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23歳56_Invisible scars

 浮草と桜蓮を送り届けるため、本日三度目の車の発進。凌乃は二人と話す時間が短かったので、車の中でお喋りするために同乗していた。

「おー、雨やんでる。ちょうどよかった」

「明日も降るみたいだから、バイトは傘を持っていきなさいね」

「わかったよ連理おかあちゃん」

 いひひと意地悪く笑って浮草が下りていった。誰がおかあちゃんだ。

 凌乃と桜蓮はアイルランドの話をしている。数か月先の話でも決めるなら早い方がいい。詳細は知らないけれど、観劇にはチケットの前払いなどもあるだろう。

「うーん、行きたいのはやまやまだけどさ。他のメンツほどの興味があるわけじゃないのに、いいのかなって」

「何かのきっかけになるかもしれないよ。ちょうど夏休みだし、あっちは涼しいみたいだし」

「まあ、もう少し考えてみる」

「うん。あ、もう着いてたんだ。連理さん、今日は色々ありがとう」

「はーい。おやすみ」

「おやすみなさい」

 蘇芳邸の前で桜蓮を下ろす。ついでに凌乃が助手席に移動してきた。

 大きく伸びをする凌乃は、大型のネコ科の動物のようだ。髪型はウルフカットなのに。

「凌乃は」

「連理さんってさ」

 タイミングが被ってしまった。先にいいよと促して耳を傾ける。

「うん。連理さんは、髪型いじる気ないのかなーってだけ」

「そんなこと?」

「だって綺麗な髪してるのに、かんざしでまとめる時以外変化ないじゃん」

「このままでいいように手入れしてるのよ」

「そういうもんなんだ」

「単純に、髪型考えるのが面倒なだけ」

 なんだーと軽く笑う凌乃が手を伸ばしてくる。運転中だから変に触らないでほしかったが、髪の毛先くらいならなんともなかった。

「今度さ、色々結んだり編んだりしてみていい? ふざけたりしないからさ」

「凌乃がふざけなくても、采女あたりが悪乗りしてくるでしょ」

「それはあたしの管轄外」

「機会があればね」

「よっしゃ」

 何がそんなに嬉しいのやら。また雨が降りはじめた。

「で、連理さんは何言いかけたの?」

「そうそう。凌乃は運転に興味あるのかなって」

「運転? 車の?」

「車もだけど、必要ならバイクもかな」

「興味はあるけど、お金かかるでしょ?」

 やっぱり、そこがネックになっていた。

「お金のことはいいとしてさ。せっかく十八歳になったんなら、運転もいいんじゃないかなって」

「そうだね。いつも連理さんに運転してもらってるし、代わってあげられるならありかなー」

「私のは趣味を兼ねてるからいいの」

「だいじょうぶ? 実は毎日足つりそうになってない?」

「ちゃんと届いてるよ」

 すぐに人をおちょくる。それでも嫌な言い方にならないのは、お寺修行あたりから意識がかわったこともあるのだろう。無意識に出るちょっとしたトゲが、今ではすっかり消えていた。

「夕方、誕生日の話したでしょ? あの時に学校と事務所が許可するなら早くてもいいと思ったのよ」

「それでかー。急にどうしたのかと思ったよ」

 免許かーと腕を組んでいる。そんなに悩むことだろうか?

「運転楽しい?」

「楽しいよ」

「じゃあ、前向きに考えてみる。道場のことで悩むくらいなら、何か新しいことやってみたかったし」

「うん。まずは校則確認だね」

「そっちは大丈夫だと思う」

 事務所の方には私が確認しておこう。睡蓮だってアイドル活動をしながら二十歳前には免許を取っていた。

 この車を運転する凌乃を想像する。私よりずっと似合ってそうだ。

 嫉妬しかけて想像をやめた。そんなことで提案を取り下げるのは大人げない。

 マンションに到着し、格好よく一発で駐車してやろうと思ったら二度も切り返してしまった。

 やはり邪念を持つべきではない。


 糸遊の予選の続きの日程を確認。燈火さんのアイルランド旅行とパスポートの話。それに、凌乃の免許についての事務所確認もした。

 週の頭でこれらの作業を一気に済ませ、ゴールデンウィーク前の事務作業を少ない時間で消化する。

 考えることが多くなった。レッスン時間は練習生も加わって考える暇はないし、平日の半分は朝からジムで泳いでいる。

 個別レッスンを終了していなければ、今頃パンクしていたかもしれない。

 瑞香さんも事務所で一緒の時は忙しそうにしている。木蓮さんも営業活動をしているのか、最近は出ていることが多かった。

 そんな折に将棋関係のお仕事が入った。もうすぐ開幕の棋昇戦について、大盤ではなくオンラインの解説の依頼だ。

 いくつかの配信サイトで放送される中で、一番規模の小さい仕事だった。

 一も二もなく了承した。冬の大盤解説で一緒になった三歳上の女流棋士と二人きりというキャスティングだ。途中で他の現地解説者と中継でお話する以外、盤面の内容が中心になるらしい。

 永世タイトルを獲得した棋戦ということで、引退棋士ながらお鉢が回ってきたわけだ。その後も、五番勝負の最後までもつれ込んだ場合の大盤解説の依頼もあった。

 タイトルホルダーは、現在も別のタイトルを保持しているあの人だった。妙に縁がある。私の防衛戦に二年連続で挑戦してきて、一年目は私の三連勝、二年目は三連敗で綺麗に負けた相手だ。

