まあ、極端な例だけれどね」
「じゃあ、音がしないように、自分だけリズム取ればいいのかな」
「それができるのならそうしてみたら? この間のネット対局の時もリズムに乗ってたよね」
「そうかな? 確かに、踊ってる音が聞こえてきて、気分がよかったと思うけど」
自分のための実験だったのに、糸遊に思わぬきっかけを与えてしまったかもしれない。
ものの見事に負けてしまった対局を振り返り、お風呂の順番が来るまでタップダンスで時間を潰すことにした。
「連理さーん、お風呂あいたよー」
「はーい。あれ? 今日は凌乃が最後なんだ」
「うん。結葉ちゃんは打ち合わせで疲れてそうだったし、あたしは車で寝ちゃったしね」
糸遊は将棋盤から場所を移し、采女とトランプを手にしている。采女はチェスや将棋と言った運要素のないゲームは長続きしないが、今回のゲームにはドはまりしていた。心理的な読み合いがあって楽しいのだろう。
二人の見学に回った凌乃と入れ違いに入浴を済ませて戻ると、三人はまだトランプを開いていた。糸遊は欠伸をかみ殺している。
「ほら、糸遊は朝からジムに行くんだから。もう寝たら?」
「うん。これだけ終わったら」
二人の戦績メモと、ルールの走り書きの紙を持ち上げる。
最初の糸遊と采女は糸遊の勝ち、続いての凌乃と糸遊は凌乃の勝ち、そしてまた糸遊と采女がやり合っている。
意外な勝敗の展開だった。合理性を求める糸遊と、ブラフを戦略に取り入れる采女、そして思い付きで進める凌乃。上手くハマった時は、凌乃の手札を読むことが難しいということだろうか。
「凌乃は見学なんだよね。ちょうどいいから髪乾かしてくれない?」
「いいよー」
糸遊の気持ちがわかった。自分で乾かすより人にドライヤーを当てられ、水気を飛ばしてもらうのは凄く気持ちがいい。
思わず「あー」と声を出しながら凌乃の手の感触を楽しんだ。化粧をしてくれることがある凌乃の手は、力強くて安心させてくれた。
「これ癖になりそう」
「糸ちゃんが毎日幸せそうにしてる理由わかった?」
「うん。凌乃は手慣れてるね」
「そりゃ采ちゃんと結ちゃんと三人でやってるからね。ただ、連理さんは髪長すぎ」
「短い方がいい?」
「うーん、それは嫌だ。乾かす時だけ短くして」
「無茶言わないでよ」
トランプの方は采女が勝って終わったようだ。糸遊は眠そうに、ふらふらしながら部屋に消えていく。
「はい、終わり」
「ありがと。久々にお風呂のあとで楽できたなぁ」
「たまにならしてあげるよ」
「たまにだけ?」
甘えるように上目遣いで凌乃を見た。だめだ、ぜんぜん効果がない。
「歳考えなよ」
笑って言う凌乃からドライヤーをふんだくってやった。




