23歳74_Invisible scars
更衣室のキャパシティーオーバーにより、着替える順番が最後になってしまった。
糸遊と凌乃、それに瑞香さんと廊下で待ちながら雑談していると、先に着替えを終えて事務所に顔を出していた見学者たちが目の前にやってくる。
「お先に失礼します」
「ありがとうございました」
それぞれの挨拶に応じて見送る中、手にしていたスマホにメッセージが届いた。睡蓮からだ。
今日の見学のことをどこかで聞いたのだろう。メッセージには甲峰従姉妹の二人のことが書かれていた。
文章で送るのが面倒なので、「帰りに歩きながら電話をする」と返して更衣室の空きを待つ。
「そういえば雨どうなったかな」
「糸遊たちが来る時は止んでたよ」
「止んでても湿気は高そうなんだよねぇ」
呟きながら思いだした。そういえば浮草は傘を持ってきただろうか。糸遊たちと同じタイミングで来たということは、雨に降られていないはず。もしかして純喫茶に置きっぱなしかなと思って、事務所入り口の傘立てを見た。あった、私のビニール傘だ。
緑色の輪ゴムを、白い取っ手に巻き付けていたのですぐにわかる。みんな傘を持ってきているみたいで、結構な本数がそこにあった。
「お待たせー」
采女を先頭に更衣室から数人が出てくる。入れ替わりに更衣室に入ると、なんと甲峰従姉妹に挟まれてしまった。
背の高い二人に見下ろされているのがわかる。ちょっと気まずく思いながら、着替えを済ませようとシャツを脱いだ。
「でっか」
「こら」
藤さんの正直な感想にすぐ牡丹さんのストップがかかる。藤さんは気にする様子もなく言葉をつづけた。
「え、服の上からじゃわからなかったけど、連理さん背中凄いね」
「背中? ああ、結構鍛えてるからね」
水泳をするようになって、より目立つようになったかもしれない。その水泳のおかげなのか、手足も最近引き締まった感覚がある。
見せつける気も観察させる気もなかったのでさっさと服を着た。藤さんを見上げるともっと見たそうにしている。まだ性格が読めない人だ。
「どういう鍛え方してるの?」
「鍛え方? 昔は打撃系をやってたよ。へたくそだったからこんな手になっちゃったけれど。最近は週三くらいで泳いでるね、背泳ぎメインで」
「打撃系? 格闘技?」
「になるのかな? 武術の道場だったり色々だけれど。興味ある?」
「手足を痛めるのはちょっとなぁ」
「凌乃もそういうの続けてるよ」
「凌乃ちゃんが?」
ほらあそこと、健康的な下着姿の凌乃を指さす。元々のスタイルのよさに加え、道場通いによるトレーニングのおかげでスポーツをやっているような身体つきになっていた。
「おぉー! 凌乃ちゃんも凄い」
「ひゃあ!?」
私への興味を失ったのか、藤さんは凌乃にまとわりついた。これは解放されたということだろう。落ちついて小さくため息を吐いた。
「ふふ、ごめんなさいね。藤はすぐに動いてしまうので」
「悪意がない分反応に困るね」
そうだ、まだ牡丹さんもいたんだった。
お嬢様のようなロングスカートにブラウスの清楚な姿。レッスン中は髪を下ろしていたけれど、今は三つ編み姿だった。
いつか見たことのあるCloudreamのライブ映像を思いだす。こんな人いたっけ?