 糸遊と三人で少しだけ話したことを思いだす。もしまた話せる機会があれば、何故あの時の棋譜の内容を採用したのか聞いてみたかった。

 そのお仕事も六月の頭からになる。睡蓮のライブと被っていなくて助かった。


 空いた時間に瓦先生に連絡を入れた。

 またスポーツチャンバラをやる日に来いと言われる。ゴールデンウィークの真っただ中だ。

 私の関わる仕事はまだ提案段階らしく、のんびり待っててくれと電話口で笑いながら言われた。ずっと気にしていたので拍子抜けした。どうやらあの業界特有のスケジュール感覚があるらしい。

 そのゴールデンウィークから、凌乃が自動車学校に通いはじめた。覚えることの多い学科の勉強を辛そうにしている。

 ゴールデンウィーク明けに次の予選がある糸遊は、根を詰めて将棋に明け暮れていた。学校と水泳とレッスン以外、弱点である序盤研究の本を常に開いている。そして、ことあるごとに質問が飛んできた。

「連理ちゃーん、ここ一緒に並べてよー」

「連理さーん。これどういう意味ー?」

 自宅で私以外に答えられない質問を、糸遊と凌乃から同時に向けられる。

 二人とも一生懸命になって頑張っているので、私もできる限りの時間を二人の勉強に充てた。

 この調子では、ゴールデンウィークに瓦先生のところへ行くのは難しそうだ。改めて伺うと、断りの連絡を入れざるを得なかった。

 私たちのレベルアップしたスポーツチャンバラの実力を、あそこで見せたかったなぁ。少し残念に思ったけれど、また機会はある。


 ゴールデンウィークの大半は、二人の質問に答える日々が続いた。頭が疲れたら結葉の部屋に逃げ込んだ。私とどっちがお姉さんだかわからないくらい、最近の結葉は大人っぽくなっている。

「今度学校で使ってない古いマネキンを処分することになったんだけど」

 学校の話を聞いていると、相談ごとがあると持ち掛けられた。マネキン?

「うん、それが?」

「ここでの実験材料に持ち帰るのって、駄目だよね?」

「部屋の許可ってこと? 勝手に学校から持ち出さないよね?」

「そんなことしないよぉ。ここに置くのはどうかなって話」

 いやいやと部屋を見回す。とんでもない衣類の数で、そんなものを置けるとは思えなかった。

「この辺の服を断捨離するならともかく、このまま持ち込むのはさすがに無理があるよ」

「いくつかは捨ててもいいけど、あんまり減らせないなぁ」

 ここにある衣類は、結葉の作ったデザインのサンプルばかりだ。作りかけのものもたくさんある。たまに浮草と桜蓮が遊びに来てファッションショーをしているけれど、あまり持ち帰られることはない。

「捨てられないものが多いんだ」

「他に置き場所もないからね」

「だったら、いくつか事務所に置いて今後のサンプルに使うのはどう?」

「私の作ったものなんて恥ずかしくて置けないよぉ」

「そうでもないと思うけどなー」

 中には私サイズのキャピキャピした服も混ざっている。いつ遊びに使われるかわかったものじゃないので、事務所に放り込めば心の平穏にも繋がるというものだ。

 それ以外にも、木蓮さんと睡蓮から送られてきた大量のお洒落な服も混ざっている。私の私物扱いになるが、正直自分のクローゼットに入れたくないので大半はここに隠していた。

「マネキンの方は置いといてさ、暑くなる前に事務所に服持ってっちゃおうよ。急に持ち込めば亜嵐さんも断れないだろうしさ」

「連理ちゃんはいつも、亜嵐社長のこと雑に扱うよね」

「いいんだよ、あんな情報後出しおばさん。たまにはこっちから上手く使ってやんなきゃ」

 とはいえ片付けには人手がほしい。

 結葉の作業に区切りがついたタイミングで采女を呼び込んだ。断捨離の分類を手伝わせる。

「あの二人も呼ぼうよー」

「だーめ。二人とも忙しい時期なんだから」

 三人で持っていくもの、残すもの、このタイミングにばっさりと捨てちゃうものを分類した。

 分類していると懐かしいものも出てくるわけで、成長した二人の変化を改めて知ることになる。

「連理ちゃんには、こういう成長期なかったんだよね」

 采女はやけにしんみりと言ってくれる。

「これでもあったんだよ」

 反射的に答えた。嘘ではない。中学二年生の頃から三センチは伸びているのだ。

 隙あらば刺してくるこの女、今もしれっと結葉にもセクハラをしかけていた。

 結葉がやめてと声をあげても、采女は執拗に抱きついている。糸遊のような反撃が少ない分、最近はめったなことでは結葉にちょっかいをかけなかった。しかし、たまのじゃれ合いでスイッチが入ったようだ。

「じゃ、明日車で持っていくから、残り片付けといてね」

「あーい」

「連理ちゃん待って、助けて」

 お楽しみの二人に任せて退室した。

 あのままでは私まで巻き込まれてしまう。頭のリフレッシュも済んだことだし、糸遊と凌乃の勉強でも見てあげよう。

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