20歳5_傷だらけの棋士と四人の少女
入学式は親御さんと出るという話の糸遊。彼女が親元を離れたのは三月の最終週だった。
一週間以上他の二人より遅れてくることになる。他の二人との距離感が不安だったが、三人の中では一番の優等生タイプと聞いていた。
私が言うと皮肉っぽくなるけれど、優等生タイプの方が融通が利かないことが多いと思う。
何かしらの衝突があった時、正論をぶつけられたら采女は泣き出すし、結葉は黙りこくってしまう。
ディベートが強そうな最年少は心強くもあり不安要素でもあった。
「今日からお世話になります!」
腹から出た声のせいで周囲の通行人も驚いて糸遊を見ている。
マンションの前で亜嵐さんとタクシーから降りてきて、開口一番この調子だ。
「はい、よろしくお願いしますね。あと、声はもっと小さく」
「はい!」
多少は小さくなったがまだ周囲を振り向かせる程の大きさだった。
「すまんな、後は頼む」
糸遊を連れてきた亜嵐さんは挨拶もそこそこに、乗ってきたタクシーで帰ってしまった。毎度毎度淡泊すぎやしないだろうか。
二人でエントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。采女と結葉には部屋で待ってもらっていた。
「糸遊ちゃんはこっちでやりたいことはありますか?」
「アイドルになりたいです」
「いいですね。どんなアイドルですか?」
「睡蓮ちゃん!」
また睡蓮か。正直彼女に勝ってくれるくらいじゃないと私が困る。
「お姉さんは何て呼べばいいですか?」
「お姉さん……」
私、過去一で自己肯定感が高まっている。
何この嬉しさ、お姉さんって。いつも子供扱いされていたのに。
「うんうん、お姉さんでいいよ」
そう答えながら玄関を開けた。
「連理ちゃんお帰り!」
「連理さんお帰りなさい。糸遊ちゃんも久しぶり」
そう呼んでいいと言ったのは私だが、タイミングが悪かった。采女にちゃん付けで呼ばれると子供に戻った気分になる。
「今日からお願いします先輩がた!」
玄関の大声は本人含め全員の耳にダメージを与えた。結葉が気遣って声をかける。
「緊張してる?」
「そんなことは」
ありませんと続けようとしたのだろう、采女に手で口を塞がれて糸遊の大音声は防がれた。
さっきからずっと前しか見ていないし、結葉の言う通り緊張しているようだ。
これがアイドル事務所ならば笑って受け入れられるだろう。ただし、この場だとヤバい奴が来たって感じだ。
亜嵐さんは癖が強い子を集める趣味でもあるのだろうか?
糸遊を誘って四人でリビングに入る。本人の部屋まで案内しようと思ったら采女が先導してくれた。その後ろを結葉がついていく。
歳の近い子同士、すぐに仲よくなってくれると嬉しい。微笑ましく思い背中を見送った。
二人は最年少の糸遊を迎えるにあたって、中学への入学祝いと歓迎会を催そうと準備していた。
クラッカーとケーキ、出前のピザとジュースが色々。今のうちに広げて準備する。
すぐに三人がやってきて、糸遊が「連理ちゃん」と声をかけてくる。
お姉さんじゃなくなったことに悲しさを覚えたが、「どうしました?」と訊き返す。
「お二人がこれをくれました」
ペンセット。二人が糸遊のために選んだ品だ。
まだ緊張が取れないのだろう、掲げる手が少しプルプルしている。
「よかったですね。お二人が一生懸命選んでくれたんですよ」
「はい!」
にっこりと笑う糸遊と、後ろで恥ずかしそうにしている二人をとても愛らしく感じた。
宝物にしますと小さく呟く声は二人にも聞こえたようだ。照れ隠しのように二人はテーブルの上の品物に手を伸ばした。
私もクラッカーを手にとり、「糸遊ちゃんいらっしゃい」と声をかけてクラッカーを鳴らす。
「いらっしゃーい」と続ける二人もクラッカーを鳴らす。糸遊は目をぱちくりさせてクラッカーの飾りに埋もれた。
たった一週間遅いだけで、もしかすると先輩面するのかもしれないと、主に采女を見て思っていたのだが、不要な心配だった。
テーブルを囲い、ジュースを注ぎ合って乾杯。
さっきの案内中に私の呼び方は確定してしまったようで、采女と糸遊からは「ちゃん」、結葉からは「さん」付けで呼ばれるようになった。
年下の糸遊を緊張させないためか、二人も同じように呼び合おうと声をかけている。年齢差による上下関係は気にしなくてよさそうだ。
これもきっと、先手先手で結葉が采女に提案してくれたお陰だった。
前の学校では体型とか天パとかでいじめられていたと聞いている。そんな状況でも、やり返す気にはなれなかったそうだ。
采女との諍いの時に垣間見せたプライドの高さ、今後いい方向に進んでくれれば嬉しいが、新しい学校でどうなるだろうか。
采女から糸遊への接触が少し多い。采女と糸遊の絡みというより、采女が一方的に絡んでるのはきっと「お姉さん」したい年頃だからなのだろう。
さっきのお姉さん呼びで喜んでしまった自分に恥ずかしさを覚える。
三人をぼーっと観察しているとインターフォンが鳴った。一番近かった結葉が出る。
「はい、はい。開けますね」
「誰でした?」
「瑞香さんです」
