23歳82_Invisible scars
土曜日の午後。
木蓮さんと打ち合わせに行く結葉と、将棋道場に行く糸遊をそれぞれ送り届けてから浮草と合流した。
車には采女と凌乃が乗っており、まずは桜蓮を拾いに車を走らせる。燈火さんとのランチはステーキハウスを予約していた。
「私たちも美味しいお肉を食べられるようになったんだねぇ」
「先週もハンバーグ食べたでしょ」
「しんみり感演出しただけじゃん」
助手席に座る采女と戯れながら車で待機している。桜蓮にしては珍しく、準備に手間取っていたので少しだけ遅れ気味になった。
「ごめーん。ちょっと寝坊しちゃった」
「どうせ週末だからってチェスばっかしてたんじゃない?」
「うっ」
浮草の言葉に詰まる桜蓮を、一番後ろの席に移動した凌乃が笑った。
車を発車させ、燈火さんとの待ち合わせ場所には五分ほど遅れて到着した。どこだろうと周囲を見ると、日傘を差した女性がこちらに寄ってくる。
「燈火さん?」
「はい、こんにちは。みなさんもこんにちは」
優雅にほほ笑む燈火さんが車に乗り込み、凌乃と並んで一番後ろの席に座った。
周囲の三人から声があがる。気品のある佇まいで日傘を持つ燈火さんに、三人は大人の女性の魅力を感じ取ったようだ。
どうせ私はUVカットのラフなパーカー姿ですよ。
最近は日差しが強いこともあり、こういう装備をしていないと、ちょっとした路上の用事で暑い思いをさせられる。
私は今日、朝から凌乃に髪をいじくられ、髪を二房に分けられて毛先を結ばれていた。前に流せばパーカーのフードも被れて便利だ。この夏のメインの髪型にいいかもしれない。
その毛先に偉く可愛らしいファンシーなリボンをつけられた時は猛抵抗し、今は地味なゴム紐でまとめている。運転中は髪が後ろにあるよりも、この束で前に下ろす方が楽に感じた。
「あ、かき氷だ」
「あんたステーキの前にそんなもの食べたいの?」
「言ってみただけじゃん。連理ちゃんは細かいなぁ」
後ろは後ろで会話が盛り上がっているのに、私と采女は頭の働いていない会話ばかりだ。
水泳を始めてからだろうか、以前より腹の減り具合が増していた。最近は食事前になると頭が働かなくなってしまう。
やっぱり走るよりも、全身の筋肉を使うようになったからなのかな。あぁ、早くお肉を食べたい。
目的のステーキハウスに到着し、半分以上埋まっている駐車場に車を停める。広い駐車場の空きに反して、入り口には行列ができていた。予約客以外は、それなりに待たされることになりそうな人気っぷりだ。
予約してくれた燈火さんが前を歩き、一般客の横を通してもらって席に落ちついた。
適当に座った配置で、向かいに並んで座る桜蓮と浮草が口を開く。私はメニューを開いた。
「凄い人気だねここ」
「うん。タダ飯食えるなら何でもよかったけど、得した気分」
相変わらずがめつい浮草に桜蓮は無反応。いつも通りのことだった。
今日は食事会や顔合わせと言って集まった。実のところ燈火さんを交えてアイルランド行きのスケジュールや、現地で見れるものの事前学習も兼ねていた。
フィレステーキが八千円? なんだこの値段は。ステーキハウスってこんなに高いものなのか。
牛タンもある。他のお肉とのミックスもできるみたいだし、色々な種類を食べ比べるために混ぜて注文するのもよさそうだ。
「決めた人いる?」
「まだです」
隣に座る燈火さんに他の四人も同意する。これはきっと、お肉の交換を前提としたメニューの探り合いになっているのだろう。
「みんな色々食べたいんだよね」
全員が頷く。みんなお肉に飢えていた。
数人がミックスをベースに頼み、一番高いフィレを追加で頼めば楽しめるという私の提案にみんなが乗っかった。よし、これで私も色々と楽しめる。
店員さんに注文を通し、お肉を待つ間に燈火さんの簡単なアイルランド講座が始まった。
