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6/27

宴の夜と帰ってきた祖父

「ちょっといい?」


宴会に向かうため、着替えようとしていると屋根裏にクレアが来た。


吊り布で左腕を固定されたまま、片手で上着の袖を通そうと四苦八苦していた俺を見て、クレアはあからさまにため息をついた。


「ほら、貸して。片腕じゃ無理でしょ」


手荒く上着を取り上げると、俺の背中に回り、痛む左腕に触れないよう慎重に袖を通してくれた。


婆さんに巻いてもらった包帯が崩れないよう、前元の合わせを整え手早く紐を結んでいく。


だが、最後の一結びを整え終えたところで、クレアの指先がぴたりと止まった。


俺の胸元に触れたまま、クレアは顔を上げずに言った。


「……あんた、本当は、誰なの?」


心臓が跳ねた。


「誰って……カイだよ。頭を打って、いろいろ忘れてるだけで」


「それ、もういい」


クレアが上着の襟元を、ぎゅっと掴んだ。


「すぐ謝る。お客さんに、腰を九十度に曲げる。笑い方も、違う」


まっすぐに、冷たい言葉が胸に刺さる。


「それに、カイは人を頼らなかった。何でも一人で抱えこんで……今日のあんたみたいに、『クレア、火だ!』なんて、わたしに叫んだりしない」


襟を掴む指先に、ぎりぎりと力がこもる。


「わたしをかばって、自分の腕をえぐられたりもしない。ビッグボアの目に、燃えてる枝を突っこむなんて無茶もしない。カイは、勝てない喧嘩はしなかった。あんながむしゃらで不器用な戦い方……」


声が、わずかに震えていた。


「あれは、カイじゃない」


「……屍鬼だって、言うのか」


「別に、そうは言わないわよ。屍鬼は、ビッグボアからわたしをかばったりしないわ」


クレアは襟から手を離し、まっすぐに俺を見上げた。


「大環に還った魂は、洗われて生まれ直すんでしょ。だったら、還りそこねた魂が、違う体に戻ることだってあり得る。神官様だって言ってたわ。大環からはぐれて戻ってくる魂も、ごく稀にいるって」


この世界の人間は、魂の巡りを当たり前に信じている。これ以上、小細工のごまかしは通用しなかった。


俺は、静かに息を吐き出した。


「……気づいた時には、教会の棺の中だったんだ」


クレアの肩が、小さく跳ねた。


「前のカイの記憶は、何もない。クレアの言う通り、俺は別の誰かで、その魂がこの体に入ったんだと思う。でも、乗っ取ろうとして来たわけじゃない。本当に、気づいたらここにいたんだ」


