23歳55_Invisible scars
寝不足と代表との真剣勝負で疲れてしまったので、研究会の見学はそこそこにその日は退散した。
グループメッセージがまた増えた。これで開催日を決めることになる。人の意見を聞きたいというメンバーの提案で、臨時集合やお食事会になることもあるそうだ。
基本は月二回の日曜開催。私としてもありがたいペースだった。
糸遊にとってもちょうどいい。基本、将棋道場はレッスンのない土曜日に通っている。その疑問を翌日の日曜日に、プロに相談できるのはとても効果的だろう。
そのまま将棋道場に通って帰るという糸遊を送り届け、自宅に帰ってすぐベッドに倒れ込んだ。玄関に靴が多い気がしたのは、結葉がサンプルでも置いているのだろうか。
やはり過去を語るのは疲れる。プロ相手に真剣勝負で勝ちきるというのも神経を使うものだ。そのために睡眠時間を削った。ベッドでぐったりしていると、采女から声がかかった。
「連理ちゃーん……ありゃ、寝てる?」
「起きてるよー」
「言ってなかったけど、浮草ちゃんと桜蓮さんが遊びに来てるからね。それだけー」
「はーい」
どうりで玄関に靴が多かったわけだ。
がばりと起き上がる。アイルランドの件、ちょうどいいから二人にも聞いておこうかな。
リビングでは采女がタップボードを広げて練習している。旅行のことを聞いてくると言い、結葉の部屋をノックした。
きっといつもの服のやり取りをしているのだろう。同い年で背丈もそんなに変わらない三人だ、多少の体格の差はあるけれど、それでも着回しできるくらいにみんな引き締まった体型をしていた。
ノックの返事を待つ間、中からがさごそと音がした。そのあとで返事が聞こえる。何か隠したのかなと疑問に思いながらドアを開けた。
「お邪魔するよー。何か隠した?」
「急にノックするから急いで服を着たの!」
少し慌てた浮草が答え、結葉と桜蓮は笑っていた。
「ノックは急に鳴るものでしょうが。桜蓮もいらっしゃい」
「お邪魔してます」
毎週チャンバラで顔を合わせるようになった仲だ。こうしてうちに来ることも珍しくなくなっている。
「忙しいならあとにするけど、浮草と桜蓮に聞きたいことがあってさ」
結葉は自分の名前が出なかったことで察したらしい。二人が促すので続けた。
「夏……多分八月に燈火さんとアイルランドに行くって話があってね。タップダンスに近いダンスの舞台観劇目的で。どうせだから二人にも声をかけておこうと思ってね」
「行く」
「タップダンスに近い?」
即答の浮草と深掘りの桜蓮。本当に性格が違う二人だ。主に桜蓮に向けて説明する。
「私がタップダンスを習いはじめたのが、アイリッシュダンスをテレビで見たからなんだよね。その原点の土地がアイルランド」
「へー。私たちも行っていいの?」
「誘ってくれた人が賑やかなのは大歓迎だってさ。采女は行く気満々で、私はまだ考えてるけど多分連れていかれる」
「そんなこと言って、本当は行きたいんでしょ?」
浮草のからかい口調に真顔で答える。
「行きたいのは当然だけれど、飛行機に乗ったことがないのよ。それだけが気がかりでね」
「恐いものなしみたいな連理さんが飛行機にビビるなんて、意外だね」
「そういう浮草はどうなの?」
「私クォーターでイギリス育ちだもん。日本に来るまでに何度も乗ってるよ」
まったく知らなかった。どこか洋風なお人形さん風の見た目と思ったら、そんなルーツがあったなんて。
「だから倫理観がおかしかったのね」
「失礼な。実家に置いてきただけだもん」
どこかで聞いたセリフだ。桜蓮は実家というワードで笑いだした。
「ということは、浮草はパスポート問題なしだね。桜蓮はどうする? 行かない結葉もパスポートだけは取りに行こうって言ってるんだよ」
ねーと結葉に首を向ける。結葉はこくんと頷いて服に視線を戻した。作業中で気になるところがあるらしい。
「私もパスポートはあるから大丈夫。アイルランドってどこだっけ?」
「イギリスの隣の島国」
「じゃあ、浮草の実家も見れたりする?」
「実家はそっちじゃないけど、お婆ちゃんの家がイギリスだから立ち寄ればね」
それは私も興味があった。アイルランド目的ならイギリス経由になるだろうか? 燈火さんに確認しよう。
「うーん、行きたいのはやまやまなんだけど、今すぐには答えられないかな。家族に確認してからでいい?」
