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第12話 小さな約束を 前編




「こんにちわー。優斗くんいるー?」


無事に北大に合格した華凜ちゃんはいつものように家の中へと上がりこみ、そして当然のように僕のいる部屋へと上がってきた。


あれから数週間が経った。


これがもはや僕の日常となりつつある。……というよりも5年前、僕たちの一家が東京へ引っ越すまではこれが支倉家の日常だったのだ。


「悪いんだけど今日も付き合ってくれない?」

「別に構わないけど、何するか聞いてもいい?」

「ちょっとした買い物をね。ほら、そろそろ引っ越しの準備始めないといけないし」

「ああ、引っ越しか……」


そういえばそうだったな。

何気なく日常を過ごしているようで、実は人生の大きな節目にいるんだった。

華凜ちゃんも、僕も。


今こんなに近くにいる人は、もうすぐ上富良野から出ていってしまう。僕も東京に帰ってしまうわけなのだが。

ひょっとしたら、これっきり一生会わないのかもしれない。


「ああ、って。なんかどうでもよさそう」

「そんなことは、ないよ」


どうでもよさそうに呆けているように見えていたとしたら悔しいので、僕は強く否定する。


「……なんか変なの」

「変て。……まあいいや。着替えてくるからちょっと下で待ってて」

「……うん」


着替えが済むと、僕たちは外に出た。


今日は随分と暖かい。いつもなら首をすぼめるほど冷たい外気なのに、力を抜いて楽にできる陽気だった。


――確実に春が近づいている。


「優斗くん」

「うん?」

「今日は暖かいね」

「そうだね」


当たり障りのない会話だったけれど、ずっとこの地に住んでいる華凜ちゃんから聞けたその言葉が、僕は何故か嬉しかった。


「今日は車じゃなくて歩くんだ?」

「うん」


ここずっと華凜ちゃんの配達を手伝ったり、子供の頃に死ぬほど行ったあの有名なドラマの舞台となった麓郷一帯を見渡せる展望台に行ったりと、何かと彼女の車で移動することが多かったから、歩いて出かけるのは割と久しぶりだ。


