表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/24

第14話 君を捜して




人の心が覗けたらそれは便利なんだろうけど、きっと僕が知らない方がいいことも多いに違いない。


たぶん、僕は彼女の心はどんなに頑張っても覗けないだろう。

華凜は昔から悩みがない人だった。

誰かに悩みを相談することも、打ち明けることもない。

逆に聞き手に回る方が多いくらいだ。

だからこそ、彼女の周りはいつも賑わっていた。

だから僕はそんな彼女が羨ましくもあり、親しい友達であることを内心ではいつも誇りに思っていた。


でも、もうすぐ会えなくなる。

ひょっとしたら一生会えなくなるかもしれない。

あんなに一緒にいたのに、僕が引っ越してから五年間、一度も会うことはなかった。


目をつぶって、今までのことを思い返す。


彼女の不慣れな手料理。

学校の屋上で二人で見上げたあの夜空の星々。

僕が配達を手伝って、二人で行った温泉とひざまくら。

あの駅で、おそらく誰も見たことがないであろう彼女の素顔。


どうしたって、僕は華凜のことが好きだとしか思えなかった。


いや、自覚してみれば、昔から好きだった。

ずっとずっと好きだった。小さな頃からずっと。

けれど、僕はその事実を認めることを無意識に避けていた。

僕は東京に戻り、華凜は上富良野を出る。

再会したのは偶然だけど、会えなくなるのは必然だ。


時刻は午後三時。華凜が札幌から戻ってくる時間だ。

洗面所で顔を洗い、濡れた前髪もそのままに、コートを羽織って玄関まで来た。

のろのろと靴の紐を結ぶ。

別に細かい時間を指定したわけでもないはずなのに、僕はどうしても落ち着いていられなかった。


靴の紐がうまく結べなかった気がして、結び直し始める。


華凜に会いたい。


けれど、すぐに会えなくなることは解りきっている。

ならいっそ会わないほうがいいんじゃないか。


また靴紐をほどく。


靴紐を全部引っ張り出して、最初から整え始める。

靴紐がうまく結べないわけじゃない。

会いたいのか会いたくないのか、自分でもよく解らない。

そんなためらいを、靴紐のせいにしてしまう。

しかしどこからどう見ても靴紐は完璧に結べてしまった。


僕は意を決して玄関の戸を開けた、そのとき――


「あっ……」


ドアを開けた、すぐ目の前には華凜がいた。


「――っ!」


僕と目が合うも、華凜は俯き加減にそのまま振り返り、走り出してしまった。

まるでここから逃げ出すように走り去ってしまった彼女の背中をただ見つめるばかりで、突然の出来事に僕は一人その場で唖然と立ち尽くす。


彼女が何処へ行ったのか、見当もつかない。

でも、今するべきことは、華凜を追いかけることだけ。

僕は彼女が足を運びそうなところへ走った。


通学路。

学校。

田んぼ道。

商店街。


まるで見つかりはしない。

彼女の足取りをつかむことはなかなか難しかった。


走り回って、息が上がって、このクソ寒いのにコートを脱ぎ捨てたくなるほどに身体が汗ばんでいる。

立ち止まると冷たい空気に心地よささえ感じた。


荒がる息を整えようとして気づくと、日の出公園にいた。

唯一訪れていなかった場所。

ここにいなかったらもう諦めるしかない。が、根拠のない確信があった。

というか最初からここに来るべきだってことは知っていたような気がする。

靴紐を何度も結んだように、また僕は結論を先延ばししていた。

ただそれだけだった。


日の出公園。


それはかつて僕と羽代華凜が初めて出会い、そして五年前、最後に別れた場所。


そこに、彼女はいた。


一人寂しげに、背丈の合わないブランコに座り、何をするわけでもなく、ただ座っているだけだった。


僕は一歩を踏み出す。


「……寒くない?」


近づく僕の足音にも気付かなかったのか、華凜ちゃんは少し驚いたようにさっと顔を上げた。


「……寒さなんて気付かなかったわ。考えたら少し寒くなってきた」

「風邪引くよ」

「……どうして、ここに?」

「いると思ったから。探してたんだ」

「私を?」

「うん。昨日、言ってたよね。明日も、また会えるよね、って」

「…………」

「……華凜ちゃん?」


彼女から返事は無かった。僕も、どう声を掛けていいのか解らない。

寂しそうな顔をして一人俯いた女の子を前にして、戸惑わない男のほうがどうかしてる、と思う。それが好きな人の前ならなおさらだ。


「……もう逃げちゃいけないのかも」


彼女は俯いたまま、小さく呟いた。


言葉とは添え物。あるいは窓。本質はその向こう側にあり、頭は覗けないけれど目の前にいるのだ、伝わってくるものはある。


