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18/21

書庫の街、ミルフェ

ミルフェの町は、にぎやかだった。


城壁も、門番もない。街道がそのまま、石畳の通りになって、町の中へ続いている。


通りの両側に、色とりどりの家が並んでいた。若草色の壁に、桃色の窓枠。空色の扉に、ひまわり色の屋根。軒先では、パンの形や、鍋の形や、長靴の形の看板が揺れ、屋根の上では、魚の形の風見がくるくると回っている。


町の真ん中を、川が流れていた。底の小石まで透けて見える、浅く澄んだ川だ。日の光を受けた水面が、きらきらと、光の粒を散らしている。


その川をはさんで、町は、東と西に分かれていた。


川沿いの広場では、旅芸人が、色とりどりの玉を宙に放り上げて、くるくると操っていた。子どもたちが、手を叩いて笑っている。屋台からは、甘い焼き菓子の匂い。


広場の真ん中には、俺の背丈の三倍はありそうな、真鍮の大きな鐘が据えつけてあった。


「あれ、なんですか」


「町の鐘だ。日に三度、鳴る。朝と、昼と、夕にな」


にしてはデカすぎるだろ。


コレット村の教会の鐘とは、桁が違う。鳴ったら、耳が壊れそうだ。


「にぎやかな町ですね」


「この辺りでは、一番大きな町だからな」


じいさんは、人波の間を、すいすいと抜けていく。


「この町にも、書庫がある。カイの報告が、届くはずだった場所だ」


途中、じいさんは、表通りから一本外れた、細い裏通りを抜けた。


空気が、変わった。


色とりどりの家並みの裏側に、煤けた古書店や、何を売っているのかわからない骨董屋が、ひっそりと軒を並べている。占いの館なんてのもある。


裏通りを抜けると、川のほとりに出た。


川べりに並ぶ家々の中に、円い屋根の建物が一つ、まぎれていた。


まわりの家より、少し大きいくらい。壁は、くすんだ若草色。言われなければ、気にも留めずに通り過ぎてしまいそうだ。


「あれが、書庫だ」


円い屋根の頂に、小さな灯が、昼間なのに、ぽつりと灯っていた。


近くで見ると、それは、ガラスのランタンだった。


ランタンの中で、一つの炎が、燃えている。


カイの手帳の、裏表紙と同じ形。


灯守の紋章と、同じ形だった。


「……あれ、いいんですか。あんな目立つところに」


「誰も、気にせんよ」


じいさんは、にやりと笑った。


「書庫の灯は、知恵の灯。消してはならん灯。どこの町の書庫にも、灯っておる。町の者は、みんな、そう思っておる。表向きはな」


表向きは。


ここが、灯守の隠れ家。


カイが、月に一度、報告を送っていた場所。


 ◇


書庫の中は、ひんやりとしていた。


円い広間の壁に沿って、背の高い本棚が、ぐるりと並んでいた。二階の回廊にも、本棚。紙と、革と、古いインクの匂い。


あちこちの机で、学者たちが、静かに本を読んでいた。ページをめくる音と、ペンが紙を走る音しか、聞こえない。


クレアが、ぽかんと口を開けて、本棚を見上げていた。


「……すごい。こんなにたくさんの本、生まれて初めて見た」


若草色の目が、きらきらしている。コレット村にある本といえば、教会の祈りの本と、食堂の帳面くらいだ。


(……市の図書館くらいか)


正直な感想は、それだった。日本の市立図書館なら、これくらいの本は普通にある。


でも、この世界には、印刷機がない。ここにある本は、全部、誰かが一文字ずつ手で書き写したものだ。一冊作るのに、何か月もかかるのかもしれない。


そう思うと、棚の一段一段が、とんでもない手間と時間の積み重ねに見えてきた。


(この世界にとっては、とんでもない量なんだろうな)