「買い物って、何が必要なの?」


僕は大きな旅行カバンを持たされていた。

これ一杯に詰め込むとなると、けっこうな量になる。


「うーん……カーテンは今使ってるのが気に入ってるけど、せっかくだから新しいのにしようかな」

「ベッドとかは?」

「大きなものは現地で揃えるから。今日は適当な生活用品だけにしておくつもり」

「羽代商店に揃っていそうなものだけど」

「モノ自体はあるけどね、センスいいのがないから」

「ふぅん。引っ越しって面倒なんだね」

「ある程度想像はついてたけど、いざとなると面倒ね。って、優斗くんも経験者じゃない」

「僕の場合は自分で用意したわけじゃないからね。それに母さんの実家に転がり込んだだけだし。改めて入用な物なんてほとんどなかったから」

「いいわね、気楽で」

「別に気楽ってわけじゃないよ。久しぶりに自分の部屋に戻ったとき、あまりに変わってなくて驚いた」

「全部ここに置いていったんだ?」

「うん」

「未練があるのやらないのやら」

「華凜ちゃんには未練ないの?」

「私は私が望んでそうするんだもん。元よりそんなものはないと思う」


そう言って笑う華凜ちゃんの表情に何か寂しげな陰を見て取ったのは、僕の思い過ごしだろうか。

僕は何も言えず、無理矢理にもその流れを変えなきゃという謎の使命感に襲われた。


「お店のほうはいいの?」

「今日はお母さんが家にいるから大丈夫よ」

「なるほどね」

「それに、たまには歩くのもいいでしょ?」

「僕は歩くしか手段がないから何とも言えない」

「優斗も免許とったら?」

「うーん。東京に住んでると地下鉄やらバスが便利すぎて、あんまり車は必要ない気がするんだよなあ、渋滞もひどいし」

「…………」

「華凜ちゃん?」

「……えっ。あ、うん、そうよね」


ここ最近、華凜ちゃんは僕が東京に関する話をしようとすると、彼女らしくない顔で呆けることが多々ある。

あれだけ東京に憧れていた彼女に、何か心境の変化でもあったのだろうか。


しかし、そんなことを考えているうちに、僕たちは商店街にたどり着いた。

なにやら随分たくさん人が慌しく街路を行き交っている。こんな活気づいた商店街の様子を見るのは初めてかもしれない。


「なんか慌しいね」

「そろそろお祭りも近いからね。その準備じゃないかしら」

「ああそうか。すっかり忘れてた」

「そのために今までこっちにいたんじゃなかったの?」

「そうなんだけどね」

「……ま、私は参加できないから関係ないんだけど。楽しんでいってね」


祭りは終われば僕はこの町を去る。そして華凜ちゃんはその前にこの町を去る。

そのことを確認するたび、僕は悲しい気持ちになってしまう。けれど、そんな僕の気持ちなど、口に出して言えるはずもなかった。


先にこの町を出ていった僕に、言う資格はないと自覚していたから。


適当に店に入ると、華凜ちゃんは一人で品を選んで一人で買い付けてくる。

僕はただ入り口で呆然と立ち尽くし、買い物袋をぶら下げて戻ってくる華凜ちゃんにそれを渡されるだけ。女性の買い物というものは想像以上のものだった。

恐らくはこんな役回りだろうとは思っていたけど、これくらいしか役に立たない事も解っている。みるみる数を増やす戦利品に、僕はただ唖然とするばかりだった。


商店街の端から端までを何往復したのかは分からなかったが、僕は少し疲れてその場で立ち止まった。


「疲れた?」

「ちょっとね。でも大丈夫」

「大丈夫って顔はしてないわね。ちょっと休みましょうか」


華凜ちゃんは僕に荷物を手渡すと、ふらりとどこかへ消えてしまった。

荷物で視界がふさがれた僕は、追うこともできずに立ち往生してしまう。

しばらくして缶コーヒーを手に戻ってきた華凜ちゃんに不思議な顔をされた。


「座って待ってればよかったのに」

「突然いなくなるんだもん。どうしていいかさっぱりだった」


僕たちはシャッターに休業の張り紙のある店の前に腰を下ろした。

この辺りに気の利いた喫茶店なんかありもしない。居酒屋は数件あったけど、ムードとかそういうものはまったく感じられるはずもなかった。


「せっかくのデートなのにね」


僕の心中を悟ったかのように華凜ちゃんが口を開いた。


「デートだったの?」

「違う?」

「なんかこう、思い描いてるのとは違うような」

「どんなのを想像してたのよ」

「どんなのと言われてもなかなか難しいけど」

「東京ではどんなところに遊びに行ってたの?」

「うーん、特にたいしたところは。ゲーセンとカラオケくらい。野郎ばっかで」

「ネズミーランドとかは?」

「野郎ばっかで行ってもおもしろくないでしょ」

「ふふっ、せっかく田舎から脱出したのにけっこう物悲しい青春時代をすごしてたってわけね。可哀想に、ふふっ」


二回も笑いやがりましたよ、この人。


「実は同情する気ないでしょ」

「そんなことないわよ? ふふっ」

「……その歪んだ性格と口角は直したほうがいいよ」

「……今、なんつった?」

「……なんでもございません」

「ま、今日は許してあげる。じゃ、行きましょっか」


なんだかんだで上機嫌になった華凜ちゃんは、買い物を済ませるため、再び僕を横に従えて商店街を練り歩いた。


本当に必要なのかどうかわからないものから、あからさまに必要の無いものまで次々と買い込み、僕が両手で抱えるのがやっとな量にまでなっていた。よく田舎の商店街でこれだけ買い物ができるもんだなぁと、僕は素直に感心する。


「随分買ったわね」

「自分でしょ。本当に必要なものかどうかさっぱりなんだけど。特にこのお菓子は明らかにいま必要ないんじゃ」

「ちゃんと三百円以内に抑えたわよ」

「遠足じゃないし。っていうか三百円どころか三千円くらいあるし」

「バナナはおやつに入らないから大丈夫よ」

「明らかにポテチだし」

「いちいち細かいなあ。少しだからぶーぶー言わないの」

「両手で抱えるのがやっとの量で少し、はないんじゃないのかな」

「そうかしら?」

「他にもこんなにたくさん、いったい何買ったの?」

「乙女の秘密」

「なんだいそりゃ」


聞いたところで秘密、といわれた以上教えてもらえるはずもなかった。


「ところで引っ越しいつだっけ?」

「二十四日。……あと三日しかないのね」

「……そっか。見送りにはいくからね」

「じゃあこれから駅に行くから、見送りに来てくれる?」

「これから、駅? 家に帰るんじゃないの?」

「荷物を降ろすだけよ。大学の健康診断があるからこのあと札幌に行くわ。他に用事があるんなら、構わないんだけど」

「……行くよ」

「二十四日の本当のお別れの予行演習ね」


ふと華凜ちゃんの目線が逸れた。

寂しそうに視線を落として立ち止まる。


「ま、どうせ私が引っ越さなくても、優斗くんとはお別れだったんだもんね」

「そうだね……なんか寂しいけど」

「寂しいって思うなら……」


再び前を見て歩き出す。

立ち尽くす僕を横目に通り過ぎて。


「言わないで、そんなこと」


背を向けたまま歩き出す。

背中越しにその表情を伺うことはできない。一瞬のことで立ち尽くしてしまったが、僕も再びゆっくり歩き出した。

まるで本当に別れを惜しんでいるかのような、そんな素振り。

僕にはどう捉えていいのか分からなかった。

ただ、僕の知る限り彼女は思わせぶりなことばかり言う人だし、どうせいつもの調子なんだろうとは思った。


それでも寂しそうなその声は、僕の心の中に重く沈殿していった。


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