↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
4/21

ビッグボア変異種 前編

朝五時。


社畜の呪いが、今日ばかりはありがたかった。


まだ薄暗い食堂に下りると、ちょうどクレアが、背負い籠を担いで裏口から出ていくところだった。


「クレア。薬草採り、東の森だよね」


「そうだけど。何?」


「俺も行くよ。荷物持ちだから、いいだろ?」


クレアは、思いきり眉をひそめた。


「あんた、病み上がりでしょ」


「三日も休んだから、もう元気だよ」


本当のことは言えなかった。


カイの手帳に、三本角のビッグボアが薬草場の近くまで来ていると書いてあった。


そんなことを言えば、手帳を勝手に見たことも話さなきゃいけない。


それに、クレアは「じゃあ、なおさらわたしが行かなきゃ」と言い出しそうな気がした。


だから、荷物持ちだ。


クレアはしばらく俺の顔をじっと見ていたが、やがて、空の籠をもう一つ、俺に押しつけた。


「遅れたら、置いていくから」


背負い籠の下、クレアの腰には、細身の剣が一振り下がっていた。


鞘も柄も、使いこまれて黒ずんでいる。刃の幅は、指二本分もない。


「……薬草採りに、剣?」


「森には、魔物が出るの。護身用。おじいちゃんに、基本だけ習ってる」


クレアは、柄を、こつんと叩いた。


俺は屋根裏の壁から外してきた、カイの短剣を腰に差した。手帳は、懐に入れてある。


使うことがなければいいんだが。


心からそう思った。


 ◇


東の森は、村の裏手からなだらかに続く、明るい森だった。


木々の間から朝の光が差しこみ、足元には、名前のわからない草花が咲いている。


クレアは慣れた足取りで、ひょいひょいと進んでいく。

俺は、背負い籠を揺らしながら、その背中を追いかけた。


「これは、白鈴《しろすず》。熱冷まし。こっちは、赤糸草《あかいとぐさ》。傷の血止め」


クレアは歩きながら、草を指さして教えてくれる。


草を見分ける手に、迷いがない。葉の裏を一目見ただけで、摘むか捨てるかを決めていく。


「詳しいんだな」


素直に感心して言うと、クレアの手が、ぴたりと止まった。


「……そんなことない。これくらい、薬師見習いなら当たり前よ」


そっけない声だったが、髪の間からのぞく耳の先が、真っ赤になっていた。


見なかったことにして、目をそらす。


視界の端で、クレアの口元がニマッと緩んでいるように見えた。が、すぐに、きゅっと引き締まった。


しばらく黙々と葉を摘んでいると、クレアが、こちらを見ないまま口を開いた。


「ねえ」


「ん?」


「前のカイはね、そんなふうに笑わなかったよ」


手が、止まった。


「わたしたち、同じ揺りかごで育ったの。カイは赤ん坊の頃、村の入口に置かれてた子でね。母さんが引き取って、ちょうど生まれたばかりのわたしと、一緒に育てた」


孤児。


この体の持ち主は、親を知らない子だったのか。


「小さい頃は、よく笑ってた。でも、三年、いや四年くらいかしら。見回りをするようになってから、どんどん笑わなくなった。朝から晩まで見回り。夜も、ふらっと出かけていく。話しかけても、『ああ』とか『そうか』とか、それだけ」


