23歳71_Invisible scars
小気味よい靴の音で目が覚めた。
時計を見る。二十分ほど寝てしまったらしい。大きく伸びをして起き上がる。
二枚並んだタップボードで、睡蓮と采女が踊っていた。
しばらくぼーっと見つめていた。耳に響く音が心地よい。
燈火さんが指導し、二人の奏でる音がより綺麗に重なった。
「おはよう」
「んー、おはよう」
糸遊はパソコンで将棋を指していた。オンラインのレーティング戦だ。
再びダンスの風景に目をやる。睡蓮の元々派手な髪色が、エクステで更に派手になっていた。並んで踊る采女も眼鏡にチェーンをつけ、髪にエクステをつけて色気を増して踊っている。その様子を燈火さんが撮影していた。
采女は毎日の練習成果が出ている。睡蓮と比べて引けを取らないどころか、ステップのキレや音の響きは睡蓮より上に見えた。
音については靴の差もあるのだろうけれど、どちらかというと睡蓮の方が追いつくのに必死なようだ。
「采女ちゃん上手だねー」
「へへ、毎日やってるんでね」
「燈火さん交代しようよ。采女ちゃんに思い知らせてあげて」
「そう競い合うものでもないんですけど」
今度は睡蓮がスマホを構え、燈火さんと采女がステップを踏みはじめた。
いいなぁ。綺麗で聞いていて気持ちのいい音だ。手をゆったりと動かす燈火さんと、上下の動きのある采女。見ているだけで楽しくなった。
将棋を指しながら糸遊もリズムを取っていた。わかるよ。あの音はつられちゃうもんね。
しかし采女が焦りだした。燈火さんがペースを上げ、段々とついていけなくなる。采女のスマホで流れていたBGMが終わった。
「燈火さん凄い! 足の動き速すぎ!」
「ありがとうございます。采女さんも頑張りましたね」
「ダンススクールでもこんなのしたことないのに」
采女が崩れ落ちた。あれが燈火さんの本気なのだろうか。まだまだ余裕があるように見えた。
こちらを見た睡蓮から声がかかる。
「連理ちゃーん、出番だよー」
「無理無理」
「いいから、早く靴履き替えて」
仕方なくタップボードに立つ。練習は采女と同じくらいしているけれど、私が燈火さんと踊れるとは思えなかった。
「あ、その前に」
睡蓮がスマホを置き、いくつかのエクステを私の髪に取り付けた。踊る時のいいアクセントになるからと、上手いようなそうでもないような説得に負けた。
「じゃあ、始めるよ」
采女がスマホを操作してBGMが始まる。ケルト風の音楽、練習に使っているアイリッシュダンス用の曲だった。
これなら金属のシューズじゃなくて革靴の方がよかったなぁ。そんなことを考えながらステップを踏む。
単純なものでちょっと音が鳴ると、すぐに気分がよくなり足が勝手に動いてしまう。少し寝たことで元気になったせいかもしれない。
ダンススクールでは燈火さんと合わせる機会は少ない。いつも教わる側だ。お手本を見せられて、他の生徒さんと合わせてタイミングを調整してもらっていた。
横に並んで踊って初めてわかる。レベルが違う。「ついてこれますか?」と尋ねられているような感覚だ。追い詰められた気分で不安になり、つい足元を見たくなる。この曲で下を見るのは変だ。我慢して必死に足を動かした。
本家のアイリッシュダンスのような、手を揃えて踊る技術は私にはなかった。少しだけ上半身を動かし手を広げ、自然とバランスを取ってしまう。
疲れる。だけど面白い。楽しい。ずっと引っ張られる感覚だ。こんなに圧倒的な差があるのに、一緒に踊れているような感覚になる。燈火さんはこんなに凄い人だったんだ。
曲が終わって足を止める。息切れしていた。三分足らずの曲なのに、心地よい疲労感に襲われる。燈火さんを見た。少しだけ上気した頬が色っぽい。それでも呼吸に余裕があった。
「燈火さんやばすぎ」
それだけ言って寝転がる。満足した。靴を脱いで大の字になり、睡蓮と笑って話す燈火さんを見た。
トップクラスのアイドルの睡蓮、アイリッシュダンスでも活躍できる燈火さん。凄い二人が話している。私の手の届かない世界の二人だった。
悔しいなぁ。全然届いてないじゃないか。あれこれやって色々できる気になっていたのに、本物と並ぶとこんなにも遠く感じるなんて。本当にいつか同じレベルに立てるのだろうか。心の底から不安になった。
起き上がって二人にこっそり頭を下げる。参りました。そしてちゃんと目標が見えました。
