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第15話 届いた?




昨日から引き摺っている悩みは朝が来ても解決しない。それどころかどんどん深みに嵌っているんではなかろうか。

低い天井を見上げてため息を一つつく。


考えたってどうしようもないことだ。理論的に解決できるはずがない。

しかしただ一つ確かなのは、考えれば考えるほど、彼女の存在感が僕の中で膨らむばかりということだ。


華凜は今日、僕を迎えに来ると言っていたけど具体的な時間は聞いていなかった。

どれくらいぼーっとしていたのか、朝から電源を入れっぱなしのテレビは、すっかり違う番組が映っていた。


朝から数えて大体九時間。それまで摂った食事は朝食のみ。

育ち盛り……はさすがに通り過ぎたが、それでも若い僕の身体は空腹には耐え切れなかった。

台所を適当に漁ると、冷蔵庫の中にヨーグルトを発見した。仕方ない、夕食までこれで凌ぐことにしよう。


小さいカップを小さい銀のスプーンで掬い取って口に運ぶ。

……甘い、少ない。

たった四回、口に運んだだけでなくなってしまった。

ヨーグルトを一瞬のうちに平らげた後、僕はまた再びぼーっとテレビを眺めた。


「ただいまー!」


どたばたと騒がしい音を立てながら遥香が帰って来た。

買い物袋を両手にぶら下げて。


「今からご飯の用意するからね! ……ああっ!?」

「おかえり、遥香。で、ああっ!? ってなに?」

「ヨーグルト食べた!?」

「ああ、これ? うん、お腹空いたから食べた」

「それ私の! なんで食べるの!?」

「そっか、ごめん。それなら遥香ってマジックで書いといてくれよ」

「ひどーい! わかった、書いとく!」


怒ってるのに妙に納得した顔で大きく頷いて、冷蔵庫から残っていたヨーグルトを引っ張り出すと、カップにおもむろに名前を書き出す。

恭子さんではないけど、さすがに首を傾げてしまう光景だった。


その後恭子さんが珍しく早めに帰って来たこともあって、久しぶりに三人で夕食をとった。

その間も遥香がヨーグルトの件についてぐだぐだ言ってきたので、いつか三倍にして返すと適当に口約束した。


ちなみに晩御飯はジンギスカンだった。僕が華凜のセールストークに負けて大量に買わされて、今日で三日連続だ。さすがにこうも羊肉の摂取量が極端に多いと飽きてくる。

……華凜は料理が苦手らしいけど、今度は彼女の野菜炒め以外の手料理を食べてみたいな、なんてことを考えていた。


夕食のあとは自室の布団でごろごろする。

たった一日昼間に会わなかっただけで、どうしてこうも彼女の存在を求めてしまうのか。最早病気の一種かもしれない。


そんなときだった。枕に顔を埋めてうつ伏せになっていた僕の背骨に激痛が走ったのは。


「んごっ!?」


一瞬息が詰まって呼吸が停止した。

仰向けならばまだいいが、さすがに背中からいかれるとどうしてもエビ反りしてしまう。

こんなありえない飛び込みをしてくるのは遥香くらいなもんだ。おそらく先のヨーグルトの恨みを晴らしに来たのだろう。

僕は思いっきり上体を起こして上に乗った奴を放り出そうとする。


「おぅりゃぁっ!」


がばっと上体を起こすと、いともあっけなく遥香はぶっ飛んだ。


「きゃっ」

「あのなぁ、ちゃんと三倍にして返すって……あれ?」


腹を擦りながら目を凝らすと……なぜかそこにいたのは華凜だった。


「……なにしてんの?」

「別に。雑誌で見たプロレス技を試したかっただけ」

「いや、そうじゃなくて。……えーっと」

「そんなに見つめられると恥ずかしいわ」

「……何処に突っ込めばいいのかな」

「下品な言い回しね」

「どういう想像してんのさ……ってか、いきなりどうしたの」

「遥香と恭子さんと私で検討した結果、飛んでみることにしたわけだけど?」

「……飛び込み技のことじゃなくて、ですね」

「冗談よ」

「うぐぐ……おかげで夕飯が出そうになったじゃないか」

「あ、ごめん。食べた後だったんだ」

「そうじゃなくても時間を考えて飛び込んで欲しい」

「忍び込んだ方がよかった?」

「健全な男子百人に聞いたら百人が首を縦に振ると思う」

「恥ずかしいこと言うのね」

「振ったのはそっちだし!」


結局、いつもの調子で僕らはふざけ合う。


華凜が部屋まで迎えに来たことを僕は素直に喜ぶべきなのか。

確かに今の彼女の笑顔に嘘はない、とは思う。

だけど、どうにも素直に喜べない自分がいる。

僕らの気持ちはすでに確かめ合ったようなものだけど、実際に言葉にしたわけじゃないから。


「……外、行こっか」

「うん」

「散歩。色々話したいこともあるから」

「……うん」


華凜に誘われるがまま外に出る。


「寒いわね……」

「まだ春は遠いのかな。東京はそろそろ桜が咲き始めそうだけど」

「優斗くんが帰っちゃうのももうすぐね。先にこの町とお別れすのは私のほうだけど」

「……結論は出たの?」

「ふふっ」