クレアは、摘んだ葉を籠に放りこんだ。


「今のあんたのほうが、楽しそう。村の子たちも懐いてるし、母さんもよく笑うようになった」


「……それ、ほめてる?」


「ほめてない」


クレアの横顔は、怒っているのでも、悲しんでいるのでもなかった。何かを、こらえている顔だった。


「前のカイも、そんなふうに笑えばよかったのに」


俺は、何も言えなかった。


家族のために、働きづめに働いて、笑うことを忘れた男。


それは。


両親を亡くしたあと、十五歳だった妹を大学まで行かせるため、終電まで働き続けた俺と、どこか似ていた。


ひなたのために働いているはずだった。なのに、ひなたのことを、見れていなかった。


カイも、きっと同じだったのだ。


村を守るために、一人で魔物を調べ続けて。そのせいで、いちばん近くにいるクレアに、寂しい思いをさせていた。


懐の手帳が、少しだけ重く感じた。


 ◇


最初に気づいたのは、音だった。


鳥の声が、消えていた。


さっきまで、うるさいくらいに鳴いていたのに。


森が、しんと静まり返っている。


「……クレア」


「しっ」


クレアも、気づいていた。籠を下ろし、腰の細身の剣に手をかけている。


風に乗って、生臭い匂いがした。獣の匂い。それと、何かが腐ったような匂い。


めきっ。


前方の茂みの奥で、若木が一本、折れた。


めき、めきめきっ。


木を、なぎ倒しながら、何かが近づいてくる。


そして、茂みが割れた。


ビッグボアだった。


角の生えた、大きな猪の魔物。ゆうべ、食堂で聞いた名前だ。


普通のビッグボアは、子牛くらいの大きさで、角は鼻先に一本だけだという。


こいつは、違った。


手帳には、牛ほどの大きさ、とあったが・・・。


(全っ然違うじゃねえか!)


牛どころじゃなかった。


車だ。日本の道を走っていた、ワゴン車ほどもある。


もの○け姫の序盤に出てくる巨大な猪みたいだ。


背中は、苔むした岩のようにごつごつと盛り上がっている。


鼻から額にかけて、角が三本、縦一列に並んでいる。

鼻先の一本が一番長い。

俺の腕より、まだ長い。


小さな目が、赤く濁っていた。


「……変異、してるんだ」


声が漏れた。


手帳の、どのページにも書いてあった二文字。普通のビッグボアじゃない。普通じゃない何かに、変わってしまったビッグボアだ。


モンスターを初めて見た。


それは想像を超えて巨大で、生々しく、獣臭く、死の予感を容赦なく突きつけてくる。


恐怖で呼吸が早くなる。


足が、地面に縫いつけられたように動かない。


ビッグボアが、鼻を鳴らした。


頭を低くする。三本の角が、まっすぐこちらを向く。


後ろ足が、地面をかいた。


来る。


ヤバい、どうしたらいい?どっちに逃げたらいい?来る来る来る!!


「カイっ!」


腕を、ぐいっと引かれた。


クレアだった。


俺の腕をつかんで、思いきり引き飛ばす。


さっきまで俺が立っていた場所を、ビッグボアの巨体が、轟音とともに駆け抜けていった。地面がえぐれ、土と草が、雨のように降ってくる。


俺は、クレアと一緒に、大木の陰に転がりこんだ。


腕に、クレアの指の跡がじんじんと残っている。


――あの日、妹の腕を引いたのは、俺だったのに。


今度は、引かれる側だった。


「何ぼーっとしてんのよ、ばか!」


クレアが、息を荒くしながら怒鳴った。その手も、震えていた。


 ◇


ビッグボアは、少し先で足を止めて、こちらへ向き直っていた。


鼻をひくつかせて、匂いを探している。


俺とクレアは、大木の幹に背中を押しつけて、息を止めた。


ビッグボアが、ゆっくりと、こちらへ歩いてくる。大木を、回りこむように。


幹一本では、隠れきれない。

横に回られたら、二人とも丸見えだ。


(消えろ。消えろ)


