第4話 飼葉屋
第4話 飼葉屋
夕餉を済ませて部屋に帰ってきた二人。
部屋の真ん中では、囲炉裏の火が静かに揺れ、薪がぱちりと爆ぜていた。
天蕊は胸の奥に残る、あの冷え切った宮廷の晩餐の記憶を、先程の食堂での親子三人家族の団欒の温かい余韻で、そっと心の奥底へ押し込んでいた。そのまましばらく、火の傍に干してある知秋の外套が、ぱちぱちという音とともに乾いていくのを静かに見つめていた。
「……知秋。次の宿場町を経由して、神殿へ向かうのですよね」
天蕊は、昼間に聞いた人相書きの件がどうしても気になり、そっと問いかけた。
「この宿場町でさえ、人相書きがあんなに出回っていますが……本当に大丈夫でしょうか」
知秋は火のそばに腰を下ろし、爆ぜる炎を見つめながら静かに頷いた。
「ええ。表の街道を使えば最短ですが……やはり追手の動きが気になります。今日の市場でも、役人らしき者が二人いましたし、姫様が不安に思われるのも当然です。……ですが、なんとかしてみせますよ」
天蕊は少しだけ細い眉を寄せた。
「……やはり、まだ油断はできませんね」
知秋は天蕊の胸の不安を和らげるように、努めて穏やかな声で続けた。
「ですが、この宿場町を抜ければ、のどかな農地が広がっています。そこを越えれば、次の宿場町へ続く街道に出られます。追手や人相書きの件は、次の宿場町に着いてからまた対策を考えましょう。……姫様、申し訳ありませんが、明日の朝は少し早めに出発します。馬用の飼葉を仕入れてこの街を出ます。よろしいですね」
天蕊は不安そうな顔のまま、けれど知秋への深い信頼を込めて、小さく頷いた。
「……ええ。あなたを信じて、どこまででも一緒に行きましょう」
知秋は一瞬だけ目を伏せ、その言葉を胸の奥で重く受け止めるように、静かに息を吐いた。
「姫様。ご安心ください。俺が必ず、姫様を安全な道へと導きます。信じていただきありがとうございます」
その夜、二人は囲炉裏の火が静かに消えゆくまで、次の行程を何度も確かめ合っていた。
◇
翌朝。朝早くから出発するため、二人は女将さんに早めの朝食をお願いしていた。
「おはよう! 朝餉は芋の煮っ転がしと、あつあつの味噌汁だぞ。早く食いな!」
屈託のない笑顔で、お膳をドンと置きながら急かしてくる女将さん。昨夜はあんなに鋭く二人をいじっていたのだ。今朝もその元気は健在だったようだ。
女将さんはニヤニヤしながら、お椀を並べる手元で知秋にとっては突拍子もない質問を投げかけてきたのだ。
「ところで旦那さん、子供はいつ頃の予定なんだい?」
「ぶっ……!?」
お味噌汁をすすりかけていた知秋が、激しくむせた。
「こ、子供、ですか……!? い、いや、それはその……まだまだ、これから、というか……」
「あらあら、しどろもどろになっちゃって! 初々しいねぇ!」
天蕊も顔を真っ赤にしながら、お芋を口に押し込んで下を向くしかなかった。
朝餉を終え、女将さんの口撃から逃げるように旅籠を出た二人は、市場の隅の一角にある飼葉屋へと立ち寄った。
知秋が「最後に馬の飼葉だけ、調達します」と言ったからだ。
知秋が店主と値段を交渉したり、荷台に飼葉を積んだりしている間、天蕊は少し離れた場所の壁のそばに佇み、行き交う人混みをぼんやりと眺めていた。
その近くの壁には、自分たちのものらしき人相書きが、朝の光に照らされて生々しく貼られている。
(やはり、追手はすぐ近くまで……でも、ちっとも似てない)
そう思った瞬間だった。
市場の激しい雑踏の中、ふと、肌を刺すような強い視線を感じて天蕊は振り返った。視線の先、人混みの隙間に、ひとりの人物が立っていた。
物売りでも、役人でもない。宮廷側との複雑な関係のせいで、こちらに直接接触することは絶対にできない――そんな目に見えない縛りを全身にまとったような、周囲から明らかに浮いた空気を持つ人物だった。
その人物は、天蕊とばっちり目が合うと、何も言わずに懐から小さな木片を地面へと落とした。
そして、人混みの中へ紛れるように、一瞬で姿を消していった。
「え……?」
天蕊が息を呑みながら駆け寄り、その木片を拾い上げる。そこには、墨の文字で直接、殴り書きのような剥き出しの警告が刻まれていた。
『――包囲網が敷かれた。敵襲来予定あり。神殿へ――』
それは、知秋の実家である葉家の中にいる、数少ない味方からの命がけの伝言だと思われた。
「姫様、お待たせしました。飼葉の積み込みが終わりましたので、出発……って、どうされたのですか? 顔色が真っ白ですよ」
戻ってきた知秋が、天蕊の異変に即座に気づき、鋭く周囲を警戒した。
天蕊は震える手で、その木片をそっと知秋の手のひらへと握らせた。木片の文字を見た瞬間、知秋の切れ長の目が限界まで見開かれ、その体が一瞬で護衛のそれへと張り詰めた。
「……敵が襲来って。味方から知らせが来たのですね。姫様、早く、馬車へ!神殿へ向かいます!」
知秋は低い声で素早く告げると、天蕊を馬車へと飛び乗らせ、御者台へと駆け上がった。
二人は逃げるように飼葉屋と市場の雑踏を後にし、烈風のごとく宿場町を飛び出して行くのだった。