「八月の末でも気温は二十度前後だったりするので、日本の秋服を持っていくとちょうどいいですね。夜は冷えることもあるので、冬用の上着もあっていいかもしれません。あちらでは五泊して、一泊はイギリスでというお話なので……」
滑らかに喋る燈火さんに四人は呆然としている。これは長話スイッチが入ってしまったのだろうか。
不安になったタイミングで、都合よくお肉の鉄板が運ばれてきた。よしよし、一旦ストップがかかったぞ。一息入れて肉が並ぶのを待った。
「燈火さんは毎年行ってるんだよね? いつ頃から?」
「もう十年以上になりますね。小さい頃は数か月滞在していることもありました」
「ほあー」
采女が聞くだけ聞いてお肉を頬張る。私も習って切り分けたフィレからいただいた。凄く柔らかい。
凌乃もお肉を切り分けながら、当然の疑問を口にする。
「采ちゃんあんた、燈火さん目上の人だよ?」
「うん。別に敬語いらないって言われてるし」
「みなさんも普段通りに話してくださいね。私は誰にでもこうなので、少し変な感じがするかもしれませんが」
「わかった。連理さんより大人っぽいから気にしてたんだよね」
言いたいことはわからないでもない。私はあんな日傘を持っていなかった。帰りに買おうかな。
うーん、フィレは私には柔らかすぎるな。もっと噛みごたえのある肉の方が好みだ。牛タンは、うんうんいい食感だ。
一人お肉に夢中になっていると、燈火さんがじっとこちらを見つめていた。
「どうかした?」
「連理さんは本当に美味しそうに食べますね」
「美味しいからね」
「じゃあ、これもどうぞ。あーん」
「あーん」
切り分けられた肉を差し出され、反応的に口を開けてしまう。お肉には逆らえない。
「燈火さん気をつけてね。多分それ、指でも食べちゃうよ」
「食べないよ」
いひひと笑う浮草も結構な食べっぷりだった。人をそれ呼ばわりするんじゃない。
お店は大盛況で、あちこちに店員さんが動き回っている。
一番食べる量が少ない燈火さんでも、一人分の鉄板をすっかりと平らげて物足りない様子だ。
私たちの食欲がそれくらいで落ちつくわけもなく、当然のように追加注文の相談に入った。
いくら美味しいと言っても塊の肉ばかりでは顎が疲れるので、特製ハンバーグを三人前とガーリックライスを二人前追加注文する。そのあとのデザートは食べ終えてから考えよう。
「みなさんまだ食べるんですか?」
「これくらいじゃぜんぜん足りないよ。桜蓮ちゃんメニュー取って」
「はい。まだ追加するの?」
「ううん。次来た時に何食べるか決めとくの」
浮草は真剣にメニューを開いた。さすがの桜蓮も呆れた様子で水を飲んでいる。
「そういえば桜蓮は浮草を呼び捨てなのに、逆はちゃん付けなんだよね」
「昔は私もそうだったんだけど、姉さんたちが同じ呼び方でしょ? あの二人と同じなの嫌になっちゃって」
睡蓮と木蓮さんが桜蓮に嫌がられている。聞いただけで笑みがこぼれる話題だった。
「いつ頃からの付き合いなの? 私が二人を初めて見たのは四年前だったと思うけれど」
「うーん、十年くらい?」
浮草は会話を気にすることなくメニューに没頭している。自分の歴史にも関わることなのに、全く意に介していなかった。
「中学くらいで浮草が引っ越したんだけど、連絡は取り続けたんだよね」
「じゃあ、感動の再会とかあった?」
「ううん、ぜんぜん。週一でビデオ通話してたし」
技術発展の弊害を見た。感動エピソードが聞けると思ったのに、ビデオ通話という単語で台無しだ。
「人に歴史ありですね」
残っていたサラダを摘まみながら燈火さんが呟く。十年来の関係か。そう考えると、私は師匠くらいしかそういう相手がいない。一応は瑞香さんと八年前に会っていたけれど、お互いを認識したのはここ数年だ。
「燈火さんにはそういう人いないの?」
「うーん、いませんね。画面越しでなら、連理さんのことを十年以上前から存じていましたが」
「え、私の古参ファンだったの?」
「はい。連理さんは憧れの人ですよ」
