第21話 ずっといればいいのに
目が覚めた。
ベッドの中で他愛もない会話をして、気がついたらいつの間にか寝ていた。
昨日の疲れはあまり残ってはいない。
隣には安らかな華凜の寝顔。
こうして寝顔をちゃんと見るのは、考えてみたら初めてのことだった。
静かに寝息を立てて眠る彼女を起こさないように、僕はのっそりと起き上がった。
久しぶりに朝食でも作ろうか。
僕はそういう気分になっていた。
一人暮らし用の小さな冷蔵庫の中には、華凜のおばあちゃんが大量に持たせてくれたという野菜と、昨日コンビニで買ってきた食パン、卵など、ありきたりな食材があった。
とりあえず、まずはヤカンに水を注いでお湯を沸かす。
調味料や料理器具は一通り揃っている様子で、僕は小さなフライパンを取り出し、調理油を敷いて加熱し始める。
生卵を二つ、片手で一つずつ割ってみせる。
なかなかできる芸当ではない、などと自己陶酔していると、ぴいぴいとヤカンが勢いよく汽笛を鳴らす。
立ち込める白い湯気に顔をしかめながら、僕は卵を二つ載せたフライパンを弱火にし、コップ半分くらいの水を注いで蓋をかぶせた。
あとは一分半ほど放置。
次にトースターに食パンを二枚入れてレバーを引く。
沸かしたお湯をポットに注ぎ、小さな食器棚からお皿を二枚取り出す。
くっついた二つの目玉焼きをフライ返しで半分に切り分け、皿に盛り付ける。
水洗いして、よく水を切ったレタスを添えて、完成。
じゃこん、と勢いよくトースターから飛び出した焼きたての食パンも一緒に
お皿に載せて、僕は部屋の小さなテーブルの上に運んだ。
オーソドックスな目玉焼きとトースト。
コレだけでも十分だ。味にはそこそこ自信はある、つもりだ。
料理は得意というわけではないけれど、好きなほうではあった。そのうち調理師免許でもとってやろうか、なんて考えるくらいに。
さて、華凜を起こそうかと思ったそのとき。
「ん……おはよ」
「おはよ。起きておいで」
目を擦りながらまだ眠たそうな顔で。
「うん。……朝ご飯、優斗が作ったの?」
「そ」
「へえ……」
まだ頭が働いていないのかどうか解らなかったけれど、華凜はすぐさま着替えてやってきた。
「コーヒーと紅茶どっちがいい?」
「えー、じゃあ緑茶」
「僕の質問の意味なくない?」
「……んー、じゃあ紅茶」
「不満そうだね」
「そんなことないわよ」
悪戯っぽく笑う彼女を尻目に、僕はカップにお湯を注いでティーバッグを沈める。ちなみに先にカップへお湯を注いだ後にティーバッグを沈めるのが美味しい紅茶の飲み方だ。
「そういや中国では緑茶にミルクと砂糖を入れると聞いたことあるけれど、実際どうなのかな」
「やってみれば?」
「やだよ、しかもなんか毒見みたいな言い方だし」
「案外いけるかもしれないわよ、抹茶ミルクとかあるし」
「紅茶は元々味と香りが鮮烈だから合うけれど、緑茶は本来の味を殺しかねない気がする」
「そうね。まぁ、普通の緑茶の味に慣れてるからね。当然慣れない味覚には戸惑うかもしれないけど」
「緑茶じゃなくて麦茶だと紅茶に近い味するかな」
「……茶はないんじゃないかしら」
「例えばの話だよ」
と言ながらも、夏になったら試してみようか、なんて思ってしまった。
お茶の話も一段落ついたところで、華凜はまだできたての目玉焼きを口に運んだ。
彼女の口に合うか、なんて別に目玉焼きなんてどう作ったってたいして変わるわけでもないけれど。
半熟か完熟かの好みの差くらいだろうか。
「どう?」
恐る恐る聞いてみる。
「……うん、おいしい。私、半熟の方が好きだから…って、言ったっけ?」
