第四話:法廷の影と、死者の手札
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上層に位置する『グラントヴァル商業裁判所』。
煤煙に汚れた下層や中層とは異なり、ここは白錬石と真鍮の意匠で彩られた清冽な空間だった。
だが、そこに漂う空気は、日本の裁判所と何ら変わりない。権力と欲望、そして精緻に組み立てられた嘘が渦巻く場所だ。
「これより、アーカム社における家督および全資産の継承審理を開始する」
高壇に就く法務官の声が重々しく響く。
裁判席の右側には、黒のヴェールを被ったエレノア・アーカム。
その隣には、付き添いとして俺と、古文書の解読役としてオルドが控えている。
対する左側には、高級な絹の仕立て服を着た肥満体の男。
エレノアの叔父であり、アーカム社の現副社長、バルト・アーカムだ。
彼の脇には、ギルド特有の漆黒の法衣を纏ったお仕着せの弁務官が不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「法務官閣下」
バルト側の弁務官が恭しく一礼し、朗々とした声を上げる。
「前社長であるヴィンセント・アーカム氏の突然の死は、痛恨の極みにございます。しかし、会社とそこに携わる数百名の職人の生活を滞らせるわけにはまいりません。前社長が明確な遺言を遺していない以上、男子たるバルト殿が全権利を継承するのが、我が都市の伝統法規に照らしても妥当でございます」
「待ってください!」
エレノアが立ち上がろうとするが、俺は静かに彼女の肩を手で制した。
「焦るな。まずは相手に言いたいだけ言わせる。主張が出尽くした時が、構造の隙隙が一番広がる瞬間だ」
バルト側の弁務官は、冷笑を浮かべながらこちらのテーブル——そこに置かれた真鍮の『からくり箱』を指差した。
「あちらの令嬢は『箱の中に遺言書がある』と主張されておられます。しかし、周知の通り、その箱は前社長の生体反応が絶たれたことで強固に永久封印されております。中身が確認できない以上、法的にそれは『白紙の羊皮紙』と何ら変わりません。開かない箱に価値などないのです」
法務官が重たく頷く。
「うむ……不確定な存在を根拠に継承権を主張することはできん。異議がなければ、これよりバルト氏への継承を承認——」
「異議があります」
俺は静かに手を挙げ、胸ポケットから弁護士バッジの代わりに愛用のカメラを取り出し、首に下げた。
法廷内の視線が一斉に俺へと注がれる。
不審な異国人の登場に、バルトが眉をひそめた。
「何者だ、その男は? 上層の法廷にふさわしくない異装ではないか!」
「エレノア殿の代理人を務めます、九条神楽です。本職は弁護士……まあ、この街ではただの『観察者』ですが」
俺は壇上へ歩み寄り、中央の証言台に『からくり箱』を置いた。
「相手方の弁務官にお聞きしたい。あなたは先ほど『開かない箱に価値はない』とおっしゃいましたね?」
「当たり前だ!」弁務官が鼻で笑う。
「開けて中身の書面を提示できない以上、遺言の存在を証明することは不可能なのだからな!」
「——なるほど。だが、あなたのその主張は、あまりに基礎(前提)が脆すぎる」
俺は静かにファインダーを覗き込んだ。
ピントを合わせる。
レンズの向こうで、バルトの不自然な多汗、弁務官の自信満々な視線、そして箱の表面に刻まれた複雑な歯車とルーン文字が、モノクロの立体構造図として立ち上がる。
カチリ。
脳内でシャッターを切る音。
「オルド、例の条文の解読結果を」
控えていたオルドが、待ってましたとばかりにニヤリと笑い、皮押しの法典を開いた。
「うむ! グラントヴァル古式継承法第十七条——『故人が生前に遺した魔導仕掛けの記録物は、その構造自体が意思表示の効力を有する』じゃ!」
バルトの弁務官の顔色が微かに変わった。
「な……何を突拍子もない古法を! その箱は開かないのだぞ! 意思表示の内容が読めなければ意味がない!」
「読めない? いえ、すでに『読めている』のですよ」
俺はからくり箱の真鍮の表面を指で軽くなぞった。
「ヴィンセント前社長は、自らの死後にこの箱が開かなくなる仕掛けを施した。なぜか? 愛する娘に遺言を残したい人間が、絶対に読めない仕掛けを作るはずがない。答えは一つだ。『この箱そのものが、遺言書だから』だ」
法廷内がざわめく。法務官が身を乗り出した。
「どういうことかね、九条代理人?」
「この箱の表面を見てください。単なる装飾に見えるルーン文字ですが、これはアーカム社が特許を持つ『高圧蒸気弁の安全構造図』が、暗号化されて刻み込まれている」
俺はオルドを振り返った。オルドが朗々と解説を引き継ぐ。
「このルーン文字の配列は、箱が『封印状態』になった時にのみ、特定の歯車が噛み合って一つの完成した技術図面を形作るのじゃ! ワシが昨夜、解読を完了させた!」