「牡丹さんは、ライブの時どういう格好だっけ?」
「髪は両サイドで結んで、眼鏡をかけていますよ。普段の私からは想像もつかないとよく言われます」
ああ、よく中央付近にいる人だ。確かに髪色や姿勢は牡丹さんだった。
「なんかこう、逆のパターンはわかるけど。そういう衣装? 地味な感じが勝負姿なんだね」
「ええ。眼鏡をかけた方が集中できるんですよ。度は入っていませんが」
「伊達眼鏡でライブに出てるんだ」
「はい。こういう格好は案外目立ちませんからね」
今の楚々とした格好を改めて見せてもらう。くるりと回る姿がお上品だった。
なるほど、確かにこれだと目立たないだろう。ライブの舞台という特殊な環境だと、こういう落ちついた姿は他のメンバーに埋もれてしまいそうだ。
逆に地味な印象を与えて動きでインパクトを与えれば、アイテムと髪型がトレードマークになって目で追ってしまう気がする。
「色々と戦略があるんだね」
「ええ。こうでもしないと藤が全部持っていってしまいますから」
サポートに徹する気はないということなのだろう。それもまたユニットの在り方だ。
みんなが着替え終え、更衣室から出てから忘れ物がないかチェックした。瑞香さんと一緒にフリースペースのロッカーも一度開けてまわって、問題がないことを確認する。見学者の忘れ物があったら面倒だ。
事務所の前で解散し、四人娘といつもの道を歩いて帰る。雨は小降りになっていたけれど、浮草は瑞香さんが車で送ってくれたので、傘は私の手元にあった。
「ちょっと電話するね」
「うん」
今は隣に結葉が歩いている。この四人は誰か一人が外れて歩いていても、他の三人はすぐに仲よく盛り上がった。
今日に限っては傘のぶつかり合いになりかねないので、結葉は一人安全策を取って距離を置いているようだ。
「あーもしもし」
『お仕事決定おめでとう!』
「いや、そこは複雑な心境なので置いといて。見学のこと誰に聞いたの?」
『そりゃお姉ちゃんだよ』
「木蓮さんは、会社の守秘義務とか気にしないのかな」
『別に大した秘密じゃないでしょ』
「それはそうだけれど」
睡蓮の声は聞こえていないだろうに、私の口ぶりから察した結葉はクスクス笑っている。
「あと、牡丹さんの方。私がレッスン受けてることを、睡蓮から聞いたって言ってたよ」
『教えたんだから当然でしょ』
「なんでこう口が軽いのかな、あなたたち姉妹は」
『おうれーん、連理ちゃんが悪口言ってるよー』
「桜蓮は含んでない!」
『無視されちゃった』
「ざまー見なさい」
嘘泣きの声がするので、本題を促した。
「で、あの二人がどうこうってメッセージ、何だったの?」
『いやぁ、連理ちゃんがスカウトされるんじゃないかなって思ってね。心配だったんだよ』
「そんな話は微塵も出なかったから安心して」
『安直だね連理ちゃんは。これからじわじわと距離を詰められて、気づいたら手籠めにされるかもしれないんだよ』
「あの二人ならやぶさかでもない」
『あ、浮気者だ』
「今日瑞香さんにも言われた」
『なんで瑞香さん?』
事務所での髪の話を伝える。睡蓮は笑って電話を切った。以前一方的に切った時の仕返しをされた気分だ。
「はぁ、なんかどっと疲れた」
「おつかれさま。月曜日から大変だね」
「本当にね」
思った以上の長電話になってしまった。気づいたらもうマンションの前に着いている。甘いものがほしくなったけれど、既にコンビニの前を通り過ぎていたので諦めた。
明日、采女の通院に付き合ったあとで、純喫茶のプリンを食べよう。
眼科の待合室で采女と並んで座っている間、桜蓮に借りたチェスの本を読んでいた。
ここに来るのは四回目。前回、前々回と経過は良好だったので、今日も心配はしていなかった。
采女の苗字で、水引さーんと呼ばれて一緒に立ち上がる。采女も落ちついて診察を受けていた。
「大丈夫そうですね。念のため、視力を測りましょうか」
特段問題なく診察が終わり、今後は診察ペースを落としてもいいと言われる。
三か月に一度くらいで通院し、特に変化がなければ来年には診察も不要だそうだ。
「よかったね」
「うん」
心なしか采女も安心した様子で言葉を続ける。
「四月には別々の暮らしだもんね。その先に影響しなそうでよかった」
「通院ならいつでも呼び出しに応じるよ」
「なら安心だね」
へへっと陽気に笑う采女を見て、逆に私の心の方がざわついた。
そうか、あと八か月でこの生活も終わりなんだ。
「すぐ学校行く?」
「連理ちゃんはどうするの?」
「采女を送ってから時間潰して、浮草のバイト先でコーヒーでも飲もうかなって」
「えー、いいなー」
「じゃ、午前はサボっちゃおうか」
「いいの?」
「たまには気晴らしもしないとね」
私は悪い保護者だ。自分の都合に預かり子を巻き込んで楽しもうとしている。
たまにはそういうのもいいだろう。別に一日サボらせるわけじゃなし、目を落ちつかせるためのちょっとした休憩だ。
自分に言い訳して車を出した。