元の世界のことは伏せた。そこまで話せば、それこそ狂言だと思われる。


「ハンナさんに拾ってもらって、今日はクレアに命を助けてもらった。……だから、この場所を壊すつもりはない。それだけは本当だよ」


階下からは、村人たちの陽気な笑い声がかすかに響いている。屋根裏には、沈黙だけが落ちていた。


「……そっか」


ぽつりと、クレアがこぼした。


「やっぱり、カイじゃないんだ」


握りしめたクレアのこぶしが震えていた。


乱暴に袖で目元をこすると、クレアは俺の上着の裾をぐっと引き下げてシワを伸ばした。


「条件が、二つある」


顔を上げたその目は赤かったが、声には強い芯が戻っていた。指を二本立てる。


「一つ。母さんには、絶対に言わないで。あの母さんから、もう一回カイを取り上げたくない」


「……わかった」


「二つ。外では『頭を打って記憶をなくしたカイ』でいること。中身が違うなんてバレたら、今度こそ屍鬼だって騒ぎになって焼かれるわよ」


「約束するよ。絶対に守る」


クレアはふっと息を吐き出した。


「……それで。あんた、これからどうする気?」


俺は机の上の手帳に視線を落とした。


「カイの手帳を読んだんだ。森の魔物のことや弱点が全部書いてあって……どこかへ報告しようとしていた形跡がある。あいつが何をしようとしていたのか、確かめたいんだ」


クレアはじっと俺を見つめ、それからふいっと視線をそらした。耳の先が、わずかに赤い。


「……あんたのためじゃないからね」


「え?」


「カイが何をしようとしてたのか、わたしも知りたいの。だから手帳を読むのも森の案内も手伝ってあげる。あんたのためじゃなくて、カイのためよ」


教科書レベルのツンデレっ子だな。


でも。


クレアが俺のために何かする理由なんて一つもない。カイのためと言われた方がよほど信じられる。


「よろしく頼むよ」


「ん」


前掛けの裾をぱんぱんと払うと、クレアは扉へ手をかけ、振り返った。


その顔は、いつもの気の強い幼なじみの表情に戻っていた。


「ほら、行くわよ、カイ。主役が遅れたら、母さんがおたま持って怒鳴り込んでくる」


「そうだね。行こう」


 ◇


広場は、まだ村中の人であふれていた。


真ん中に大きな焚き火。その上で、ビッグボアの肉がじゅうじゅうと脂を落としながら焼けている。


香ばしい匂いが夜風に乗って広がっていた。


もうみんな盛り上がっていて、すごく賑やかだ。


そこらじゅうから笑い声が聞こえる。「いー、ひっひっひっ」と言う声も聞こえた気がした。


「おう、来たか英雄!」


「ほら、こっち座れ、カイ!」


あっという間に、焚き火の前の一番いい席に座らされた。


左腕は、クレアがきつく巻き直した包帯ごと、首から布で吊っている。神官様の祈りで半分ふさがったとはいえ、肘から先にはまだ力が入らない。


その右手に、焼けた肉の串を握らされた。


ビッグボアの肉には、ふだんは祝い事の日にしか使わない、峠越しの高い塩がたっぷりと振ってあった。脂がじゅうっと音を立てて、塩の粒がきらきらと光っている。


「よくやったなあ、カイ」


「あのビッグボアが村に来たらひとたまりもないよ、ありがとうよ」


「お前がいなきゃ、クレアちゃんがどうなってたか」


次から次へと、村の人たちがやってきては俺の肩を叩いていく。


よくやった。


ありがとう。


お前がいなきゃ。


一つ言われるたびに、胸の奥がむずむずした。


日本では、どんなに大きな契約を取っても「おう」と言われるだけだった。


ミスをすれば、何時間でも怒鳴られる。うまくいけば、誰も何も言わない。それが当たり前だった。


――お前みたいなやつは、いてもいなくても同じだ。


あの言葉が、六年間、ずっと胸のどこかに刺さったまま生きてきた。


それが今、焚き火の明かりの中で、少しずつ溶けていく気がした。


いてもいなくても同じ、じゃなかった。


お前いたから、クレアは助かった。


そう言ってもらえることが、こんなに、うれしいなんて。


「……兄ちゃん、泣いてる?」


隣でポポが、肉の脂で口のまわりをてかてかにしながら、俺の顔をのぞきこんだ。


「泣いてない。煙が目にしみただけだ」


「ふーん」


ポポは、全然信じていない顔で尻尾をぱたぱたさせた。


 ◇


その後も宴は盛り上がり続けた。


俺は皆に酒を注いだり、焼けた肉を切り分けたりしていた。


「英雄がそんなことすんなよ。酒くらい自分で注ぐからよ」


なんて言われるが、とんでもない。


酒が空いたグラスあればすぐに注ぎなさい。

皆がつまみやすいように串外しなさい。

そんなのは不文律、最低限のマナーだ。


社会人はそう教わる。常識だ。


そんなことを考えていると、人垣の向こうから、のしのしと、ひげもじゃの男が歩いてきた。


ドワーフの鍛冶屋、グンターさんだ。


背は俺の胸くらいまでしかないのに、肩幅は俺の倍。腕は丸太のように太く、ひげは胸まで伸びている。葬式の日、俺が棺から起き上がった時に、真っ先に金槌を構えたのがこの人だ。


