23歳68_Invisible scars
身体を動かし、頭を使う日々が続いた。
この間、睡蓮の家に遊びに行ったことはいいリフレッシュになったかもしれない。たまに、睡蓮が鍵穴にヘアピンを突っ込んでいる写真を見て気分転換をする。
隙間時間で専門学校の入学資格を確認した。受験科目の少ない大学受験のようなものだ。結葉に参考書を借りて、少し確認した範囲ではまだまだ覚えていることばかりだった。これなら焦る必要はない。たまの気晴らしに勉強すれば大丈夫だろう。
ただ、それとは別に英語だけは軽く復習しておいた。旅行先でどんな事態に巻き込まれるかわからない。最近のスマホなら翻訳も簡単にできるけれど、相手が待ってくれないようなこともある。せめて単語や熟語は、音と文字を一致させておきたかった。
そんな中、七月に入ってLotusのライブが近付いてきた。
毎週のチャンバラレッスンの時に来ていた桜蓮がいない。さすがに本番前で、こちらに来る余裕はないのだろう。
その日は瑞香さんに勝負を挑んだ。将棋とチェスで頭を使い倒す日々の中、思いついた方法があったので試したくなったからだ。
「いい度胸ね。その小さい背をもっと縮めてあげるわ」
「そんなキャラだったっけ?」
大体、スポーツチャンバラの武器の威力で背が縮むことはないだろう。糸遊を審判に立て、いつものメンツが見守る中で瑞香さんに挑んだ。
最初の二本は上手い具合に先制して取れた。いい感じだ。長身の瑞香さんと小さな私、リーチの差が目立つが、それ以上に高低差がある。スポーツチャンバラのルールでどこを狙ってもいいので、足元を徹底的に狙い倒した。
私にはスピードもある。上手く動いて腰を低く、瑞香さんの足を狙い続けた。下から振り上げるフェイントも混ぜる。瑞香さんは落ちつかないだろう。
武器を持つ側の根元を狙うイメージを持ち、エアーソフト剣を持つ右側に的を絞った。近すぎて触れないはず、そう思って動いた瞬間、スパーンと頭を引っぱたかれた。
そんな勢いで打てるような空間はないはずだ。慌てて瑞香さんを見る。左手で武器を持っていた。
「な、両利き?」
「ちゃんとした右利きよ。そんなに何度も同じことされたら、対策くらいするに決まってるでしょ」
その後はひたすらしばき倒された。完全に面白がっている。相打ち同然のタイミングで上手く当てても、判定は瑞香さんが先。今日もボコボコにやられてしまった。
「十年、いや、十センチ足りなかったわね!」
「鬼!」
今度は凌乃と浮草が戦いはじめた。
動きを見ながら腰を下ろす。うーん、経験とリーチの差はわかるけれど、こうまで負けるのは何でだろう?
浮草は凌乃のスピードに慣れているのか、ひょいひょいと距離を取って避けていた。私もあれくらい避けているつもりなのに、瑞香さん相手だと見えないところから攻撃が飛んでくる気がする。
フェイスガードを装着している時は、かんざしで髪をまとめていない。かんざしが折れたら嫌だからだ。髪を下ろしたままになるので、自然と視界は狭くなる。これが原因だろうか。
「ねぇ、結葉。フェイスガードの中でもまとめられる髪留めとかないかな?」
「髪留めは難しいから、結んじゃえば? リボン付きの可愛いゴムとかあるよ」
「可愛いのはちょっと」
「えー、似合うと思うんだけどなぁ」
結葉が言いながら取り出したゴムは、どれも可愛いアクセントがついているものばかりだ。
自分でまとめるのは難しかったので、前髪が目にかからないようにお願いして結葉に結んでもらった。
感動した。視界が広くなった気がする。レッスン場に張り巡らされている鏡を見た。誰だこれは。
「連理ちゃん可愛いー。ほら、さやちゃんも見てみて」
「本当だ! 連理先輩可愛いです!」
この素直な後輩口調は亜嵐さんの姪っ子で、練習生唯一の生き残りであるさやちゃんだ。まだ中学一年生なので、全員を先輩とか先生呼びする素直な子。この子に呼ばれるとみんな自己肯定感が高まって、一種の清涼剤になっていた。
何より可愛らしいのは、身長が私より少しだけ低いところだ。素晴らしい。背の低い子は素晴らしい。もう伸びないでほしい。
