その133 「止まるな」
悠馬君、サメウサギ?あれか?モフサンド的なやつか?
悠馬の机はいつも通り整っていた。
書類は揃っている。
ペンの位置も同じ。
カップも同じ。
違うのは――
速度だった。
「もう終わったの?」
ノアが書類を見て言う。
悠馬は顔を上げない。
「はい」
「昨日渡したやつだよ?」
「確認済みです」
ノアは書類をめくる。
数字。
整理。
問題なし。
むしろ完璧。
ノアは肩をすくめる。
「兄さん最近速くない?」
悠馬は淡々と答える。
「通常です」
「いや通常じゃない」
ノアは笑う。
「倍くらい速い」
悠馬は少しだけ手を止める。
ほんの一瞬。
だがすぐに動き出す。
「問題ありません」
ノアは少しだけ目を細める。
「……そう」
それ以上は言わない。
言っても意味がないことを知っている。
ノアは椅子に座る。
机の上の書類を見る。
「この案件、エドのやつ?」
「はい」
「もう整理終わってるの?」
「終わっています」
ノアは天井を見る。
「兄さんさ」
「はい」
「寝てる?」
悠馬は答える。
「通常です」
「それ答えになってない」
ノアは笑う。
だが目は笑っていない。
悠馬は視線を落とす。
書類に戻る。
数字を追う。
予定を確認する。
問題はない。
すべて処理できる。
”止まらなければ”
「兄さん」
ノアが言う。
「はい」
「止まっても死なないよ」
悠馬は答えない。
ノアはそれ以上言わない。
知っているからだ。
兄はそういう人間ではない。
止まると考える。
考えると止まる。
だから動く。
ノアは小さく息を吐く。
「まあいいや」
軽く立ち上がる。
「ルイス迎えに行ってくる」
「承知しました」
いつもの返事。
ノアはドアを開ける。
そして振り返る。
「兄さん」
悠馬は顔を上げる。
「倒れたら怒るからな」
「問題ありません」
即答。
ノアは笑う。
「そのセリフもう聞き飽きた」
ドアが閉まる。
静かになる。
悠馬は書類をめくる。
止まるな。
動け。
予定を詰める。
空白を消す。
『考える時間を消す』
それだけでいい。
夕方。
会議室。
エドワードは書類を読んでいた。
静かにページをめくる。
「……速いな」
誰に言うでもない。
横にいた秘書が答える。
「佐伯氏です」
「そうだろうな」
エドワードは書類を閉じる。
処理は完璧。
整理も正確。
問題はない。
ただ――
速い。
速すぎる。
エドワードは窓を見る。
ロンドンの空は曇っている。
「最近変わったことは?」
秘書が答える。
「特には」
エドワードは頷く。
「そうか」
それ以上は言わない。
原因は重要ではない。
重要なのは結果だ。
「次の案件も回しておけ」
「佐伯氏にですか?」
「当然だ」
合理。
それだけ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
夜。
悠馬の部屋の灯りは消えない。
書類。
予定。
連絡。
すべて順調で問題はない。
だけど。
廊下の向こう。
ノアは兄の部屋の灯りを見る。
遅い時間までついている。
いつものことだ。
でも、今日は違う。
速い。
無理に速い。
ノアは小さく呟く。
「……サメかよ」
止まると死ぬ。
そんな生き物がいると聞いたことがある。
兄はたぶんそれだ。
灯りは消えない。
春はまだ遠い。
そして同じ頃。
ドイツ。
机の上に参考書。
開いたノート。
ロッテはペンを回す。
試験範囲は終わっている。
だが、もう一度確認する。
癖だ。
窓の外はまだ寒い。
春は遠い。
「……夏か」
小さく呟く。
イギリス。
準備。
寮。
”知らない生活”
ロッテはペンを置く。
少しだけ考える。
ふと浮かぶ顔。
母が時々気にしている男。
静かで。
妙に逃げる。
「……佐伯さん」
少しだけ眉を寄せる。
”弱そうなウサギ”
そう思った。
でも。
母は気にしている。
理由はまだわからない。
ロッテは首を振る。
「どうでもいい」
ノートを閉じる。
試験が先だ。
そして夏はまだ遠い。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
『佐伯悠馬の結婚事情(仮)』始まりました。
結婚する気がない男の結婚事情(仮)です。
相変わらず周囲がうるさく、悠馬の胃が忙しいです。
更新はのんびりですが、完結まで書いていく予定なので
よかったらまた覗いてください。
感想・フォロー等とても励みになります!