「……何冊あるの、これ」


「三千冊ほどだと聞いたな。この地方では、一番の書庫だ」


「三千っ……!」


クレアは、オーマイガッ!みたいな顔で本棚を見上げたまま、しばらく動かなかった。


その後も若草色の目が、きらきらしていた。口が、ぽかんと半開きになっている。


棚から棚へ、目が忙しく飛び移る。薬草の本はどこだろう、とでも探しているのか、つま先立ちになって、体が右へ左へ揺れている。


いつものツンとした顔が、どこにもなかった。祭りの屋台を前にした、子どもの顔だった。


「……薬草の本、あるかな。あるよね。三千冊もあるんだもん」


誰に言うでもなく、そうつぶやいて、また背伸びをした。


じいさんは、広間を横切り、奥の小さな扉の前で、足を止めた。


扉には、何の飾りもなかった。物置の扉にしか見えない。


ここだけ周りから死角になっていて見られない。


じいさんは、その扉を、杖の先で叩いた。


こん。


こん、こん。


しばらくして、扉の向こうから、こん、こん、と二度、返ってきた。


扉が、内側から開いた。


その先は、下へ続く、石の階段だった。


 ◇


階段を、ずいぶん長く下りた。


壁に、ランタンが、等間隔に灯っている。どれも、中で一つの炎が燃えている。


やがて、階段は、地下の広い空間に出た。


上の書庫と同じように、壁一面が本棚になっている。でも、こちらの棚に並んでいるのは、本ではなく、紐で綴じた紙の束だった。何千、何万という束が、ぎっしりと詰まっている。


そのあちこちで、人が働いていた。


紙の束を広げて、何かを書き写している者。壁に貼られた大きな地図に、ピンを刺している者。鳥かごの前で、灰色の鳥の足から、小さな紙を外している者。


あの鳥だ。


じいさんが、井戸のそばで飛ばしていた、あの灰色の鳥。


「各地の灯守から届いた報告だ」


じいさんが、壁の棚を示した。


「この棚の、どこかに、カイの報告も綴じてある。四年分な」


四年分。


月に一度。四十八通。


カイは、それだけの報告を、ここへ送っていたのだ。


地図の前で、ピンを刺していた男が、こちらを振り返った。じいさんを見て、目を見開く。


「ギルバート殿! お戻りでしたか」


そういえば、じいさん、名前はギルバートだったな。


「おう。賢者殿は、まだおられるか」


「ええ、奥の部屋に。ふだんは大陸じゅうの書庫を渡り歩いておられる方が、カイ殿の消息が途絶えたと聞いて、ここに腰を落ち着けておられます。ギル殿の鳥が着いてからは、ずっとそわそわしておられて」