「なに……!?」
バルトが思わず声を上げた。
「ヴィンセント氏は知っていたのです」
俺はバルトをまっすぐに見据えた。
「自らの死後、欲深い親族が娘から会社を奪おうと画策することを。だからこそ、彼は『死後にしか完成しない特許技術』をこの箱の構造そのものに刻んだ」
俺はスーツの上着を正し、バルト側の弁務官に告げた。
「この箱が開かないのは、不具合ではない。『中身を取り出す必要すらない、完璧な権利の証明書』だからだ。箱の底面に刻まれた古文字の解読文によれば——『この箱の構造(特許)を解読し、継承した者を我が後継とする』。……そう書かれている」
「く……嘘だ! そんなバカな話があるか!」
バルトが激昂してテーブルを叩く。
「文字の解釈など、どうとでも捏造できる!」
「捏造かどうかは、今すぐ証明できます」
俺はポケットから、小さな写真——昨日、ミハイルの工房で撮影した「移動式蒸気弁」の構造写真を取り出し、法務官に提出した。
「前社長が箱に刻んだ技術と、この写真にある職人の構造。これが合致すれば、この箱がアーカム社の技術の集大成であり、エレノア殿へ宛てた正当な継承の証拠となる。……法務官閣下、検分を」
法務官が写真と、オルドの提出した解読図面を見比べる。
沈黙が法廷を支配する。
十秒、二十秒……。
やがて、法務官の手から重厚な木槌が振り下ろされた。
カン、と乾いた音が響く。
「……判定する。前社長ヴィンセント氏の意図は明白であり、箱の構造美および解読文は正当な遺言と認める。アーカム社の全資産および経営権の継承者は——エレノア・アーカム殿とする!」
「そんな……! バカな、私の天下が……!」
崩れ落ちるバルト。
弁務官は青ざめた顔で言葉を失っていた。
傍聴席から大きな歓声が上がる。
エレノアは目元を拭い、何度も、何度も俺とオルドに頭を下げた。
「ありがとうございました……! 神楽様、オルド様……父の遺したものを、守っていただけて……」
「礼なら、君のお父上に言いなさい」
俺はカメラのレンズキャップを嵌めながら言った。
「見事なロジックだった。娘を想う親の作った構造は……どれほど強欲な人間にも、壊せるものじゃない」
夕刻の『蒸湯屋』。
オルドがご機嫌で煙管の紫煙をくゆらせ、真鍮のボイラーで淹れた珈琲をカウンターに置いた。
「……ハッハッハ! 今日のバルトの顔! 傑作じゃったな、神楽!」
「静かにしろ、オルド。せっかくの珈琲が不味くなる」
冷めた珈琲に口をつけながら淡々と答えた。
上層の商業裁判所での戦いは、エレノア・アーカムの完全勝利で終わった。
故人が残した「開かないからくり箱」そのものが特許図面であるというロジックは、強欲な親族をぐうの音も出ないほどに叩きのめした。
だが、俺の頭の中には、事件の解決とは別の「疑問の構造」が残っていた。
「それにしても神楽、あの箱の底面に刻まれていた『古代アーク文字の接続記号』……お前さんが持ってきておる、その『かめら』という妙な機械の裏側に刻まれた模様と、恐ろしいほどよく似ておったな」
オルドがふと思い出したように、煙管の先で俺の胸元のカメラを指した。
「……何?」
「ん? ワシが解読したからくり箱の裏底の記号じゃよ。あれは古い技師たちが『別の構造体と結合させる』時に使う特殊な刻印でな。
お前さんの『かめら』の底にあった小さな金属の凹凸と、文字の配列法則がそっくりじゃったと言ったのじゃ」
俺は無言で首から下げたデジタルカメラを外し、底面を覗き込んだ。
三脚を取り付けるためのネジ穴の脇。
日本にいた頃は、メーカーの製造番号かデザインの一部だと思い込んでいた微小な刻印。
……確かに、アーカム氏の箱に刻まれていたルーン文字の組み合わせと、幾何学的な配置が合致している。
俺が落ちてきた日本の廃墟。
俺が日本から持ってきたカメラ。
そして、この異世界の精密な魔導蒸気機関。
(……ただの偶然か? いや——)
弁護士としての思考と、写真家としての観察眼が、背筋に冷たいものを走らせる。
「……オルド。この街で、その『接続記号』が使われている場所は他にないのか?」
「ふむ……ワシの知る限り、この上層や中層にはないな。……もし残っているとすれば、煤煙の溜まる一番底……【下層】の『排気底』くらいのものじゃろう」
下層、排気底。
この巨大都市グラントヴァルの最暗部。
俺はカメラのレンズキャップを嵌め、静かに立ち上がった。
「……ふっ。どうやら、この街の廃墟は、まだまだ奥が深そうだ」
自分がなぜこの世界に落ちてきたのか。
その「構造」を解き明かすために、俺の視線はすでに、都市の底へと向けられていた。
次回は少し長くなってしまったので前編と後編に分けさせていただきます!お楽しみに!