この一週間で檀さん、二人は「瑞香さん」呼びになっている。彼女も何度か足を運んでくれている。
ある程度大人同士の関係ともなると、定着した苗字呼びはなかなか変えられないものだ。
……それは私だけの感覚なのかもしれないけれど。
「糸遊ちゃんよく来たねー。遠かったでしょ」
「うん。でもおばちゃんがいっぱいお話してくれたよ」
おばちゃん。子供の純粋さは時に鋭利な刃物になると言うけれど、亜嵐さんなら自業自得だからいいだろう。この間はしゃちょー呼びだったのに可哀想なおばちゃん。
「お姉さんもいっぱいお話してあげるからね」
「うん」
お姉さんの部分を強調して檀さんがこちらを見る。これが子供の扱い方だと教えてくれているみたいだ。
「連理さんも、お姉さんって呼んでくれていいのよ」
「だから結構ですって」
そう、「苗字呼びが変わらない大人の関係」と思っていたのは私だけだったようで、この一週間私たち三人がいる所にやってきては「三人とも本当に可愛い」なんて言って、私も子供組にカウントしようとするのだ。
三十センチ近く上にある檀さんの顔を睨みつけても、「駄目だよぉ」なんて甘やかされてしまうのだから手が付けられない。
最低限の譲歩でちゃん呼びは回避してもらったが、期待していた大人同士の友情的な物は早々に崩壊してしまっていた。
「あ、そうそう。亜嵐さんから預かり物があってね」
三人に「はいこれ」とスマホを手渡す。子供用のスマホだろうか。
「最低限連絡は取れるようにしておきたいってことらしいわ」
「助かります」
采女には赤、結葉には黄色、糸遊には桃色のアクセントがついた白基調のケースに入れられている。
三人はすぐに電話をかけ合い、はしゃぎだした。
「あとこれは伝言で、『お小遣いは適宜必要な額をあげてくれ』だそうよ」
「そのお小遣いはどこから?」
「連理さんのポケットマネーに決まってるじゃない」
あらやだーとよく見るリアクションで笑う檀さんに乗じて、三人は「お小遣い?」と期待の目を向けてくる。
これまでそれなりに慎ましく、無駄遣いはしないよう、それなりに安い買い物しかしてこなかったのに、子供達に現金を渡せというのか。
「中学校でお金を使う場所はありますか?」
少しでもあげなくていい言い訳がほしい。近場にいた采女に尋ねる。
「んーと、自動販売機!」
あるんだ。最近の学校は進んでるなぁ。
じゃあいくらかずつ持たせておくべきだろう。言い訳作りは失敗した。
歓迎パーティはしばらく続き、糸遊は専ら采女のお喋りにうんうん頷き、楽しそうに笑っていた。
割と相性がいいのかな。
こういう配置になると結葉は檀さんに甘えるように色んな質問をし、二人にも話を振って場が盛り上がった。
最初の数日はどうなることやらと不安しかなかった。私が慣れたのか、それとも二人と檀さんが慣れたのか、どんどんいい関係になっている。
しかし、慣らしはここまで。糸遊の入学式が終われば本格的に体力作りを始めてやってくれ、と亜嵐さんから言われている。
采女は運動能力があり、瞬発力が高い。糸遊は小学校の頃、剣道をやっていた。体力は大丈夫だろう。
しかし結葉はどうなのか。肉付きがいいのはわかるが、最低限のスタミナがないと他の運動やトレーニングについてこられない。
何かの運動経験があると聞いたことはないし、亜嵐さんと檀さんもこれといったことは言わなかった。
結葉については年長と言う立場もあるので、あまりプライドを傷つけるような結果になって欲しくない。亜嵐さんは何を持ってこの子の才能としたのだろう?
大事なことは全然教えてくれない。しかし要所要所で檀さんを使って手助けしてくれる。
これは私が試されているということでもあるのだろう。
今日はもう引き上げるという檀さんを見送って糸遊の荷解きを手伝う。
ふと自分の手を見ると、最近鍛錬をサボりがちなせいか、赤みのある傷や痣が薄くなっていることに気づいた。
少し人間らしい手になってきた。将棋の先生方は男性ながら手の綺麗な人が多いが、私は特段荒れた手をしている。
一緒に荷解きをしていた糸遊に手を握られ「お怪我痛いの?」と心配そうに言われた。
「痛くないですよ」
「でも傷だらけ」
「人より強くなるためには怪我することもあるんです」
「そうなの?」
と言っても物心ついた時から理由もなくやっていたことだ。
高校時代の体験入部の拳法で止められなかったら、今でももっと重いメニューをやっていたかもしれない。
「そうですね。少し難しい話なので、今度みんなと話しましょうか」
「うん」
みんなとという言葉で嬉しそうにする。仲間に入れたと思ってくれれば嬉しい。
糸遊の荷解きを終え、剣道の道具が何もないことに気づく。
どうやら和室暮らしの長かった糸遊にベッドは新鮮なようで、楽しそうに転がっていた。
「糸遊ちゃん。剣道はもういいの?」
「うん。糸遊はアイドルになるって決めたから」
若いのに大したものだ。
私が奨励会に入ったのも同じような時期だったが、私には他に選択肢がなかった。自身の決断ができている糸遊が眩しく見える。
廊下が騒がしくなった。
夕方になって二人がお風呂の準備を始めたのだろう。
新学期まで一週間、三人に何事もありませんように。




