逆算
タイトルを変更しました。詳細は後書きにてm(_ _)mペコリ
書庫のあるミルフェの町までは、街道を歩いて五日かかるという。
一日目は、ひたすら歩いた。
左腕は、まだ吊ったままだった。肩とふくらはぎの傷は糸が抜けたばかりで、歩くたびに薄い皮が突っぱった。
村を出てしばらくは、見慣れた畑と林が続いた。それがやがて見たことのない丘になり、見たことのない川になり、見たことのない森になった。
外の世界って感じだ。
道端に、見たことのない花が咲いていた。空を見たことのない鳥が飛んでいた。すれ違う荷馬車を引いているのは、馬ではなく、首の長い大きなトカゲのような生き物だった。
「なんですか、あれ」
「荷トカゲだ。馬より力があって、餌も少なくてすむ」
「荷トカゲ……」
(ネーミングがそのまんまじゃねえか!)
それでも俺は、首の長いトカゲが荷車を引いてのしのし歩いていく後ろ姿を、見えなくなるまで眺めていた。
ゲームの中でしか見たことのない世界が、本当に目の前に広がっている。
「……あんた、子どもみたい」
隣でクレアが、あきれたように言った。
「ポポと変わらないじゃない」
「仕方ないよ。全部、初めて見るんだから」
景色を見ながら歩くのが、こんなに楽しいなんて知らなかった。
◇
日が暮れる前に、街道沿いの小さな林で野営をすることになった。
じいさんが手際よく火をおこす。クレアがハンナさんの弁当の包みを開く。
アウトドアが何もできない俺は、言われるままに枯れ枝を集めた。
今のうちにちゃんと教わらないとね。
焚き火を囲んで、ハンナさんの弁当を食べた。
固く焼いた黒パンに、干し肉と酢漬けの野菜。それに、ビッグボアの肉の燻製。
「……うまい」
「母さんの燻製は、村で一番だからね」
クレアが少しだけ得意げに言った。
焚き火がぱちぱちとはぜる。
火の粉が夜空に舞い上がって、消えていく。
空には、二つの月と数えきれないほどの星。
日本の夜空では、星なんて数えるほどしか見えなかった。
「ギルさん」
俺は焚き火の向こうのじいさんに声をかけた。
「ダイアウルフの時のあの剣。ただの旅のじじいじゃ、ないですよね」
じいさんは燻製をかじりながら、ちらりと俺を見た。
それから、仕込み杖をそっと膝の上に置いた。
「……昔、王都で騎士をしておった」
「騎士?」
「王家の、近衛の騎士だ。もう二十年以上も前の話だがな」
クレアが目を丸くした。
「おじいちゃん、そんなの一度も言ったことないじゃない」
「言っても自慢にもならんからな。若い頃の話だ。そのうち、いろいろあって騎士をやめて旅に出た。灯守に入ったのは、その頃だ」
いろいろ、の中身は話してくれなかった。
じいさんは焚き火を見つめながら、別の話を始めた。
「カイがな、九つの時だった。わしが旅から帰ったら、あの子が木の枝を削って、短剣のようなものを作っておった。わしの真似をしたかったらしい」
クレアが顔を上げた。
「それで、その枝の短剣を握って、わしに勝負を挑んできた。九つの子どもがだぞ。わしは手加減してやろうと思った。そしたら、あの子は正面から来ると見せかけて、いきなりわしの足元の草むらに飛びこんで、消えた」
「消えた?」
「いや、本当に消えたわけではない。草むらに伏せて、じっと息を殺しておったんだ。わしが探しておる間に後ろに回りこんで、枝の短剣でわしの尻を突いた」
じいさんは、くっくっと笑った。
「その時、思ったよ。この子はいい斥候になる、とな」
クレアが、ふっと笑った。
それから焚き火を見つめたまま、小さく言った。
「……知らなかった。カイの、そんな話」
「お前には内緒にしてくれと頼まれた。わしの尻を突いたなんてクレアに知られたら、怒られるとな」
「怒るに決まってるでしょ、おじいちゃんのお尻なんて」
クレアは笑いながら、少しだけ目元をぬぐった。
焚き火が、ぱちりとはぜた。
◇
翌朝、じいさんに稽古をつけてもらった。
「まず、短剣の持ち方だ」
じいさんは俺の手から角の柄の短剣を取り、くるりと回して、刃を下に向けて握り直させた。
「逆手だ。刃を小指の側から出す。お前さんの戦い方は、正面から斬り合うことではない。背後から一突きにすることだ。なら、逆手のほうが力が入る」
言われたとおりに握ってみる。