「ねぇ燈火さん。私じゃ二人ほど踊れないけど、合わせてもらってもいいかな?」
「はい、喜んで。私も睡蓮さんと踊ってみたかったので」
采女が睡蓮のスマホを受け取った。采女のスマホからBGMが流れる。今度はケルト風ではなくポップな音楽だ。二人とも普段の靴なので音よりダンスに注目した。
アイリッシュのあとでタップダンス。それを当たり前のようにこなす燈火さんも凄いが、必死に食らいつく睡蓮も凄い。さっき采女に置いていかれた感覚が残っているのだろう。わずかな時間で成長していた。
踊りおわった睡蓮がのしかかってくる。
「疲れたー!」
「暑いから寄ってこないで」
不意打ちで睡蓮を避けきれなかった。クッションに、そしておもちゃにされる。
「うん、ばっちり撮れたよ。睡蓮ちゃん、これ共有してくれる?」
「いいよー。スマホ貸して。ほら、連理ちゃんも燈火さんも」
スマホを開いて三本の動画を受信した。燈火さんと踊った三人のそれぞれの動画、これは今後の貴重な資料になりそうだ。
「勝ったぁー!」
思わず四人で糸遊を振り返る。声の主である糸遊は注目を浴びてキョトンとしていた。声を出していたことに気づいていないようだ。
「どうかしたの?」
「こっちのセリフだよ」
誰よりも早く采女が言い返した。抱きついていた睡蓮をその辺に転がし、糸遊の隣に座ってどれどれと画面を見る。
ネットの対局。レートが表示されている相手だ。糸遊より圧倒的な格上の相手に対し、糸遊は残り時間わずかで勝ちきっている。私たちが踊っている間に、糸遊もとんでもないことをしていた。
これ、有名な振り飛車党のプロ棋士のアカウントじゃないか。当たること自体珍しいのに、貴重なチャンスをものにしている。
「凄いね糸遊。この人プロって知ってた?」
「そうなの? あー、だから色々変な手指してきたんだ。練習材料にされてるのかなって思ったもん」
それだけ認められたということだろう。内容は詳しく見ないとわからないが、勝ちきったことは事実。自信を持っていいはずだ。
大急ぎで盤面を再生する。こういう時パソコンは便利だ。超高速で駒の動きを再現し、終盤ミスなく糸遊が詰ましに行く様子がありありと見えた。
よくやった。本気で褒めてやりたい。最近の糸遊の会心譜だろう。私相手では出せない力を発揮できている。
「この棋譜、今度の研究会で深く研究しようね。もしかすると橋見さんや専さんの参考になるかも」
「わかった。メモしとくね」
偉い偉い。慢心しないいつもの糸遊だ。思わず頭を撫でてしまう。
三人の視線が気になった。さっきから静かに座っている。
呆れたような、ぼーっと見つめるような不思議な視線で、糸遊ではなく私を見つめていた。
「えっと、どうかした?」
「いやぁ、連理ちゃんって本当にお師匠さんなんだなぁって思って」
「はい。私もそう思います。プロの先生が教えるみたいで感動的でした」
采女が無言でスマホを向けてくる。手で隠して防御した。
そうだ、私もプロだったんだ。改めて思いだし、いい気分になった。
私は二人に追いつこうとしているけれど、二人は絶対に私の道で追いつけない。ちょっと得意な気持ちになった。
「睡蓮はどうやってきたの?」
「お母さんが暇そうにしてたから送ってもらったよ」
睡蓮のお母さん? やっぱりとんでもない美人なのだろうか。少し気になる。
さっきまでの雰囲気はどこへやら、またゆったりとした空気の中でお喋りの時間になった。
木蓮さんから仕事用のグループメッセージが届く。エクステの話は完全に無視されて、現地の新幹線に乗った報告だった。よかった、少なくとも今はいじられなかった。その分明日が大変になるぞ。
新幹線で一時間半ほどかかるらしいので、駅まで車で迎えに行く提案をする。どうせ睡蓮と燈火さんを送るのだ、ドライブついでに行ってあげよう。
「あー楽しかった。燈火さんとお話できて嬉しかったし」
「私も楽しかったです。いっぱい可愛いものも見れましたからね」
二人が帰り支度をしている間、采女と糸遊に声をかけた。
「二人を送ったら新幹線の駅まで迎えに行くけれど、あなたたちはどうする?」
「踊って疲れたからいいや。その辺でぐうたらしたいし」
「糸遊も将棋のお勉強するから、お留守番してるね」
「うん。じゃあ行ってくるね」