「それはもちろん。ただ、桜蓮が行くっていうと睡蓮もついてきそうだね」
「さすがに夏はライブ前で忙しいと思うよ。Lotusは七月ライブだから、そのあとなら私は多分だいじょうぶ」
そうか、Lotusのライブは七月か。これまでなかなか行く機会がなかったから、そろそろ現地に顔を出すのもいいかもしれない。
「わかった。浮草は旅費、大丈夫そう?」
「私、連理さんのことすごく尊敬しててぇ」
「え? 浮草が私の分まで出してくれるの?」
「そんなわけないでしょ!」
「なんだー、じゃあ行けないか」
「薄情ものー!」
「冗談よ。最悪立て替えといてあげるから」
「そこは大人の余裕を見せて奢ってほしかったな」
調子に乗るなと浮草に軽くデコピンをして退室する。飲み物がなかったようなので、あとで何か持っていってあげよう。
「どうだった?」
「うん。浮草は行きたがっていたし、桜蓮も家族の許可が出たら行くって。二人ともパスポートはもう持ってるってさ」
タップダンスの基礎ステップを踏む采女に答える。采女は小さくよしとガッツポーズした。やっぱり人が多い方がいいのだろう。
「采女もパスポートは取っていいと思うけれど、行くならご家族に確認入れないとね」
「あー、そうだ。そういうの面倒くさいなぁ」
「私も行ってあげるから」
「ううん。そういうのは亜嵐さん経由がいいと思う」
「そう?」
大丈夫大丈夫と言って采女は練習を再開する。亜嵐さんには私からも伝えておこう。
改めて三人用にお茶を持っていく。三人の着せ替え人形にされかけたが、少し昼寝をしたい気分だったので振りきってベッドに逃げ込んだ。
昔住んでいたのならば、浮草は英語も堪能なのだろう。パスポートを当然のように持っていて、海外経験もある口ぶりだった桜蓮も話せるのかな? 私の学生時代の英語がどこまで通じるのやら。
少し眠ってすっきりした。まだ帰ってから二時間と少ししか経っていない。
寝室のドアを開く。リビングに采女がいない。三人と一緒なのだろうか。温い水を求めてキッチンへ向かうと、廊下から声が漏れて聞こえてきた。四人で楽しんでいるのだろう。
ああいう友だち関係、私にはなかったな。今回の研究会がいい関係に繋がればと心底思う。しかし、あの呼び名はちょっと馴染むのに時間がかかりそうだ。
一つ大あくびをして冷蔵庫を開いた。買い物は明日でいいつもりだったけれど、どうせだし今済ませてもよさそうだ。
糸遊はどうせ夜まで将棋道場だ。凌乃は道場だったっけ? うーん、思いだせない。そうだ、どうせなら道場主に近況報告に行こう。凌乃がいるなら帰りに買い物に付き合ってもらえばいい。
軽く身支度を済ませ、晩ご飯のアンケートも兼ねて四人に声をかけた。
「買い物に行ってくるね。夜食べたいものはある?」
「すき焼き!」
「やっぱり食べて帰る気なんだ」
誰よりも早い返事の浮草に呆れつつ、桜蓮にもよかったらと声をかけて部屋を出た。あの調子ならだいぶ遅くまで遊びそうだ。帰りも送ることになるのかな。
小雨が降っていた。再び車に乗って少し空を見上げる。
六月に睡蓮の定期ライブ、例年通りならきっと九月にもあるのだろう。合間の七月にLotusもやるとなると、ライブに通うだけでイベント盛りだくさんだ。
次のWildflowersのライブの話はまだあがっていない。夏にやるのかな? それまでに個々の課題もクリアしてほしい。
楽しみもあり、不安もある。
瓦先生からの連絡はまだ届いていない。冬に伺った時は待ってろと言われたけれど、忘れているのではないだろうか。
こちらでもスポーツチャンバラを取り入れた報告と一緒に、連絡してまたお邪魔するのもいいだろう。
道場に到着する。凌乃はいたけれど、道場主は不在だった。師範代に聞いたら交流会に出かけているのだという。どこかの雀荘に行っているらしい。
凌乃の練習終了まで少し時間がある。師範代が見てくれる中で、久々にサンドバッグを殴らせてもらうことになった。
「動きがシャープになってるな」
「そうですか?」
「ああ、それでいて伸びがある。最近何かしてるのか?」
「二月から泳いでます。今は背泳ぎ中心で、週三くらいのペースですね」
「水泳かぁ。そういうのもありだな」