「社交辞令だよね」
「はい。冗談です。知っていただけですね」
何とも掴めない人だ。どこまで本気なのかわからない。
浮草の眺めるメニューをチラチラと見ながら桜蓮が言う。
「そっか。連理さんがこの中で、一番昔から目立ってる人だったんだ」
「と言っても、出たくて出たわけじゃないからね。勝手に注目されてカメラ向けられて迷惑だったよ」
「最近は楽しんでるみたいなのに」
「昔と事情が違うもの。引退した身になって気楽なもんだよ」
そんな私を使ってくれる将棋界には感謝している。それと同じくらい、研究会に入れてもらえたことと、一応は師匠にも感謝の気持ちはあった。
「お、追加肉来た」
浮草が鼻をひくつかせてメニューを閉じた。その数秒後に店員さんがやってくる。なぜわかったんだこいつは。
追加のお肉に興味がない燈火さんは、通路側の席で動画を見ていた采女と凌乃に興味を示した。
「お二人は何を見ているんですか?」
「この間の連理ちゃんの解説会」
「最後以外あんまりいいとこなかったよねー」
「真面目な解説じゃ笑えないっての」
二人は勝手なことを言いながらケラケラ笑っている。失礼な話だ。私はあくまで解説役で、主役ではなかった。
「でも、連理さんが駒を動かすシーンはいつ見ても可愛らしいですよね。この時もほら、このタイミングでは必死に斜めから手を伸ばして諦めてますし」
また笑いものにされている。正面の桜蓮と目が合い、疲れたアピールをしながらお肉を口に運んだ。
「芸歴が長いと大変だね」
「芸じゃないんだって」
それでもお肉は美味しかった。
デザートまで堪能し、六人前にしてはちょっと行きすぎた金額に驚きながら会計を済ませた。
カードで払ってふと燈火さんに問いかける。
「海外ってこのカード使えるのかな?」
「カード会社に事前連絡しておかないと、もしかするとすぐに海外利用で停止されるかもしれませんね」
ほうほうと説明を受けながら車に乗る。自然と燈火さんが助手席に座り、采女の定位置は奪われてしまった。
「このあとはどうしますか?」
「さすがにみんな満腹でしょ? 飲食店はちょっとなぁ」
「では、旅行用品の買い出しにでも行きませんか? 実際に見てまわって、何が足りないかお話できると思いますよ」
「そうしようか。どうせみんな暇だろうし」
満腹で悶絶する三人と桜蓮の予定は事前に確認済みだ。いつでも集団でトイレに駆け込めるショッピングモールなら、色々と都合がいいだろう。
木蓮さんの車で燈火さんと行ったショッピングモールにナビをセットし、まだ店の入り口に列ができているステーキハウスをあとにした。美味しかったけれど、これは予約しないと入りたくないな。
「しばらくは将棋のお仕事はないんですか?」
「うん。今のところはね。明日研究会があるけれど、仕事ってわけじゃないし」
「土日も大忙しですね」
「そうだね。ただもう、一日じっとしている方が耐えられない身体になったよ」
「動いているか、将棋を指しているかですか?」
「最近はチェスもやってるし、新しいトランプのゲームも試してるしね」
「トランプですか」
「そうそう。研究会のプロの先生が考案したのを、采女たちとブラッシュアップしてるところ」
「面白そうですね」
「うん、今度教えるよ。そんなにルールは難しくないから」
ブラフの読み合いや計算要素、戦略面で考えることは多いけれど、トランプの半分のセットであれだけ楽しめるのは驚いた。
ただ、慣れるまではあのカード量でちょうどいいと思う。赤と黒で分けてやる長尺のパターンを実験してみたら、考えることが多くて時間がかかりすぎて一度断念したくらいだ。多分常務さんもシミュレートして、色分けだと長くなるからスート単位のルールにしたんだろう。
常務さんは忙しいのか、ルールの改善案を送ってからお礼の返事以外に反応がない。明日そのことも聞けるだろうし、今から研究会が楽しみだった。




