23歳63_Invisible scars
睡蓮の家に遊びに行く日、朝から純喫茶を訪れた。
今日は睡蓮との個人的な約束だ。四人娘には声をかけずに出てきたが、それぞれ用事があるようで私のお出かけを気にする様子はなかった。
天気はいい。この様子ならバイクでよかったけれど、ケーキ屋の失敗から反省して、お土産がある時は車で移動するようにしている。
純喫茶近くのコインパーキングに駐車し、朝の一杯を求めて店に入った。
今日は仕事のない完全プライベート。いつぞやに買ったサングラスを、お洒落気取りで額の上に引っ掛けている。
「いらっしゃい。プリン用意できてるよ」
「ありがとうございます。コーヒーも飲んでいきますね」
「それはありがとう」
店主があなたはいいお客さんだと微笑んでくれる。素敵な人だ。浮草の前だと表情を崩さないのに。
土曜日ということで浮草は出勤していないらしい。店内を見回した。お客さんは少ない。
「土曜日はお客さん多くなるんですか?」
「うーん。以前はそうだったんだけど、最近は平日の方が多くなったね」
「いつ頃から?」
「浮草が勤めはじめてから」
ブレンドを出してもらった。いい香りだ。
「じゃあ看板娘なんですね」
「不本意ながらね。今日も午前で閉める予定だよ」
「もしかして、私が無理矢理開けさせちゃいました?」
「気にしなくていい。土曜はいつも様子見して、昼からの営業を決めているからね」
個人経営ならではの自由なスタイルだ。こういう生活も格好いい。
のんびりとコーヒーを啜る。うんうん、朝はやっぱりこれだね。堪能していると少し低めの綺麗な声が響いた。
「おはよー」
「はい、おはよう」
「浮草?」
「連理さんコーヒー飲んでる。私も一杯!」
私服の浮草が隣のスツールに座ってきた。生ビールでも頼むような言い方だ。
「うわ、サングラスかけてる」
「引っ掛けてるだけだよ。それよりどうしたの?」
「どうしたのって、睡蓮さんのところ行くんでしょ? 一緒に行こうと思って」
「私プライベートなんだけど」
「私もだよ。桜蓮ちゃんと遊ぶ約束してるの」
あ、そうなんだ。それで足に使うつもりと。ちゃっかりしている。
「ねね、サングラス借りていい?」
「いいよ」
ほいっと手渡す。浮草にはイギリスの血が入っていることと、普段から洋風なイメージがあるのでとてもよく似合って見えた。
「どう、似合う?」
「過去一難しい」
「そんなに!?」
浮草がサングラス越しに店主を見る。コーヒーを淹れる店主がこちらに気づいた。
店主の方が似合いそうな気がする。その視線を感じとったのか、店主は苦笑しながら私と浮草を見比べた。
「借りてもいいかな?」
「どうぞ」
「どうかな?」
似合い過ぎだった。私よりも浮草、浮草よりも店主の方が似合っている。二千円のサングラスが最もふさわしい人の手に渡った瞬間だった。
「差し上げます」
「いやいや、いただけないよ」
「いえ、似合い過ぎてて、自分で掛ける自信がなくなりました」
「そう? では遠慮なく」
私なんかが買ってごめんね。取るに足らないプライドで手にしてごめんね。でも、これも運命なんだね。
さしたる愛着もないサングラスにそんな事を思いつつ、コーヒーを飲み干した。いやぁ、美味しかった。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「はい、いつもありがとう。プリン包むから待っててね」
その間に財布を取りだす。この財布もずいぶん長く使っていた。香水のお店やサングラスを買ったお店で出した時、ちょっと恥ずかしくなった古びた財布だ。
そろそろ買い替え時かなと財布の表面に触れた。これはこれで愛着がある。うーん、買い替えるか迷ってしまう。
「お待たせ」
「はい。おいくらですか?」
プリンが七つとコーヒー二杯分、ちょっとおかしいな。まあいいか、ついでだし払ってしまおう。
サングラスがお似合いの店主に見送られ店を出る。浮草から声がかかった。
「連理さんごちそうさま。プリン私が持つよ」
「うん。あんた、勝手にプリン追加してコーヒーも会計に入れたね?」
「私と連理さんの仲でしょ?」
「昨日も聞いたよそれ」
「あープリンおもーい。時給二千円はするぅ」
「本当、図々しいなぁ」
「これくらいじゃないとアイドルなんてやっていけないよ」
急なアイドル論にため息を吐く。確かに私は図々しさが足りないかもしれない。いつも謙虚、というより臆病だ。
将棋の指し手のようにいかないものだ。暴風雨なら図々しさなんて目じゃないのに。
思わず苦笑する。暴風雨みたいな棋風なんて言われて気に入ってしまっていることに今更気がついた。
「何笑ってんの?」
「いや、私暴風雨みたいって言われてね」