「いや、聞いたことないけど。半熟なのは僕の好み」
「うん、上出来。コレなら特級厨士も狙えるんじゃない?」
「たかが目玉焼きだけでそこまではいけないでしょ」
っていうか特級厨士って何さ、と聞こうと思ったけれどあえてそこはスルーした。
「レタスって水洗いだけ?」
「うん。そっちの方が味が通るから」
「ふぅん。いいなぁ、私料理出来ないし」
「まったくってわけではないでしょ」
「そうだけど……野菜炒めしか作れないし」
「十分だと思うけど、でも一人暮らしするならもうちょっとレパートリー増やした方がいいかもしれないね」
「カレーくらい作れるようにしようかしら」
「日持ちするからいいかもね。あ、そうだ……せっかくだから教えようか」
「ホント? じゃあ今日の晩御飯はカレーね」
「教えるし手伝うけど、作るのは華凜だよ?」
「解ってるわよ」
ということで、急遽朝御飯の時点で晩御飯のメニューが決定した。
とはいえ。この二人だけの朝、二人きりの朝食というのはなかなか気恥ずかしいシチュエーションである。
昨日の恭子さんの電話ではないけれど、まるで同棲しているような、そんな雰囲気だった。
それもいいかな、なんて思ってしまう僕はもう、彼女にベタ惚れだった。
昼過ぎに、僕達は街へ出た。
思えば札幌に来てからはじめての探索だった。
なんとなく心が踊る。
ちょっとした旅行気分といえばそうかもしれなかったけれど、当初の目的であった引越しの手伝いはもうすでに完遂したといってもいい。
ならば、僕は何物にも縛られずに札幌紀行を楽しむことができるじゃないか。
「そういえばさ」
「ん?」
「時計台って行ったことないんだ。見てみたいな、せっかくだから」
「あんな三大がっかり見るくらいなら、白い愛人でも買って食べた方がマシよ」
彼女はあっさりと返した。
都民が東京タワーに行かないように、道民は時計台には行かない。
都民になった今こそ時計台を堪能しようと思ったが、その思惑は一瞬にして崩壊し、僕が思い描いた札幌観光プランはひっそりと幕を閉じたのであった。
その後も僕たちは札幌の街を練り歩いた。
道中、札幌の地下鉄は東京の地下鉄とは違うのよ、とか華凜が言い出して。
僕は道民はみな運賃をけちって車体の下に張り付いているからゴムタイヤには気づいても網棚がないのには気づきにくい、などと。
いつもの、僕らの嘘交じりのバカ話をしながら。
ひたすらに素っ気なく四角い札幌の街並みが、そんなバカ話に不思議と似つかわしく見えた。
最後にぶらりとウィンドウショッピングしたあと、生活必需品とカレーの食材を買い込んで、程なくして僕たちは華凜の部屋へと戻った。
時計台は見られなかったけれど、間食用に白い愛人を買うのも忘れずに。
◇
さて。
今夜のお題はカレーである。
太陽もすっかり傾いて、夜の帳がすぐそこまで迫ってきている。
僕はおもむろに立ち上がって、キッチンの方へと移動した。
本日のカレーはいたって普通の食材。
じゃがいも、豚肉、人参、玉葱といったシンプルなもの。
華凜はデパ地下の畜産売り場で頑なに羊肉を所望したけど、それではインドカレーになってしまう。今の彼女にスパイスの調合やらが理解できるはずもなく、僕が問答無用で却下する一幕もあった。
「で、どうすればいいのかな」
「最初に豚肉を切って。次は野菜を洗って皮をむいて切る。僕が皮を剥くから、華凜が切って」
「うん、解った」
まずは豚肉をトレイから引っ張り出す。
「適当に切っていいの?」
「豚肉はざく切りでいいよ。野菜は大きさをなるべく揃えて」