確かに、腕を振り下ろす動きと刃の向きが、ぴたりと合う。
「それから、足運び」
じいさんは俺の足元を見た。
「ダイアウルフの時、煙の中で足音と息を合わせて歩いておったな。あれは見事だった。誰に習った」
「……会社で」
「かいしゃ?」
「上司の後ろを、気づかれないように通り抜ける時の歩き方です」
じいさんは、なんとも言えない顔をした。
「……お前さんの職場は、戦場か何かだったのか」
「似たようなものです」
じいさんは咳払いをして、話を戻した。
「足音と息を合わせるのは、いい。だが、まだ足の裏が硬い。かかとで地面を踏んでおる」
じいさんは自分で歩いてみせた。
つま先から、そっと地面に置く。足の裏の外側から内側へ、ゆっくりと体重を移していく。膝は少しだけ曲げたまま。
落ち葉の上を歩いているのに、音がまったくしなかった。
「足の裏で、地面と話をするつもりで歩け。落ち葉があれば、その下の土を探す。小枝があれば、その隙間を探す。そうすれば、お前さんの隠密はもっと化ける」
俺は言われたとおりに歩いてみた。
つま先から。外側から内側へ。膝を少し曲げて。
ぱきっ。
小枝を踏んだ。
「……化けるまでには、まだだいぶかかりそうだな」
じいさんは、からからと笑った。
隣では、クレアが細身の剣で突きの稽古をしていた。
半身に構えて、後ろ足で地面を蹴る。体ごと前に滑りこんで、切っ先をまっすぐ。ひゅっ、と空気が裂ける。すぐに下がって、また突く。
「お前は、筋は悪くない」
「……そんなことない。まだまだよ」
クレアは切っ先を見たまま、素っ気なく返した。でも、髪の横からのぞく耳の先が赤くなっていた。
「だが、肩に力が入りすぎだ。突きは腕で出すな。足で出せ」
「わかってる!」
「わかっとらんから、言っとる」
「わかってるってば!」
祖父と孫の言い合いを聞きながら、俺は小枝を踏まないように歩きつつ、聞いてみた。
「クレアの剣って、ずいぶん細いですよね。斬るというより、突く剣みたいな」
「突く剣だ。あの子の天職は、フェンサーでな」
ほお、ほお!ほお!!
フェンサーか〜。
いいな。かっこいいな。憧れちゃうな。
俺も聖騎士とか、かっこいいのが良かったよ。
「ちなみに、ギルさんは?」
「…わしは聖騎士だ」
マジっかよ!どうなってんだよこの家族!!
ぐぬぬぬぬと心の中で血の涙を流していると、じいさんが続けた。
「クレアはな、十五の刻みの儀でそう出た。だが、辺境の村にフェンサーの仕事なんぞない。村の連中には『食堂の娘が、剣士さまか』と笑われてな。あの子は、それきり天職の話をせんようになった」
じいさんは、突きを繰り返すクレアの背中を見ていた。
「せめて身を守れるようにと、わしが基本だけ教えた。あの剣も護身用に持たせてやった。コレットの村には元々強い魔物はおらんから、あれで十分だった。型は、いい。わしが教えた以上に、いい。孫の贔屓目と思われそうだが、筋は良い」
「おじいちゃん、余計なこと言わないで!」
クレアが突きの手を止めて、こっちをにらんでいた。耳まで真っ赤だった。
クレアはふんと鼻を鳴らして、また突きの稽古に戻った。さっきより動きが早くなっている。
道端の木の幹に向かって、半身に構える。
後ろ足で地面を蹴った。肩ではなく、足から。体がするりと前に滑りこむ。
ーシュッ。
鋭い音がして、切っ先が樹皮の一点に吸いこまれた。
素人目にもわかる。今のはよかった。
一番静かで、鋭い一突きだった。
クレアは剣を引くと、くるりとこちらに背を向けた。
片手で口元を押さえている。肩が小さく揺れている。
後ろ姿なのに、わかった。あれはニマニマしている。一人で噛みしめている。
見なかったことにしよう、と思って一歩踏み出した。
ぱきっ。
「足の裏が硬いと言うとるだろう。また踏んだぞ」
じいさんの声に、クレアがぱっと振り返った。
俺の足元の、折れた小枝を見る。それから俺の顔を見る。
口元を押さえていた手が下りた。
今度は、隠す気がまるでなかった。あごを少し上げて目を細めて、思いきりニマニマした顔をまっすぐ俺に向けてくる。
――わたしのほうが、上手い。
顔に、そう書いてあった。
「……なにかな?」
「何も言ってないわよ?」
ニマニマしたまま、クレアはまた木に向き直った。
(くっそ、ドヤ顔がかわいいのが腹立つ!)