亜嵐さんの血族とは思えないくらい、純粋で素直で可愛らしいさやちゃんだが、レッスンに来られるのは週に二回程度。なかなか接点がないので、もっと来てほしいものだ。
それはさておき髪型だ。高い位置でポニテにされて、まるで糸遊の物真似みたいだけれど、確かにこれならフェイスガードを装着してもよく見えそうだ。
ある程度みんながやり合ったので、瑞香さんにリベンジを申し込む。
フェイスガード装着。あれ、あんまり変わってない。そうか、フェイスガードそのものが視界を狭めるんだった。
「連理ちゃん、もうやめとく?」
「うん、ちょっと泣きそう」
髪型を変えてまで挑んだのに意味がなかった。つまり、避けるにしてもこの視界でやる必要があるということだ。
再びしばき回されて身も心もボロボロになったので、敗北を受け入れて横になった。
帰って棋譜並べでもしたい気分だ。私みたいな人間にはそれがお似合いだろう。それでも動いたのでお腹が空く。最近食べることばかり考えていた。
こういう時はラーメンでも食べたい。身体によくないとわかっているものを、お腹いっぱい啜るんだ。
がばりと起き上がると近くにいた結葉がビクリと反応する。驚かせてしまった。
「ラーメン行く人!?」
全員が手を上げる。何という反応速度だ。アイドルはこうでなくては。
「いいわねぇ、ラーメン。たまにはみんなで行きましょうよ」
瑞香さんが舌なめずりしながら代表して答える。そんなに飢えてたの? みっともないよ。
この辺りに評判のいいラーメン屋はあっただろうか。駅の近くにいくつかあるのは知っているけれど、どこが美味しいのかわからない。こういう時は浮草か木蓮さんが頼りになる。
浮草を見る。目が合った。ま・か・せ・と・け。声を出さずに口の動きで返事がきた。以心伝心、頼りになる奴だ。
さやちゃんがいる日は亜嵐さんもいる。よし、おだててお金を出させよう。
今日のレッスンはもう終わり。瑞香さんもその気だし、全員で事務所に突撃した。
浮草のバイト先の純喫茶、その近くにある居酒屋兼ラーメン屋に総勢十人で詰めかけた。
車の木蓮さんはお酒が飲めないことを嘆いていたが、ラーメン以外にも色々とおつまみを注文して満喫している。
「浮草はよく来るの?」
「うん。ラーメン以外も色々あるし、ランチもやってるよ」
テーブル席からあぶれた二人、私と浮草だけカウンターに座っていた。
「にしても、何で急にラーメンだったの?」
「瑞香さんにぼこぼこにされて、暴飲暴食したくなった」
「超短絡的だね」
「それでタダ飯食えるんだから結果オーライだよ」
「わかる!」
今日は過去一浮草と心が通じ合った日だ。
ラーメンが届く。いただきます。美味い。餃子も食べる。美味い。幸せだ。
「Lotusのライブ行くんだよね?」
「うん? そうだよ」
「車?」
「あ、乗ってく? 別に電車でもよかったけど、どうせ一人の予定だったし」
「木蓮さんと睡蓮さんも行くんだから、一緒に行けばいいのにって思ったの」
「それもそうか。二人が車で行きたいなら、私がまとめて乗せて行ってもいいし」
ラーメンが美味しい。いいお店を知れた。今後も通わせてもらおう。
居酒屋メニューもあるということなので、栄養バランスを考えて生ハムサラダも頼んだ。
「で、何で今日は髪結んでるの?」
「え?」
「えって、レッスン場で結葉ちゃんにしてもらったままでしょ」
「忘れてた」
どうりでラーメンを啜る時、髪が邪魔にならなかったわけだ。
レッスン着から着替えた時に気づけたはずなのに、ラーメンに夢中で忘れていた。
「ふーん。普段から髪いじればいいのに」
「みんな言うよね、それ。面倒なだけだよ」
「面倒ってほどでもないでしょ。サイドに分けて結ぶとか、低い位置でまとめるとか。簡単なオシャレ楽しめるじゃん」
「それすら面倒臭い。それにそろそろ切ろうと思ってるしね」
「ロングやめちゃうの?」
「いやいや、かんざし気に入ってるからね。前みたいに背中の真ん中くらいまでだよ」
「よかった」
スープを啜り、生ハムサラダを受け取る。ん? よかった?
