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23歳53_Invisible scars

 驚いた。引退棋士を研究会に誘うだなんて。

「それは橋見さんの一存で?」

「私にそんな権限はありませんよ。代表してくれている先生が、是非お声がけをと仰ってまして」

「ちなみにどちらの先生でしょうか?」

 はぁ。はぁ? こりゃたまげた。私が一度だけ取れたタイトル、棋殿位で失冠した時の対戦相手だ。

「あのこわーい感じの」

「そうです。坊主頭で一応あれでも四十手前の」

「恰幅のいい」

「というかいつも何か食べている」

 それは知らないけれど、強豪中の強豪、B級1組に長くおられる実力派の棋士だ。

 ヤクザみたいな外見とは裏腹に、お話が面白いことでも有名で、色んな関係者からコワモテいじりをされているのを見たことがある。

 正直なところ、挑戦者があの先生だった時は、将棋とは別の威圧感に負けた気がしたくらいだ。将棋でも負けたので失冠したわけで、実力も申し分ない棋士だ。

「私のことは何と?」

「可愛い嬢ちゃんと」

「食べられちゃうんですかね、私」

「まあ、人を食べたりはしないと思いますけど」

 橋見さんはそういう冗談が通じない人なんだ。よくわかった。

「ちなみに他にはどんな方が?」

「その先生と私以外に四人いまして」

 女流が一人、先生の弟分みたいなプロが二人、奨励会員が一人。

 名前を聞いた限りだと超強豪グループって感じだ。門下は割とバラバラだけれど、弟分の一人は代表の先生の弟弟子。

「その六人の中に私が入ってもいいんですか?」

「いいも何も、是非来てほしいというのが私と代表の考えです」

「ありがたい限りです」

 とはいえ、即決できる話ではない。せめて一度は見学に行き、雰囲気だけでも確かめておきたい。あわよくば糸遊も連れて。

「明日はちょうどその研究会の日なんです。お誘いするのはもっと先になるかなと思っていたのですが、これも巡り合わせですね」

「えーと、それは見学ということで?」

「はい。いきなり入るという決断はできないだろうから、見学に引っ張ってこいと言われています」

 引っ張ってこいって、もう拉致するようなものではないだろうか。

「よろしければ、私からも一つお願いといいますか条件といいますか」

「お弟子さんですね。どうぞ連れてきてください」

 頭の回転が速い人だ。

「それも織り込み済みと」

「あの大盤解説会での仲のよさを見ると、誰でもそう思いますよ」

「一度電話してもいいですか?」

「はい、どうぞ」

 一度席を立ち、店の外で糸遊に電話をかけた。

『どうしたのー?』

「糸遊、私プロの研究会に誘われた」

『え、凄い!』

「糸遊も来ていいって」

『本当!?』

「明日見学に来いって言われてるんだけれど、明日は大丈夫?」

『うーん、将棋道場に行くつもりだったんだけど、そっちの方が大事だよね』

「うん。できればこちら優先で。大丈夫? 疲れてない?」

『大丈夫だよー。それよりいつ帰ってくるの?』

「もう三十分くらいで帰れると思う。帰ったら明日のこと話すね」

『うん。気をつけてね』

 電話を切って軽く空を見上げた。

 うわぁ。凄い急な話だ。一つゆっくりと深呼吸をする。

 ゆっくり、ゆったり、長く。この深呼吸をすると道場主のことを思いだす。最近道場主に挨拶に行っていない。明日、早く帰れそうなら色々と報告しに行くのもありかな。


「お待たせしました。糸遊の都合も大丈夫でした」

「よかった。それでは出ましょうか」

「あれ? お代は……」

「これでも一応先輩なので、今日のところはお任せください」

 大人の女性の対応を見せつけられた。ここまで車で送ったことのお礼でもあるようだ。

「ありがとうございます。ご馳走になりました」

 そういうつもりではなかったけれど、これからもっとお世話になる相手だ。素直に受け取ろう。

 ここからは歩いて帰るというのでお店の前で別れた。明日の日時と場所は、メッセージで送ってくれるという。

 しかし、研究会に糸遊を連れていくとなると、本格的な参加にはアイドル活動のことも承知していただく必要があるだろう。

 となると、私が四人預かっていることも素直に伝えるべきだろう。

 それならば、伝えてもいいかどうか亜嵐さんに確認を取らなければまずいのではないか?

