第三話:煤煙の街と、消えた遺言書
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「——で? 結局その『弁務官』とやらはどんな顔をしたんじゃ?」
『蒸湯屋』のカウンター。オルドがパイプの煙をくゆらせながら、面白がりを隠しきれない顔で尋ねてきた。
「顔色を青から土色に変えて、書類をひったくって逃げ帰ったよ」
俺は、冷めた珈琲に口をつけながら淡々と答えた。
ミハイルの工房での交渉(という名の論理的絞首刑)は、ほんの十分ほどで決着がついた。
契約書の『担保対象』の定義における構造的欠陥と、グラントヴァル中層商業法第十四条に規定される「職人の所有権保護」の判例(かつてオルドが解読した古文書の中にあった)を突きつけただけだ。
相手は文字の罠で無知な職人をハメようとしたが、法というものは『構造物』だ。基礎(前提)が崩れれば、どれだけ強固に見える論理も一瞬で全壊する。
「ミハイルの奴、涙目になりながら『神楽先生』だとよ。すっかりこの店が『困りごとの駆け込み寺』だと街で噂になり始めておるぞ」
「……勝手に肩書を増やすな、オルド。俺はただの弁護士で.....ついでに廃墟写真家なだけだ」
俺は首から下げた愛用のデジタルカメラのレンズを磨いた。
転移してから一ヶ月。この世界の言葉も日常会話レベルなら支障がなくなった。
だが、俺が本当に知りたいのは「なぜ俺が日本の廃墟からこの異世界の喫茶店に飛ばされたのか」という構造だ。
その手がかりを得るためにも、俺はオルドの知識と、この街の「歪み」を観察し続ける必要がある。
カランカラン——。
ドアのベルが鳴った。
立ち込める蒸気の向こうから入ってきたのは、黒いヴェールを被った若き淑女だった。
上質な絹のドレスには煤がついておらず、一目で【上層】側の人間だとわかる。
彼女の背後には、真鍮の甲冑に身を包んだ二人の護衛(ギルドの用心棒)が控えていた。
「ここが……『言葉の隙間を解き明かす男』がいるという店でしょうか」
澄んだ、だが切迫した声。
彼女はヴェールを上げ、俺とオルドを交互に見た。
美しい顔立ちだが、その瞳には深い疲労と焦燥が滲んでいる。
「いかにも。ワシが店主のオルド、そしてこちらが……まあ、うちの『特別相談員』の神楽じゃ。上層の貴婦人が、フォグラード区の片隅に何の用かな?」
オルドが煙管を置き、大人の余裕を見せる。
女性は静かに席に着くと、手袋を嵌めた手で小さな真鍮製の『からくり箱』をテーブルに置いた。
表面には複雑な歯車と、繊細なルーン文字が刻まれている。
「私はエレノア・アーカム。【上層】の蒸気機関メーカー『アーカム社』の令嬢です。……昨夜、父が急死いたしました。」
俺は無言で彼女の仕草を観察する。指先の微かな震え、視線の交錯、そして護衛たちの異様な警戒姿勢。
「お悔やみ申し上げます。……で、本題は?」
「父の遺産と、会社の経営権を巡る問題です。父は生前、全財産と経営権を私に譲ると公言していました。しかし……叔父である現副社長が『父の遺言書は存在しない。故に、男系男子である自分が全てを継承する』と宣言したのです」
「よくあるお家騒動だな」俺は呟いた。「だが、その箱がここにあるということは……」
「ええ。父はこのからくり箱の中に『遺言書』を遺しました。ですが……」
エレノアは悲痛な面持ちで箱を見つめた。
「この箱は、父の生の反応(脈拍とエーテル波)が途絶えると自動的に内部のルーン文字が組み替わり、二度と開かない『永久封印』がかかる仕掛けになっていたのです。叔父は『開かない箱は無価値だ。遺言書は確認できないため無効』だと主張しています」
「ほう……『開けられない構造物』か」
俺は興味を惹かれ、箱に手を伸ばした。
ひんやりとした真鍮の感触。確かに精密なギミックだ。
現代日本の技術とも、単なる魔法とも違う、蒸気とエーテルの奇妙な融合。
オルドが身を乗り出し、箱の表面のルーン文字を覗き込む。
「ふむ……これは古式アーク文字の『封銘』じゃな。無理に破壊しようとすれば、内部のエーテルが暴走して中身の羊皮紙ごと灰になる仕組みじゃ。……神楽、これは流石に物理的にも法的にも手詰まりに見えるぞ。中身が確認できん以上、法的には『遺言書は存在しない』扱いになってしまう」
エレノアが息をのんだ。
「そんな……! 叔父は明日、上層の商業裁判所で正式に継承を宣言するつもりです。それまでに遺言書を証明できなければ、アーカム社は叔父の手に渡り、父が遺した安全な蒸気弁の特許もすべて破棄されてしまう……!」
店内に重苦しい静寂が流れる。
護衛の男たちが「だから無駄だと言ったのだ」とばかりに鼻で笑った。
だが——俺の脳内では、すでに「写真家」と「弁護士」のギアが噛み合い始めていた。
「エレノアさん」俺はカメラを構え、ファインダー越しに箱と彼女の顔を切り取った。
「一つ質問だ。お父上は、自分が死んだ後、君がこの箱を開けられなくなることを知っていたと思うか?」
「え……? いいえ、父は私を心から愛してくれていました。私が困るような罠を仕掛けるはずが……」
「そうだ」
カチリ。
俺は頭の中でシャッターを切った。
モノクロの視界の中で、からくり箱の構造、父親の行動理念、そしてこの世界の『法規』が一本の線でつながる。
「愛する娘に遺産を遺したい人間が、絶対に開かない箱に遺言書を入れるわけがない。……この箱は『開けられない』んじゃない。『最初から開ける必要がない』んだ」
オルドが目を見開く。
「神楽……? 一体何を言っておるんじゃ?」
俺はカメラをテーブルに置き、薄く微笑んだ。
「エレノアさん。明日の商業裁判所には、俺とオルドも同行する。上層の強欲な叔父君に……死者が遺した『論理』の正体を見せてやろう...!」
次回、第四話も楽しみに!!!