「よかったって?」
「なんでもない」
「気になるなぁ」
「なんでもないってば。生ハムちょうだい」
「二枚しかないのに!」
もう一枚奪われる前に生ハムを食べてしまおう。これだとほとんど、普通のサラダだ。
暴飲暴食と言いながら、腹八分目で収める辺り、私は健康志向だった。
みんなで亜嵐さんにお礼を言う。ごちそうさまでした。
「よーし、今後も励むように!」
亜嵐さんが偉そうにする頃にはもう、みんな歩き出していた。さやちゃんだけが亜嵐さんのそばにいる。
「亜嵐さん行きますよー。車乗っていくんでしょ?」
「あ、ああ」
さやちゃんに手を振って四人娘と歩き出す。瑞香さんと浮草は近場で同じ方向、既に歩きはじめていた。
「んー満足した」
「美味しかったね」
糸遊と並んで歩く。いつも通り采女と凌乃が馬鹿話をし、結葉が笑っている光景が前に広がっていた。
「たまにはいいよね、こういうのも。タダ飯になったし」
「うん。それに今日の髪型お揃いだね」
確かに。ほぼ糸遊と同じようなポニテだった。違いがあるとすれば、糸遊はシンプルなゴム紐で、私は結葉の花飾り付きだ。
「そういえば、お土産のヘアバンドは使ってないの?」
「うー。あれ恥ずかしいんだもん。赤いの糸遊には似合わないよ」
「そんなことないよ。まさか、あれも宝物袋に入れてる?」
「うん」
「ああいうのはね、使ってもらった方が嬉しいんだよ。ペンや絆創膏みたいに、使ったらなくなるものでもないんだしさ」
ペンも本当は使ってほしいものだろうけれど、消耗品という意味では使いたくない気持ちもわかる。
「わかった。お風呂上がりとかで使ってみる」
「うん」
「だから、髪乾かすの手伝ってね」
「私、自分の髪だけで大変なんだけど」
「えー、だって連理ちゃんに乾かしてもらうの気持いいんだもん」
実のところ、私も糸遊の髪に触るのは好きだからやぶさかではない。
「采女は?」
「すぐお尻触ってくる」
「私も触ればいいのか」
「やだやだ」
「結葉や凌乃は?」
「二人はお勉強で忙しいでしょ」
「そうだね。じゃあ仕方ないか」
「そうそう。仕方ない仕方ない」
それだけ言って笑うと、糸遊は前の集団に混ざりに行った。
遊歩道を抜け、マンションの手前のコンビニが見えてくる。
凌乃が振り向いてコンビニを指さした。
「連理さーん、アイス食べたーい」
「いいよー」
「おっしゃー」
晩ご飯代は浮いたし、腹八分目で留めたし、アイスくらい食べても罰は当たらないだろう。
帰ってアイスを食べながら、一番風呂の糸遊が上がるのを待っている間、凌乃と結葉のロケの話になった。
そうか。次の日曜日だからもうすぐだ。采女は日課のタップダンスの練習中。あの子があそこまでハマるのは予想外だった。
「さっきも木蓮さんと話してたんだけどさ、朝六時には出たいって話だから、連理さん朝お願いね」
「そんなの自分で起きなさいよ」
「準備の時間考えたら五時半起きだよ。絶対寝坊するって」
「結葉はどうなの? 起きられそう?」
「正直自信ないなぁ」
「年長コンビが情けないなぁ。そんなに心配なら、前日から木蓮さんのとこに泊まっちゃえば?」
結葉と凌乃が目を合わせる。こらこら、本気にするんじゃない。
「木蓮さんに聞いてみる!」
「もう遅いから明日にしなさい。今運転中かもしれないんだから」
「それもそっか」
凌乃は本当に猪突猛進タイプだ。これで免許を取れるのだろうか。