「逃げるって、何から?」

「現実から」

「今まで逃げてたってこと?」

「うまく脱出できたと思ったんだけどね。ただ予想外の事が起きた、と」

「ふぅん」

「……ごめんね、なんかつまらない話で」


相槌を打ったつもりだったが、彼女には気の無い返答に聞こえてしまったのだろうか。


「あ、いや構わないよ」


今の僕は単なる聞き手でしかない。

彼女が話したいと思ったらそれを受け止めるつもりで僕はただ聞き手に回る、それで構わなかった。

気の回らない僕にできるのは、それくらいのことだから。


しばらく風の音だけが僕たちの耳に聞こえていた。

息が詰まりそうな重苦しい空気のなか、僕は彼女が再び口を開くのをただひたすらに待った。

そのたった数秒間が何十秒にも何分にも感じられる。


ひときわ強い風が吹きつけ、僕はふと我に帰った。

風が吹かなければ、ずっと時が止まったままだったかもしれないと、妙なことを考えた。


吹きつけた風が華凜の髪を持ち上げる。

少し鬱陶しげに彼女はそれを抑えた。

やがて風が凪ぐと、はらはらと散らばっていた彼女の髪が落ち着きを取り戻した。

絡まった糸を解すように手櫛で髪を撫で下ろす。


「髪、伸びたよね」


静寂からきっかけを得たような気がして、僕は無理矢理に言葉を紡ぎ出した。


「そう?」

「僕が最後に見たのは……そうだな、肩の位置くらい、かな」

「……よく覚えてるわね、そんなこと」

「あんまり当てにならないけど、それくらいは」

「そうね……確かに。いつの間にか伸ばし始めてたかな」

「似合ってるよ」

「ありがと。何度か切ろうと思ったこともあったけど」

「どうして?」

「理由はあったのかもしれないけど、もう忘れちゃった」

「それって、嘘だよね?」

「………………」


僕の指摘に、彼女は押し黙った。


僕は知っている。

華凜は基本的に馬鹿がつくほどの正直者だけれど、僕に嘘を吐くときに限って自分の指に髪を絡める癖がある。

今まで彼女には内緒にしてたけど、僕は今日初めてそれを表に出した。


「…………」


再び沈黙が訪れる。

無理に会話の糸口を探そうとしても長くは続かない。

そんな重苦しい空気を、彼女が一番よく分かっているのだろう。

今はその静寂が辛く感じられた。


「……寒いでしょ?」

「え?」

「ごめんね、なんか付き合わせちゃって」

「いいよ、別に。そのつもりで来たわけだし」


頼りない笑顔で、優しくも揺れている声と合わさり、僕の不安はより加速した。


「悩みがあるなら僕が聞くよ。それで華凜……ちゃんの気が楽になるのなら、そういう役回りなら僕はうってつけだから」

「そうね。落ち込んだときに元気づけてくれたの、優斗……くんだけだったかな」


華凜と、優斗。

かつて僕らはその名で呼び合っていた。

再会したあの日に、一度だけ呼び合ったきり。


華凜ちゃんと優斗くん。

お互いの、空白ともいえる五年の歳月、そして距離感を裏付ける忌み名。


僕は前に進もうとしたけれど、結局半歩で立ち止まってしまった。そして僕につられるようにして、彼女も。


「……私の話、聞いてくれる?」

「……うん」


そう言って少しの間をおいて、彼女は意を決したように神妙な顔つきで口を開いた。

錆付いたブランコの金具が軋む音が耳障りに聞こえた。


「私ね、ずっと好きだった人がいたんだけど」

「…………っ」


彼女の口から飛び出してきた言葉は、ある程度予感していたとはいえ、それでも衝撃的だった。

あの辛口でちょっと意地悪でちょっと大人びた華凜から、恋の話が飛び出してくるとは。


「すごく意外そうね」

「そうでも……なくはないかも」


僕のその言葉に、彼女は少しだけ砕けたように笑う。


「まぁ、誰にも話したことないし、ずいぶん前のことだけどね。自分の気持ちに気づいたときにはもう遅かったし」


砕けた笑顔も、次の言葉で再び寂しげな表情へと変わる。


「もうすっかり忘れたと思ってたんだけどね」

「それを思い出した?」

「……うん。でも、思い出したんじゃないのかもしれない。今までずっと気持ちを隠し通して来たんだと思う」

「……悪いことをしたってわけじゃないでしょうに」

「その人を好きだって自分の気持ちに気づくのが遅すぎたことが、嫌だったの。自分を許せなくて」

「…………」


僕は何も言えなかった。

彼女が淡々とその胸中を語るのを、黙って聞き続けた。


「それで私は、この田舎がもっと嫌いになった。八つ当たりね」

「都会に憧れていたから……じゃなくて?」

「……そうね。私が田舎を嫌った理由は、不便だとか、そんなのは二の次。ただ逃げたかっただけ」