それだけで満足だった。やはり以前とは違うことを確信する。ひたすらに身体を動かして、気持ちを発散する必要はない。変われたのか、変わってしまったのか。
「ありがとうございました。現在地を確認できました」
「よくわからんが、満足したならそれでいい」
相変わらずぶっきらぼうな師範代だった。
凌乃と一緒に大きな声で挨拶し、道場を退出する。雨が強くなってきたのでコインパーキングへ小走りで急いだ。
「いやー助かった。傘はあったけど、この雨じゃ絶対濡れてたよ」
「朝から天気悪かったもんね。このまま買い物に行っても大丈夫?」
「いいよ。なんだか久しぶりだね、二人でどこか行くの」
そうだねと返して車を発進させた。凌乃には糸遊への連絡を頼んだ。帰りに迎えが必要なら折り返すようにと。
メッセージを送り終えた凌乃が窓を見ている。サイドミラー越しに目があった。
「最近さー」
「ん?」
「道場に行ってて、これでいいのかなって思いはじめたんだよね」
「そうなの?」
意外だった。いつも充実している凌乃のモチベーションの原点は、道場にある気がしていた。
「うん。このまま続けたら、人に試したくなるんじゃないかなって不安もある」
「格闘家デビュー?」
「ないない。あたしの顔に傷がついたらファンが悲しんじゃうでしょ」
「そうなったら私も悲しいよ」
「今日の連理さんやさしー」
まるでいつも優しくないみたいだ。小さくふんと鼻を鳴らしてみせる。
「アイドルとかファンとか関係なく、男の人でも女の人でも顔の傷はない方がいいからね」
「顔以外は?」
「私の手足知ってるでしょ? 私は気にしていないけれどね」
「説得力ありすぎ」
スーパーの駐車場に入る。屋内駐車場で助かった。
カートに籠を載せて店内をぶらつく。スーパーで買える化粧品の類や洗剤等、二人で思いだしながら生活必需品も籠に入れた。
最後に浮草ご指名のすき焼きの食材を集める。七人になるのでお肉は多めだ。
「多くない?」
「浮草と桜蓮が遊びに来てるのよ」
「あ、そうなんだ。まるで学生のお母さんみたいだね」
「まだ二十三歳なのになー」
「あたしが一緒に住んでからずっとお母さんみたいだよ、連理さんは」
「お姉さん感はない?」
「うーん、ママみか妹みか、両極端」
「ママみって……」
そういう言い方もあるのか。少しいかがわしさを覚えた。
「あたしもいつか子供できるのかなー」
「もって何よ。それに、まだ十七歳でしょ」
「誕生日きたばかりだから十八歳だよ」
「そっか。忘れてた」
そうだった。凌乃の誕生日は四月上旬、先日祝ったばかりだった。
「忘れてたんなら、ついでにケーキ食べたことも忘れてもらいたいなー」
要はケーキを食べたいということだ。うん、私も食べたい。
「このスーパーのでいいならね」
「そういうところ、お姉さん感あるかも」
「調子いいんだから」
笑い合いながらデザートコーナーへ向かう。
ケーキを選んでいると凌乃のスマホが震えた。糸遊からのようだ。
「もう帰るところだから迎えほしいってさ。十五分くらいで行くって言えばいい?」
「うん」
のんびりしていられなくなった。適当にケーキ類を籠に放り込み、さっさと買い物を済ませる。雨はまた強くなっていた。
糸遊を拾って帰り着く頃には、雨は弱くなっていた。天気予報だと明日も降るらしい。朝は四人を送り届けてからジム行きかな。
ジムのことを考えると泳ぎたくなってくる。凌乃は泳ぐのも好きなのかな? もし道場以外の場所を体験させるなら、糸遊と同じくジムで泳がせるのもありだろう。
ふと思いついた。凌乃の通う高校は校則が緩めだ。もしかすると免許取得も在学中に可能かもしれない。
十八歳になったばかりなら、このタイミングで取らせることも一案だ。免許があれば、行動の幅が広がるだろう。
これも私の一存で決められることではない。木蓮さんや亜嵐さん、凌乃本人の意思確認も必要だ。それでも、少しでも凌乃の気持ちが前向きになるのなら提案してみてもいいだろう。
考えがまとまってすっきりした。これですき焼きに集中できる。
糸遊と凌乃の手伝いのおかげもあって、あまり考えずに食事の準備が完了した。食後にはケーキもある。準備しながらお腹が鳴っていた。
結葉の部屋にいる四人が出てきて、テーブルを取り囲んだ。いただきますと手を合わせる。
朝から頭を使った割に大した栄養を取っていなかったので、浮草と激しく肉を奪い合った。