男は、それから、俺のほうを見た。


上から下まで、珍しいものを見るような目で。


「……その方が、例の?」


「例の、だ」


例の。


俺は、何と書かれていたのだろう。


 ◇


奥の部屋は、小さな書斎だった。足の踏み場がなかった。


壁際に、本が、床から天井まで、無造作に積み上げられている。

崩れかけた本の塔が、いくつも。


机の上も、本と紙と、飲みかけのお茶の杯で、埋まっていた。


その、本の山の向こうから、声がした。


「おお、来たね、来たね!」


本の塔の陰から、一人の老人が、ひょこりと顔を出した。


小柄な老人だった。背中が丸まっていて、目の高さは、クレアとほとんど変わらない。


真っ白な髪を、後ろでひとつに束ねている。真鍮の縁の、丸い眼鏡。しわだらけの顔。長衣の袖口には、インクの染みが、いくつもついていた。


老人は、本の塔をよけながら、こちらへ歩いてきた。途中で、一つの塔を肘で引っかけた。


本の塔が、ぐらりと揺れた。


老人は、くるりと振り返り、倒れかけた塔を、両手で、ひょいと支えた。


「おっと、と。危ない、危ないねえ」


一番上の本が、老人の頭の上に、ぽすんと落ちた。


老人は、頭に本を乗せたまま、にっこりと笑った。


「やあ、ギル。よく帰ってきたね。それから、クレアちゃんだね。大きくなったねえ。最後に会ったのは、君がまだ、おしめをしていた頃だったかな」


「お、おしめ……」


クレアの顔が、真っ赤になった。


老人は、頭の本を手に取って、本の塔のてっぺんに戻した。


それから、俺の前に立った。


眼鏡の奥の目が、俺を見上げた。


穏やかな、灰色の目だった。


「そして、君が、カイくんだね」


その目が、ほんの少しだけ、細められた。


「いや。カイくんの体に入っている、誰かさん、と言ったほうがいいのかな」


俺は、息をのんだ。


「僕は、ゼフィル。あちこちの書庫を渡り歩いている、ただの本の虫さ。みんなからは、書庫の賢者、なんて呼ばれているがね。

大げさな名前だよね」


ゼフィルさんは、俺の手を取って、両手で、しっかりと握った。


小さくて、乾いた、あたたかい手だった。


「ようこそ、書庫へ。遠いところを、よく来てくれたね」


 ◇


「ギルの手紙、読んだよ」


ゼフィルさんは、俺たち三人に、お茶をいれてくれた。机の上の本を、腕でざっと押しのけて、杯を置く場所を作る。


「崖から落ちたカイくんの体が、葬式の最中に起き上がった。職業が、盗賊から暗殺者に変わった。三本角のビッグボアを、一突きで倒した。ダイアウルフの頭も、一突きで倒した。それから――」


ゼフィルさんは、くっくっと笑った。


「最後の一行が、傑作だったね。『わしには、あれが、恐ろしい』だってさ」


「ゼフィル」


じいさんが、苦い顔をした。


「ギルがね、四十年以上の付き合いで、僕に何かを恐ろしいなんて書いてきたのは、初めてなのさ。だからね、どんな化け物が来るのかと、ずっと楽しみにしていたんだよ」


ゼフィルさんは、俺を、上から下まで、しげしげと眺めた。


「なんだ。人の良さそうな、普通の若者じゃないか」


ゼフィルさんは、楽しそうに笑った。


なんというか。


つかみどころのない、おじいちゃんだった。


じいさんの時は、頭の中で警報が鳴りっぱなしだった。でも、この人には、なぜか、まったく鳴らない。


本の塔を倒しかけて、頭に本を乗せて、本当に楽しそうに笑っている。


俺は、肩の力を抜いた。


 ◇


ひとしきり笑ったあと、ゼフィルさんは、杯を置いた。


その顔から、笑みが、すっと引いた。


「さて。まずは、大事な話から済ませようか」


ゼフィルさんは、俺を見た。


「ギルの手紙には、もう一つ、書いてあったね。カイくんの最後の報告を、君が持っている、って」


俺は、うなずいた。


懐から、革の手帳を取り出した。


村を出てから、ずっと、服の上から押さえてきた手帳。


カイの、几帳面な字。炭のスケッチ。村のまわりの地図と、×のついた、赤い印。


雨ににじんだ、最後のページ。


差し出そうとして、手が、止まった。


この手帳を渡したら、俺に、何が残るんだろう。


ビッグボアを倒せたのも、ダイアウルフの頭を倒せたのも、アーマーベアを倒せたのも、この手帳があったからだ。カイ先輩の教本があったから、俺は、ただの空気じゃなくて、村の役に立つ誰かでいられた。


手放したくない。


一瞬、本気で、そう思った。


カイの最後の報告を届けに、ここまで来たのに。


腹を括り、俺は右手で手帳を持ち、まだ力の戻りきらない左手の指を、そっと添えて、差し出した。


「カイの、最後の報告です」


声が、少し、震えた。


「遅くなって、すみません」


ゼフィルさんは、すぐには受け取らなかった。


しばらく、俺の手の上の手帳を、じっと見つめていた。


それから、両手で、そっと、受け取った。


まるで、壊れものを扱うように。


「……確かに、受け取ったよ」


静かな声だった。


「よく、届けてくれたね。カイくんも、きっと、ほっとしているさ」


その一言で、胸の奥に、ずっと詰まっていたものが、すうっと、ほどけていった。


届いた。


カイの報告が、やっと、届いた。


隣で、クレアが、膝の上で拳を握りしめていた。その目が、少しだけ、潤んでいた。


 ◇


ゼフィルさんは、手帳を開いた。


一ページずつ、ゆっくりと、めくっていく。


日付。場所。魔物の特徴。弱点。


ゼフィルさんの指が、ページの端を、そっとなでていた。


「……几帳面な子だったんだよ」


ぽつりと、言った。


「報告は、いつも、時間どおりに届いた。字は、いつも、きれいだった。それにね、頼んでもいないのに、魔物の弱点まで、毎回、書き添えてあったのさ。僕は、それが、いつも楽しみでね」