それ以来、グンターさんは俺と目が合うたびに腰の金槌に手を伸ばしていた。たぶん、まだ俺が屍鬼だと思っている。


そのグンターさんが、俺の前で、どっかりと腰を下ろした。


「……カイ」


「は、はい」


「すまなかった」


グンターさんは、ひげの奥からむすっとした声で言った。


「わしは、お前を屍鬼だと思っとった。だが、屍鬼は、村のためにビッグボアと戦ったりはせん」


それから、ビッグボアの角を顎でしゃくった。焚き火のそばに転がっているものだ。


グンターさんは、腰の金槌を抜いて自分の膝の上に置いた。その上に、太い手のひらをどんと乗せる。


「あの角、一本もらうぞ。お前の短剣の柄を、作ってやる。金槌にかけてな」


金槌にかけて。


あとでクレアに聞いたら、岩人《いわびと》――ドワーフが、命をかけるのと同じ重さで約束する時の言葉なのだそうだ。


「え、いいんですか」


「カイの短剣は、柄がすり減りすぎとる。あれじゃ、いざという時に滑る。三本角の角なら、百年使っても割れん」


ぶっきらぼうな言い方だった。でも、その目は温かかった。


「……ありがとうございます」


俺は、頭を下げた。


「やめろ、お前が礼をいうな。みんな、お前に感謝してるんだ。それより飲むぞ。酒だ。カイ、お前何か出来ないか。盛り上がれば何でもいい」


ほお、グンターさんは宴会芸をご所望か。


「では、楽しんでいただけるかわかりませんが・・・」


俺はそこら辺の白い布で、パパッと白鳥パンツを作り、白鳥の湖を踊った。


かつて接待で踊るために猛練習したやつだ。営業チームは全員出来たが、俺が一番うまかった。


「ぎゃはは!なんだお前その踊りは!」


「やめろ、その顔はやめろ!」


大ウケだった。クレアも、腹を抱えてケラケラ笑っていた。


ついさっき、屋根裏で目を赤くしていたのが、嘘みたいだ。


笑いすぎてにじんだ涙をぬぐいながら、クレアがこっちを見た。目が合うと、ふん、と鼻を鳴らして、口の形だけで言う。


――バカね。


それから、また吹き出した。


母さんには言わない。外では、カイでいる。


この村で、俺の中身を知っているのは、クレアだけだ。それが、なんだか少しだけ、心強かった。


 ◇


宴が、一番盛り上がっていた頃だった。


広場の入口のほうで、誰かが声をあげた。


「おい、あれ……」


人垣が、ざわざわと割れていく。


その向こうから、一人の老人が杖をつきながら歩いてきた。


裾が泥で汚れた、灰色の旅の外套。長い杖。背中には、使いこまれた大きな背負い袋。焚き火の明かりに、真っ白なひげが光っている。年のせいか、背中が少し前かがみだった。


「――おじいちゃん!」


クレアが、弾かれたように立ち上がった。


そして、人垣をかき分けて一直線に駆けていくと、老人の胸に思いきり飛びついた。


「おじいちゃん、おじいちゃん……っ!」


「おうおう、クレア。元気にしておったか」


老人は、杖を放り出して、クレアを抱きとめた。


その顔が、くしゃりと笑み崩れた。目尻に、深いしわが何本も寄る。


「父さん!」


続いて、ハンナさんも駆け寄っていく。


父さん。


ということは、この人は、ハンナさんの父親で、クレアのおじいちゃんだ。


「ギルさんだ」


隣で、木こりの男が教えてくれた。


「ハンナの親父さん、ギルバートさんだよ。あちこち旅して回ってて、半年に一度くらい、ふらっと帰ってくるんだ。珍しい土産話をたくさん持ってな」


そういえば、ハンナさんの家の二階には、誰も使っていない部屋が一つあった。あれは、このギルさんが帰ってきた時のための部屋だったのか。


クレアのじいさん、か。


じいさんは、クレアの頭をなでながらハンナさんと何か話している。


ハンナさんが、こちらを指さして何かを早口でまくし立てている。たぶん、今日のビッグボアのことだ。


じいさんの目が、俺を捉えた。


この人にとって、カイは赤ん坊の頃から知っている、孫のようなものだ。


つまり、この村で一番ごまかしのきかない相手だった。


そして、クレアを連れて、ゆっくりと焚き火のほうへ歩いてきた。


 ◇


「……カイ」


じいさんは俺の前に立つと、しばらく黙って俺の顔を見つめた。


上から下まで、何かを確かめるように。


それから、にっこりと笑った。


「本当に、生きとるんだな。村の入口で、宴に向かう連中から聞いた時は、耳を疑ったぞ。」


穏やかな声だった。


深い笑いじわの刻まれた顔に、人の良さそうな笑み。目を細めたまま、白いひげを楽しそうになでている。


どこからどう見ても、孫同然の若者の無事を喜ぶ優しいおじいちゃんだった。


「は、はい。おかげさまで、こうして生きています。……ご心配を、おかけしました」


俺は、腰を折って深々と頭を下げた。


その時視界の端で、ひげをなでていたじいさんの手がぴたりと止まったのがわかった。


顔を上げると、じいさんはさっきと同じ顔で笑っていた。


……気のせいか?