背中を丸める。呼吸を、浅く、細く、長く。いつもの、あの姿勢。


でも、だめだった。


すぐ隣で、クレアが、俺の顔を見ていた。


誰かに見られている間は、消えられない。かくれんぼで、さんざん確かめたことだ。それは、味方の目でも、同じだった。


それに、たとえ俺一人が消えたって、クレアは消えられない。


「……カイ」


クレアが、唇だけで言った。


「あんた、隠れるの、得意でしょ」


「……え」


「食い逃げの時から、ずっと見てた。あんたのいるとこ、ときどき、わたしにも見えなくなる」


気づかれていた。


クレアは、ふっと笑った。こわばった、下手くそな笑い方だった。


「だったら、あんたは隠れてなさい。あいつは、わたしが引きつける」


「は? 何言って――」


止める間もなかった。


クレアは、ビッグボアが回りこんでくるのとは反対の側から、大木の陰を飛び出した。そして、わざと大きな声をあげた。


「こっちよ、豚っ!」


ビッグボアが、吠えた。


地面を蹴り、クレアを追う。


クレアは、木と木の間を縫うように走った。ビッグボアの巨体が、そのたびに木の幹にぶつかり、樹皮が弾け飛ぶ。


大木の陰に、俺だけが残された。


誰も、俺を見ていない。


緊張で浅くなった息を、なんとか殺す。背中を丸める。


今度は、体のまわりに、薄い膜が張った。膜の内側で、森の色が一段沈み、音が遠くなる。


クレアの足が、太い木の根元で止まった。


その先は、切り立った岩場だった。俺の隠れている大木から、二十歩ほど先だ。


追いつめられた。


クレアは、岩を背にして、細身の剣を構えた。半身になって、切っ先を、まっすぐビッグボアに向ける。


素人の俺が見ても、きれいな構えだった。腰が落ちて、背筋が通って、体の線がまっすぐに切っ先へ集まっている。おじいさんに基本だけ習った、と言っていたな。


だが、その切っ先が、小刻みに震えている。


そして、剣が細い。刃の幅は、指二本分もない。軽くて、まっすぐで、打ち合いができそうにない。


ビッグボアの背中は、苔むした岩だ。肩も、首も、ごつごつとした灰色の塊に覆われている。


あの剣では、どう見ても通らない。縫い針で、石垣を刺そうとするようなものだ。


刃の立つ場所なんて、どこにもない。


クレアにも、それは、わかっているはずだった。


それでも、切っ先は、下がらなかった。


ビッグボアが、ゆっくりと、頭を下げた。


俺は、大木の陰で、息を殺したまま、それを見ていた。


ビッグボアがいることは知っていた。


ゆうべ、手帳で読んでいた。三本角。背は岩のように固く、刃が通らない。


『薬草場まで、あと半日。』


そのメモを見たから、ついてきたんだ。


守るつもりで。


でも、恐怖でその覚悟は吹き飛ばされた。


逃げたい。


頭の中が、その一言で埋まった。


隠れていれば、俺は助かる。ビッグボアは、クレアしか見ていない。今なら、来た道を戻れる。


森を出て、村まで走れる。誰にも、見られずに。


俺の足が、一歩、後ろに下がった。


勝手に、じゃない。俺が、下げたのだ。


足の裏で、落ち葉が、かさりと鳴った。


その音で、我に返った。


――ちょっと待て。今、俺は、何をしようとした。


指先が、氷みたいに冷たかった。


知っている。この感じを、知っている。


隣の席の佐伯が、部長に詰められていた時。俺は、こうして息を殺して、聞こえないふりをした。怖くなったら、気配を消して、嵐が過ぎるのを待つ。誰かが追いつめられていても、自分だけは、やり過ごす。


いつもそうだ。気配を消して、やり過ごすのが俺だった。


六年間、ずっと、そうやって生きてきた。


臆病で、無責任な、俺のまま。


……何のために、ここに来た。


荷物持ちだなんて、嘘をついてまで。


手帳を読んで、クレアが毎朝行く薬草場に、こいつが迫っていると知って。それで、ついてきたんだろう。


守るためだ。


ここでまた逃げたら、俺は、一生、あの頃の俺のままだ。死んで、生まれ変わって、世界まで変わったのに。


変わるんだ。


今、ここで。


下がった足を、もう一度、前に戻した。


『背は岩のように固く、刃が通らない。火を嫌う。腹はやわらかい。前足を上げた瞬間が狙い目』


カイ先輩が、命がけで調べた、このビッグボアの倒し方。


そして、クレアの腰には、薬草をいぶすための、火打ち石の小袋がぶら下がっている。


まだ、手はある。


今まで、《隠密》は、自分が見つからないために使ってきた。食堂のカウンターの陰でも、かくれんぼでも、さっきの大木の陰でも。


でも、今度は違う。


隠れるためじゃない。誰かを、助けるために、使う。


俺は、息を殺したまま、大木の陰から一歩、踏み出した。


そして、腹の底から叫んだ。


「クレア、火だ! 時間は、俺が作る!」

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


もし少しでも「面白い!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、


ページ一番下にある、


【☆☆☆☆☆】を

【★★★★★】にして評価をいただけると、


作者のモチベーションが爆上がりし、更新速度が上がります!


ブックマーク登録もぜひよろしくお願いします!


次回は明日19時頃に更新予定です。引き続きよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。