純喫茶の開店時間まで時間があった。
事務所の駐車場に車を停め、采女と歩いて純喫茶へ向かう。
「もうすぐ夏休みよね」
「うん。今年はちゃんと補習なしだよ」
「毎回素直に成績表を出してくれたら私も楽なのに」
「それはほら、抵抗しとかないと面白くないじゃん」
「そういうのに面白さはいらないの」
すぐに目的地に着いてしまった。中では店主が開店準備をしていたので、店の前で采女と待機する。
「おや、おやおや?」
「おはよう浮草」
「浮草ちゃんおはー」
「こらこら、チビっ子が学校サボっちゃ駄目じゃないの」
「私を見ながら言うな」
制服姿の采女にではなく、私に言うのが浮草らしい。
采女がニヒルに笑い、キザったらしく言う。
「眼科ついでにちょっとだけ休憩と、可愛い店員さんで目の保養をね」
「あら、お上手なんだから」
オホホと上品ぶって笑う浮草が続けた。
「こんなところで待ってても暇でしょ。入っちゃいなよ」
浮草が豪快にドアを開け、そのまま店主を呼んで許可を取ってくれる。常連客ならではの特典だ。
「いらっしゃい。少し時間がかかるけど、いいかな」
「はい。開店前からごめんなさい」
「いいよいいよ。奥へどうぞ」
いつもの奥のテーブル席に采女と向き合って座った。
準備している様子をしげしげと見つめる。へぇ、開店前ってこんな風なんだ。
いつもの開店後の落ちついた雰囲気しか知らなかったから、思った以上に慌ただしい準備の様子に驚いた。
浮草は奥で着替えてすぐに出てくる。そして手早く準備を進めると、ショーケースにスイーツ類を並べてくれた。
並ぶ瞬間を見るのは私も初めてだ。采女と一緒にショーケースの前に移動する。
「あれ? 新商品?」
しばらく来ていなかった采女が、興味深そうにショーケースを覗いた。
「そうだよー。期間限定のお試しで、抹茶プリンとコーヒープリン。どうでっか?」
「抹茶プリンいいなぁ」
「そちらのお客さんは?」
「じゃあ、コーヒープリンを」
「毎度ありぃ。コーヒーと一緒にお持ちしまぁーす」
陽気に対応する浮草に笑ってしまう。まるで私が注文することを見透かしていたようだった。
「あれ? まだコーヒー頼んでないよ?」
「私はいつもブレンドだからね。頼んでも頼まなくても出てくるんだよ」
「あー、じゃあ私は甘くないカフェオレで」
「砂糖抜きでいいんだ」
「甘いもの食べるしね」
浮草に注文を伝え、再び奥のテーブル席に戻った。そろそろ開店時間だし、少し早いけれど注文しても大丈夫だろう。
新商品は知っていたが、なかなか注文する機会がなかった。采女を連れてきて正解だ。これでどちらも味わえる。
頼んだものが届き舌鼓を打つ。コーヒープリン、美味しいじゃないか。采女と交換して抹茶プリンも味わう。こちらも美味しい。
「これは今後迷わされるぞ」
「そんなに通える連理ちゃんが羨ましいよ」
「こればかりは大人の特権だからね」
采女も新商品のプリンを両方気に入ったようだった。甘くないカフェオレで一息ついている。
カウンターの中では浮草が調理道具を洗っていた。手際よく動いていて気持ちのいい働きっぷりだ。
「よーし、洗い物終わりましたよ」
「まだだね」
「え、どこが?」
「君の心だ」
「感動的に酷いこと言わないで」
カフェオレを啜っていた采女がむせた。
「この酷い扱い。やっぱり世の中はおかしい」
「君ほどじゃないよ」
「そう言わず聞いてくださいよ」
「働いてくださいよ」
「やっぱりおかしい。今私は働いていたのに」
「店員なんだから働いて当然だろ」
「かしこまりました」
采女がカウンターの中を振り返る。相変わらず淡々と冗談を飛ばす二人に、さしもの采女も劣勢のようだ。
「いつもああなの?」
「今日はまあまあだね。破壊力がある時はもっと凄いよ」
恐らく、一番ヤバかったのは五人で来店した時だろうか。あの時は浮草だけでなく、凌乃や采女も悪乗りの側だったし、店主も絶好調だった。
もしかすると、観客が増えるとお店の二人の調子が上がるのかもしれない。
「そうそう、昨日対戦してたらコントローラー壊れたんですよー」
「明日予備を貸してあげよう」
「持つべきものはオフラインフレンド!」
「友だちじゃないって言ったよね」
「すぐに突き放す!」
「給料天引きで」
「レンタル料取るの?」
「友だちじゃないからね」
「ますます酷い!」
へぇ、あの二人、同じゲームをやる仲なんだ。
「これ、終わりはあるの?」
「私たちがいる限りは続くだろうね」
「思った以上にヤバい店だここ」
「それが面白いんだよ」
コーヒーもプリンも堪能した。采女も満足したようなので立ち上がり、お会計を済ませる。
早く避難しないと采女が危ない。
「毎度ありー」
「またいらっしゃい」
店主が采女に声をかけた。
さっきの会話とのギャップにやられた采女は、無言で頷くことしかできなかった。
やっぱりこのお店、私クラスの常連じゃないと対応は難しいみたいだ。
変なところで誇らしく思い、事務所の駐車場へのんびりと歩いた。