田舎を嫌う理由を、僕は初めて聞いた。


「……でも、いざ出ていくってなると、こうしてずるずる引き摺って……いつまでたっても。引っ越しの準備もね、実はわざと先延ばしにしてたの」


一つ重いため息をついて、彼女は続けた。


「……自分で決めたのに、なにやってるんだろうな、私は」


吹き付ける風に髪をたなびかせながら、まるで遠くを見るような目で空を見上げた。

上空の雲は薄く長く、彼女の髪と平行に並ぶようにまたたなびいていた。


「そうやって無駄に足掻いていられるのもあと少しかな、なんて思ったりね」

「出ていくのが嫌になった?」

「自分の気持ちを伝えていられたなら、きっとここまで悩むこともなかったんだろうけど、そう思ったときにはもう、その人はそこにいなかったんだから」

「…………その人は、今どこに?」

「きっと私の気持ちも知らないで、いつもと同じとぼけた顔でいるに違いないわ」

「…………そうかもしれない」


彼女の言う通りだった。

僕は、昨日の夜まで、本当に何も知らなかった。気がつかなかった。

自分の気持ちも、華凜の気持ちも。


「いっそこの気持ちを見透かしてもらえれば楽なんだけどな……いつまでも煮え切らず、立ち止まって」

「立ち止まるのは、悪いことじゃないよ」

「立ち止まるわけにはいかないわ。自分で道を決めたんだから。未来のことだけ考えるって。でもその道に出てくることのないはずの人が出てきちゃったんだ」

「…………」

「過去を振り返ってもどうしようもないから無理矢理にでも進まなきゃ、って思ったけど」

「……だったら、自分の気持ちを素直に言えばいいじゃないか。そんなんじゃどうしたって変わらないよ。いつまでたっても」

「……どうせ確かなものなんてないんだから。確かめて壊れるくらいならこのままの気持ちでいる方が楽だし」

「そういう……」


僕はそこで一瞬言葉に詰まった。


「そういう後ろ向きな考え方をする人じゃないと思ってた」


なんで怒ってしまったのか。

それはきっと、僕が抱く自分への苛立ちを言い当てられたような気がしたから。


「キミが言わないなら……」

「ダメ。言っちゃだめ」

「……どうして」

「……勇気、もらったから。今度は私の番」


寂しそうな顔をしていた彼女は、いつの間にか普段の笑顔に戻っていた。


「明日まで待ってくれる? 雰囲気は大事にしたいから。って、私らしくないよね、こういうの」

「華凜ちゃんは……華凜ちゃんだし。僕の知らない一面を見た、そういう気分」

「まだまだ華凜マスターの道は遠いわよ?」

「じゃあ勉強するから参考書貸してよ」

「残念、もうダンボールに詰めちゃった」


本当に残念そうな顔をする。

何処まで冗談なのか分からなかったけど、彼女の顔に先ほどまであった陰りはなくなっていた。

本当に胸の内が晴れたというわけではないだろうが、自然な笑顔を向けてくれる。

それだけで僕はなんだか安心できた。


「結局……何もかも上手くやろうとか、どれ一つなくさずにおこうなんて考えるうちに疲れちゃったのかも」

「そう考えないでさ、いつも通りでいればいいんだと思うよ。華凜ちゃんが思うようにしてれば」

「……うん」


少し照れたように頷く。

こんな素直な華凜を見るのは初めてだったけど、それでもそれは彼女らしい姿だと思った。


冷たい風が一層強く吹いた。

さすがに、忘れていた寒さが僕の身体に戻ってくる。

僕は一つ身震いすると、華凜がその姿を見て笑った。

そういう何気ない笑顔があるだけでいいと思った。


「帰ろっか」

「うん」


頷いた彼女は元気よく錆びたブランコを軋ませながら、軽くジャンプする。

普段見せない子供っぽい仕草に、僕は少しだけ笑った。


「……ごめんね」

「うん? 何が?」

「色々、ね。心配かけて」

「別に……大丈夫だよ。ちょっと寒かったけど」

「風邪でも引いて私のせいにされる前に謝っておこうかな、って」

「……謝られても君のせいにしてやる」

「まぁまぁ。寝込んだら看病してあげるわよ」

「……期待しとくよ」


それから僕たちは特に会話もなく、ゆっくりとそれぞれの家路についた。

それぞれ、といっても本当に家の中に入るまで帰り道は一緒なんだけど。

言葉はなかったけど、考えていることは通じているような気がした。

お互いに子供じゃないけど大人でもない。

無責任な決断はできないけど、かといって全てを達観できるわけもない。


あとは、どう自分の気持ちに決着をつけるか、問題はそれだけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