↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
7/27

雨の夜

次の日は、朝から雨だった。


屋根を叩く雨の音で、目が覚めた。いつもの五時。社畜の呪いは、雨でも休まない。


包帯の下で、左腕の傷がじくじくと痛んだ。雨の湿気が、えぐれた傷口に染みこんでくるような痛みだった。


結局、あのあとほとんど眠れなかった。


階下に下りると、じいさんが食堂のカウンターでお茶をすすっていた。


「おう、カイ。早いな」


「お、おはようございます、ギルさん」


「よく眠れたか?」


にこにこと笑いながら、そう聞いてくる。


ゆうべ月明かりの中で、俺の寝顔をじっと見下ろしていた人と同じ顔で。


「……おかげさまで、ぐっすりと」


もちろん嘘だ。爺さんのせいであまり寝れなかった。


だが、まぁいい。人間、三時間寝れば二十時間働ける。常識だ。


「そうか、そうか。若いもんはいいな。わしなんぞ、歳のせいか、夜中に何度も目が覚めてな」


じいさんは、からからと笑った。


俺は引きつった笑顔で、右手だけでできる豆のさや取りを始めた。豆のさやが、やけに固く感じた。


 ◇


雨の日は、食堂も暇だ。


昼の客はほとんど来ず、ハンナさんは「今日は早じまいだね」と言ってのれんを下ろした。


じいさんは村長のところへ顔を出すと言って、雨の中を出かけていった。


その背中が見えなくなったのを確かめてから、俺は二階のクレアの部屋の扉を叩いた。


「クレア。ちょっといい?」


「……何?」


扉が、少しだけ開いた。


「話があるんだ。その…、カイのことで」


クレアの目が、すっと細くなった。


それから、扉が大きく開いた。


 ◇


屋根裏の部屋で、俺とクレアは机をはさんで向かい合っていた。


机の上にはカイの手帳。


ビッグボアを倒したあとに森の中で、クレアは手帳をぱらぱらとめくっただけだった。


ちゃんと読むのはこれが初めてだ。


クレアは一ページずつ、ゆっくりとめくっていった。


日付。場所。魔物の特徴。弱点。炭のスケッチ。


村のまわりの地図と、少しずつ村に近づいてくる、赤い印。


クレアの指がページの端をぎゅっとつまんでいた。


「……やっぱり」


かすれた声だった。


「カイが夜に出かけてたの、知ってた。何をしてるのって聞いても、『見回りだ』としか言わなかった。でも、見回りなら、昼間で十分でしょ。だから、何か隠してるんだろうなって、ずっと思ってた」


クレアは魔物のスケッチを指でなぞった。


「一人で、こんなこと、してたんだ。誰にも言わないで」


「村を、守りたかったんだと思う」


「わかってる。わかってるけど」


クレアは唇を噛んだ。


「言ってくれれば、よかったのに。わたしだって、薬草のことなら、少しはわかるのに。魔物が嫌う草とか、眠らせる草とか、教えてあげられたのに」


俺は何も言えなかった。


一人で抱えこんで、一番近くにいる人に何も言わない。


それは、俺もやっていたことだ。ひなたに、仕事のことも、しんどいことも、何一つ話さなかった。話したら、心配させると思っていた。


でも話さないことで、ひなたはもっと寂しかったのかもしれない。


「……もう一つ、話があるんだ」


俺は、ゆうべのことを話した。


じいさんが、夜中にこの部屋へ上がってきたこと。カイの短剣を手に取って、名前を呼んだこと。そして、迷わず、引き出しの二重底を開けたこと。


クレアの顔色が、変わった。


「おじいちゃんが……?」


「二重底のことを、最初から知ってたみたいだった。中をのぞいて、それから、俺のほうを長いこと見てた」


クレアは、しばらく黙りこんだ。


雨の音だけが、屋根を叩いていた。


「……おじいちゃんとカイ、昔から仲が良かったの」


クレアが、ぽつりと言った。


「おじいちゃんが帰ってくるたびに、二人で森に入って、何日も戻ってこないことがあった。カイに見回りのやり方を教えたのも、おじいちゃん。カイが『村の目』になったのは、おじいちゃんの弟子みたいなものだったから」


「弟子……」


「わたしが一緒に行きたいって言っても、二人とも、絶対に連れていってくれなかった」


クレアの声に、少しだけ、拗ねたような響きが混じった。


「あの二人には、昔から、わたしの知らない秘密があったの」


 ◇


雨が強くなってきた。


窓の外は昼間なのに夕方のように暗い。


クレアは、手帳の最後のほうのページを開いた。


雨ににじんで、ほとんど読めない走り書き。一度濡れて乾いたせいで、そのあたりの紙だけが、ごわごわと波打っている。かろうじて読める、最後の一行。


『点をつなぐと――』


クレアは、にじんだインクをじっと見つめていた。


「……カイが死んだ夜も、こんな雨だった」


俺は顔を上げた。


「朝から、ずっと降ってた。夕方には、前が見えないくらいになって。母さんが、今夜は見回りに行くんじゃないよって、何度も言ってた」


「でも、カイは出かけた?」


「うん」


クレアは、窓の外の雨を見た。


「夜になって、出かけていったの。それから、真夜中に、一度帰ってきた」


「帰ってきた?」


「びしょ濡れで。わたし、物音で目が覚めて、廊下に出たら、カイが屋根裏への階段を駆け上がっていくところだった。声をかけたけど、振り向かなかった」


クレアの声が小さくなった。


「すぐに下りてきて、また出ていった。それが、最後」


翌朝に崖の下で、木こりがカイを見つけたのだという。


俺は手元の手帳に目を落とした。


雨ににじんだ、最後のページ。濡れたのは、カイがこの手帳を持って雨の中にいたからだ。


それなのに、手帳は崖の下ではなく、この部屋の二重底にあった。


つまりー。


「夜、最初に外出した時は手帳を持っていた。その後、一度帰ってきて、手帳を置いてまた出て行ったんだ」


何のために。


山で無くさないため、だとしたら最初から持っていかなければいい。


急いで置きに帰り、急いで出ていく目的は…。


「クレア、これは俺の推測だけど、カイは雨の中で何かを見た。あるいは、誰かに会った。それで、この手帳を持ち歩くのは危ないと思って、急いで隠しに戻ってきた。そう考えたら、つじつまが合うと思うんだ」