「うん……こんな感じでいいの?」
「全然大丈夫」
さすがに包丁が扱えない、ということはないようだが、ちょっとぎこちない感じもした。とはいえ悪くはない。
横で華凜の包丁捌きを見ながら、僕はコンロに鍋をセットする。
取り敢えず、野菜を水洗いして皮を剥くことにする。
今日の食材全部の皮を剥き終わる頃には、すっかり彼女の包丁捌きは様になっていた。
不器用、ということはないんだから彼女にできないはずはないと思った。
「うう~……」
「……どうしたの?」
「汁が飛んでくるっ」
タマネギを切っていた華凜が涙を流している。
「そりゃ、そうなるよ。半身を引いてサクッといかないと」
「そんなこと言っても。あう一、痛、痛……いたたた」
別に僕が泣かせている訳ではない。
勝手に華凜が泣いてるだけだ
目を真っ赤にして、涙を流しながら玉葱を切る彼女が、なんだか可愛くも思えた。
きっとこんな機会でしか、華凜の涙なんて見られないよなあ……。
僕と離れ離れになると分かっていても、きっと別れ際にそんな涙を流してくれるとは思えない。
彼女は強い人だから。
「涙でない方法、あるよ」
「えー? どうするの?」
「こうして、ティッシュをちぎって両方の鼻の中に……」
せっかくなので、実演する事にした。
「絶対イヤ!」
「ほんらひほいこつおいはんあいひでほ」
「……ふふっ、なにそれ……」
涙を流しながら、僕の姿を見て笑顔を見せる。
僕はおどけて見せて、それで彼女が笑ってくれるならばそれでよかった。
その後も悪戦苦闘しながらも、何とか食材全部を切り終わる。
切り終わった材料を、まずはタマネギから炒め始めることにした。
「はじめにタマネギをアメ色になるまで炒めて、火の通りにくい順番に入れて行くんだ」
「じゃあ、タマネギ、じゃがいも、にんじん、の順番?」
「うん、そう。玉葱は全部溶け出すくらいまで煮込む方が美味しくなるからね」
「へえ。コレ炒めたらどうするの?」
「水を入れて煮立ってきたら灰汁を取る。最後にルーを入れて、あとはひたすら煮込むだけ」
「ふうん、けっこう簡単なんだ」
「あ、そうだ。ルーを入れるときに火を止めないと、酷いことになる。よく素人が犯す間違いだ」
「ふーん。今度また作ってみようかしら」
ことことと鍋が音を立てはじめる。
底の方から沸騰し始めている鍋を尻目に、僕達はその場を離れた。
「優斗って、どうして料理とかしようと思ったの?」
「うーん、別にコレといったきっかけはないんだけどね。母さんは単身赴任でいつもいないし、父さんは忙しい人だから、やっぱり家にはいないし」
「……そっか。けっこう苦労してるんだ」
「別に、そんな大げさなことでもないよ。ごく自然にね」
「私は……家族とずっと一緒だったから。そういうの解んなくて、なんていうか、う一ん」
「のんびり一人暮らし気分でやってるよ、僕は」
「けっこう大変かもね、一人暮らしも」
「今からそんなこと言ってたらこの先持たないって」
「一家に一台優斗がいれば楽よねぇ」
「僕は電子レンジか何かか」
「……ずっといればいいのに」
「…………」
他愛のない会話のなかで、華凜のふと小さく呟いたその言葉に、僕は口を閉ざした。
忘れているわけではない。
ただ、今は考えたくなかっただけだ。
じっくり煮込んだ、華凜作フィーチャリング僕のカレーはとても美味しかった。
多分、僕が今まで食べたカレーで一番美味しかったに違いない。
いつか終わるこの時間をカレーと一緒に流し込む。
止め処ない明日は、いつか途切れるのだと、そう思いながら。