俺はそれを横目に見ながら、また小枝を踏んだ。
◇
二日目の昼過ぎ、道は山道に入った。
山の向こうへ抜ける峠道だ。
俺は懐からカイの手帳を取り出した。
地図を広げる。
『山向こうの峠。背中に棘の生えたアーマーベア。左の後ろ脚をかばう癖あり』
村のまわりの地図に、最後に残っていた赤い印。
「……ギルさん。この峠って」
「ああ。その峠だ」
じいさんも、それを知っていたようだった。
「書庫へ行くには、この峠を越えるのが一番早い。アーマーベアが出るなら、出たで片づけていけばいい」
さらりと、とんでもないことを言う。
「片づけるって……巨大な熊の魔物ですよね?」
「お前さんたちは、三本角のビッグボアとダイアウルフの頭を倒した。今は3人いる。アーマーベア一頭くらい、どうということはあるまい」
クレアが、ごくりと唾を飲んだ。
俺も飲んだ。
熊を舐めすぎてないか?
今の日本でそんなこと言ったら、じいさん、SNSで大炎上するよ?
「……片づけるって、どうやってですか。アーマーベアですよ。正面から行ったら、僕なんか一発で終わりです」
「正面から行かんでいい」
じいさんは、峠道の脇の平らな地面の前で足を止めた。
杖の先で、土の上に一本の線を引く。
「いいか、カイ。暗殺者の戦いはな、一撃必殺だ。最初の一撃で仕留める。仕留めそこなえば、それで終わりだと思え。お前さんは体も守りも薄い。真正面から爪を一発もらえば、それまでだ」
「……はい」
「それに、手を出せば相手は痛みで振り向く。振り向かれて見られれば、姿が出る。姿が出れば狙われる。姿が出る一撃を入れるなら、そのあとどこへ消えるかまで決めてからにしろ」
ビッグボアの時も、ダイアウルフの時もそうだった。一撃で決まったから助かった。決まらなかったら、と思うと今さら背中が冷たくなる。
「だから、逆算して考えろ」
じいさんは、線の先に小さな点を一つ打った。
「まず、どこを突けば仕留められるかを決める。魔物でも人でも、急所は必ずある。ただし、お前さんの刃が届く急所でなければ意味がない」
点の手前に、もう一つ印をつける。
「次に、その急所がいつ、どうすれば無防備になるかを考える。怒った時、痛がった時、何かに気を取られた時。その一瞬を、いつ誰がどうやって作るか」
じいさんは、点の手前にもう一つ小さな点を打った。
「一度で届かん相手なら、段取りを二つ、三つに分ければいい。最初の一撃で足を奪い、次の一撃で仕留める。それでもかまわん」
線の手前に、小さな丸を二つ描く。
「そして、その隙を作るのがわしらの仕事だ。わしと、クレアのな」
クレアが顔を上げた。
「わしらは攻めんでいい。倒そうとせんでいい。正面で相手の目を引きつけて、守りを固めて、払って、いなして、相手の体勢を崩す。それだけでいい。攻めんのだから、無理に間合いに踏みこむこともない。安全に戦える」
じいさんはクレアを見た。
「ビッグボアの時、お前は火でビッグボアを引きつけたそうだな。斬りかかろうとはせずに。あれでいい。あれが仕事だ」
クレアの頬が、少しだけ赤くなった。
それから、じいさんは俺に向き直った。
「隙ができれば、お前さんも安全に一撃を入れられる。相手がわしらに気を取られておる間に、消えたまま近づいて一突きし、離脱だ。姿が出るのは、その一撃のあとだ。そして、お前さんの姿が見られたら、すぐに相手の目を引きはがす。それも、わしらの仕事だ」
杖の先が、線の先の点を、とん、と突いた。
「誰も無理をせん。誰も危ない橋を渡らん。それで、一番強い相手を倒す。それが、組んで戦うということだ」
俺は、地面に描かれた線と丸と点を見つめた。
――逆算。
ゴールからさかのぼって、段取りを組む。
話としては、わかる。だが、言うは易し、ではないだろうか。
「もし不測の事態になったら、どうしますか?」
「その時は、もう一度考え直すんじゃ」
「……肝に銘じます」
「うむ」
じいさんは満足そうにうなずいた。
タイトルを以下のようにしました。
◾️新タイトル
「ブラック企業で存在が空気だった元社畜、異世界でも気配が消えすぎる ~隠密スキルで魔物を狩り、今度こそ自由に生きます~」
◾️旧タイトル
「ブラック企業で空気だった元社畜、異世界で【暗殺者】になりました ~気配が消えすぎて、誰も俺に気づきません~」
従来のタイトルだと、暗殺者が悪徳貴族を懲らしめる勧善懲悪の物語だとミスリードするかもなと考えたのが理由ですが、いかがでしょうか?
なお、現状だと一話一万文字と長めなので、分割して読みやすくすることも検討しています。
ちなみに一万文字でも300話を超えそうですが。。。( ´ཫ` )
楽しみ半分、不安半分な気持ちですが、今後とも当作品を宜しくお願い致します。
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