その142 「夏の客人Ⅳ」
母子の会話回
夜の屋敷は静かだった。
広い廊下。
古い床。
遠くで時計が鳴る。
ロッテは部屋の前で止まった。
コツコツ。
「どうぞ」
ドアを開ける。
エレノアは机で何か書いていた。
眼鏡。
書類。
完全に仕事の顔だった。
ロッテが言う。
「まだ仕事?」
エレノアは少し笑う。
「少しだけ」
「今日は長い一日だったわ」
ロッテは窓の近くに座る。
庭が見える。
夜の芝生。
昼の騒ぎが嘘みたいに静かだ。
エレノアが聞く。
「どう?」
「この家」
ロッテは肩をすくめる。
「広い」
「そうね」
「子供が多い」
「そうね」
ロッテは少し黙る。
そして言う。
「佐伯さん」
エレノアが顔を上げる。
「何?」
ロッテは窓の外を見たまま言う。
「変な人」
エレノアが笑う。
「それは否定しないかな」
ロッテは言う。
「ウサギ」
エレノアが吹き出す。
「ずっと言ってるわねぇ」
「弱そう」
エレノアは少し考える。
「……そう見える?」
「見える」
ロッテは母を見る。
「ママはどう思う?」
エレノアは一瞬だけ言葉を探す。
「有能よ」
「仕事は」
ロッテはすぐ言う。
「仕事じゃなくて」
少し沈黙。
エレノアはペンを置く。
ロッテを見る。
「どういう意味?」
ロッテは少し肩をすくめる。
「別に」
「気になっただけ」
エレノアは首を傾げる。
「何が?」
ロッテは少し笑う。
ほんの少しだけ。
「ママ」
「佐伯さんのこと」
少し間。
「好き?」
部屋が静かになる。
エレノアは驚いた顔をする。
「何を言ってるの」
ロッテは肩をすくめる。
「別に」
エレノアは首を振る。
「違うわ」
「仕事よ」
それは本心だった。
少なくとも。
”エレノアはそう思っている”
ロッテは母を見る。
少しだけ目を細める。
それから言う。
「ふーん」
立ち上がる。
「じゃあいい」
ドアへ向かう。
エレノアが言う。
「ロッテ」
ロッテが振り向く。
「何?」
エレノアは少し困った顔をする。
「どうしてそんなことを聞くの」
ロッテは答える。
「別に」
少し間。
それから言う。
「ウサギだから」
エレノアはまた笑う。
「それ理由?」
ロッテはドアを開ける。
「うん」
そして少しだけ振り向く。
「でも」
小さく言う。
「逃げないウサギ」
エレノアは少し首を傾げる。
「?」
ロッテは笑う。
「おやすみ」
ドアが閉まる。
部屋に静けさが戻る。
エレノアは窓を見る。
夜の庭。
ウィルトシャーの屋敷。
そしてテラス。
さっきまで誰かが座っていた場所。
エレノアは小さく息を吐く。
「……まさかね」
そう呟いて。
書類に視線を戻した。
でも。
ペンはしばらく動かなかった。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
『佐伯悠馬の結婚事情(仮)』始まりました。
結婚する気がない男の結婚事情(仮)です。
相変わらず周囲がうるさく、悠馬の胃が忙しいです。
更新はのんびりですが、完結まで書いていく予定なので
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