じいさんの後ろで、クレアが額に手を当てていた。


――お客さんに、腰を九十度に曲げる。


ついさっき、屋根裏で言われたばかりだった。


頭の中で、警報が鳴りっぱなしになった。


「しかも、天職が、盗賊から暗殺者に変わったらしいのう」


どきりとした。


「それも、入口で聞いた。」


じいさんは首をかしげて、俺の顔をのぞきこんだ。


その目は、笑っていた。


「まあ、大環から戻ったなら、そういうこともあるかもしれんな」


そして、からからと笑った。


「暗殺者か。物騒な響きだが、その暗殺者が、うちの孫をビッグボアから守ってくれたんだ。礼を言わせてくれ。孫娘を守ってくれて、どうもありがとう」


思いがけず誠実な口調で礼を言われ、「あ、いえ」とあやふやな返事になってしまった。


「さて、わしも腹が減った。ハンナ、肉をくれ。一番いいところをな」


「はいはい。帰ってきた早々、遠慮のない親父だよ」


 ◇


宴は、夜更けまで続いた。


ようやく解放された俺は屋根裏に直行し、寝床にもぐりこんだ。


枕の下に、手帳の硬い感触がある。


目を閉じる。


焚き火の匂いが、まだ髪に残っていた。


今日は、いろいろなことがありすぎた。


ビッグボア。青白い光。広場の歓声。グンターさんの角の柄。


それから、じいさんのあの目。


考えているうちに、いつの間にかうとうとしていた。


 ◇


ぎし、と。


階段がきしむ、かすかな音で目が覚めた。


真っ暗だった。宴の音は、もう聞こえない。窓から差しこむ二つの月の光だけが、屋根裏の部屋を青白く照らしている。


ぎし。


もう一度。


誰かが、階段を上ってくる。


俺は、寝床の中で身を固くした。


息を殺す。背中を丸める。


……いや、だめだ。


寝床で寝ている人間は、最初から、そこにいるとわかっている。この状態で消えてもすぐ看破される。かくれんぼで、さんざん確かめたことだ。


(ここで飛び起きたら、何を見ていたのかを聞かれる。それは、まずい。今は、寝たふり一択だ)


だから、寝たふりをするしかなかった。


まぶたを薄く開けたまま、呼吸だけを寝息のようにゆっくりと整える。


階段の上に、人影が現れた。


月明かりに、白いひげが光った。


じいさんだった。


じいさんは、足音を立てずに部屋の中へ入ってきた。


老人とは思えないほど、静かな足運びだった。床板が、ほとんど鳴らない。さっききしんだのは、わざとだったのだろうか。それとも、階段の一段だけが古いのか。


じいさんは、寝床の俺をちらりと見た。


それから、壁のほうへ歩いていった。


壁には、カイの短剣が掛けてある。


じいさんは、その短剣をそっと手に取った。


月の光にかざす。


刃を見て、柄を見て、すり減った柄の握りの部分を親指でゆっくりとなでた。


何度も。何度も。


まるで、そこに残っている誰かの手の形を、確かめるように。


「……カイ」


かすれた声だった。


聞こえるか聞こえないかの、小さな声。


広場で笑っていた人と、同じ人の声だとは思えなかった。


じいさんは、短剣を壁に戻した。


そして、今度は机のほうへ歩いていった。


引き出しを開ける。


ろうそくの燃えさし、紐、小さな砥石。


じいさんの手は、それらには目もくれなかった。


迷わず、引き出しの底に指をかけた。


かたん、と。


底板が外れた。


俺は息をのんだ。


二重底。


俺が、たまたま指で叩いて見つけた、あの隠し場所。


じいさんは、最初からそれがあることを知っていた。


月明かりの中で、じいさんが二重底の中をのぞきこむ。


そこにあるのは、布の包みが一つだけだ。


『クレアへ』と書かれた、カイの包み。


手帳はない。


手帳は今、俺の枕の下にある。


じいさんは包みを手に取り、表書きを見つめた。


しばらく、動かなかった。


それから、包みを元の場所に戻した。開けずに。


底板を、静かにはめ直す。引き出しを閉める。


そしてゆっくりと、こちらを振り返った。


寝床の、俺のほうを。


月明かりを背にしたじいさんの顔は、影になって、表情が見えなかった。


ただその目だけが、暗闇の中でじっと俺を見ていた。


長い、長い時間だった。


俺は寝息のふりを続けた。


枕の下の手帳がやけに硬く感じた。


その厚みまであの目に見透かされている気がして、一瞬本当に息が止まった。


心臓の音が、聞こえてしまうんじゃないかと思った。


やがて、じいさんは来た時と同じように、音もなく部屋を出ていった。


ぎし、と、階段の一段だけが鳴った。


足音が、遠ざかっていく。


暗闇の中で、俺は目を見開いたまま天井を見つめていた。


じいさんは、知っている。


カイの、手帳の隠し場所を。


カイが、何かを隠していたことを。


そして、その何かがなくなっていることを。


カイ。


お前と、あのじいさんは、いったい何を隠していたんだ。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


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作者のモチベーションが爆上がりし、更新速度が上がります!


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次回は明日19時頃に更新予定です。引き続きよろしくお願いいたします!

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