第22話 止め処ない明日
そうして、止め処ない明日はやってきた。
差し込む朝日から少しでも逃れようと、僕は枕に顔を埋めていた。
と、枕を両手で囲んではたと気付く。
軽く頭を上げて右隣を見る。そこにいるはずの華凜はいなかった。
一つしかない枕を取り上げてしまったんじゃないかという僕の焦りは、華凜がいない、という焦りに勝手に変わっていた。
「おはよ」
するとベッド横の椅子、左隣から華凜の声がする。
「……おはよ」
何故か、ものすごく安心した。
馬鹿みたいだ、何故こんなにも不安になるのか。
「起きてたんだ」
「うん。優斗の寝顔観察してた」
「……いつから?」
「ふふ……口元、ついてるよ」
「……ん、んんん?」
何が、とも思ったが、僕はロ元に手をあてて気が付いた。
情けなくもだらしなく垂れていた涎を手の甲でぐしぐしと拭い、そのまま飛び起きて洗面所に直行した。
結局、いつから僕の寝顔を観察していたのかは解らないままだった。
僕はそんなに涎でそうな大口で寝てたのかなあ。
華凜作の朝食は、昨日僕が作った朝食と同じものだった。が、目玉焼きは焼きすぎでカリカリしていた。
それはもう既に目玉焼きとは呼べない代物だ。
半熟がお好きだったはずの彼女の目玉焼きは、完熟を通り越して凝固しすぎで硬くなっていた。それでも僕は文句一つ言わずに完食した。
「……目玉焼き、作り方教えてあげようか」
「いいよ、今日はもう……」
不貞腐れた様な顔で華凜は言う。
「ダメ、後まわしにしてたら絶対忘れるから」
「失礼ね。明日の朝でもいいでしょ」
「ダメ」
「……しょうがないわね。私は食べないわよ、お腹一杯だから。ちゃんと優斗が責任もって処理してよね」
「……わかってますよ」
納得のいかない様子で、華凜は重い腰を上げる。
それにならって、僕もまた立ち上がった。
明日は来ない。
今できることは、今やっておきたかった。
それから、華凜が一人で出かけて、その間に僕は軽く部屋の掃除をした。
洗濯は任せてもらえなかった。
洗濯機に溜め込まれた洗いものが見えないように上からタオルを被せてあるあたり、初々しさを感じた。
遥香も恭子さんも、脱いだら脱ぎっぱなしという健全な青年には多少なりとも刺激的な生活環境だったし。
無事に華凜が戻ってきた。
区役所と郵便局に転居届けを出してきたらしい。
これで、ようやく一連の引越し作業は完了ということになる。
あとはただ、何事もなく時間は過ぎていった。
何となくぼ一っと過ごして、テレビを見て、お茶を飲んで、取り止めもない話に興じて、それだけで十分に幸せな時間だったと、僕は思う。
そうしてできるだけの時間をかけて、この風景を目と心と脳裏に焼き付ける。華凜のいる、その景色を。
一日はあっという間に過ぎた。
本当に何事もなく、無駄とも思えるような時間だった。
それでも、僕にとっては意味ある時間の過ごし方だった。
悪戯に僕の手を取って握る華凜も、何も言わずにただ笑って、それからまた淡々と時間は流れていった。
「ん、しょっと」
ベッドを背もたれにして寄りかかる僕の膝を割って、その間に華凜が潜り込んで来る。そんな子供っぽい、今まであまり見せることもなかったような仕草も、頻繁に見せてくれるようになった。
膝の間にちょこんと、置物のように座った彼女が、僕の手を取る。
猫のような仕草に、僕は胸を撃たれる様な感覚を覚えた。猫ってどういう仕草するんだかよく知らないけど。
「ねえ」
「ん?」
「エッチしたい」
「……直球だね」
「私だって、そういう気分のときはあるのよ」
そっと華凜の手が僕の頬に触れる。
暖かくて柔らかい感触。
静かに目を閉じて、僕たちは唇を重ね合わせた。
◇
ベッドの上でまどろむ意識の中で僕は、一つの答えを口にした。
「明日、帰るよ」
「……そっか」
僕のその言葉に、華凜は優しく微笑んだ。
寂しがるわけでも、引き止めるわけでもなく、ただ一言だけそう言って。
彼女にもきっと僕のそういう気持ちが知らずうちに伝わっていたのかもしれない、なんてのは自意識過剰かもしれないけれど。
ただ、今だけはこのまま何も考えずに華凜の隣で眠りたい。
目が覚めたらすべてが夢でも構わないとさえ思った。
自分の出した答えに、後悔はしていない。
そう思って、僕は静かに目を閉じた。