睡蓮と燈火さんを車に乗せ、燈火さんから送り届けた。
プロ級のダンスを体感させてもらった。思いだして嬉しくなる。こんな人と知り合えて私は幸運だ。
そしてダンススクールには、燈火さん以上の実績を持つ人がまだ二人もいる。女性のコーチと主催の男性の先生だ。いつか二人の出るコンクールも見に行きたい。
「燈火さん凄かったぁ。あと凄く綺麗だった」
「うん。私も半年以上教わっているけれど、あんな燈火さんは初めて見たよ」
お互いに感想を漏らして余韻を楽しんだ。それくらいインパクトの強い人だった。
「連理ちゃんはこれからどうするの?」
「これからって、今日のこと?」
「そうそう」
「ああ、ロケ組が新幹線に乗ったとかでちょうどいい時間になりそうだから、これから駅まで迎えに行くよ」
「私も行く。お姉ちゃんと帰り一緒になるし、いいでしょ?」
「うん」
「ところで、何のロケだったの?」
「靴職人の工房だってさ。結葉はそういうクラフト系大好きだし、凌乃はスタイルがいいからいいモデルになるだろうからってね」
「なるほどねぇ」
納得顔で睡蓮が頷いた。
ゆったりと車を運転する。夕方なので朝と比べるとやはり混んでいた。おかげで駅の待ちぼうけ時間が減るだろう。ほぼ予定通りの時間だった。
「睡蓮もLotusのライブ行くんだよね?」
「うん。桜蓮はもちろんだけど、他のメンバーの激励もしたいしさ」
「どんな子がいるの?」
「えーっと。今のメインメンバーは七人で、桜蓮と一番実力が近いナズちゃんでしょ、他には……」
名前だけ言われてもわからなかった。帰ったら公式サイトで確認しよう。
以前は八人とか言っていた気がするけれど、減ったのかお休みなのか。詳しい事情はわからないが、実力主義なユニットだということは聞いている。
「最近他のユニットとのコラボも予定されてるみたいでね、結構いい感じみたいだよ」
「Lotusくらい売れてるところ?」
「あはは、Lotusより格上だよ」
そんなユニットとコラボを? ひええ、規模の大きな話だこと。
「それはユニット単位でってことだよね?」
「どういうこと?」
「アイドルとしては睡蓮が一番なんでしょ?」
「一番かどうか決めるのはお客さんだからなぁ。まだまだ現役の上の世代も凄いしね。ソロ枠なら私もいいところにいると思うけど」
「睡蓮以外のソロなんて浮草以外知らないや」
「見識が狭いね連理ちゃんは。もっと勉強しないと置いていかれるよ」
「はーい」
これでも頭を使うことだらけの生活だ。最近はチェスに振り飛車に、フィッシャールールで大忙し。こういう車の運転や水泳がいい気分転換になっていた。
もしかするとLotusのライブ直後に大盤説明会が入るかもしれないし、あれはあれで頭を使うから対局者の棋譜を前もって勉強しておきたい。
大盤解説会で思いだした。
「そうだ。もしかするとLotusのライブのあとで将棋の仕事が入るかもしれなくてね」
「知ってる。棋昇戦五局目があればだよね」
「お? 詳しくなった?」
「連理ちゃんの出る放送はチェックしてるよ」
「だったら言っておきたいんだけど、危ういコメントは本当にやめてよね」
何か気になったことがあると、また変なコメントをされているのではないかとヒヤヒヤする。睡蓮は放送のコメントでも他の視聴者を先導する危険性を持っていた。
「やだー! 私のライフワークだもん」
「そんなものライフワークにしないでよ」
「Lotusのライブ直後なら桜蓮とじっくり見るだろうしね。これは盛り上がるぞー」
「見るだけならいいんだよ。変なコメントするなって言ってるの」
「ふーんだ。バレないように毎回ID変えて粘着してやる」
「ここで降りたい?」
「お姉ちゃんが黙っちゃいないよ」
ぐぬぬ。木蓮さんを出すのはずるい。一応上司だから逆らいにくい。
駅に着いた。ロータリー付近で少しだけ待てる場所があったので、駐車してメッセージを送る。すぐに電話がかかってきた。
「着いたよー。ロータリーの近く。うん、見えた見えた」
凌乃が手を振っているのがわかった。窓から手を出して場所を知らせる。凌乃が眉をひそめた。結葉と木蓮さんもだ。どうしたのだろう? 車は朝と一緒なのに。
「連理さん?」
「見てわからない?」
真後ろの席に座りながら凌乃がルームミラー越しに見つめてくる。どうしたというのだろう?