「間違ってはいないね」
ひひひと笑う浮草を助手席に乗せ、車を出した。
「バイクじゃないんだね」
「プリン抱えてバイクは大変なことになるよ」
「それもそうか」
蘇芳邸までは車なら十分とかからない。のんびりと浮草が口ずさむ歌を聞きながら、短くも快適なドライブを楽しんだ。
門の前に到着すると、庭に水やりをしていた木蓮さんが出迎えてくれた。白いワンピース姿で麦わら帽子を被っている。どこの淑女かと思った。
「どしたの?」
口調はいつものままだ。思わず見惚れてしまった。ちょっとドキドキしながら駐車する。
「お邪魔します」
「はいよー。勝手に入っていいからね」
自分が濡れることを気にしない豪快な水やりだ。巻き込まれたらたまらないので、浮草と小走りで玄関に向かった。
「木蓮さんってああだっけ?」
「ああ、私服? 事務所じゃいつもパンツスタイルだもんね。中身はあのままだよ」
中身という言い方に笑ってしまう。そうだよね、私より二つ上だし、背も高い方だ。ああいう格好も似合って当然だ。
「お姉ちゃん! 窓に水当てないでって言ってるでしょ!」
「連理ちゃん来たよーって合図だよー。もう侵入してるからねー」
「チビッコ侵入者めー。踏み潰さないように気をつけないと!」
二人の会話の中で、二度か三度誹謗中傷を浴びた気がする。勝手知ったる浮草に続いて階段を上がった。
「浮草。プリンを一つ、睡蓮に投げつけていいかな」
「駄目に決まってるでしょ。うちのプリン人気なんだから」
もっともなことを言われて黙ってしまう。いやまあ、そうだけどさ。
ドアが開けっぱなしの睡蓮の部屋に辿り着いた。浮草は私を置いてもう一つ奥の部屋へ向かう。あっちが桜蓮の部屋かな?
「お、連理ちゃんいらっしゃい」
「どうも、チビッコ侵入者です」
「あ、聞こえてた?」
あの大音量で聞こえないわけがないだろう。わざと言っていることは無視して、睡蓮の部屋に入る前に桜蓮の部屋に向かった。
「桜蓮もお邪魔してるよー」
「はーい」
桜蓮はお香を焚いて座禅を組んでいた。おや、この香りはあのお寺のものだ。桜蓮にそういう趣味があったとは知らなかった。
浮草はその横でベッドに座っている。プリンはずっと彼女の手元にあった。
あいつ手放さないな。後ろに睡蓮がついてきたので浮草を悪者に仕立て上げた。
「あの箱お土産なんだけど、浮草が独り占めしてる」
「なにぃ? 浮草ちゃんよこしなさい」
「連理さん言い方! ちゃんと渡す気だったよぉ」
私のチクリで二人がはしゃぎだす。眉をピクピクさせた桜蓮が爆発した。
「そういうのは外でやって!」
「おーこわ」
浮草は真っ先に抜け出した。プリンは相変わらず手放さない。
「おうれーん、しわが増えるよー」
「その前に睡蓮姉さんに傷ができちゃうよ」
「連理ちゃん、桜蓮が反抗期なの」
「睡蓮が悪いでしょ。桜蓮、邪魔してごめんね」
「ううん。連理さんはゆっくりしていってね」
桜蓮は私に対して礼儀正しい。というより甘い。ふふ、いい味方ができたものだ。
睡蓮がプリンを冷やしに行っている間、睡蓮の部屋で私と浮草は外の木蓮さんを眺めていた。
「桜蓮と約束してたんじゃないの?」
「んー? いつもこんな感じで遊びに来てるよ」
「やっぱあんた倫理観ないわ」
「えへへ」
この子と外国なんて行って大丈夫なんだろうか。事故を起こさないか不安になる。
「お待たせ。プリン多かったね」
「浮草が勝手に追加注文してたんだよ」
「コーヒーもご馳走になりました!」
「ちゃっかりしてるなぁ」
「一応ご家族分もって思ったんだけど、足りそう?」
「うん。姉妹三人と両親、連理ちゃんと浮草ちゃんの分だよね」
「正解」
「じゃあ、お昼のあとで食べようよ。両親出かけてるから、お昼はお姉ちゃんが作ってくれるよ」
ほう、木蓮さんが。あの淑女感のある格好でエプロンを着る姿を想像する。グッとくるものがあった。
「で、何で浮草ちゃんはここにいるの?」
「桜蓮ちゃんの部屋のお香の匂い、嫌なこと思いだすんで」
「ああ、お寺のことか」
睡蓮はしたり顔で頷く。桜蓮からお寺修行の様子は聞いているはずだ。
「桜蓮はいつから座禅とか組んでるの?」
「んー、もう十年以上じゃないかな。和風なもの好きなんだよねぇ桜蓮」
「へぇー」
ベッドに座るように促され、気づいたら抱き枕にされている。
その姿を浮草がスマホに撮ろうとしていた。抵抗しようとするが、睡蓮の力が思った以上に強い。
「こら。アイドルのスキャンダルになるぞ」
「大丈夫だよ。引退棋士のスキャンダルの方が騒ぎになるから」
「共倒れでしょうが!」
浮草は遠慮なくパシャパシャやっている。
まあ、ネットに上げなきゃいいか。そう思って身を委ねた。