 たらればの思考が積み重なる。運転前に解消できることは解消しておきたい。

 お店の駐車場で申し訳ないが、緊急を要するので車内で亜嵐さんに電話をかけた。

『どうした』

「外部の人に、四人預かってるって伝えていいですか?」

『いいぞ』

「いいんだ」

 いいんだ。そうなんだ。凄く軽い返事で拍子抜けした。

『四人との同居について、保護者に伝わる前提の話をしたばかりだろう。何か条件が違うのか?』

 そうだった。ただ、あれは過去の話をはしょった簡易バージョンの話。

 今回はアイドル活動のことを知らない将棋界の人に伝えることになる、いわば逆目線の話だ。

『それは、お前と糸遊の将来に関わる大事な話なんだろう?』

「はい」

『だったら正直に話せ。でなければ礼を失することになる』

「わかりました」

『私にも恩を感じているのなら、預金残高を知らせ会社に融資を……』

 通話終了っと。亜嵐さんの冗談はいつもお金絡みになって面倒臭い。他の絡み方と言えばセクハラ主体だし、もっと大人になってほしいものだ。

 しかし、家庭事情についてはきちんと伝えなければ失礼になるだろう。

 何かをごまかすのではなく、どういう経緯と目的で預かったのか、現状に至るまでの話をしっかりとしなければならない。

 そして現状の私の話もすることになるだろう。アイドルになる可能性の話だけは伏せ、他のアイドルたちの練習材料になれるようレッスンを積んできたことも。


 帰宅してすぐ、研究会の日時と場所のメッセージを確認した。

 車かバイクで二十分ほどの場所。明日は朝十時頃に集合することになるそうだ。

 オンラインのマップで近隣の情報を調べた。コインパーキングがある。台数も余裕がありそうだ。雨の日でも車で行けるような場所でありがたい。

「糸遊、十時到着だから九時半には出るよ」

「いいよ。プロの人といっぱい話せるんだよね」

「そうだね。ただ、アイドルをやっていることも正直に言う必要があるからね」

「うん。そのせいで駄目って言われないかな」

「その時はそうね。私が将棋でねじ伏せて、研究会を乗っ取っちゃえばいいんじゃない?」

 できるわけがない。少しくらい冗談でも言って、気を紛らわせたかった。

「連理ちゃんならできるよ。凄く楽しみ!」

「冗談なんだから真に受けないでよ」

「糸遊は本気だよ」

 信頼はありがたいが、結構なプレッシャーだ。

「あ、そうそう。今日プロの男性棋士三人と指して二勝一敗だったよ」

「えぇー!?」

 これもさらっと告げてお風呂に向かう。糸遊は詳しく聞きたがるだろう。たまにはこういういじわるで軽くからかうのも楽しい。

 最近の私、どんどん性格が悪くなっている気がするなぁ。

 のんびりと服を脱いで安心していたが、糸遊は逃がしてくれなかった。お風呂まで遠慮なく突撃してくる。結局、湯船に浸かりながら今日の将棋の話を説明させられた。

 そう、糸遊は根に持つタイプだ。今後からかうなら、凌乃や采女にしようと心に決めた。


 翌日、朝からあいにくの雨模様だった。

 身軽に動けるバイクで行きたかったけれど、これならやはり車になる。

 糸遊を助手席に乗せ、いざ出発。今日はあまり眠れなかった。

 預かった理由から話しはじめると、自然と現状までの自分語りになる。そのことを考えて眠りが浅くなってしまった。

 あまり自分のことを語るのは好きではない。エネルギーを使うからだ。

 いかんいかん。雨模様につられてテンションまで下がっている。

「糸遊、元気?」

「元気だよ、連理ちゃんは?」

「元気にしてほしい」

「そういうのは気持ちの問題だよ」

 急な正論に笑ってしまう。元気が出た。

「ありがと、元気出たよ」

「え、なんで?」

「なんでも。コンビニに寄ってお土産でも買おうか」

「うん!」

 最近のコンビニには、お土産にちょうどいいお菓子セットを置いてあるところもある。

 大き目のコンビニは駐車場も使いやすい。橋見さんを驚かせたSUVでも楽に停められて安心だ。

 思い返せば、お土産を買う時は糸遊がいることが多い。どういう巡り合わせなんだか、いつも糸遊が荷物持ちだ。

 お寺修行の時だけ違ったけれど。

 目的地のコインパーキングはがら空きだった。目的地は、道路向かいのマンションの一室だ。

 エントランスでインターホンを鳴らす。カメラでわかるだろうけれど、九ですと言うとすぐに自動ドアが開いた。

 ぺこりと頭を下げてエレベーターで昇る。十二階建ての最上階、結構いいマンションを使った研究会だ。

 再びドアの前でインターホンを鳴らす。すぐに中から足音が聞こえ、ドアが開いた。

「よく来たな。上がってくれ」

 瓦先生のような、陽気な大人の男性口調。棋士の関係者は基本敬語ベースだから、こういうパターンは新鮮だった。

 中には代表の先生と橋見さんだけ。あれ? もっといるんじゃなかったっけ?

「色々と話を聞く必要がありそうだからな。九さんには一時間早く来てもらったんだ」

「そうなんですね。お気遣いありがとうございます」

「堅苦しいのはなしでいいぞ。橋見姉で飽き飽きしてる」

「飽き飽きってなんですか。代表こそ相手は永世棋士ですよ」

 代表呼び? 再び疑問が浮かぶ。

「会社みたいでいいだろ、代表って。九さんもそう呼んでくれ」

「あーえっと、私も連理と呼んでもらった方が気楽なので、そう呼んでいただけるのならば」

「わかった。そっちは?」

「糸遊です。千振糸遊って言います!」

「元気な子だな」

 糸遊の挨拶を聞くと誰もが口に出す感想だ。糸遊はこれ一本で生きていけそう。

 橋見さんが四人分のお茶を用意してくれた。私たちもお礼に、糸遊に持たせていたお菓子を渡す。

「早速だが、一番気になっていることから聞かせてくれ。連理、あんたなんで引退した?」

 予想していた質問だ。納得してもらうには、全部語らないと信用されないだろう。

「端的に言うと守りたいものがあったため、そして引き継いでくれる子ができたからです。長くなりますが、詳しくお話してもよろしいですか?」

「おう」

「橋見さんにも話していないことなので、よかったら聞いていてください」

「わかりました」

 大きく深呼吸する。何から話せばいいか、既に頭の中にまとまっていた。

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