ゼフィルさんは、最後のほうのページで、手を止めた。


雨ににじんで、紙がごわごわと波打っている、あのページ。


「ここだね」


「はい。にじんで、ほとんど読めなくて。最後の一行だけ、『点をつなぐと――』って」


ゼフィルさんは、うなずいた。


それから、机の引き出しから、小さな瓶を取り出した。


薄い青色の液体が、入っていた。


ゼフィルさんは、細い筆を瓶にひたし、にじんだページの上に、その液体を、薄く、薄く、塗っていった。


「書庫の古い技でね。水ににじんだインクを、もう一度、浮かび上がらせるのさ」


液体が、紙にしみこんでいく。


すると。


にじんで、ぼやけていたインクが、ゆっくりと、輪郭を取り戻し始めた。


まるで、霧が晴れていくように。


一文字、また一文字と、カイの几帳面な字が、浮かび上がってくる。


俺も、クレアも、じいさんも、身を乗り出して、その文字を見つめた。


ゼフィルさんが、浮かび上がった文字を、ゆっくりと読み上げた。


「『変異は、村のまわりだけではない。峠の向こう、街道沿いの村々でも、同じことが起きている。日付を並べると、変異は、東から、波のように広がってきている』」


東。


「『波の、来る方角をたどると、水都がある』」


「水都……」


クレアが、つぶやいた。


宿場町で、商人が言っていた。水都で、パンの値段が上がっている、と。


ゼフィルさんは、続けた。


「『水都の協力者から、ふた月、連絡が途絶えている。こちらから送った鳥も、戻ってこない』」


部屋の空気が、少しだけ、冷たくなった気がした。


「『次の報告で、確かめたことを知らせる。点をつなぐと――』」


そこで、文字は、途切れていた。


その先は、雨ではなく、もともと、書かれていなかった。


カイは、ここまで書いて、何かに気づいて、手を止めたのだ。


そして、雨の中へ、出ていった。


 ◇


長い沈黙だった。


ゼフィルさんは、浮かび上がった文字を、じっと見つめていた。


その指が、最後の一行、『点をつなぐと――』の上で、止まっていた。


長い、長い間。


眼鏡の奥の灰色の目が、何を考えているのか、俺には、わからなかった。


やがて、ゼフィルさんは、そっと手帳を閉じた。


「……ありがとうね」


小さく、そう言った。


誰に向けた言葉なのか、わからなかった。俺に、なのか。カイに、なのか。


「この報告は、確かに、受け取ったよ。カイくんが命をかけて確かめようとしたことは、僕らが、必ず引き継ぐからね」


ゼフィルさんは、手帳を、机の上に置いた。


その上に、そっと、手のひらを重ねた。


それから、顔を上げた。


その目に、また、あのお茶目な光が戻っていた。


「さて」


ゼフィルさんは、俺を見て、にっこりと笑った。


「カイくんの報告は、届いた。だからね、次は、君の番なのさ」


「……僕の、番、ですか?」


「ギルはね、君が何者なのか、僕に見極めてほしいって書いてきたんだよ。僕も、知りたいのさ。どうしても、ね」


ゼフィルさんは、眼鏡を外して、長衣の袖で、レンズを拭いた。


それから、もう一度、かけ直した。


灰色の目が、まっすぐに、俺を見つめた。


さっきまでの、おじいちゃんの目ではなかった。


何千冊、何万冊の本を読み、何百年分の記録をひもといてきた、学者の目だった。


「君の魂を、見せてもらおうかな」


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


もし少しでも「面白い!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、


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作者のモチベーションが爆上がりし、更新速度が上がります!


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次回は明日の朝7時10分頃に更新予定です。引き続きよろしくお願いいたします!

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