「髪染めたの?」
「は?」
結葉と木蓮さんも車に乗り込み、ミラー越しの視線がこちらに集中する。
「え、何か変?」
「連理ちゃん気づいてなかったんだ。エクステ付けっぱなしだよ」
「はぁ? 教えてよね!」
睡蓮に指摘され、慌ててミラーを見て外そうとするも、既に車は動き出していた。これはいかん、恥ずかしい。
「エクステだったんだ。可愛いしいいんじゃない?」
「だよねー。凌乃ちゃんもわかってるなぁ」
木蓮さんは助手席の睡蓮の後ろから、私への興味を失い睡蓮を見つめている。
「睡蓮が迎えに来てくれた。嬉しい」
「あ、こら、お姉ちゃん。姉馬鹿!」
真後ろの席から木蓮さんの手が伸びる。何しろ丸一日会っていなかったのだ、姉馬鹿な木蓮さんには感動イベントだったのだろう。
それはともかく車内で暴れないでほしい。そしてエクステを取ってしまいたい。
どうにも落ちつかないまま、凌乃とその後ろの結葉によるロケの報告を受けつつ蘇芳邸に到着する。睡蓮と姉馬鹿木蓮さんを放り投げるように見送り、結葉が助手席に移動してきた。会話しながらエクステを外す。
「えー? なんで取っちゃうの?」
「付けっぱなしにしてると、あとで頭皮が痛くなるんだよこれ」
「そうなんだ」
残念そうにする結葉には悪いが、これ以上付けていたくなかった。痛みも嫌だけれど、やっぱりいつもと違うのは恥ずかしい。
「でも何で急にエクステ? ていうか髪切った?」
凌乃からの質問に順に答える。燈火さんと面識がないのは凌乃だけだ。結葉は挨拶程度で一応顔は会わせている。
「えー、会いたかったなぁ。何でロケの日にそういうことするかな」
「ただの偶然だよ。凌乃もジムかタップダンススクールに通う? 毎週会えるよ」
「自動車学校でいっぱいいっぱい」
「旅行前までには免許取りなさいね」
「精進しまーす」
気の抜けた返事だ。八月に入ってもこの調子だったら、色々と厳しくしなければならないだろう。
「それよりもさ、そのネックレスとエクステに、あの時のサングラス掛けたら連理ちゃんもギャルの仲間入りだね」
「嫌よそんな仲間入り。それにもうサングラスないしね」
「何で? 失くしたの?」
「浮草のバイト先の店主にあげた。私より似合ってたから」
凌乃はあの人かーと思いだしている。納得してくれたようだ。
「浮草ちゃんのバイト先って、あの喫茶店だったよね? 店主さんの顔、あんまり覚えてないなぁ」
「うん。結葉は浮草と采女のせいで腹筋崩壊してたから」
「あー……」
思いだしたようだ。珍しく結葉が渋い顔をする。
「あの時の浮草ちゃん、悪魔みたいだった」
「えー? あれが面白いのに」
「凌乃ちゃんは浮草ちゃんに耐性があるから羨ましいよ。私、ああいう笑いに弱いから」
そう言われるとまた連れていきたくなる。もうすぐ夏休みだし、労いの意味も兼ねて計画しておこう。