僕の問いかけに何となく寂しそうに微笑むだけで、彼女の返事はなかった。

手が届く距離に彼女はいるのに、僕はその手を掴むことさえできない。

ゆっくりとした歩みで、僕たちはあてもなく歩いた。どれくらいの距離を歩いたのかも解らない。

彼女の歩幅は意外に狭い。僕はなるべく並んで歩けるようにと、少しゆっくり歩いた。


「空が綺麗ね」

「うん」


寒さに乾いた空は相も変わらず澄み切っていた。

まばらに輝く星の光だけが、僕たちの居場所を教えてくれているようだった。


「この景色も見納めかぁ」

「札幌じゃ、大して変わりはないでしょ」

「全然違うわよ。受験の時とか散歩に外に出てびっくりしたわ。地上が明るすぎて星なんて全然見えないの」

「あー確かに。ここ、ほんとに真っ暗だもん。東京じゃ、こんなにたくさんの星なんて見られない。ネオンサインのほうが眩しいくらいだ」

「日中はまったく寂しさなんて感じないんだけど。夜、星の数が違うとき、上富良野を離れたってことをしみじみと実感したのよね。受験の一泊だけであんなにホームシックにかかるなんて、想像もしなかったわ」


少しだけ強い風が吹くと、華凜は身体をすぼめて髪を押さえた。

風が彼女の長い黒髪を優しくなでる。


「思えば五年か。私が髪を伸ばし始めてから」

「そんなに経つんだ」

「伸ばしっぱなしってわけじゃないけどね。手入れするの大変なのよ」

「……大変そう」


腰まで長さがあるその綺麗な髪を維持するのは大変だろう。それでも彼女には、その長くて真っ直ぐな髪がとても似合っていた。


気がつくと足は学校の屋上へと向かっている。

僕たちのこの散歩コースは既にお決まりのパターンになりつつある。

こんな遅くに、それでなくても落ち着いて話のできる場所なんて数えるほどしかない。必然的に、この場所は僕たちのたまり場的な存在となってしまっている。


「どうして私が髪を伸ばしてたか……知ってる?」

「いや……ぜんぜん」

「誰かがね、長い髪が似合ってるって言ってくれたから」

「それ、昨日僕が言った台詞じゃ……」

「そうよ。忘れたの?」

「昨日のことだし覚えてるけど……」


僕がそういうと、彼女は校庭を見渡せる手すりの前に立った。

その間だけ風が止み、彼女のたなびく髪が居場所を決めたかのようにはらはらと落ちていく。


「五年前……優斗くん、同じことを言ったのよ。その長い髪、よく似合ってるって」

「僕が……?」

「だから私、伸ばしてきた。ずっと」


華凜がくるりと振り返る。

僕も真正面に向き直る。


「私、あなたが好きよ」


まっすぐに、目と目が合った。


「ずっとよ。ずっと好きだった。五年前に優斗がいなくなってからもずっと。もしかしたらもう二度と会えないかもしれないっていう、そんな人をどうしてずっと好きだったのか。もう、忘れようとしていたのに。ずっと仕舞いこんでおくつもりだったのに……突然現れるんだもん」

「……ごめん。僕、鈍感だから。自分の気持ちにだって気がつけないのに、華凜の気持ちも解るはずがなくって」

「優斗……」

「気がついてからも、どうしたらいいか解らなくて……」


もうすでに、僕と華凜はお互いの気持ちが解ってる。

いや、解ってしまった。


「ずっと気づいて欲しかった」

「……僕、鈍感だから、もっと確かめたい」

「好きだよ。……ずっと好きだったよ、優斗のこと」


気恥ずかしそうに、いつもの彼女からは想像もつかないような言葉を彼女は呟いた。


「僕も……華凜のことが好きだよ。ずっと好きだった」


なんともいえない微妙な間が僕たちを包んだ。

誰かを好きだということがこれほど恥ずかしいとは思いもしなかった。

寒いはずなのに顔が熱い。


「……届いた?」


僕は言葉なく頷いた。

華凜の心が、この冷たい空気を伝わって、僕に届いた。


そして、その冷たい空気に触れて永遠に消えてしまう前に。


「僕の言葉も、ちゃんと届いた?」

「……うん」


「ごめん、僕のせいでそんなに悩んでたなんて」

「……今更よね、そんなこと言うの」

「そうだね。ちょっと、互いに遅すぎたのかもしれないけど」

「時間なんて関係ないわ。未来を自分たちで決めたんだから」

「うん……僕が僕自身の気持ちに気づいたことに理由なんてなかったし」

「変なの。私がずっと、何年も思い描いてた願いは、こんなにもあっさり叶うものだったなんて」

「僕だってそう思うよ。……昨日のあの話だって、僕にとっては気が気じゃなかったんだから」

「……ごめんね。もう、手を伸ばしても届かないところにあるものだと思ってたから」

「こんなに近くにいるのに?」


そう言って、僕は彼女の手を取った。

冷たい空気に触れて冷たくなった彼女の温度が、僕の手を伝う。


「手を伸ばして、届くところにいるよ。お互いに、ね」

「……うんっ」


小さく声を発して頷いた彼女の顔は笑っていた。


今まで見てきたどんな笑顔よりも、その笑顔は僕の胸に焼き付いた。


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