第6話 想い
第6話 想い
慌てた二人を乗せた馬車は宿場町を出て、どこまでも広がる農地の中をゆっくりと進んでいた。
目覚めたばかりの柔らかな朝陽が、青々と広がる芋畑の海を優しく包み込んでいた。
みずみずしい緑の葉が朝露をきらめかせ、そよ風に揺れるたび、土の上で光と影がさらさらと静かに踊っていた。
天蕊は帳の隙間から外を覗き、昨日見た農夫たちの誇らしげな姿を思い出していた。
その時――。前方で、何かが激しく倒れるような音が響いた。
「知秋、今の音……」
「ええ。少し馬車の速度を落とします」
馬車が近づくと、道の真ん中で荷車が完全に横倒しになり、たくさんの芋が土の上に転がっていた。
その傍らで、ひとりの農夫が困り果てた様子で、一生懸命に荷車を起こそうと奮闘していた。天蕊はその農夫の顔を見て、はっと息を呑んだ。
(あの時の……!)
昨日、馬車の窓越しに目が合った、あの農夫だった。
笑っているのに、どこか胸の奥に深い影を宿していた、あの一人だった。知秋が荷車の手前にそっと馬車を止めた。
「大丈夫ですか。荷車が倒れてしまったのですね……」
農夫は驚いたように振り返り、天蕊と知秋の姿を見るなり、周囲のあぜ道に誰もいないかを素早く確認した。
そして、声をひそめて言った。
「……あんたら、この先へ行く気か」
知秋は農夫に向かって、警戒を解かずに頷いて答えた。
「ええ。次の宿場町へ向かうため、この先の街道へ出る予定です。何かありましたか」
農夫は小さく首を横に振り、散らばった芋を拾い集めながら、低い声で告げた。
「行っちゃいけん。ほんまに、この先へ行ったらいけんのだ。
役人が人相書きを持って、先の道を完全に固めとる。あんたら二人の顔は……もう町中に知れ渡っとるからな」
天蕊の胸が、きゅっと音を立てて縮んだ。まさか、先回りされているなんて思ってもみなかった。
「どうして……どうして私たちに、そんな大切なことを教えてくださるのですか」
農夫はしばらく黙り込み、土のついた芋の泥を優しく払うと、それを腕の中でぎゅっと抱きしめた。
「……わしの倅もな、先の戦さで『御国のため』じゃと無理やり連れていかれた。
まだ十五の子じゃ。戦のことなんか何も知らん、畑のことしか知らん優しい子じゃったんだ。……倅は、それきり二度と戻らんかった。
あんたらの人相書きを見た時から引っかかっておってな、昨日、馬車のあんたらを見た時、倅の姿が痛いほど重なって見えたんじゃ」
農夫の言葉に、天蕊は言葉を失い、ただ息を呑むことしかできなかった。昨日見た、あの農夫の瞳の影の理由――それが今、天蕊の胸の奥に痛いほど切なく伝わってくる。
「わしは……もう誰も、あの子みたいに理不尽に奪われるのを見とうないんじゃ」
その話を聞いた知秋は、深く、深く頭を下げた。
「……感謝いたします。あなたのその尊いお言葉、決して無駄にはしません」
農夫は荷車をゆっくりと起こして、最後にぽつりと言い添えた。
「表の街道はもう使えん。行くなら……ここから馬車を捨てて、歩いて山道を行きなさい。霧が深く険しい道じゃが、役人どもはあそこまでは追ってこんだろうて」
天蕊は知秋の袖をそっと、強く掴んだ。
「知秋……」
知秋は天蕊の手を優しく包み込むように、力強く握り返した。
「姫様。確かに馬車では目立ちすぎます。農夫殿の言葉通り、ここで馬車を捨てて山道へ入るべきです。それでよろしいですね」
天蕊は農夫のあたたかい顔を見つめた後、知秋に向かってまっすぐに大きく頷いた。
「……歩いて行きましょう、知秋。あの方の命がけの想いを、絶対に無駄にしたくありません」
二人は道を塞いでいた芋拾いを急いで手伝ったあと、大切な馬車を農夫へと託し、農夫から幾つかの芋を貰い、最低限の荷物だけを背負って、霧の煙る山道へと向かって力強く歩き出した。
農夫は遠ざかっていく二人の背中をじっと見つめ、静かに帽子を取ると、それを風に向けて大きく揺らした。
「……どうか、どうか、ご無事でな」
農夫のその切なる祈りは、秋の風に乗って、前を向いて歩む二人の背中へと確かに届いていた。