「誰かに、取られないように……?」


「たぶんね。ただ、カイは手帳を置いた後、その誰かに急いで会いに行った。つまり、知り合いか、心当たりがある人物だった可能性が高いんじゃないかな」


そして、と続ける。


「もし、その推測が当たっているなら、その人物は手帳を探しているはずだよ。今もね」


じいさんは、なぜ部屋に入ってきたんだろうか。二重底を開けたのは、手帳を探していたからなのかもしれない。


クレアが、膝の上で、こぶしを握りしめた。


「……カイはね、雨の日は、絶対に崖に近づかなかった」


「え?」


「小さい頃、わたしが雨の日に崖の近くで遊んでて、足を滑らせかけたことがあるの。カイが腕をつかんで、引き上げてくれた。それから、カイは何度も、わたしに言った。『雨の日は、崖に近づくな。どんなに慣れた道でも、雨の日は別の道だと思え』って」


クレアの目に涙がにじんだ。


「そんなカイが、雨の夜に、崖から落ちるわけない」


クレアはまっすぐに俺を見た。


「わたしは、カイが事故で死んだなんて、思ってない」


その目は怒っていた。


悲しんでいるのではない。泣いているのでもない。


まだ見えない何かに向かって、まっすぐに、怒っていた。


 ◇


俺は立ち上がって、机の引き出しを開けた。


二重底の板を外す。


中から、布の包みを取り出した。


『クレアへ』


几帳面な字の、表書き。


「これも、二重底の中にあったんだ。手帳と一緒に」


俺は、包みをクレアの前に置いた。


「中は見てないよ。これは、俺が開けていいものじゃないと思ったから」


クレアは包みを見つめたまま、動かなかった。


震える指で、そっと表書きの字に触れる。


カイの字を確かめるように。


「……カイの字だ」


小さな声だった。


クレアは包みを両手で持ち上げた。


結び目に指をかける。


そして、そこで止まった。


長い間、そのままだった。


やがてクレアは、結び目から指を離した。


「……今は、開けない」


「いいの?」


「わたしね、カイを殺したやつが許せない。カイを殺したやつを見つけたい。その気持ちでいま、立っているの」


「うん」


「手紙を読んで、その気持ちが弱くなったら、多分わたし、動けなくなる」


クレアは、包みを胸に抱きしめた。


「カイが誰にやられたのか。それがわかるまでは、開けない。泣くのは、そのあと」


そう言って、クレアは、ぎこちなく笑った。


ビッグボアの前で見せた、こわばった下手くそな笑い方と、同じだった。


「わたしが預かる。いいでしょ」


クレアが、包みを抱いたまま俺を見上げた。俺はうなずいた。


「もちろん。最初から、クレアのものだからね」


クレアはこくりとうなずいた。


それから手帳を俺のほうへ押し戻した。


「これは、あんたが持ってて」


「いいの?」


「いいのって、あんたがカイの仕事を継ぐんでしょ」


クレアは、ふいっと顔をそむけた。唇が、拗ねたようにちょっとだけ尖っている。


俺がカイの仕事を継ぐことを、クレアは許してくれている。それが嬉しかった。


「それに、おじいちゃんが、この手帳を探してるんでしょ。わたしが持ってたら、すぐ見つかる。あんたなら、隠すのは得意でしょ」


確かに。隠れることと、隠すことにかけては、六年の実績がある。


実際、クレアには悪いが、現時点でじいさんを信用することはできない。


じいさんがカイの死に直接関係しているのかはわからないが、無関係とも思えない。


カイの机の二重底を知っていたのはなぜだ。


師弟だから、元々知っていたのか?師匠だからといって、自分の手帳の隠し場所まで教えるだろうか?


謎が多すぎる。まだ警戒しておいて損はないだろう。


 ◇


クレアが部屋を出ていったあと、俺はもう一度手帳の地図を広げた。


三本角のビッグボアの印には、昨日、俺が炭で×をつけた。


残っている印は二つ。


山向こうの峠の、背中に棘の生えたアーマーベア。


そして、北の沢のダイアウルフ。


ダイアウルフのページを開く。


『北の沢。ダイアウルフ。五頭の群れ。人を恐れない。夜に動く。光に弱い』


その下に、もう一行書き足されていた。


前に読んだ時は、気づかなかった。インクの色が、少しだけ新しい。


『群れが増えている。八頭。うち一頭、ひときわ大きい。白い月が満ちる頃、沢を下りる恐れあり』


白い月が満ちる頃、か。


俺は窓の外を見た。


いつの間にか日が暮れかけていた。


雨は小降りになり、流れていく雨雲の切れ間から、うっすらと白い月がのぞいていた。


(おいおいおいおい…)


ほとんど、まんまるだった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


もし少しでも「面白い!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、


ページ一番下にある、


【☆☆☆☆☆】を

【★★★★★】にして評価をいただけると、


作者のモチベーションが爆上がりし、更新速度が上がります!


ブックマーク登録もぜひよろしくお願いします!


次回は明日19時頃に更新予定です。引き続きよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。